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1章 Secret Rebirth

【三】ヒーロー様が助けに来たわ(上)

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【三】
 ジェーンの瞼が開いた。
 前世の記憶から戻ってきた。

 転生した人間。
 それは古くから確認されてきた。
 今では一般的な力になった魔法も、元は転生者の知識によって生み出されたとされている。

 なので、お忍びで死水魔法使いに会いに行った。
 水の魔法は攻撃力が低いが、汎用性においては右に出るものがいない。
 ジェーンも事業を通じて、とても世話になってきた。
 けれども、前世のために接触する日が来るなんて、思ってもいなかったことだ。

「視えましたか?」
「え、ええ……」

 目元を擦り、ぼんやりした頭を振る。
 魂についての事象を取り扱う死水屋。
 メイド長には心配をかけたくないので、口が堅そうな新入りメイドに場所を調べてもらった。
 貴族が前世にアクセスするのは、原則として硬く禁じられているからだ。

 大きく息を吐いたジェーンは、情報の濁流から解放され、徐々に落ち着いて来ていた。
 全ての色と匂いを人工的に消した空間が、前世から今の人生に再適応する猶予をくれる。

 極彩色の体験。
 思考も頭もハッキリしない。
 まともに考えることができない。

 平民が前世にアクセスすることが許されている、大きな理由だ。
 前世という情報はあまりに大きすぎて、心が耐えられずに、すぐに忘却を選ぶ。

 なんでも、過去からの転生だけでなく、天界、冥界、妖精界、宇宙の果て、別の世界からの転生の例も確認されているらしい。
 神々や怪物の世界の記憶というのは、人間に耐えきれるものではない。

 ジェーンの意識が鮮明ではないのも、寝ぼけているからではない。
 受け取った情報量の圧倒的な量に、精神的な疲労を覚えているのだ。

 あれが前世の世界。
 全ての色と建築物が明るく、派手で、洗練されている。
 発達した文明は、人々の生活水準を貴族より豊かに、多様なものにしていた。

 そこで行われる犯罪。
 魔法ではない異常な技術と、強靭な体格を用いた圧倒的な破壊。
 飛んできたスゲーマン。
 圧倒的なパワーとスピードで全てを解決。
 人々は安心と希望に顔をほころばせ、歓声を上げる。

 自分の前世が見てきた光景。
 彼女が受け入れないといけないことは多い。

「血はすなわち水。魂が染み渡る媒介です。あなたの血に働きかけることで、魂を深く視ることができます。前の命まで」
「疑ってはいないわ。あれが前世なんでしょうね」

 ──デビューして間もない頃の出来事だったね。
 隣で見守っていたスゲーマンが注釈をつけた。

「あなた、どれくらいこれをやってたの?」
 ──百万年くらい。

「ひゃっ……!?」
 予想外の数字に、鼻から変なモノが飛び出すくらいに聖女が噎せた。
 体を曲げて咳き込む。

 死水屋はジェーンの振る舞いを受け流している。
 よくあることなのだろう。
 前世の景色を見たことで、異常な行動をするのは。

「もっと見ることはできる?」

 ジェーンの質問に、死水屋は難しい顔をした。

「難しいようですね。あなたの血に触れてみましたが、魂が不安定な形で融合している。というよりは融合していたのが、あなたの魂の器には収まらず、剥がれかけています」
「そんなことある?」
「魔王や神が前世の場合は。それでもこれ程に溢れているのは初めて……剥がれた魂はマナに溶けて魂の循環に還るだけですから問題ありませんが……。これは……逆に……」

 言いにくそうに言葉を濁す。

「続けて」
「貴方の魂が、前世という巨大すぎる魂を受け入れる器ではないようです。それで、ほとんど確固たる人格が前世の形として貴方の頭にあるのではないでしょうか。しかし、そんなことは本来……」

「なんかスケールが大きくなりすぎてよくわかんないわ! 要点お願い!」

 聞いている僕にも想像がつかない。
 自分のことだと言うのに。
 僕の魂がそんなに巨大?
 というか僕は、“スゲーマン/米倉という人間”の一部でしかないのか。

 考えれば考えるほど、頭がぐるぐるしてくる。
 生前の苦手分野だったオカルトは、死後も苦手分野だったようだ。

「器の小ささと言えど、これまでは問題なかったのでしょうから、ブレをなくしましょう。大事なのは、前世と繋がろうともあなたの魂が平調を維持することです」
「そのためには?」
「魂の器を広げる……のは非現実的ですから、前世の行動を踏襲することですね。そうすれば少なくともブレはなくなります」

 解答はスゲーマン──僕の希望とおおむね同じだ。
 それでも来た甲斐があったと、思ってくれたらしい。
 唇は笑みを浮かべ、聖女は満足げに頷く。

 やはり、自分はおかしくなったわけではないとわかったわけだ。
 専門家の意見でもスゲーマンは前世であると保証され、これまでの彼女の常識では到底測れない、あまりに巨大な世界の存在だと理解できた。
 前世がどういう人物なのかも、客観的にわかった。
 ジェーンとしては、これからの方針を決定づけるのに十分だったのだろう。

 口止め料も込みで大金を払い、店を出た。
 これが口外されれば身の破滅は確実だが、死水屋は命懸けで客の情報を守るとされている。

 一年後の処刑の日より時間を遡ってすぐに行動したから、陽はまだ高い。

「とりあえずやることはわかったわ!」

 大きく伸びをする。
 全身の関節がパキパキ鳴り、筋肉と腱が喜んでいるのがわかる。
 少し歩いただけでも、年がら年中ラボに引きこもっている生活では得られない爽快感があった。

 穢れを想起する関係上、身分の上下を問わぬ人気があっても、死水屋は路地裏に店を構えている。

「魂を重ねたらいいって何度も言われてるんだから、犯罪を止めればいいのよ! ヒーローってのになる! そうよね?」

 前世の光景を見たことで、ヒーローは犯罪を止める職業のことだとジェーンは解釈した。
 僕もヒーローをやってご覧と言った手前、否定しにくいが、こちらのニュアンスとは少し違っている。
 いささか短絡的な思考ではあるけれども、それを伝えることは今はできない。

 ジェーンは僕の反応を待ったが、なにもなかった。
 起きてから絶えずいたのが消えていた。

「寝ちゃった? こうまで音沙汰ないと死んじゃったのかな」

 失礼な話だと思ったし、僕はたしかに死んでいる。
 それはそれとして、彼女が死水屋で見た前世の光景から起きてからというもの、僕の言葉は彼女の耳に聞こえていない。

 死水屋が言うには、前世と繋がるのは精神に負荷がかかるとのことだった。
 僕が見ることしかできなくなったのは、ジェーンの精神がまだスゲーマンを全て受け入れることができていないということなのかも。
 本来は前世などいないのが普通なのだ。

 僕としても、つきっきりで話しかけるのは良くないとさえ思っていた。

 前世と会話できないのがわかり、ジェーンはあまり気にせずに行動をしてみることにした。

 お忍び用のフードを深くかぶって歩き出す。
 進行方向は賑やかな大通りではなく、路地裏を向いている。

 あまり生活が上手く行っていない人々の区画。
 整備が放棄され、打ち捨てられたことで罅割れ、激しい凹凸を持っている。

 前世の自分なら、ああいった場所に住む人の助けになろうとするはず。
 こういった所はまったく歩き慣れないが、進む方角はわかる。
 とにかく異臭のする方向、建築物が粗末になっていくところに行くのだ。

 お米のためなら肥料に鼻を突っ込んでいたのがジェーン・エルロンド。
 汚い、不潔で恐れるほどヤワではない。

 こういうところに護衛を付けずに歩くのは、“聖女”の異名を知る者が見れば卒倒するに違いない。

 人目のつかない物陰を見つけると、周囲をキョロキョロして、そこに身を隠した。

「よし」

 頷いたジェーンがローブを脱いだ。
 何をするつもりだろうか?
 それから身分を隠すための上着も豪快に脱ぐ。
 うん!? 何をしているんだ。この子!?

「うーんすぅすぅする」

 通常は下着のみになるところ。
 だが、その上に特別性のスパンデックスをつけていた。
 極薄の生地でボディラインがくっきり出ている。

 たしかに僕達もこんな格好をしていたけれど……中世ファンタジー世界だと、予想以上に変な格好に見えるもんだなあ。

 今世の自分であるジェーンの次の行動をハラハラしながら見ていると、首だけ伸ばして貧民窟の人通りを見た。
 何をするつもりだろうか。

「とうっ」

 軽く地面を蹴って、ピチピチタイツのジェーンが往来に飛び出した。
 ………………何をしているんだ?

「スゲーマンに似た服装をさっそく見繕ったけど、なかなか良いわね! 変わった気分がするわ!」

 行動がなんて速い。流石過ぎる。
 超常的な視力・聴力を持った僕が一番に気にしているのが、“プライバシーの侵害”だ。
 世界の危機、人命のためならやむを得ないが、そうじゃない場合は原則的に、相手の踏み入ってほしくない領域は意識的に目と耳を塞いだものだ。

 だからジェーンの着替え中は意識を閉ざしていた。
 五感の調節は、生前の経験が活きたと言える。
 結果、これを止められなかった。
 でも、やってみてもいいかもしれない。
 人生、すべてが挑戦なんだし。

 とんでもない破廉恥な格好、または頭のおかしな格好で、ジェーンは貧民窟を練り歩く。
 中世ファンタジーの世界観でこれって、本当に客観的には浮くもんだなあ。
 異世界ファンタジーの街を歩いたことは何度もあるけども。
 客人としての立場だったから、気にならなかったんだ。
 ジェーンは現地の人だからな……。
 まあ親子ほぼ絶縁状態だから、せめてもの救いかもしれないのか。

「ふーん。凄いわね。みんな、聖女のあたしが素顔を出してるのに、目を逸らすわ! そりゃスゲーマンも素顔を晒すわけよ」
 ──違う! 違うよ、それ!!

 僕が必死に誤解を訴えても届かない。
 頬を上気させ、目を興奮で潤ませても、ジェーンはやめない。

「よーし犯罪者ー! 犯罪者はどこだー! とにかく悪人でてこーい!」

「ひえぇぇぇぇぇ……」

 擦れた目をしてとぼとぼ歩いていた貧民窟の住人達が、狂人の半裸に腰を抜かす。
 なにか彼女はとんでもない思い違いをしているが、それをどう訂正すれば良いものか。

「そこのあなた! そう、飲んだくれでシャツにゲロついてる人! 悪徳借金取りに追われてない?」
「ひいいっ」

 変質者に声をかけられた市民が怯えて逃げ出す。

「ちょっ、なんで逃げる! そこの貴女! なんか女殴る男を知らない!?」
「いやああ……」

 貧しいエリアでそんなことをしたら、必要以上に警戒されるものだ。
 僕もそう言えば同じミスをした。
 いや、こちらはシンプルにスラム街でヒーロー活動をしたら警戒されただけだったか。
 ジェーンのような、何もかもを間違えているのをどう喩えたものか。

「ほらみんな! ピチピチパツパツが悪いやつを懲らしめに来たわよ! 喧嘩を売って! お願い!!」


 ポーズを決めながら叫ぶも、誰も現れない。
 こういうアプローチなら、誰かがなにか向かってきてもいいものだけれど……。
 少なくとも僕の生前は、そんな世界だった。
 いつでもどこでも誰かが襲ってきた。
 仮にケンカ相手を募集しようものなら、入れ食いだった。
 秋田でも東京でもそうだった。
 もしや、僕の世界は荒れていたのか……?

「おや、そこで何してるの?」
「猫ちゃんが……」

 粗末な服を着た女の子が、上を見上げていた。
 特に気にしてはいなかったが、つられて上を見ると、瓦礫が一際高く積もった危ういバランスの頂上に、子猫が蹲っていた。

 猫だ! 猫を助けるイベント!
 僕も何万回とこなしたミッションだ!
 どうしてみんな室内飼いをしているのに、飼い猫が家から飛び出して木に登るのか謎だった。
 スーパーヒーローと言えば猫を助ける。
 謎な風習だがお約束だった。
 他には飛んでいった風船をキャッチしたことも、かなり多い。

「諦めましょ! じきに降りてくるわ!」
 ──正しいけども、諦めるのかい!? 親切モンスターをしておきながら!

 思わずツッコんだ。
 ところで“親切モンスター”は会心の出来なんだけど、どう思う?
 流行るかな?

「ええっ……猫ちゃんが可哀想……」
「見た目が良くても……猫って畑や庭にうんちすることあるからなあ。飼い猫として餌をあげてるならそんなに問題ないんだけど」

 そういうことじゃないだろう。
 というか、僕だって実家は農家だったけど、猫はたくさん助けたよ。
 単純に面倒くさいだけなんじゃないかい?

「まあいっか。もしかしたらあの猫の正体がガーゴイルかもしれないしね! 悪い魔物が正体を現したらちょちょいのちょいよ!」

 ユニークな考え直しをし、ジェーンが直感を頼りに瓦礫の山を登っていく。
 高さは10mくらいか。
 落ちたら大怪我は免れない。

「足場の悪いとこでの作業は結構得意なのよねえ」

 荒れ地の検査を何度もしてきたジェーンは、もっと酷い足場の上を動いたこともある。
 素体の運動神経はあまり良いと言えない僕には羨ましい。
 身軽というよりは、一歩ずつ力任せに、強引に高さを積み上げていった。

「ほーら来なさい。ヒーロー様が助けに来たわ」
「ニャァ!」

 珍妙な格好の変質者が上がって腕を突き出したことにビックリした子猫が、反射的に跳躍した。
 着地先は10m下。
 子猫が無傷でいられるわけがない。

「んもう!」

 追いかけてジェーンも飛んだ。
 下で女の子が悲鳴をあげた。
 僕もあげた。
 ──どうするんだい!? 力がないだろ!!

「え、ないの!?」

 僕の声が届いて、ジェーンが口をあんぐり開けた。
 逆に何で力を使えると思ったんだ。

「だってヒーローしたよ!?」
 ──あれは親切モンスターだよ!

「ちょっ……ネーミングセンスがダッサ!!!」

 そう言っていると、瓦礫の尖っている部分が近づいてきた。
 ジェーンが子猫を強く両腕で抱きかかえ、背中を瓦礫の先端に向けた。

「ヤダー!! 猫なんかのために痛い思いするのヤダー!!」

 泣き言を叫ぶジェーンだったが、瓦礫の方が粉砕された。
 ギリギリで力が使えたみたいだ。
 超怪力と頑丈なボディを使うことができたらしい。
 起き上がって猫を子どもに押し付ける。

「こ、怖かったぁ……はい、これ貴女の猫ね。これから飼って幸せにしなさい。このあたしが、せっかく助けたんだから感謝してよね!! 本当に怖かったんだから!!」

 そう言って手渡すも、女の子は怯えた顔をしている。
 不思議に思って彼女の視線をジェーンが辿ると、巨大なネズミがこちらを見ていた。

 貧民窟は衛生の概念が皆無と言っていい。
 そうなると、こういった野生動物、魔物もほぼ野放しになって、
 時には人を襲いにも来てしまうのだ。

「なるほど、あいつらから逃げて高いとこに行ったわけね」

 物陰から鼻を突き出してふんふんしている巨大ネズミ。
 何も問題ないと判断したのか、とりわけ大きいのが子分を引き連れて飛びかかってきた。
 危なかった。少し遅れていたら、子どもと猫だけで襲われていた。

「とう!」

 ジェーンは近くの大きな瓦礫を拾い、それでネズミを全て打ち上げた。
 錐揉みしながら飛んでいくネズミは、
 狙ってなのか、治安の良い清潔な貴族の住むエリアに飛んでいった。
 あそこなら衛兵にすぐに対処されるだろう。

「ふー。ちょっとびっくり。とにかく、これで安心ね」

「うん、ありがとう!! お姉ちゃん、お名前は?」

 お、ここでヒーローネームを言う所だな。
 なんとか形になったし、ここでバッチシ決め──

「ジェーン・エルロンドよ! お米の聖女とはこのあたしのこと!!」
 ──本名はNGワードだよ!!!

「え、どうして?」
 ──例えば悪い貴族を倒したのが君だとわかったら、色んな人が危険になるでしょ?

「納得したわ。ねー。あたしジェーン・エルロンドじゃないからー!」

 猫を抱えて走っていく女の子に向かって叫んだ。

「じゃあ本当の名前はー?」
「適当に考えてー!! 次会ったら教えるから~!」
「わかったー」

 手を振りあって少女と猫が去っていく。
 見た感じ、5歳くらいか。
 意識はほとんど猫に向いていたし、問題ないかな。

 ヒーローにとっての本名、それをシークレット・アイデンティティと言う。
 個人的には、秘密というのはヒーローだけでなく、人生における重要な哲学だと思っている。
 まあ今はそれを語る時間がないけども。
 周囲の安全のためもだけど、ジェーンには“自分が何を秘密に抱えるのか”をよく考えてみて欲しい。

 ──だから、考えといて。
「はいはい」

 気のない返事。
 急速に僕の声が届かなくなっていく。
 もう魂がズレ始めた。
 先が思いやられる。
 まあ駄目でも、この子が稲作の知識を永遠に喪うだけだ。
 ……可哀想だな。僕も精一杯、祈ろう。
 それしかできない。
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