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7.従妹に会う

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 約束通りショウタは昼過ぎに大きな氷を持って帰ってきた。
「明日からは毎日氷屋に届けてもらうことにしたから」
「冷たい!」
 興味深そうに触ってみたミノルは、透明な氷の冷たさに驚く。
 ショウタが氷を冷蔵庫の上の段に置き、下の段に前日に買った食材の残りを入れ始める。

「これで生の肉や魚も保存が出来るようになった。水や果物も冷やすことが出来るぞ」
「便利ですね」
 ミホは感心する。冷蔵庫は風呂屋にもなかった。

「ところでいい匂いするな。腹減ったから、飯にしようぜ」
「今日は親子丼を作ってみました」
 風呂屋一家は具のたっぷりと載った親子丼を食べていたが、ミホたち従業員には肉の入っていない具も少ない殆どつゆばかりの丼が与えられていた。それでもミホは味のついたご飯が大好きだった。
「僕、そんなもの食べたことがない」
 ミノルも期待に目を輝かせている。

 本来ならば雇い主とお手伝いが同じ場所で食事をすることはないが、ショウタがミホとミノルも同じものを一緒に食べると言ったので、ミホは山盛りの具が載った親子丼と味噌汁を三膳用意した。
「おお」 
 ショウタとミノルは美味しそうな匂いと柔らかそうな卵に目が釘付けだ。

「いただきます」
 皆で手を合わせて食べ始める。
「いっぱい作りましたから、おかわりあります」
 大切そうにゆっくりと食べていたショウタは、ミホの言葉を聞いた途端にすごい速さ食べ始める。そして、あっという間に完食した。
「おかわり」
 丼を差し出すショウタは本当に嬉しそうであった。


 昼食が済むと、ショウタは十エンを支度金だと言ってミホに渡した。
「でも、借金もあるのに、これ以上お世話になる訳には参りませんから」
 ミホは固辞したが、
「服が必要だろう? ミホのもだけど、ミノルの着物はつぎはぎだらけだ。ミノルの学用品だって必要だしな。昼飯も食ったし、片付けが終わったら買い物に行こうぜ」
 ミノルの名を出されてしまうと、ミホは断りきれなくなった。

「買い物、行きたい!」
 借金を繰り返す父親のせいで、ミノルは近所の人からもらった古着以外着たことがない。私物などは何も持っていない。それが当たり前だと思っていた。だから、ミノルは何かを欲したわけではない。物欲など持つことさえ許されなかった。
 家族で買い物に行ったこともなかったから、ミノルは純粋に様々な店を見てみたかった。

 ミホが勤めていた風呂屋の賄いは朝と昼のみ。夜は忙しいので昼休みに餅やパンを購入しておいて、さっさと食べて仕事をする。ミホの給金は殆ど夕食用の軽食に消え、わずかに残った金を貯めて、二、三年に一度反物を買って着物を自分で仕立てていた。
 ミホもまた、ゆっくり買い物などしたことはなかった。

 二十分ほど歩いたところにある商店街は買い物客でとても賑わっていた。
 借金を背負った身で贅沢は許されない。借金をショウタに返しながら、ミノルの進学費用も貯めなければならない。そう気を引き締めていたミホだったが、買い物は思った以上に楽しい。
 
 文房具店で購入した鉛筆と帳面を宝物のように大切に持っているミノルを見て、ミホも嬉しくなった。
 下着と反物、ミノルの通学用の肩掛け鞄も購入した。
 気がつくとミホの手許にニエンしか残っていない。
「ミノルのものばかりで、ミホのものをあまり買っていないだろう? 気にせずに使ったらいい。金がもっと必要なら渡すから。ほら、あの店にかんざしが売っているぞ」
 両手に荷物を持ったショウタが目線をかんざし屋に向けた。

「ショウタさん。もっとけじめをつけてもらわないと困ります」
 沢山の荷物を片手に乗せて、懐から財布を取り出そうとするショウタをミホは慌てて止めた。ミノルに過度の贅沢を覚えさせるわけにはいかない。人の欲望は際限ないと父を見て学んでいたミホだった。
 悲しそうに目を伏せるショウタ。鬼は情が深い生き物である。同居人となったミホとミノルに喜んで欲しいと思い金を出そうそたが、ミホに怒られてしまったので落ち込んでいた。

「ショウタさんは甘すぎるな。こんなんじゃ、誰かに騙されてしまう」
 ミノルでさえショウタの甘さに不安を覚えていた。
「ごめん。今度から気をつけるから」
 ミノルにも責められ、思わず謝ってしまうショウタだった。
 
 


 ミホの毎日は充実していた。
 木曜日に夜勤がある以外、ショウタは毎日家に帰って来る。
 土曜日は昼までの勤務で、日曜日は休み。
 ショウタが幸せそうにミホが作った料理を食べて、美味しかったと感謝をしてくれることが、ミホには何よりも嬉しかった。

 ミノルと中庭の草引きをして、少しづつ白い玉砂利が姿を現す。
 背の高いショウタが木の枝を切り、三人で花の苗を植えた。
 荒れていた家は、活気を取り戻していく。

 ショウタの休日には、一緒に買い物に行き大量の食材を購入する。
 ショウタが料理本を買ってきたので、ミホはそれを見ながら新しい料理に挑戦する。
 甘く冷たいプリン。熱く辛いカレー。今まで食べたこともないレシピが増えていく。
   
 ある日、ショウタが線香花火を買ってきたので、日がすっかり落ちてから中庭で三人で楽しんだ。
 蚊取り線香に火を付けて、そこから火を移す。
「僕の、すぐ落ちて終わってしまった。ミホ姉ちゃんのは最後まで綺麗だったな。ショウタさん、もう一回してもいい?」
「当たり前だ。いっぱいあるからな。俺は両手持ちだぞ」
 ショウタも随分とはしゃいでいる。空には満天の星。風呂屋で夜まで働いていたミホは星がこんなに綺麗だとは知らなかった。
 両親が喧嘩を始めると外に避難することが多々あったミノルも、空を見上げる余裕などなかった。
 

 穏やかな日々が過ぎていく。
 そんなある日、ミホはミノルと買い物に来ていた。
 相変わらずショウタは甘く、食費だと十エンをミホに渡していた。日曜日の買い物時にはショウタが金を出すので、平日だけの食費である。
 高級食材を使って雇い主に美味し料理を提供することに異論はないが、自分やミノルの舌が肥えてしまうのは困るとミホは思っていた。他にはこんな扱いをしてくれる雇い主などいるはずがないのだから。

 そんなことを考えながら歩いていると、
「ミホじゃない」
 そう声をかけられた。振り返ってみるとそこには従妹のカナエが立っている。カナエは母方の伯父の末娘でミホより四歳下の二十歳である。
「カナエ?」
 ミホがカナエに会うのは昨年の盆以来であった。母が死んだ時実家の墓に入れてもらったので、ミホは盆に伯父の家に行き、一緒に墓参りをすることにしていた。

「鬼の愛人になったのですって。一緒に買物をしていたと噂になっているわよ。あまり恥をさらさないで。私の結婚が決まったのに、破談になったらどうするつもりなの」
 鬼はただ一人の伴侶を大切にする性質をもつので、愛人など必要としないが、立派な体格の鬼は性欲も強いと誤解している人もいる。
「私はただのお手伝いです。愛人などではありません」
 ミホは慌てて否定した。カナエの物言いはショウタに失礼だと感じて、ミホの声はきつくなる。

「ミホは嫁にもいかずにまだ働くのね。私は弁護士との結婚が決まったの。彼は帝国大学出身なのよ」
 ミホを小馬鹿にしたようにカナエが笑ったので、ミノルは我慢できなかった。
「ミホだって、医者のショウタさんと結婚するんだ。ショウタさんも帝国大学出身で中央病院に勤めているんだぞ」
 帝国大学が何か理解していないミノルだったが、とにかくカナエの結婚相手と同じだと言いたかった。

「ミノル、何を言うのよ!」
 ミホは驚く。ショウタと結婚するような予定はないし、ショウタは医者だとは聞いていない。合っているのは中央病院に勤めていることだけである。
 カナエも驚いたが、ミホの様子からミノルが嘘を言っているとわかった。

「ミホの婚約者なら会ってみたいわ。中央病院ならここから近いし、これから行きましょう」
 嘘とわかっていてカナエが意地悪そうに言った。 
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