この世で一番軽い恋

神田柊子

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第三章 公爵家を制覇せよ

公爵領の祠

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「風が爽やかで気持ちいいですわね!」
 セリーナは隣を歩くアリスターに笑顔を向けた。
「そうだね」
 と、そっけない態度だけれど、アリスターはセリーナに歩く速度を合わせてくれている。
 セリーナたちはフォレスト公爵領に避暑に来ていた。
 ユーカリプタス王国では夏の一番暑い時期に休暇を取る人が多い。特に貴族は領地に帰ったり、旅行に出かけたりするのが一般的だ。熱気の籠る王都から出て、内海に面した南岸地方や涼しい山地の北部地方、また国外まで足を運ぶ人たちもいる。
 セリーナたちラグーン侯爵家も毎年領地に帰っていた。フォレスト公爵家も同じだそうだ。
 ラグーン侯爵領は王都より南、フォレスト公爵領は北にある。近くなら休暇中の何日か立ち寄ることもできたけれど、離れているからそうもいかない。休暇中はアリスターに会えないのか、とがっかりしていたとき「公爵領に一緒に来ないか」と公爵であるハワードから誘われたのだ。
 アリスターと一緒に過ごしたいセリーナは、両親に交渉。母ベリンダの課題に合格して、晴れて旅行が許されたのだった。
 この避暑旅行には、公爵家の親子に加えて、セリーナと、グレイシャー伯爵令嬢シャロンも一緒だ。
 シャロンはチャーリーと婚約したばかりだ。王妃の茶会のあと、そういう話になったらしい。
(こういうのを電撃婚約っていうのかしら?)
 半年後には結婚式だそうだ。
「ケント様もご一緒できたら良かったですね」
 シャロンの弟ケントは領地にいるため、不参加だ。
 茶会で友人になったアリスターとケントが旅行で仲良くなれたらいい、と思ってセリーナは発言したけれど、アリスターは「何言ってるの?」と呆れた顔をする。
「ケントが来ても誰も相手できないでしょ。義姉上は兄上と出かけているし」
 チャーリーの根回しの結果、シャロンはすでにアリスターからもセリーナからも「義姉上」「お義姉様」と呼ばれていた。――次期領主とその婚約者のふたりは、休暇どころか、領内の有力者への挨拶回りで忙しい。
「お友だちとしてアリスター様がおもてなしするのでは?」
「その場合、僕と君とケントの三人で行動することになるけど、君はここにケントが混ざってもいいの?」
「うぅ、それは……。でも、アリスター様のお友だちですから……」
「君は僕とふたりは嫌ってこと?」
「いいえ! 全く嫌ではありませんわ! ふたりきり、大歓迎です」
 セリーナは被せ気味に否定した。
「なら、このままでいいよね」
「はい、そうですわね」
(あら? そういう話だったかしら?)
 そう思ったものの、アリスターが振り返って手を差し出してくれたから、セリーナの疑問はすぐに吹き飛んだ。
「手をつなげるようになってうれしいです!」
「そう。良かったね」
「はい!」
 セリーナはにやにや笑いが止まらない。
 旅行の前に、ついにグレタから浮遊魔法の合格がもらえたのだ。
 浮遊体質のセリーナは、やはり浮遊魔法の素質があったようで、他の魔法より習得が早かったし、威力も大きかった。
 地上から十五階建ての魔塔の屋上まで行き来したり、グレタを持ち上げて浮けるようにもなった。瞬時に発動できるようにもなったから、これでいつときめいても大丈夫だ。
 セリーナは汽車で王都を出たときから何度も浮いていて、着いて来てくれたメイドのジェマから散々注意された。公爵家が貸し切った特別車両だったから浮き放題だったのだ。――初見のシャロンは目を丸くしていた。
 公爵領に着いたのは昨日。
 今日は屋敷の中や庭を案内してもらっている。
(それにしても、広いわ……。一日じゃ周り切れないわね)
 王都の公爵邸よりも広い。
 今は庭を散策しているけれど、石畳の噴水庭園から季節ごとの花園、南国の植物が植えられた温室まである。
 セリーナたちは夏の花園にいた。背の高いひまわりの中を歩くと、世界にふたりだけになった気分が味わえる。
 剣も習っているアリスターの手のひらは硬い。優しく包まれるような握り方がくすぐったくて、セリーナは、ふふっと小さく笑う。
「また浮いてる」
 アリスターがちらっとこちらを見て、そう言った。
「はい。アリスター様と手をつないで歩いてみたかったのです」
 踵だけ浮いているから、つま先立ちしている状態だ。
 ふわふわ歩くセリーナの足元を見るアリスターは、少し不満げに見える。
「大丈夫ですよ。私は今ものすごくときめいています! でも、あんまり浮くとアリスター様を持ち上げてしまうので、我慢しているんです」
「別に浮かんでほしいわけじゃないからね!」

 翌々日、セリーナたちはチャーリーとシャロンと一緒に、湖にやってきた。
 屋敷の裏が森に繋がっていて、その中にある湖だ。屋敷からゆっくり歩いても二時間かからない。
「ここが、ルイーズ様とお義父様がボートで競争した湖ですね!」
 セリーナの言葉に、チャーリーが笑ってうなずいた。
 アリスターが生まれる前のこと。チャーリーが語ってくれた思い出に出てきた場所だった。――ちなみに勝ったのはルイーズらしい。
「お義父様がボートなんて、あんまり想像できませんね」
 シャロンが言うのに、セリーナも同意する。
 ハワードの印象は、紳士的で真面目。
 休暇で来ている今も領地の仕事をしている。領主だから仕方ないけれど、セリーナは残念だ。
(アリスター様とお義兄様はぎこちなさがなくなったみたいだから、お義父様もどうにかならないかしら、と思ったんだけれど……)
 今日も誘ったが、断られてしまった。
 湖はさほど大きくはなく、対岸も見える。事前に整備してくれていたのか、足元の草なども片づけられていて歩きやすかった。
 二手に別れてボートに乗る。
 セリーナはジェマに持たされた日傘をさして、オールを操るアリスターを見つめた。
 アリスターはちらりとこちらを見て、ふいっと目をそらす。
「ボートのバランスが崩れるから、ここで浮かないでよ」
「気を付けますわ」
 セリーナは素直に景色に目を向けた。
 湖面は木々を渡ってくる風でわずかに波打っている。何か魚がいるのか黒い影がすいっと通り過ぎる。
「まあ! 何か泳いでいますわ!」
「落ちないでよ!?」
「落ちませんわよ」
 セリーナとアリスターが騒いでいると、少し離れたところからチャーリーが声をかけてきた。彼のボートに乗っているシャロンはセリーナに手を振っている。
「私たちも競争するかい?」
「嫌です」
 と、アリスター。
「ぜひ!」
 と、セリーナ。
「それじゃあ、用意……スタート!」
 と、チャーリーが強行して、ボートは湖を進んでいった。
 
 対岸の船着き場には先着したチャーリーたちがいて、彼がこちらのボートを桟橋に寄せてくれた。
 余談だが、引き離されたアリスターに、セリーナは「風魔法を使いましょうか?」と提案したけれど「怖いから絶対やめて」と拒否された。
 ボートを繋いで岸に上がると、こちらのほうが木が鬱蒼としていた。細い道が森に向けて続いているのを見て、セリーナはアリスターに尋ねる。
「この先には何があるのですか?」
「さあ? 僕はこの湖には初めて来たから」
(領地でも引きこもってらしたの? 毎年避暑に来ていたのよね? 家族三人バラバラに過ごしていたの?)
 アリスターが平然と答えるからセリーナはその件には触れずに、チャーリーを睨みつつ、「お義兄様はご存じですか?」と代わりに聞いた。
 チャーリーはセリーナの言いたいことがわかったようで、申し訳なさそうに眉を下げたあと、
「森の中を散策できるようになっているよ。祖父のころは狩りをすることもあったらしいけれど、今はやらないね。危険な動物はいないからそれは安心してくれ」
 それからチャーリーはシャロンに向かって、「この先に、噂の呪いの祠があるんだよ」と笑った。
「呪いの祠ですか?」
 シャロンは知らなかったようで首をかしげる。
 セリーナは友人のナディアに少しだけ聞いた。
(お義父様の最初の奥様と後妻のルイーズ様、お二方とも結婚五年で亡くなられたから、公爵家は呪われているって噂が立ったのよね。それで、その原因が領地の祠だとか……?)
 祠がどう原因なのかはセリーナも聞いていない。
「どういう呪いなんですか?」
 セリーナよりも当事者に近い立ち位置のシャロンは、特に怖がることもなくそう尋ねた。
「魔物だか悪魔だかが封印されている祠で、それを壊してしまったから、公爵家に呪いが降りかかった、だったかな?」
 チャーリーは笑って言う。彼の様子から噂はでたらめなんだろう、とセリーナは改めて思った。
 シャロンが見てみたそうだったから、このまま祠に行ってみることになった。
 小道は人がひとり歩けるくらいの細い道だ。四人で並んで進みながら、シャロンがチャーリーに聞いた。
「壊してしまったのは本当なんですか?」
「ああ、それは本当だ。……十年前かな? 夏に避暑に来たとき、私と年の近い令息とその家族を何組か招待したんだ。皆でここで遊んでいて祠を見つけて、その中のひとりがふざけて木の棒で叩いたら少し壊れてしまったんだよ。こちらは何も言わなかったけれど、壊した令息の両親は恐縮してしまって、彼はひどく怒られたらしい。……祠を壊したことが招待客の間で印象に残ったんだろうね。その年の冬にルイーズ様が亡くなって、結びつけられたみたいだね」
(十年前に壊れたなら、最初の奥様の死は無関係よね……。まあ、噂なんてそんなものよね)
 祠はすぐに直したよ、とチャーリーは続ける。
「何の祠なんですか?」
「それが誰にもわからなくてね」
 公爵領は、百五十年ほど前に領主の一族が断絶して、新しい領主がやってきた。彼は自分の力を試したかったのか、今までの領主のやり方を一新した。当然反発があったが、そこでさらに意固地になって、反対する者を追い出したり、前領主一族の財産や書物を処分してしまったり。結果、領地の力は下がり、領民の訴えから査察が入ったりして、早々に次代に代替わりした。しかし、盛り返すことはできず、その一族も三代でまた絶えてしまって、以降は王家の管理になっていた。そこを王弟が臣籍降下する際に拝領した、といういきさつだった。その王弟がアリスターたちの祖父だ。
「失った歴史は戻らなかったらしい。農業など生活に必須のものは、覚えている者から聞き取ったり、出て行った者を探したりしてどうにかしたらしいけれど、さすがに祠まではね。祖父が見つけるまで、ここにあることも忘れられていたそうだよ」
 そんな話を聞く間に、件の祠にたどり着いた。
 小道の横に付属するように、ぽかんと開けた場所があった。馬車を一台停められそうなくらい広い。対して祠は思ったよりも小さかった。大人が二人いれば余裕で持ち上げられそうな、小さな家だ。
「ドールハウスみたいですわね」
「確かに、思ってたのと違う」
 セリーナの後ろを歩いてきたアリスターもうなずいた。
 祠と言うから神聖な感じ、――呪いの祠なら怪しげな感じ、といろいろ想像していたけれど、小さなログハウスのようだった。
 広い場所の真ん中にぽつんとあるから、余計に間が抜けて見える。
「これ、精霊の家ではないでしょうか?」
 祠の周りをぐるりと回ったシャロンがそう言った。
「精霊の家?」
「ええ。――グレイシャー伯爵家は歴史だけは長いので、領地にこういう風習はたくさん残っているんですが……。森の中など自然が多い場所に小さな家を建てて、精霊に住んでもらうんだそうです。精霊が住みつくと土地が豊かになると言われているからですね。精霊の家にお供えをして、豊穣や無病息災を祈ったり、収穫を祝ったりします。グレイシャー領には精霊の家を管理する家系がありまして、祈願祭と収穫祭は今もやっていますよ」
「そんな風習があるのか……」
 シャロンの説明にチャーリーが腕を組む。
「もしかしたら、ここ以外にも精霊の家があるかもしれませんね」
「義姉上、精霊は不義理をすると呪うのですか?」
 アリスターが口を開いた。
「いいえ、そのようなことはありません。その場合、精霊はただ離れていくだけです。人を恨んだり呪ったりする話は聞いたことがありませんよ」
 シャロンはきっぱりと否定してくれた。
「人の手が入らなくても森の木が生きているのと同じで、精霊は人が忘れても気にしないのだと思います」
「そうですか……」
「でも、精霊は楽しいことが好きなので、お祭りをして騒ぐと集まってくると言われていますね」
 シャロンの言葉に、セリーナは手を叩いた。
「それじゃあ、ここでお昼を食べませんか?」
「いいかもしれません。もしまだこの家に精霊が住んでいたら喜ぶと思います」
「ああ、いいね。一度湖畔まで戻ろうか」
 ということで、呪いの祠――もとい、精霊の家で昼食となった。
 もともと湖畔で昼食をとる予定で準備してもらっていたから申し訳ないけれど、理由を話して移動してもらった。
 領地の屋敷の下級使用人は土地の者が多いらしい。祠の噂も知っていて、実は密かに恐れられていたそうだ。精霊の話をするとほっとしていた。
 今後どうするかなどを、シャロンがグレイシャー領の詳しい者に聞いてくれるそうだ。
 精霊の庭――祠が家なら広場は庭だ――にブランケットを敷いて、バスケットから取り分けてもらったサンドイッチを食べる。騒がしいほうがいいらしいから、使用人にも参加してもらった。
「ちょっと光らせてみましょうか?」
 セリーナも何かしたくて、アリスターに提案した。
「光らせるって、何?」
「魔法ですよ。見ていてくださいね」
 指先に魔力を集めて、光魔法を発動させる。
 ぽわんと小さな光の玉が現れて、宙に浮かんだ。
 デザートのブルーベリーくらいの大きさの光を十個出してから、セリーナはそれを風魔法で精霊の家の周りに流した。光の玉は十分くらいなら消えずにもつ。
「どうですか?」
 セリーナは満足して、アリスターに笑顔を向ける。
「お師匠様に『ちっちゃっ!』って散々笑われたんですけど、けっこう綺麗だと思いません?」
「ああ、うん……。意外にちゃんと魔法使いなんだ……」
 アリスターは呆然と光を見送って、そう言った。
「まあ! 意外にって、ひどいですわ!」
「普段の言動を振り返ったらわかるでしょ」
「余計にひどいですわ」
 セリーナが睨むと、アリスターはピックで刺したラディッシュをセリーナの口元に差し出す。
「ほら」
「あ……」
 つい口を開けると、ラディッシュが押し込まれた。
 セリーナは両手で口を押さえる。
(これは、夢の『あーん』ね! やだ、どうしましょう! え、アリスター様、自分でやっておきながらお顔が赤いわ! かわいい……)
「好き……」
 セリーナは久しぶりに高く浮き上がった。
 座っていたからとっさにスカートを押さえることができて、幸いだった。
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