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ボウケンシャ

残されたもの

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 その森には『神秘的』という言葉がよく似合っていた。
 昼間だというのに、高い木々のためあまり光が差し込まず、代わりの灯りを青く煌めくキノコたちが務めている。足元と樹上は明るいのだがどうにも暗いような印象も受ける、なんとも不思議な環境であった。

「町の近くにこのような森があるとはな」
 男はもう丸一日吸わなくてもよいのではないか、というほどの深呼吸をする。
 この場所にいるだけで、尻尾も再度生えてくるような気さえしていた。

「ここ、綺麗ですよね。新人の冒険者さんが、よく仕事で来るんです」
 ソフィアは杖の先で、つん、とキノコをつついてみた。へこみ、またもどる。その繰り返しで青い傘から懸命に光る胞子を漂わせていた。

「このキノコはなんというのだ?」
「詳しくはわかりませんけど、薄い青の染料になると聞いたことがあります」
「そうか。ならば少しとっていこう」
 ジャロウは足元のそれらをいくつか掴み取り、背中の籠へ入れていく。青い胞子が手につき、少しの間だけ照り、また消えていく。その様子を見ていたソフィアは「星みたいですよね」とこぼした。

「染物、するんですか?」
「母が上手でな。村にいたころ、訓練の合間に触らせてもらったのだ」
「こう見えて手先は器用なのだぞ。抜け殻でも貝殻でも、食えぬものは加工して売っていたからな」
 意外な一面だった。いままでの浅慮な彼を見ていると、『荒くれ者』という言葉にぴたりと当てはまっていたのに。
 少し、うらやましかった。
 冒険者としての生活ばかりが思い返される少女にとって、家族のだんらんというのは遠い過去の話だった。

 うつむき、手のひらを見つめるソフィアに気付いてかジャロウは少し話題を変えようとした。
「ああそういえば、こういう昔話があってだな」

 それは、一匹の雄リザードマンのお話。

 そのリザードマンは欲張りだった。皆が腹を空かせる中でも自分だけは多く飯を食い、寝床も好きな場所を独り占めした。
 ある時おとこが森に行くと、そこにはたくさんのキノコが生えていた。「これはうまそうだ」と思った男は、仲間に黙って一人でみんな平らげてしまったのだ。

 するとどうだろう。男の鱗はだんだんと変わっていき、ついには全身がキノコになってしまったのだ。
 次に男の仲間たちが森を訪れると、その大きなキノコを見つけた。「これで村を養える」と考えた仲間たちは少しずつみんなで分け合って食いつないだのだ。
「そうして飢えを乗り越えることがことができて、村は救われたという話だ。これも食えるといいのだがな」

 ソフィアは少し怖い話だなと思った。
「それは、『欲張りは身を亡ぼす』とか『キノコの食べ過ぎは良くない』とかいろんな教訓がありそうですね」
「だな。だが私と弟は『多く食えば変身できる』と思ってしまってな、それから毎日鳥を射ちにいったものだ」
 ジャロウは笑いながら語る。

「弟さんがいるんですか?」
「ああ、といっても狭い村だからな。年下はみんな弟妹みたいなものだった」
 結局家族の話題に戻ってきてしまうジャロウを見ると、羨ましい、というより微笑ましい、なんだか自分も喋りたくなるような弾む気持ちへと変わってきていた。

「じゃあわたしはお返しに、この森のちょっと怖いお話でもしましょうか」
 そう言って今度は少女が口を開いた。

 この森、すごくきれい……ですけど恐ろしいモンスターがいるって噂もあるんです。もちろんはっきり見た人がいるわけじゃないんですけど、後ろ姿とか、鳴き声とかで。

 ほら、今も聞こえるじゃないですか?このホーウ、ホーウって鳴き声。これ、ただのフクロウじゃなくって、梟の魔物が「森を荒らすんじゃないぞ」って警告している声、だそうなんです。

 キノコを摘みながら「ほう」とジャロウは息をつく。ソフィアのいつもの無表情が、より恐ろしく感じた。

 それでフクロウさんは声に従わない人を襲って、森の養分にするらしいんです。
 やけに綺麗じゃないですか、この森。それは冒険者を糧にしてるからだ、って。

 あとそのモンスターの好物というのが、ジャロウさんの摘んでいるキノコ……。

 そこまで言ってソフィアは、はたと止まった。
 
「どうした?」
 いつの間にか、件の鳴き声は聞こえなくなっていた。
「う、ううし、うし後ろ……」
 代わりに聞こえてきていたのは、そく、そく、という乾いた物を裂くような音。
 それは、籠の中のキノコを食べている、角の生えたフクロウが出している音だった。

「で、出たーーー!」

     *

 森の中を二つの影が疾走していた。
「おぅ、おい! 逃げてどうするつもりなのだ!?」
「わかりません! 未確認のモンスターなら倒すわけにもいきませんし……とにかく森を出ましょう!」

 しかしフクロウは、追い立てるようつかず離れずの距離を追いかけてきていた。
「くうっ……殺しはしなければよいのだろう!」
 ジャロウは振り返り剣を抜く、だが瞬時にモンスターの放つ暴風により武器を吹き飛ばされてしまった。
「いけません! 実力が違いすぎます!」
 慈悲か遊びか、直接体に当てることなく、二人の周囲に向かってのみ風魔法を行使してくる。

 ごくり。ジャロウは喉を鳴らし、踵を返して再び走り出した。


 しばらくすると、森にぽっかりと木の無い平らな土地が現れ、民家のようなものが見えてきた。
 フクロウとの距離はいつの間にかかなり離れており、どうにか逃げられそうだ。
「こんなところに家……?」
「ソっソフィア! ひとまずあそこに隠れよう!」

 家は太い木に沿うように高い位置に建てられており、地上とは階段で繋げられていた。ツタが壁を覆い、もう誰も住んでいないことは一目瞭然だった。
 
 扉を引き室内に飛び込む二人。
「ふうっ、ふうっ、何なのだあいつは……?」
 息を切らしながら背負い籠を下ろす。どうやらかなり長いこと使われていないらしく、ぎしぎしと音が鳴った。
「はあ……詠唱もなしに、風魔法を……。私より格上なのは確かです」
 こんなにも速く走ったのは初めてであった。どうやら、生命の危機がタガを外してくれるというのは確かなようだ。

 家の中は狭く、ぼろぼろの本棚や机、謎の液体に満たされた瓶、さまざまな木の杖などが残されていた。魔法で動く土人形の残骸もあることから、魔法使いが住んでいたように思える。

「助かりましたけど、なんでこんなとこに家が」
 言葉尻とソフィアの肩がびくっと跳ね上がる。
「どうした!? ソフィア!」
 次は声こそ上げないものの、少女は「……あれです」と静かに指をさしていた。
 
 指の先にあったのはベッドの中の骸。
 この家の持ち主だろうか……完全に白骨化したそれは、草木に飲み込まれようとする家の中でも、数少ない形を保ったものだった。

 しばらくの沈黙が流れた。
 息を整えようとするのが先か、状況を整理しようとするのが先か。身体と頭が競り合っているような感覚が彼女らの口から言葉を奪っていた。

 がたんっ。
 二人がしばし呆然としていると、外から重たい音が聞こえてくる。

 奴だ。あの梟の魔物が、割れた窓の外に立ち室内をじっと見つめていた。
 ソフィアは杖を構える。だが今度は攻撃してくる気配はなく、ホーウホーウとあの鳴き声を上げ始めた。
 どこか悲しげにも聞こえるその声は、周囲に響かせるようなものではなく二人に直接向けられているようなものであった。

「わたしが先手を打ちます。幸い手ごろな木の根がたくさんありますから、搦め捕れば動きを止めることはできるはず」
 ジャロウは少し考えながら「待て」と小さく言った。
「あれは、何か伝えようとしているのではないか?」

 勘、だった。
 だが今、怪我を負わせられていないことや、あえて家に逃げ込めるよう距離を取られていたことを思うと、奴には意図があるように感じた。

 賭けるように目を閉じ、扉に手をかける。
「ジャロウさん危険です!」
 彼女の呼び止めは耳に入っていなかった。

 外へ出ると、モンスターがこちらをじっと見つめてくる。

 そして足元に、古い道具を差し出してきた。
 すきだ。
「お、おいソフィア。このもの、武器を渡してきたぞ」
「……それは武器じゃなくて農具です。穴を掘るのに使うんですよ」
「穴を? こいつは何がしたい?」

 ふと気づくとフクロウがすぐ近くまで来ていた。ひるむ二人には構わず、扉の中へ入っていく。
 向かった先は、あの骸のあるベッドの前だった。

 ホー、と一声鳴きまたこちらをじっと見つめてくる。
「お墓……じゃないですか?」
 埋葬。仲間の死体は燃やして煙にしてしまうリザードマンにとっては思い当たらない発想だった。

 辛うじて残っていた布で骸を取り上げると、鳥は家を出て庭へ降りて行った。


 綺麗な庭だ。駆け込む際には目をやる暇など無かったが、花やキノコ、香料植物などが咲き乱れるその様は、つい最近まで管理されているかのようだった。

 あの魔物はその中心に挿されてある、木の棒の横に佇んでいる。
「ここに埋めろ、ということか」
 ジャロウはすぐさま地面を掘り始めた。脆くなっていたすきはすぐに折れてしまったため、途中からは手で掘ることにした。
 その間にソフィアは家に戻り、家主の手掛かりとなるものが無いか探してみたが、手帳の切れ端からは十年以上前に亡くなったということぐらいしかわからなかった。


「これで……どうだ?満足したか?」
 ジャロウが土をかぶせ終わると、フクロウは近くに生えていた薄紫の花を啄み、墓の上へと置いた。

 くるりとこちらを振り返ると自らの羽根をいくつか引き抜き、足元に差し出してくる。
 そして一声も上げずに、大きな翼を広げて舞い去っていった。


「……これは、礼か?」
 差し出された羽根は、青色で、じんわりと光を保っているように見える。
「きっと、ずっと弔ってくれるヒトを探していたんじゃないでしょうか」

 ソフィアはそう言うと「でも何で私たちを選んだんでしょうね」とようやく安堵の息をついた

 男はというと、こちらは浮かない顔をしていた。
 少し考えてしまったのだ、ヒトのほうが先に逝ってしまうということを。

「あ……! ジャロウさん!」
 しんみりとした空気を少女が引き裂いた。

「紅樹草、忘れてませんか?!」
 空はもう赤くなり始めていた。
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