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1章 Secret Rebirth
【三】ヒーロー様が助けに来たわ(下)
しおりを挟む「もし……」
杖をつく、腰を曲げた老婆が声をかけた。
「なに?」
「お恵みを……家では孫が病に伏せております。食べるものがなく、体が弱っているのですじゃ。何卒──」
「じゃあ金貨10枚」
「でええっ!?」
とりあえずキリの良い金を握らせた。
顔が映るくらいにピカピカの金貨だ。
並の貴族でもあまりお目にかかることはできないだろう。
少なくとも、こんなにフランクに持ち歩くことはしない。
「さあお孫さんに栄養のつくものをあげなさい。あたしとしてはオススメなのが卵を雑に焼いて、そこに塩をかけたものね。お米とのマッチングが絶妙だわ。あたしのメイド長は魚醤派だけど、個人的にはたまにイケる邪道で、王道じゃない。生卵とご飯にもポテンシャルを感じているけれども、そっちはまだ鶏の品種改良中よ」
「あ、ありがとうございますだあああ!」
老婆は深々と頭を下げた。
ヒーローの活動とは違うが善行だ。
いや、それならヒーローの活動に違いないか。
僕は彼女の行いを見て改めて思い直した。
ジェーン・エルロンドは、彼女なりにやってみたことが正解か、これで良かったのだろうかと、何かしらが起きるのを待っている。
今のところ、何も感じていないようだ。
心が動いた気分もしていない。
お米の知識が戻ってもいない。
「とりあえずもっと感謝してみて」
それはよくない、と思わず声が出た。
聞こえていないから問題ないことではある。
「べつに平民に金を渡して頭を下げられようがどうでもいいけど、少しでもスゲーマンの心と重なるかもしれないならやってみるに越したことはないわ!」
そっちは声に出したらマズイ……。
僕は頭を抱えた。
この少女は決して悪人ではない。
善か悪かで言えば善だろう。
ただ、ひたすらに正直だ。感情と欲求に。
「へへー! ありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございます……」
「いいわねー。もっともっとよ!」
両手を扇いでさらに要求する。
言われた通りに老婆は何度も繰り返し頭を下げている。
しかし、上下する頭を見ても頭部が行ったり来たりしているなと思うだけだと、聖女の無関心な顔を見ていればわかる。
ジェーンにとっては無限にある資金の一部を手渡した程度。
そんなことをされても意味がないのだ。
「もういいわ。早くお孫さんのところに行きなさい」
と、告げても老婆は頭を下げ続けている。
そして、杖を一定のリズムでコツコツと突いている。
綺麗な三拍子。偶然ではない。
肩から提げていたバッグの紐を何者かに切られた。
「マヌケがぁ!! バーカ!!!!」
杖をついていた老婆がすっくと立ち上がって駆け出した。
軽くなった肩を払い、ジェーンはようやく察した。
典型的な詐欺に引っかかった。
ゴロツキが身を丸めて、小柄な老人のふりをしていたのだ。
鴨になりそうな者が迷い込めば、憐れな貧民を装い、注意を誘ってその隙に隠れていた仲間が大物を奪う段取り。
見事な手際だと僕は思った。
それにあの脚力。
毎日、朝昼晩をしっかり食べている者、特有のパワーだ。
この世界の文明力はだいたい中世だが、ジェーンが食糧事情に劇的な改革をしたことで、餓えで死ぬ者がいない。
栄養失調はなくなっていないが、どんなに貧しい人でも米だけは浴びるだけ食べられる。
これにより、貧民窟の住民でも意気軒昂ということだ。
また、中世だが食料革命によって、いくつかの産業が爆発的に伸びている。
「まあ、お金くらいいくらでもあげるけど」
ジェーンは肩をすくめた。
追いかける気は毛頭ないので、黙って見送る。
これも施し、とジェーンは思っているのかもしれない。
けれども僕は反対だ。
人を騙して不当に物を奪うというのは、あまり許していいものではない。
どれくらいの罰を与えるべきか、捕まえて叱って見逃すに留めるべきか、それは捕まえた者ではなく、司法機関が決めることだ。
なら被害者が気にしないなら、捕まえなくていいのかもしれない。
それとは別問題として、そもそも捕まえないでいるのは、このエリアは人の善意を踏みにじって当たり前と許容するのも同然ではないか。
ジェーンにそう伝えたくて彼女に念じてみるが、届かない。
「ひゃっはっはー!! 馬鹿だぜ、あんたーー!!」
「俺達を気の毒に思ったんだろうが、生憎だな! この時代に飢餓と栄養不足なんてあるかボケ!!」
「あーそういえばそうだった」
遅れてジェーンも気がついた。
物取りが全力ダッシュをしながら叫んだことで、聖女も気づいた。
この時代、食べるものがないということがなくなった社会において、スラムにいるもの達は、かつてとは意味合いが変わっている。
人生を立て直す気があるものは、お米を好きなだけ食べて、仕事を探し、普通の住宅街に移っている。
そうなると、こういったスラム街にいる者達は、良くも悪くも“住人”だ。
ここで生まれ育って愛着が湧いている者、思想や前科によってここで息を潜める者。
そして、最も厄介なのが“自己実現”に犯罪を選んだ者達だ。
墨の世界にもごまんといた“ヴィラン”と呼ばれる存在になりかねない、いわば卵である。
「俺等の必殺連携にちびって悔しがりなぁ!」
「スラム最高の芸術的盗賊コンビだぜえ!」
「こらー! 悪いことはやめなさーい!!」
僕の想いが通じたのか、ジェーンがダメ元で叱ったが効果はない。
そのまま逃げ切られるだろう──その頃に、屋根の上から小さな影が降った。
元の世界で繰り返し目にした光景だ。
ここで見ることになるとは。
「正義の鉄槌だー!」
「ぐわー!」
ちびっこ自警団である。
両手に二振りの木刀を握った少年が、同時に盗人の頭を打った。
見たところ13歳くらいの少年。
貧民窟の低い屋根から降りて少しでも威力をつけようと、3回の宙返りもしてみせた。
かなり身軽なようだ。
僕の世界で一般的だった自警団(ヴィジランテ)とは違う。
まっとうな正義感と勇気で街を良くしようとする人々の活動だ。
おおむね、司法が不十分に機能していないところでだけ有効な存在。
「はい、取り返しましたよ」
「ありがとう」
そのまま横取りするかと思いきや、9歳ほどの男の子がジェーンのバッグを拾って渡してきた。
兄弟なのだろうか。
よく似た印象の二人だった。
強いて言えば、屋根から飛び降りた方は爽やかな瞳をし、小さな方は鋭い眼差しをしている。
「おい、もっと喜べよ」
弟らしい小さい子がジロジロと睨みあげる。
「おいやめろよ、フレディ。ごめんなさい、こいつは僕の弟なんです。血の繋がりはないですけど」
平民、それも貧民街の住人に失礼な口を効かれたら、貴族としては面白くないだろう。
そこはジェーンが持つ大きな美徳の一つだ。
幼い頃から口さがない農夫に囲まれ、一緒に農作業してきたことで、身分の違いを一切気にしない。
逆に、師である庭師の老人など、好意を向ける平民を罵倒する貴族には家族だろうと食ってかかったものだ。
「気にしてないからいいわ。凄いわね。そんなに小さいのに盗人に立ち向かえるなんて」
「小さくねえよ!」
「だからやめろっての。本当にごめんなさい、どうか気を悪くせず……」
鼻息荒くして弟が怒鳴る。
兄の方は困ったように何度も謝罪している。
こんなことで彼女が怒るようなことは絶対にない。
しかし、それはそれとして不思議だった。
この兄弟も極めてみすぼらしい格好をしている。
袖も裾も破け、汚れが衣服にも肌にもこびりついて一体化している。
彼らはどうやって、あの軽業を学んだのだろうか。
「どうして助けたの? あなたには関係がないことでしょう。それも、気づいてるでしょうけどあたしは貴族よ。それくらいのお金なんて、取られても困らないわ」
素朴な疑問を口にした。
「どうして?」
ジェーン・エルロンドは自分から民を虐げたり害したりする人間ではない。
同時に、自分に関係がなければ、やりたいことだけに熱中するタイプだった。
そんな彼女にしてみれば、貴族から物を盗んだ貧民を倒そうとするのは、理解できないことだろう。
自分から大事なものを盗んだら王族だろうが棒で殴るタイプだからだ。
聖女になっていなければ処刑されている。
「だってここは僕の住んでるところですよ? 近所に悪いことしてる奴がいたらイヤじゃないですか」
「スラムなのに? ここを出たくはないのかしら」
「ないですね。ここは僕の居場所です。出ていくよりは、少しでも良くしたいです。せめて、悪いことをして当たり前なところにはしたくない。みんなのために」
キッパリと、少年は言った。
ジェーンは子供の頃、お米の才能……前世の知識にリンクする前、スラムを遠くから見たことがある。
彼女の父が社会勉強と言って覗き見させたのだ。
遠見の魔法で見たものは、絶望と失意。
エリアを歩く人々はみんなが同様に、一切の希望と活力を失っているようだった。
しかし、この少年は違った。
瞳に希望と意志がある。
僕も感動に瞳が潤み、胸が詰まった。
どんな所にも、どんな時代、世界でも、こうして世界をより良くしようという希望を抱く人々がいるものだ。
死後でも、世界の希望に巡り会えた光栄に、僕はジェーンの脳内で感涙に鼻をすすった。
「うーーーーん、立派ねえ」
前世が感に入っているのに、今世はリアクションが軽い。
今いる環境を良くする。
みんなが過ごしやすい場所にしようとする。
前世で見た光景と同じじゃないか。
スゲーマンである僕を初めとしたたくさんの人が、荒れた社会で希望の灯りを燃やそうとしてきた。
目の前の少年たちもそうなのに、どうして気づかないのか。
彼らこそがまさしく──
「適当に歩きながらお話してもいいですか? ここは一箇所にじっといると標的にされます」
少年達に促されるままに、お米の聖女と尊ばれた者は歩き出す。
兄弟が危なげなく歩を進め、それについていくおかげで、穴や崩壊した家屋、突き出した釘、誰かの糞尿と吐瀉物を避けられる。
現地の人が持つ土地勘。
こういった所を汚れずに歩くために必要なのは、超聴力や超視力ではない。
土地を熟知した、空気も人も動物も虫も……いわばリズムを知っていることだ。
「やあ、ふたりとも。いつも世話になってるね」
「ちょっと聞いてくれよ、最近、おかしな連中がいてね」
「うちの子といつも遊んでくれてありがとう」
貧民窟の少年に助けられた。
それだけのことにジェーンは思っていただろうが、歩いていると大勢の人達が兄弟に声をかけるのを目にした。
まだ幼い二人に敬意を払う者さえいた。
この兄弟は、ジェーンが聖女と呼ばれるようになった時よりもずっと幼い年齢なのにだ。
「悪者退治がんばって! でも無理は禁物だからね! あんたら兄弟はあたしらの太陽だ!」
兄弟、特に兄が愛想よく手を振っている。
貴族ではないが、明らかに人に好かれる術を修めた者だけが持つ所作。
生まれはどこなのか、気にならなくもなかった。
「悪者退治?」
「……みんな豊かになったおかげで飢え死にの心配はなくなりました。けど、そうなると自己実現をしたくなって悪いことをしようという人間が大勢いるんです。それをできるだけやっつけてます」
「やっぱいるんだ! 後で出現スポット教えて!! 魔物も含めて」
「何故……?」
少年が訝しむが、僕には納得だ。
発展した都市において、犯罪者と遭遇しやすいエリアはつきものだ。
これからジェーンがヒーローをやるなら、耳に入れておいても損はない。
「……いえ、どんな理由でもダメですよ。危ないです」
「どうして? ただ聞くだけよ」
「そこに行きたがってるのが目を見ればわかります!」
優れた洞察力だ。
ますますただ者ではない。
違うのかな? 僕が鈍いからそう見えるのか? いや違うはず。
「でも貴方達が行くのも危なくない?」
「それでも今だけこんなに揉め事が増えていると自分に言い聞かせれば、乗り切れますから」
「…………そうかもねえ」
──君のやってきたことだけでは足りないと、思い始めてきたんじゃないかい?
気づけば彼女の横に半透明の前世が戻った。
──ようやく言葉が届いた……!
やっとのことで思わず呟いてしまう。
相手は返事をせず、振り返りもしない。
でも僕としては嬉しい。
話したい時に自由に話せるのは素晴らしいことだ。
話を戻そう。
聖女ジェーンは前世から受け継いだ知識を活かして、幼くして国から飢餓を消した。
人々は農業に人生の大半を捧げる必要はなくなった。
土地、土壌の管理が進歩したことで、純粋にさまざまな事業を展開する可能性も生まれた。
それにより発生したのが、農民の余剰人口。
学問や知識、工芸、芸術、魔法学に傾倒するのなら健康的だ。
しかし、全員が全員、健全なやりたいことを見つけられるわけでもない。
そうでない者は、犯罪をすることで暇をつぶしていた。
または、犯罪組織を作ることで。
お米の聖女の功罪とすら言えないが、それでもジェーン・エルロンドに端を発していたのは事実でもある。
兄弟と出会うことで、今まで一切振り返ろうとしなかったこと、目を凝らすことのなかった世界に意識が向いてきた。
だから、僕の声が聞こえるようになったに違いない。
魂がまた重なり始めた。
「まあ、あなたの人助けはあたしには関係ないことだわ」
興味が湧き始めても、ジェーンは追求を打ち切った。
無理矢理にでも悪人出現スポットを聞こうとするのかと思った。
「でもね? きっといつかは思うわ。あの時に、このジェーン・エルロンドに話しておけばよかったぁ……てね」
──また本名言ってるよ!
「いいでしょ別に! どうせ素顔丸出しじゃない! 貴方もそこまで熱心に隠してなかったんでしょ!?」
──僕は私生活時にイメチェン変装してたの!
「うーん……めんどくさ!!!!!」
僕のノウハウがあっさり切り捨てられた。悲しい。
前世との言い合いをしているジェーンだが、他人には虚空に語りかけている異常者に見えている。
「兄ちゃん、こいつ頭おかしいよ」
「しっ、そういうこと言っちゃダメ!」
「まあいいわ! またこの辺に来るから、その時に教えてもらうから! それまでは、あたし抜きの徒労をしてるといいわ!」
凄いぞ。言葉遣いは最低だが、ジェーンが我慢という高等技術を繰り出した。
彼女の気の短さ、我慢の効かなさは5歳児にも劣るのに大したものだ。
使えるお金と時間はすべて自分のやりたいことだけに注ぎ込む。
それで問題ないというのがジェーンの人生論。
なのに追求を我慢して引くことができた。
──偉いねえ。
「バカにしないで! こんなおちびさんだけじゃすぐ音を上げると知ってるからよ!」
僕への反論だが、バッチリ相手にも聞こえている。
「こいつ性格悪くない?」
「コラっ! 本当でも言ったら駄目!」
べつに彼女の心は痛くも痒くもならない。
ジェーン自身が自分をそういう人間と自覚している。
僕はそこまでは思わないが、両親にそう言われてきたのだから、その評価を受け入れても無理はないのかも。
悲しい話だ。
どうにか力になれないものか。
もう死んでいる僕が口出ししていいことなのかはわからないけれど。
「まあでも気まぐれに質問するわ。ここをもっと良くするのに必要なのってなに?」
「人手」
一番無理なものが出た。
聖女の権限によって、この国の王室や貴族が使える労働者──かつては騎士をしていた者も含む人材の大半は、稲作に従事している。
国が管理している土地だ。
そこでどれだけ凶作でも、国と民が死なない最低限の収穫量は確保できるようにしている。
僅かな残りは他の産業に従事しているが、それでも稲作が国の主要産業。
ジェーンはこれを変える気はないし、変えるのも難しい。
「とにかく治安を維持する人がいないんです。ここが特にひどいだけで、どこも似たようなものらしいですよ」
「わかった」
「あんたがなにかしてくれるってのか?」
「あなたの名前は?」
弟を無視して、兄に名前を訊く。
良い話を聞いた。
正確には、何度もシスマや部下、領民に陳情されても無視してきたことだが、直接話を聞くのは大きい。
「ジョナサンです」
「ありがとう、ジョナサン。これは良い出会いだったわ」
タイミングよく、貧民窟を一通り歩き終えて出口についた。
貴族として育ち、ずっと研究室と農場の行き来だけでまともに人と関わったこともない少女には、実に最適な交流相手だった。
底抜けに良い子な長男と、程々に生意気な次男。
正義感がとても強く、今の社会に危機感を持っている。
話し終えてみると、ジェーンの心に確固たる何かが芽生えたようだ。
「あなたに会えて光栄よ! とりあえずは色々できることを考えてみる」
「あんたになにかできるとは思わねーけど」
「お前、そのままだと処刑されるぞ。お礼しとこう。ありがたいお言葉です。貴族様にそう言ってもらえるのは希望が見えてきます」
口を尖らせ、そっぽを向く弟の頭を無理やり下げさせた。
兄弟のつむじを見ても、ジェーンにはなんの意味もない。
やるべきことがわかった。
治安を向上させる。
そのために何ができるのかを考えるのだ。
──具体的には?
「誰かに相談する!」
──まあ大事なことだね。
僕は頷く。
一人で考え込んでも、思いつかないものは思いつかないものだ。
仮に何かが浮かんでも、それは往々にして悪い考えだったりする。
考えは周りに出力した方が良い。
それを理解できずに、僕も含めて多くのヒーローがやらかしてきた。
僕らの犯した過ちを思うと、よく宇宙が滅びなかったと背筋が凍る。
「兄ちゃん、こいつさっきからqどこを見て何に何の話をしてるの?」
「お姉様には大事なことがあるのよ! とりあえずこれからの一年を楽しみにしてなさい。あなたたち兄弟二人もハッピーになれるわ!」
「あの、他にも兄弟と姉妹います!」
「全員ハッピーよ! 何人家族なの?」
「5人兄弟と3人姉妹の親なし一家です!」
「多すぎぃ! まあお米の聖女に任せときなさい!」
彼女は気づいているのだろうか。
それは人生を賭けても足りない一大事業だということを。
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