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第二十三話 元婚約者

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 コールハース侯爵家でお世話になって二日目。一人で遅い朝食をとった後、侍女たちに寄ってたかってフリルを多用した桃色のドレスを着せられた。髪も複雑に編み込み軽く結い上げられる。そして初めてのお化粧。
 絶対にドレスなんか似合わないからと断ったのに、マリエッテお嬢様とのお茶会が予定されているからと押し切られてしまった。
 マリエッテ様とはロンバウトの婚約者だった人。会いたくないと思ってしまうのは、昨夜ラルスにロンバウトと結婚する可能性もあると言われて、結婚生活を妄想してしまったからかもしれない。ロンバウトに想い合う人がいたと知るのが辛い。
 それでもこの館にお世話になっている以上、招待を断ることはできない。覚悟を決めることにする。


「アニカ、なかなか可愛いぞ」
 部屋を出ると、廊下で待っていたラルスが声をかけてくれた。私の変わりように少し驚いているみたい。
「そ、そうかな?」
 自分ではわからないというようにとぼけてみたけれど、本当は自分でもお姫様みたいに可愛くなったと思っている。
 ドレスは思った以上に重いし、侍女さんたちに思いきり締められたコルセットはきつい。靴の踵も高くて歩きにくい。それでも、大きな鏡に全身を映してみると、そんなことすべて忘れてしまった。くるっと回ってみると、ふわっとドレスの裾が揺れる。そんな自分の姿を見てちょっと浮かれてしまっていた。
 

 本格的なお茶会を開くサロンではなく、侯爵一家が家族でお茶を楽しむ部屋だから緊張しなくてもいいと、案内してくれた家令が教えてくれた。だから、こぢんまりとした部屋を想像していたのに、それは大間違いだった。
 テラスに面した明るい部屋はかなり広い。置かれたテーブルも椅子もとても高価そうだ。床にはふかふかの絨毯。壁際には大きな黒いピアノが置かれている。
 そして、そこには本物のお姫様が待っていた。彼女は圧倒されるほどに美しい。

「わたくし、コールハース家の長女マリエッテと申します。よろしくね」
「あ、あの、ブレフトの次女アニカです」
 優雅に微笑むマリエッテ様に碌に返事ができない。

 どんなに素敵なドレスを着たって、庶民が急にお姫様になれるわけではないと思い知る。
 お姫様みたいだと浮かれていた自分が何だかみじめに思えてきた。それでも、家令が椅子を引いてくれたので逃げ出すこともできない。

「アニカさんを我が家にお迎えしたのに、昨日はおもてなしもできず御免なさいね。母と兄は領地へ行っていて、父はご存じのように魔女の森の件で王宮に詰めているの。わたくしも王太子殿下との結婚式が近くて、色々な打ち合わせがあって帰ることができなかったのです。お一人での食事は寂しかったでしょう?」
「いえいえ、皆さまと一緒に食事なんて、緊張しすぎるので、かえって好都合でした」
 緊張のあまり本音を声に出してしまった。いきなり貴族の家に連れてこられて、一緒に食事をしましょうなんて、どう考えても無理だと思う。でも、やっぱり失礼だったよね。怒ったのではないかと少し顔を上げてみると、マリエッテ様は天使のような微笑みを浮かべていた。

「そんなに緊張しないで。アニカさんを我が家で預かりたいとブラウエル卿にお願いしたのはわたくしなの。だって、ロンバウトさんの想い人だと伺ったから、どうしてもお会いしたかったのよ」
 団長たちはボンネフェルトを出発してまず王都へ行き、王様たちと話し合いをしてから私を迎えに来てくれた。その時、ロンバウトの想い人が魔女に攫われたと伝えたとのこと。
「ち、違います。私とロンバウトさんはただの知り合いです!」
 団長はなぜそんないい加減なことを言ったのだろう。とにかくとっても恥ずかしい。
「あら、ロンバウトさんに想われるのも嫌なの? あの姿だから?」
 マリエッテ様は少し悲しそうにしている。

「いいえ。本当に想われているのならとても光栄なことです。ロンバウトさんはとても素晴らしい方ですから。でも、あのような立派な方が私なんて好きになるはずないではありませんから」
「それでは何も問題ありませんね。安心いたしました」
 ニコッと笑うマリエッテ様はとても美しいけれど、どこに安心する要素があったのか疑問だ。

「アニカさんもご存じだと思いますけれど、ロンバウトさんはとても高潔な方なので、彼がわたくしを責めるようなことは絶対にないでしょう。だからこそ、アニカさんにはわたくしの口からお伝えしたかったのです。愚かな女の話を聞いていただけますか?」
 真剣な眼差しのマリエッテ様を前にして、私はただ頷くことしかできなかった。

 マリエッテ様は白い長手袋を脱ぎ、膝の上に置いた。そして、美しい指でカップを持ち、お茶を口に含む。騎士が口づけするのに相応しい傷一つない真っ白な手だ。
 私も真似をして手袋を外した。そうすると違いがはっきりとする。あまり手を見せたくなくて、膝に上で握りしめていた。


「物心ついた頃から、わたくしは王太子殿下の婚約者候補の筆頭でした。候補とはいえ、何も問題がなければ結婚することになるだろうと思っていました。ですので、将来王妃に相応しい女性になるために、様々な努力を重ねてきました。王太子殿下のお役に立ちたいと心から願っていたのです。でも、殿下が選んだのはただ甘えることしかできない、王妃として国に身を捧げる覚悟など微塵もないような女性だったの。殿下は私的な時間くらい癒されたいって言ったわ。わたくしは本当に悔しかった」
「それは、当然です。だって、この国のためにずっと努力してきたのでしょう? それを無駄にされたら、誰だって悔しいと思います」
 マリエッテ様はまるで懺悔をするように辛そうにしていた。だから、こんな風に声を挟んでは駄目なのかもしれないけれど、思わず慰めてしまった。
 
「そうね。悔しいと思うくらいは許されたでしょう。でも、わたくしは愚かにもロンバウトさんを新しい婚約者に望んでしまったの。彼は王太子殿下の一番近くにいる護衛騎士だったから。殿下がわたくしを選ばなかったせいで、ただの騎士爵の妻になったのだと、罪悪感を持ってもらいたかった。それに、王太子妃なのに護衛騎士の妻より出来が悪いと見せつけたかったの」
「ロンバウトさんはそのことを知っていたのですか?」
 マリエッテ様にはロンバウトへの愛などなかった。ただ、王太子殿下に気にかけてほしかっただけだ。これで、ロンバウトが彼女を愛していたら、随分と辛い思いをしたのではないかと思う。

「ロンバウトさんは聡い方だから、察してはいたでしょうね。殆ど交流がなかった身分的にも釣り合わない女から急に結婚話が舞い込んだのですから」
 ロンバウトもマリエッテ様のことを好きではなかった? 本当にこんな美しい人に心惹かれなかったの?

「こちらから婚約したいと持ち掛けたのに、わたくしには騎士の妻になる覚悟ができていませんでした。魔女に呪われ、獣化してしまったロンバウトさんを見たとき、その姿が怖いと思ってしまったのです。とても共に暮らすのは無理だと感じました。だから、婚約を解消いたしました。そんなわたくしに愚かな行為が、ロンバウトさんをとても辛い目に遭わせたのです。身を挺して王太子ご夫妻を護り切った褒賞に、ロンバウトさんには爵位や領地、多額の金品を与えられるのではないかと噂になっておりました。ミュルデルス伯爵家との縁や褒賞目当てに、下位貴族や富裕層の令嬢たちが彼に群がったのです。それなのに、彼女たちはロンバウトさんを獣だと見下していたのです。夜会や茶会で何度も彼を貶める方に出会いました」
 マリエッテ様は小さく息を吐き、再びカップに手を伸ばした。
 私はかける言葉がみつからなかった。安易にマリエッテ様は愚かではないということはできない。二人の間に愛情がなかったとしても、婚約者に拒絶さたら絶対に辛いはずだから。


 無言でいると間が持てなくて、三段になった銀の皿から見たこともないお菓子を一つつまんだ。それはとても美味しいはずなのに、何だか味がしない。思った以上に咀嚼の音がしたので、お茶を飲んで流し込んだ。

「結局、ミュルデルス卿はロンバウトさんを除籍して平民とせざるを得なかったのです。すべてはわたくしの罪。ですので、修道院へ入り、神に祈って一生を終えようと思っていました。でも、王太子殿下から、前の王太子妃が地に落とした信頼を取り戻したいので手伝ってほしいと求婚されました。悩んだ末に、わたくしはこの国に、国民の幸せのために身を捧げることに決めました。このようなことで、ロンバウトさんに許されるとは思っておりません。でも、わたくしが彼に幸せになってもらいたと思っていることに偽りはありません。それだけはアニカさんに伝えたかったのです」
 マリエッテ様はまっすぐに私の方を見ていた。護られているだけの美しいお姫様だと思っていたのに、今は誰よりも強く見える。

「この国の国民として、一つだけお願いしてもいいですか?」
「もちろんよ。要望があれば何でも言って」
「王太子殿下と幸せになる努力をしてください。だって、お二人は将来、王様と王妃様になるのでしょう? ご自分が幸せでなかったら、人も幸せにできないと思います」
 ロンバウトを傷つけた人だけど、それでも、幸せになってほしいと思ってしまった。

「ありがとう」
 そう言って、マリエッテ様は一筋の涙を流した。その姿もとても美しい。
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