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五十六話
しおりを挟むクロヴィスから小さな布袋を受け取ったベルティーユは中を確認した。するとそれは失くしたと諦めていた香り袋とブローチが入れられていた。
「クロヴィス様……」
「べる……べ、る……」
床に横たわる彼はまるでベルティーユの姿をその目に焼き付ける様に真っ直ぐに見て、息も絶え絶えにベルティーユを呼び続けていた。握り締めた手は小刻みに震え赤い血が彼の衣服や床を汚していく……。
『僕の事はお兄様と呼んで』
「……クロヴィス様。私があの六年を耐える事が出来たのは、ブルマリアスに来たばかで不安でどうしようもなかった私の手を、貴方が優しく握ってくれたからです」
クロヴィスはあの日を境に豹変した。優しかった彼はいなくなり、ベルティーユを罵倒し暴力を振るい精神的にも身体的にも深く傷付けられたが、レアンドルに助けられ救われ傷は大分薄らいだ。それでも未だにあの時の恐怖や絶望はベルティーユの中に残り続けている。けれど人質として過ごした六年の間、彼がベルティーユを大切にしてくれた事実がなくなる訳じゃない。ただその事実があるからこそ苦しみも深かったと思うと複雑だ。
(今はまだ赦せない気持ちがある。それでも……クロヴィス様がいなかったら、きっと今の私はいない)
彼が居てくれたから今自分はこうしている事が出来ている。短絡的だが、そう思う。だから感情とは切り離して事実として……私は忘れない。
上手く笑う事は出来ないが、ベルティーユは精一杯笑って見せた。するとクロヴィスもそれに応える様に力なく笑った。何時か見た懐かしい笑顔だった。
「っ……ご、め……ごめ、ん……ね…………べるーー」
握り締めていた彼の手から力が抜けた瞬間一気に重みを感じた。
『ご機嫌は如何かな』
『珍しいお菓子が手に入ったから、ベルと一緒に食べようと思ったんだ』
ふとクロヴィスと過ごした穏やかな日々が走馬灯の様に頭を過ぎる。
「っーー」
ベルティーユはクロヴィスの手を握り締めたまま顔を伏せ身体を震わせる。止めどなく涙が溢れ落ちた。この涙は何に対してのものなのか、もう自分には分からない。ただただ溢れた。
「ベルティーユ」
「っ……」
背後からレアンドルが優しく抱き締めてくれた。そっとベルティーユの手に自らのそれを重ねるとクロヴィスの手から解かせ抱き上げられる。外套をベルティーユに被せて隠してくれた。
「後始末を頼む」
それだけ言うとレアンドルは踵を返しその場を後にした。
この日、ブルマリアスの歴史は大きく変動した。反リヴィエを掲げた思想は終わりを告げ、新たな王にレアンドルが就任した。革命とも呼べるこの出来事は後世まで語り継がれていく事になるーー。
◆◆◆
ブルマリアスが新体制となり早くも三ヶ月が過ぎた。あの様な形で国政が入れ替わった事で、様々な混乱を招きレアンドルは日々奔走していた。側近等の入れ替えやクロヴィスの実母であり前王妃の処遇、ブランシュの一件に関わった者達への処罰など問題は山積みだった。
屋敷からベルティーユを城に呼び寄せ、今は離宮に住まわしているが彼女の事もその一つに含まれる。今はまだ彼女はレアンドルの妾の立場であり表立ってレアンドルに意見する者はいないが、ベルティーユの事を快く思っていない者は少なくない。今後彼女を王妃に召し上げるとなれば一波乱も二波乱もある事は目に見えている。本心は今直ぐにでもベルティーユを正式に妻に娶りたいが、やはりリヴィエと決着がつくまでは難しいだろう。
レアンドルがブルマリアスの国王となり、リヴィエへは再度和平の申し入れを行った。無論前国王の犯した過ちを認めた上で謝罪と共に。だがリヴィエは謝罪も和平も受け入れるつもりはない様で取り付く島もない。悪戯に時間ばかりが過ぎ、更に数ヶ月が経ってしまった。その間も戦さは続いているのが現状だ。このままでは埒があかないとレアンドルはある決意をする。
「リヴィエに出向くって、正気か?」
ジークハルトに告げると予想通り呆れた顔をされた。隣にいたルネに至っては唖然とし言葉も出ない様子だ。
「ブルマリアスに敵意が無い事を示したい。一度此方は裏切っている故、口先だけでは信用は得られないだろう。俺が自ら出向けば向こうも話し合いの席に着く事を考えてくれるかも知れない」
ブランシュが亡くなった直後にリヴィエから送られて来た書状は城の機密書類の保管庫にあったが、それは偽物だった事が判明した。本物はドニエ家の屋敷から押収された。
本物にはブランシュがリヴィエの王であるディートリヒの寝首を掻こうとした所を見つかり、追い詰められた末にブランシュは自ら命を絶ったと記されていた。その際にブランシュから真実を聞かされたという。その事に対しての抗議と共にブルマリアスへの憤りが長々と綴られていた。それ等を前国王とジャコフは隠蔽し、ブランシュがリヴィエの国王から陵辱を受けた事に書き換えた偽物にすり替えていた。そしてリヴィエにはブランシュが亡くなった事実だけを追及し有無も言わせずに戦線布告をした。かなり強引で無茶苦茶だ。
こんな状態で、幾ら王が変わったとしてもリヴィエがブルマリアスを信用する筈がない。ならばそれ相応の誠意を見せなくてはならないだろう。
「レアンドル、流石にそれは危険過ぎます! それにリヴィエには他国の人間は入れませんよ」
向こうが拒んでいる以上、当然迎えなどは来ない。ならば強硬手段にでる他ないが、リヴィエの周囲は常に潮の流れが早く場所により渦潮が起きる。余所者は近付く事すら困難を極めるーーその為にブルマリアスはこれまで攻め入る事が出来ずにいたのだから今更だろう。
「無論承知の上だ。それでも行くしかないんだ」
「なら他国に仲介して貰ってはどうですか?」
「それは考えたが、中立国だったルメールは今やリヴィエと友好条約を結んでいる。後はパシュラールだが、残念だが既に断られた」
サブリナの母国である中立国のパシュラールに、彼女から国王へと仲介の話を幾度も頼み込んで貰った。だが巻き込まれたくないのだろう、頑なに聞き入れては貰えなかった。
「だがな、もっと別の方法を考えるべきだ」
「そうですよ! 無謀過ぎます! 何かあったらどうするつもりですか⁉︎ 今や貴方はブルマリアスの国王なんですよ⁉︎」
ジークハルト達に反対をされたままその日の話し合いは平行線に終わった。
その夜、レアンドルは寝室にてベルティーユに昼間の話を簡潔に話した。すると彼女は意外な事を言い出した。
「それでしたら、私が行って参ります」
そう言うや否や彼女はペンをとり兄であるリヴィエの国王へと手紙を認めた。
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