牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈

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SS:闘神の霍乱

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 それはいつもの朝のはずだった。

 ハルフォーフ家の面々が食卓の席につき、当主であるディルクと妻のリーナが現れるのを待っていた。
 そこに現れたディルクは、ふらつき崩れるように片膝を付いた。後ろをついてきたリーナは驚いて立ち止まる。ツェーザルとマリオンが慌てて駆け寄った。
「ツェーザル、マリオン、寄るな! 病がうつってしまう。ヴァルター、後のことをよろしく頼む。リーナも離れてくれ、僕はもう駄目かもしれない」
 ディルクの声はかすれ、少ししゃべるだけで息が上がっている。近付こうとしていたツェーザルは思わず離れていく。
 ようやく驚きから復帰したリーナが座り込んで、ディルクの上気したように赤い顔を見た。

「ディルク、体が辛いの?」
 ディルクの背中に手を置こうとするリーナ。ディルクは彼女を拒絶するように背の向きを変える。
「リーナ、僕に触れては駄目だ。病がうつるから。母上の別棟へ避難して」
 ディルクの息は荒く、とても辛そうだった。

「マリオンは部屋へ。ツェーザル兄上は騎士団へ行って軍医を寄越して欲しい。リーナさんは侍女を連れて別棟へ行ってください。母上はディルク兄上の世話をお願いできますか?」
 状況を把握できないで狼狽している家族や使用人に、ヴァルターがあれこれと指示を出した。先日のディルクとの打ち合わせでは、家族や使用人が感染するであろう病に倒れた時の対処方法を話し合っていた。
「わかった」
 ツェーザルは駆け足で部屋を出ていく。マリオンはディルクのことが心配だったが、兄の言葉には逆らえず自室に向かうことにする。

「私は嫌です。ディルクの側にいます」
 リーナは子どものように頭を振りながら、ディルクの側から離れようとはしない。
「リーナさん、ディルクの言うことを聞いて。貴女はまだ若くて未来があるのだから。私は想う人と結ばれて四人の子どもにも恵れました。そろそろあの人のところへ行ってもいいと思うのよ。だから、ディルクのことは私に任せて」
 リーナを立たせようとする母。リーナはそんな母の手を振り払った。
「私はディルクの妻です。私が最後まで世話をします」
 リーナが初めて姑に逆らった。リーナを本当の娘のように感じている母は、リーナの初めてのわがままを聞いてやりたいと思いディルクの顔を見る。
 蹲ったまま母を見上げたディルクは頭を振る。
「駄目だ、リーナ。君には未来があるから、僕の分まで生きて、そして、幸せになって」
 ディルクが切れ切れに話す合間にも、咳が止まらない。とても辛いのか肩で息をしている。

「私たちはずっと一緒にいると約束したではありませんか! ディルクの世話は私がします。もし私が病にかからなければ、ディルクの分も生きて幸せになる努力をしますから。だから、側にいることを許して下さい。もし、一緒に天に召されるのならば、それは運命ですから」
 リーナの目から涙が溢れ、その小さな手は大きなディルクの背中に置かれた。
「僕は幸せだ。今死んでも悔いはないよ」
 ディルクの目にも涙が光る。

「歩くことは可能ですか? 私がお部屋まで運べたらいいのですけれど、ちょっと無理だと思うのです」
「頭がくらくらするけれど、何とか歩けると思う」
 リーナは立ち上がりディルクを支えようと手を伸ばす。ディルクはなるべくリーナに力を加えないように気をつけ、よろけそうになりながら立ち上がった。
 壁に手をつきゆっくりと歩き出すディルク。その反対の手を取ったリーナは、心配そうに彼を見上げていた。

「私もお世話をいたしますから」
 そう叫んで侍女のアリーゼは二人の後を追おうとした。
「アリーゼは来ては駄目。お義母様、アリーゼをお願いします」
「わかったわ。アリーゼ、こちらに来なさい」
 辛そうに手を握りしめている母親を見て、アリーゼはそれ以上動くことができなかった。

「ディルクは今まで一度も病気などしたことがなかったのに、なぜ……」
「母上、先立つ不孝をお許しください」
 母親の言葉に振り返ったディルクは、病に倒れようとしている不甲斐ない我が身を謝った。母は唇を噛み締めながら見送るしかなかった。



 ようやくたどり着いた部屋で、倒れるようにベッドに横になるディルク。リーナはベッドの横に椅子を持ち込んで座り、ディルクの手を握った。いつもより熱いディルクの手は汗に濡れている。
「辛いですか?」
「喉が焼けるように痛くて、息をするもの辛い。頭がふらふらして、自分の体ではない感じなんだ。こんなこと始めてだよ」
 咳をするのも苦しそうにしているディルクを見て、リーナは心を痛めていた。
「可哀想なディルク。できれば代わってあげたい」
「駄目だよ。リーナをこんな目に遭わせることなんてできない。なるべく僕に近寄らないで」
 リーナはディルクの言葉に背くように、ディルクの額に手を伸ばす。ひんやりとした白いリーナの手が気持ちいいと、ディルクが手を重ねた。

「濡らしたタオルを用意しますね」
 やはりいつもよりディルクの体温が高いと感じたリーナは、水で冷やしたタオルを彼の額に置く。
「冷たいのが気持ちいい」
 タオルはすぐに温かくなるので、リーナは何度も水でタオルを洗って冷やした。



「閣下、病気だって」
 突然部屋に現れたのはまだ若い軍医。精鋭部隊の一員でもある。
 軍医はガラス管をディルクの口に咥えさせた。彼が新しく開発したガラス器具を組み合わせた大きな体温計の一部だ。
 次にディルクの口を開けさせて喉を見た。それから、脈を測って、目を確認する。
「重い病だろう? こんなに体の調子が悪いのは初めてだ」
 ディルクがびくびくしながら軍医に聞いた。
「いや、ただの風邪だな。熱も赤ちゃんの体温より少し高いぐらいだ。たいしたことはない。怪我した時はもっと高熱が出ただろう? なぜ、今回は重病だと思ったんだ?」
 ディルクが死にそうな病気にかかったとツェーザルに聞いて、慌ててハルフォーフ邸やって来てみれば、ディルクは妻のリーナと手を握り合って見つめ合っていた。軍医は思わず舌打ちをしそうになる。

「剣で切られた時に熱が出るのは普通だから。今回は何もしていないのに熱っぽくて全身に力が入らない。これが重病でないなんておかしい」
「おかしいと言われても。閣下は風邪を引いたこともなかったのか?」
 軍医は半ば呆れていた。
「こんな辛くなる病気があるのか?」
「風邪ならば、私も小さい時によくかかっていましたよ。二、三日おとなしく寝ていれば治りました」
「リーナは小さい時にこんな辛い思いをしたのか。可哀想に」
 ディルクは半身を起こして、リーナの頭を抱え込んだ。リーナもディルクの背中に腕を回す。
「ディルクも早く良くなってくださいね」
 ディルクの病気が風邪だと知らされて、リーナは安心したようにディルクに身を預けた。

 今度は聞こえるように軍医は舌を鳴らした。

 翌日には熱も下がりすっかり元気になったディルクは、家族全員に責められたが、リーナだけは病気が治ったことを喜んでくれたので、ディルクも嬉しくて微笑んでいた。
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