冷徹王太子の愛妾

月密

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二十九話

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 ベルティーユは困惑した様子で此方を見ていた。レアンドルは苦笑する他ない。

「本心では、ずっと君に触れたかったんだ。だがどうしても触れる事が出来なかった……。俺の手は薄汚れている。その手で君に触れたら、清浄無垢な君を穢してしまうと思うと怖かった」

 ベルティーユがブルマリアスに来た当初、彼女はまだあどけなさが残る少女だった。十四歳の妹のブランシェを敵国に人質として引き渡す事すら躊躇いを感じていたのに、その妹より更に二歳下のベルティーユと対面した時は胸が痛んだ。だが彼女は子供ながらに毅然とした振る舞いで笑顔で挨拶をした。本当は怖かった筈だ。人質交換には幾つかの制約が設けられてはいたが、それでも死と隣り合わせに違いはない。もしブルマリアスがブランシェを見捨てた場合、もしリヴィエがベルティーユを見捨てた場合、もしブランシェが病などで亡くなった場合……様々な事態が予想出来る。十二歳ともなれば自分の置かれている立場や状況は十分理解しているだろう。だが理解が出来ても覚悟が出来る程大人ではない筈だ。敵国の王太子の立場である自分が抱く様な感情ではないが、正直不憫でならなかった。
 だがそんな中で救いだったのが弟二人がベルティーユを可愛がっていた事だ。リヴィエに対して良い感情など抱いている筈がないにも関わらず、初めから二人は……特にクロヴィスは彼女を溺愛していた。

 この頃ブルマリアスは、リヴィエと和平協議に入り一時休戦となっていたが、自国は相変わらず他国との戦は絶える事はなく、レアンドルは城をよく空けていた。ただこの時既に衣食住の全てを別邸で済ませていた事も一つの要因ではである。
 そんな中で離宮などレアンドルには無縁な場所ではあったが、彼女がどうしているか気になりたまに密かに様子を窺いに訪れていた。
 何時も中庭側から彼女の部屋の窓を見ていたが、たまにクロヴィス達に連れられた彼女と廊下などで出会す事もあった。そんな時は決まって彼女は「王太子殿下、ご機嫌よう」そう笑顔で挨拶をしてくれたが、レアンドルは無言のまま一瞥してその場を後した。
 我ながら無愛想だとは思っていたが、リヴィエの姫である彼女に合わせる顔などない。何故ならこれまで自分は数え切れない程リヴィエの人間を殺して来た。敵国の兵士を殺すなど至極当然であり正義だと信じて疑っていなかったが、それでもあの無垢な笑顔を見せられたら、罪悪感に苛まれる。彼女に出会うまでは罪の意識など抱いた事すらなかったのに妙な気分だった。

「始めは妹を見守る様な、そんな気持ちだったんだ。それが自分でも気付かない内に目的が変わっていた。君の姿を一目で良いから見たくて態々離宮まで足を運んでいた。戦や仕事で疲弊した時、君の笑顔を見ると心や身体が不思議と軽くなったんだ」

 気付いていないだろうが、彼女が思っているよりもずっとレアンドルは離宮に通っていた。一目遠くから眺めるだけで構わなかった。弟達とまるで本当の兄妹の様に仲睦まじく過ごしている姿を見ているだけで良かった。そして気付いていた、弟の彼女への想いにも。リヴィエとの和平条約が結ばれた後、クロヴィスはベルティーユを妻に迎えるつもりなのだろう……漠然とそんな風に思っていた。クロヴィスは本当にベルティーユを溺愛し大切にしていた。だから彼女が幸せになれるならそれで良いと思っていた、なのにーーまさかあんな結末が訪れるとは想像だにしなかった。そしてまた今のこの状況も同じだ。未だ彼女が自分の妾だとは信じられない。といった所で、実際は彼女を保護する為に妾として引き取っただけだが。なので彼女が話す妾の役割など果たす必要など本来はない。端から手を付けるつもりはないのだから。全てが終わったら、彼女を故郷に帰してやるつもりだ。
 それなのに、本心ではベルティーユに触れたくて仕方がない。以前は遠くから見ているだけで満足していた筈なのに、今は気を抜くと彼女へと手を伸ばしてしまいそうになる。彼女が屋敷に来てから後少しで一年になるが、正直その間に彼女を想いながら何度自慰をしたか分からない。穢したくないのに、時々無性に彼女を自分の手で穢して自分だけのものにしたいとさえ思う。重症だと自覚はしている。正直クロヴィスの事を言えた義理ではない。

 流石に全てを伝える事はしないが、触れなかった理由や時折り彼女を見に離宮を訪れていた事を簡潔に話し自嘲した。

「この事は、君には心労を掛けたくなくて言うつもりはなかったんだ……というのは建前で、俺は何処かで期待していた。言わなければ何時かこうやって触れられる日が来るかも知れない、君を手放さずに済むかも知れないと。こう見えて約束は何が何でも守るタチなんだ。呆れるだろう?」

 逆を返せば約束さえしていなければ自分の思いのままに出来る、我ながら実に浅ましいとは自覚はしている。
 レアンドルの言葉に彼女は戸惑いながらも、首を横に何度となく振る。こんな些細な仕草すら可愛くて仕方がない。

「だがその所為で君を傷付けてしまった、すまなかった」
「レアンドル様は、悪くありません……」

 本当に彼女は穢れを知らない純白の花の様だ。レアンドルの邪な想いなど疑いもしないだろう。

「それとベルティーユ、誤解をしている様だから言っておくが、俺とアンナは君が思っている様な間柄ではない」
「え……」

 彼女は余程驚いたのだろう、蒼眼の大きな瞳を丸くして口を半開きして此方を見た。

「ですがレアンドル様とアンナは愛し合っていて……私、夜中にレアンドル様の寝室にアンナが入っていく所を見たんです! だからそれもあって私は……」

 アンナを問い質した事と先程の彼女の物言いからして分かってはいたが、やはり完全に誤解をしている。まあ自業自得なのだが。

「今回の件が片付いたら改めて説明をすると約束をする。だが信じて欲しい……誓って俺とアンナは恋仲などではない。ただの主人と使用人の関係、それだけだ」
「そうなんですね……。レアンドル様がそこまで仰るのなら、信じます」
「ありがとう」
 
 シーラを監視させる為に信頼出来るフォートリエ家からアンナを借りて来たが、失態だった。今回の事でレアンドルは猛省した。それにキースの事もある。明日にでもフォートリエ家へと出向く必要があるだろう。

「それにしても、恋路の邪魔だからと出て行こうとするなど随分と律儀だな。妻がいても妾を何人も囲う者も少なくないというのに」
「……そうなんですけど、それだけではなくて」
「?」
「私身勝手なんです。レアンドル様もクロヴィス様の様に変わってしまうかも知れないと思ったら、怖かった……。レアンドル様から憎まれたり、嫌われるなんて耐えられない……それに、レアンドル様を好きな気持ちのまま貴方の元から去りたかったんです」

 ベルティーユからの言葉にレアンドルは一瞬思考が停止する。自分の耳すら疑った。

 "レアンドル様を好きな気持ちのまま"

(それは、もしかして……俺の事、か? いやそれしかないだろう!)

 余りの事に頭の中で思わず自分で言って自分で突っ込んでしまった。莫迦過ぎる……。

「ベルティーユ……その、今君は俺の事が、好き……だと、言ったのか……?」

 動揺し過ぎて歯切れが悪くなる。
 もし違ったら流石に格好が悪過ぎるので、訊くのに躊躇いはあったが、こんな事訊かずにはいられなかった。
 だが彼女は、一瞬身体を震わせるとあからさまに顔を背け俯いてしまった。長い沈黙が流れる。レアンドルの心臓は早鐘の様に脈打ち、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
 
 最悪だ……また失態してしまった……ーー。

 やはり聞き間違えだったのか……いや確認をした事自体がまずかったのか…………分からない。
 これでもレアンドルも二十五歳の立派な成人男性であり、女性の経験はそう多くはないがそれなりにはある。愛想はないが、女性の扱いは悪くないと自負していた。だがベルティーユが予測不能過ぎてもはやどうにも出来ない、お手上げ状態だった。

「……はい」

 長い沈黙の後、ベルティーユは落胆しているレアンドルにおずおずと向き合うと、頬を赤く染め上目遣いの潤んだ瞳でそう返事をした。その瞬間、レアンドルの頭の中からは先程までの紳士的な考えは全て吹き飛んだ。



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