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十四話
しおりを挟むレアンドルが執務室で上機嫌で書簡を眺めていると、不意にホレスに笑われた。
「何だ」
「いえ、申し訳ございません」
一体何がおかしいのか分からない。レアンドルが指摘すると笑い声はおさまったが、顔を見れば今度は含み笑いをしていた。
「言いたい事があるならハッキリと言ってくれ」
「宜しいのですか」
「構わない」
「冷酷非道と恐れられているレアンドル様が、まさかこの様に愛らしい物を頂いて喜んでいらっしゃるなどと、実に微笑ましいと思いまして」
言葉通り捉えれば莫迦にしているか良くて揶揄っている様に聞こえるが、相手はホレスだ。本心に違いない。
「言っておくが、これは俺が貰った物だ。やらんからな」
「その様な冗談まで仰るなど、成長されましたね」
しみじみと話しながら目尻に涙を浮かべている姿に苦笑する他ない。たまに彼の思考が分からない事がある。確かにレアンドルは冗談は好かないが、冗談と成長は無関係だろうと思う。因みに先程の言葉は冗談ではなく本気だ。まさか彼女から贈り物を貰える日が来るなど夢にも思わなかった。しかも彼女お手製だという。こんな大切な物、相手が誰だろうと渡す筈がない。
翌日の朝、通常通りレアンドルは登城する。何時もはそのまま騎士団の稽古場へと向かうのだが、今日は離宮へと向かった。
長い廊下を暫く歩いて行くと、離宮の最奥の部屋の前で足を止める。そして扉の前に立つ見張りの兵士に声を掛けた。
「これは、王太子殿下‼︎」
レアンドルに気が付いた兵士は一瞬目を見張り固まるが、慌てて姿勢を正し敬礼をする。
「弟はどうしている」
「クロヴィス殿下は……その、余り状態は思わしくありません……」
返答に困っているのがありありと伝わってくる。兵士はあからさまに言葉を濁した。
「そうか……開けてくれ」
「え、お会いになられるのですか⁉︎」
レアンドルの命令に素直に従わず、彼は心底驚いた様子で叫んだ。見るからに年若い兵士はどうやら礼儀を知らないらしい。もし騎士団員にこんな礼儀を欠いた振る舞いをする者がいたならば、厳罰ものだ。一体彼の上官はどんな教育をしているのかほとほと呆れる。後で問い質す必要がありそうだ。面倒だと内心溜息を吐きつつ、職務怠慢な兵士にもう一度扉を開ける様に促した。
部屋に入ると、もう朝だというのに薄暗い。重圧のカーテンを閉め切っている為だが、窓は開いているらしく時折り風がカーテンを揺らし、その隙間から僅かに日が射し込んでくる。
「……クロヴィス」
部屋の中をぐるりと一瞥すると、ベッドに腰掛けている弟を見つけた。俯き顔が髪で隠れており、此処からは表情は見えない。
「何しに来たんですか?」
「どうしているかと思ってな、様子を見に来ただけだ」
「そうですか……」
暫し沈黙が流れた。
先程見張りの兵士にも弟の様子を聞いてみたが、本当は疾うに報告を受け知っていた。だが聞いていた話よりも随分と落ち着いて見える。
「ベルを、妾にしたと聞きましたが……それは事実なんですか」
聞き間違えではなければ僅かにクロヴィスの声が震えたのを感じた。部屋の空気も一瞬にして張り詰める。
「事実だ」
はっきりとそう告げた。否定する意味はなく、寧ろその為に此処へ来たと言っても過言ではない。
次の瞬間、クロヴィスは弾かれた様に顔を上げ懐から取り出したナイフを投げつけてきた。だがそれを無言のまま眉一つ動かす事もなく何となしに手で受ける。
「……」
「っ‼︎」
「随分と物騒な物を持っているな」
ナイフと共に向けられた殺気は本物だった。
昔から考えが甘いと思っていたが、それは成長した今も尚変わっていない様だと呆れた。こんなナイフ一本、躱わすなど容易い。でなければ、戦さ場で生き残る事など出来る筈がない。疾うの昔に死んでいるだろう。
「……護身用、です。手が滑りました」
歯を噛み締め此方を睨みながら、分かり易い陳腐な言い訳をしてくる。
妹を亡くした事は弟にとって自我を見失う程に辛かった様だが、どうやら兄である自分の事は本気で殺したいらしい。呆れを通り越して、笑いすら込み上げてくる。無論本気で愉しい訳ではない、嘲笑の意味だ。
「そうか、それなら仕方がないな。だがクロヴィス……次はない」
懐からハンカチを取り出しナイフを包むとそれを仕舞った。
例え無傷だろうと血を分けた兄弟であろうとも、王太子の命を狙った事は事実だ。本来ならばこの場で処分されても文句は言えない。
再び沈黙が流れるが、壁掛け時計の短針が八の文字を示し鐘が鳴る。
「あぁ、もうこんな時間か、鍛錬の時間だ。そろそろ行かなくてはならない。また様子を見に来る」
クロヴィスの言葉を待たずにレアンドルはそれだけ言い残すと早々に扉へと向かい、持ち手に触れた時だった。
「ベルを、ベルティーユを返せッ‼︎」
「っ……」
「彼女は僕のものだ‼︎ この六年、ベルの側に居てずっと見守って来たのはこの僕だ‼︎ あんたじゃない‼︎」
体当たりをされたと同時にクロヴィスはレアンドルへとナイフを振り下ろす。呆れた事に、もう一本所持していたらしい。
接触した瞬間、レアンドルは身体を反転させ重心を左後へとかけて刃先を躱わす。頭に血が上り興奮状態で奇声を上げナイフを振り回す姿からは、レアンドルが知っている弟の面影はもう何処にもなかった。
「王太子殿下⁉︎ どうされましたか⁉︎」
不審に感じた見張りの兵が焦った様に扉を開けた。それでも尚クロヴィスは静まる事はなく、寧ろ自分自身の声に更に興奮が高まっている様に見えた。
証人もいる、このままクロヴィスの首を刎ねても構わないだろうーーそう考えながら自らの剣を鞘から抜いた。そして最も簡単にクロヴィスの手からナイフを弾き飛ばすとその勢いのまま剣を翻し振り下ろした。
「っ‼︎ーーあ、ぁ……にい、さ……」
「ーー」
人の事は言えないな、まだまだ自分も甘い様だーー。
床に完全に背を付け情けなく倒れるクロヴィスに馬乗りになりながら、剣先は弟の顔の真横に突き刺す。刃先が頬を掠めたらしく、血が滲んでいた。
余程恐怖を感じたのだろう。我に返った様子のクロヴィスは目をひん剥き硬直していた。だが彼女にした仕打ちを考えれば、これくらいの事ではまだまだ生温い。
誰が言い始めたかは知らないが、レアンドルは陰では冷徹非道やら人の心は母胎に置いて来たなどと言われている。そんな自分が今更弟一人見逃した所で、褒められる所か嘲笑されるだけだろう。
レアンドルは立ち上がり剣を鞘へと納めた。すると視界の端に、クロヴィスがフラつきながらも起き上がるのが見えた。その瞬間、やはり我慢ならなかった。良い知れぬ怒りが湧き起こり気付いた時には拳で殴りつけていた。
「父上がお前をどうするつもりかは知らないが、これだけは覚えておけーー彼女に傷を負わせたお前を、俺は絶対に赦すことはない」
受け身が取れずにクロヴィスの身体は吹っ飛び強く壁に叩き付けられ床に転がった。呻き声を上げ踠いていたが、冷たい目で一瞥しそのまま踵を返す。何時の間にか集まって来ていた別の兵士等にも声を掛け、後始末を頼み部屋を出た。
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