冷徹王太子の愛妾

月密

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二十八話

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 屋敷へ戻ると、レアンドル達に気が付いたヴェラが慌てて駆け寄って来た。

「ベルティーユ様! ご無事でなりよりです!」

 目尻に涙を浮かべ、心底心配しているのが伝わって来る。

「さあ、ベルティーユ様。お召し替え致しましょう。その前に湯浴みの支度は整っておりますので」

 ヴェラは二人の不穏な空気を察したのか、レアンドルからベルティーユを引き離そうと手を差し出して来る。だがレアンドルはベルティーユを自分へと強く引き寄せた。

「ヴェラ、悪いがベルティーユは俺の部屋に連れて行く。彼女の着替えはそっちに用意してくれ」
「⁉︎」

 その言葉に驚いた様子で顔を上げる彼女と一瞬目が合うが、レアンドルは知らない振りをしてベルティーユの手を引き部屋へと向かった。
 

「あの……」
「怪我はしていないか」

 ベルティーユを寝室へ連れて行き、長椅子に座らせた。彼女の前に膝をつき、汚れている衣服の上から目視で確認をする。

「特には……大丈夫です」
「ならいい」

 困惑する彼女を尻目にレアンドルは立ち上がると、扉へと向かうが途中で足を止めた。

「直ぐに戻る、適当に休んで待っていてくれ。……それと、部屋の外には見張りをつけて置くので逃げようとしても無駄だ」
「っ‼︎」

 弾かれた様に此方を見る彼女から逃げる様にして部屋を出た。

 自分の子供染みた言動に情けなくなる。本当はもっと優しくしてやりたい。抱き締めて甘い言葉の一つでも囁いて口付けを落とせたらどんなにいいか……。だが今は彼女に対しても苛立ちを抑えられない。理不尽な感情だとは分かっている。分かっているんだーー。
 
 レアンドルは執務室に入ると、ホレスの横で身を小さくして長椅子に座っているアンナに冷たい視線を向けた。



◆◆◆


 長椅子に大人しく座り言われた通り彼を待っているが、どうしても落ち着かずに何度も居住まいを正す。何時彼が戻って来るも分からないと思うと緊張から心臓が早鐘を打つ。
 あの時のレアンドルは完全に正気を失い何時もの彼じゃなかった……。本気でクロヴィスを殺そうとしていた。ベルティーユには、何が彼をそうまでさせたのか分からない。それに何故レアンドルはベルティーユを連れ戻したのだろう……。あのままクロヴィスに引き渡せば厄介払い出来た筈なのに……。


 暫く呆然とそんな事を考えていると、部屋の扉が開く音がして瞬間身体をびくりと震わせた。

「すまない、少し遅くなってしまった」

 後を振り返る事が出来ずに俯き身体を強張らせていると、足音が近付いて来てベルティーユの前で止まった。

「ベルティーユ、何故逃げた」
「っ……」
「そんなに俺から離れたかったのか?」
 
 何時もと変わらず淡々とした口調の筈なのに、何故怒気を孕んでいる様に感じた。
 彼の怒る理由が分からない。形式だけの妾が邪魔だったのでは無かったのか……。

「それとも、クロヴィスの元へ帰りたかったのか?……先程も庇っていたしな」
「違っ……」

 流石に聞き捨てならないと反射的に顔を上げた。すると冷たい灰色の瞳と目が合った。

「余計な事をしてしまってすまなかった」
「そうでは、なくて……」
「そんな事はないだろう? クロヴィスも言っていたじゃないか……あんな場所で、愉しんだんだろう」
「本当に、違っーー‼︎」

 顎を掴まれたと分かった瞬間、気付いたら彼の瞳が一寸先にあった。唇が彼のそれで塞がれている。少しひんやりとする薄い唇は、思いの外柔らかい。始めは触れているだけだったが、次第に角度を変えながら舌でベルティーユの唇を舐る。まるで唇の感触を愉しんでいる様に思えた。そして息が苦しくなってきたベルティーユが、口を僅かに開いたその瞬間、ぬるりとした感覚と共に彼の舌が口内へと侵入してきた。

「んっ……は、ぁ……」

 逃げるベルティーユの舌を執拗に追い回しては絡め取る。その所為で唾液を上手く飲み込む事が出来ず口の端から止めどなく溢れ出た。頭がぼうっとして何も考えられない。

「はぁっ……」

 暫くしてようやく解放された瞬間、ベルティーユは大きく息を吸った。呼吸を整えている間も、彼から視線を感じた。だがベルティーユが恐る恐る彼を見ると、あからさまに顔を逸らされる。

「……すまない、忘れてくれ」

 何に対しての謝罪なのだろう。口付けた事への……?
 アンナにはそれ以上の事をしていたのに、自分は口付け一つ赦されないのだろうか。
 これまでレアンドルは頑なにベルティーユには触れようとして来なかった。彼にとってベルティーユにそんな価値はないのだろう。それなら尚更連れ戻してなんて貰いたくなかった。

「……何も言わずに屋敷を出て行った事は謝ります。ですがこれ以上、レアンドル様の邪魔にはなりたくなかったんです。……私に魅力がないばかりに、妾としての役割すらまともに果す事が出来ません。そればかりか、愛する人との時間を私が邪魔をしていて……。レアンドル様は責任感が強く優しい方ですから、役立たずの私でも屋敷から追い出す事が出来ないのだと分かっています。なのでそれなら自分から出て行けばいいと、そう思ったんです……」

 自分で話していて、虚しくなり思わず苦笑する。笑い方を忘れてしまったのに、苦笑するのは難なく出来るなんて皮肉なものだ。

「君を邪魔だと何時俺が言った?」
「言わなくても分かります。……現にレアンドル様は私に一切触れようとはしませんでした」

 一度だけ……お茶の席で、ベルティーユが醜態を晒してしまった時に抱き締めて貰った。だがそれは女性が目の前で涙を流していたならば、彼のみならず紳士ならばきっと同じ行動をするだろう。いうならばあれば事故に近い、不可抗力だ。
 確かに彼はベルティーユに対して優しく気遣ってはくれた。心身共に衰弱していたベルティーユに温かなスープやお茶やお菓子、湯浴み用の精油、お香……沢山の物を用意してくれた。少しずつ接する時間が増えて一緒に食事をしたりお茶をしたりもした。だが彼は何時もベルティーユの前では手袋をして、ベルティーユに触れない様にしていた。それは彼からの拒絶なのだと思わざるを得ない。

「私が、リヴィエの人間だからですか? それとも……私が穢れているからですか?」

 レアンドルだって口にこそ出さないが、リヴィエの事を憎んでいるに決まっている。ずっと敵国同士だったのだから当然だ。彼の妹の事もある……。
 それにベルティーユの身体は他の男に穢されてしまった。幾ら妾といえ、触れたくないのは理解出来る。本来王太子である彼なら、妻だろうが妾だろうが良家の美しく手付かずの清らかな娘から幾らでも選ぶ事が出来る筈だ。それでも、自らベルティーユを妾に迎え入れたのだから当初は違ったのかも知れない。だがいざ迎え入れてみて、やはり気が変わったのだろう。態々穢れた娘を抱きたい奇特な男などいない。まして、自分の弟に穢れた娘を……。
 
「違う‼︎」
「⁉︎」

 レアンドルは声を荒げ苦虫を噛み潰した様な顔をする。そんな彼にベルティーユは呆気にとられた。

「そうじゃない……寧ろ、その逆なんだ」

 諦めた様子で溜息を吐くと、レアンドルは長椅子に腰を下ろした。

 



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