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十六話
しおりを挟むレアンドルが遠征に行ってから、もう直ぐ二ヶ月が経とうとしていた。ベルティーユは彼から言われた通り何時もと変わらずに過ごしている。朝目覚めたら身支度を整え、食堂で朝食を摂り、午前のお茶の前に自室にて読書をする。昼食を摂り、十五時には中庭でお茶をして、庭を散歩してから自室へ戻る。夕食まではゆったりと過ごして、夕食後は自室で読書や刺繍など好きな事に時間を使う。二十二時にはベッドに入り、その日を終えるーーただそれを繰り返す。
こうしていると、これまでの事が何もかも全て夢だったのではないのかとさえ思えてくる。平穏過ぎて少し怖い。それに彼がいない事に寂しさを感じていた。
(私はきっと……)
以前までのレアンドルは冷淡な印象だった。挨拶をするだけで酷く冷たい目で睨まれる事もあったし、そもそも口を聞いて貰えなかった。それなのにも関わらず、あの日ベルティーユを自ら迎えに来て助け出してくれた。何時もベルティーユを気遣い心配してくれて、未だに笑顔は見せてくれないが彼の優しさは十分に伝わってくる。何時の間にか、彼の側にいるだけで安心して落ち着くまでになった。それにたまに胸が高鳴るのはーー。
(レアンドル様が……好き)
こんな気持ちは初めてだ。あんな事が起きる前までは、優しくて頼り甲斐のあるクロヴィスの事も面白くてお喋りが上手なロランの事も大好きだった。でもレアンドルを想う気持ちとはまるで違う。
だが好きになってはダメだと分かっている。ベルティーユは彼の妾に過ぎない。それも名目上だけの。未だに床を共にした事もない、役立たずの妾ーー彼がどうして自分を妾に望んでくれたのかまるで分からない。慈悲の思いから哀れんでくれたのだろうか……。
態々敵国の人質であり妹の仇ともいえる自分を妾にするくらいだ。相当な覚悟といえる。若しくは利用するのはこれからで、その時を待っている可能性も考えられなくもない。何れにせよ、彼に直接確かめなくてはならないだろう。このままではダメだ。レアンドルが帰還したらこの話も含めてリヴィエとの事もちゃんと話そうと思う。
(だから、早く帰って来て下さい……レアンドル様)
「……雨」
ふと窓の外を見ると雨粒が数滴付いている事に気付いた。つい先程までは晴れていたのに、空を見れば何時の間にか灰色の雲で覆われている。
「結構降って参りましたね。これは本降りになるかも知れません」
ヴェラがお茶の準備を始めた。雨の所為か少し肌寒く感じてきたので、お茶で身体が温まる。
暫し彼女とたわいのない会話をしていると、扉をノックする音が聞こえて話は中断された。そして部屋の中へ入って来たのはレアンドルの侍従だった。
ベルティーユはドレスの裾をたくし上げながら、息を切らし廊下を走っていた。はしたないなんて言っている場合ではない。それにしても、こんなに走ったのは何時振りだろうか……。確か幼い頃に兄や弟と追いかけっこをした記憶が薄らと蘇った。
「レアンドル様‼︎」
階段を一段飛ばしに降りながら、ロビーで蹲っている彼の姿を見つけ気付けば叫んでいた。
頭から外套を被っているが、全身ずぶ濡れになっていた。床に前のめりに蹲りホレスや侍従等が取り乱した様子で「レアンドル様‼︎」と頻りに声を掛けていた。
「レアンドル様っ……」
駆け寄ると僅かに彼の呻き声が耳に届く。随分と苦しそうだ。ベルティーユが触れていいものか悩んでいた時、扉が勢いよく開け放たれ血相を変えたルネが入って来た。彼も同様にずぶ濡れで、開いた扉から大粒の雨が地面に叩きつける光景が視界に入った。
ルネは自分の外套をその場に乱暴に脱ぎ捨てると、今度はレアンドルの外套を脱がせ始めた。更に装備などを取り外し、最後にシャツを緩める。すると身体中に包帯が巻かれているのが見えた。白い包帯は赤黒く染まり、水を吸収し滲んでいた。痛々しい光景に心臓が止まりそうになる。
「レアンドルを運びますので、手を貸して下さい」
ホレス等にそう声を掛けた瞬間、ベルティーユは我に返る。慌ててルネに「私もお手伝いします!」と言い、彼に触れようとしたが……。
「俺にっ触れるな‼︎」
意識を取り戻したレアンドルから怒声を浴びせられた。余りの出来事にベルティーユは目を見開き、固まった。その間、彼は自ら立ち上がるとルネの肩を借りながら行ってしまった。
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