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五十七話
しおりを挟むレアンドルはベルティーユの部屋の扉の前を行ったり来たりしていた。かれこれ一時間近くになる。
今はもう夜の二十三時を過ぎた所だ。もしかしたら彼女は寝ているかも知れない……そう思い諦めて踵を返す。
この半月近く毎晩同じ事を繰り返している。
実はレアンドルはベルティーユと喧嘩をしてしまった。
半月程前にレアンドルがリヴィエへと赴くとベルティーユに告げた事が発端だ。彼女は自らがリヴィエへ行き兄である国王と話をしてくると言ったが、それをレアンドルは拒否した。
『どうしてですか……。レアンドル様はやはり私の事を信用して下さらないんですか』
『そうじゃない。だが君を一人で行かせる事は出来ない』
『レアンドル様は、私が裏切る思っていらっしゃるんですか』
『そんな事は言っていない。俺は君に誰よりも信頼を寄せている』
『そんなの口でなら幾らでも言えます! レアンドル様は未だに私を人質だと思っていらっしゃるんですよね⁉︎』
『そんな訳ある筈ないだろう⁉︎ 確かに君は今は妾の立場ではある。だが俺の大切な女性に違いない。リヴィエとの事が収まったら君を正式に妃に召し上げるつもりだ』
『嘘です! リヴィエの事が収まったら私は用済みで、レアンドル様は他の女性を妻に迎えるつもりですよね⁉︎』
暫く言い合いをした。何度否定しても彼女は聞く耳を持たなかった。一体どうしたというのか……彼女らしくない。
今夜も一人自室のベッドに横になる。
彼女と身体を重ねる前までは人肌が恋しくなる事はなかった。確かにそれなりに性欲はあったが、眠る時は一人ではないと落ち着かないくらいだった。だが今は彼女が隣にいない事が酷く寂しい。
どうしたら仲直りする事が出来るか分からない。ベルティーユの意思を尊重すればいいのか……だがやはり、それは出来ない。リヴィエは彼女にとって故郷ではあるが、今や彼女はレアンドルの妾なのだ。彼女の兄の意向はどうあれ面白くない人間だっている筈だ。そう考えると何が起こるか分からない。リヴィエまでの道中もそうだ。命を狙われる事は否めない。
何れはベルティーユを里帰りはさせてやりたいと考えてはいるがそれは今ではないだろう。それに彼女の怒りは別の所にある様に思えてならない。妙な言い回しだった。まるでレアンドルには既に別の女でもいるかの様な……。
少し調べさせた方が良さそうだ。
それから半月後、ある事が判明した。
「早速妃の椅子取り合戦が始まっている訳か」
「笑い事ではありませんよ!」
愉し気に笑うジークハルトをルネが諌めるがまるで意に介さない。
「それでその侍女はどうしたんですか?」
「無論雇い主ごと王都から追放した。爵位は剥奪してな」
ベルティーユを城に連れて来た際に、申し訳ないがヴェラは一緒には連れて来なかった。今レアンドルはあの屋敷に戻る事はないが、引き払うつもりはない。故にこれからも維持をする必要がある為、ホレスやヴェラは屋敷に置いて来た。彼女には新しい侍女を用意したのだが、どうやらその中にとある有力貴族から送り込まれた侍女が紛れ込んでいた。人選は十分に吟味したつもりだったが、政権が変わり混乱した中だった事もあり隙を作ってしまった。
そしてその侍女が彼女に色々と吹き込んでいたらしい。
『国王陛下は有力貴族のご令嬢を正妃にお迎えになられるそうですよ』
『新政権となりブルマリアスは今は不安定となっております。そんな中、敵国の姫を囲っているとなると陛下のお立場は悪くなる一方です』
その様な世迷言を彼女に言い続けていた。
その報告を受けた時は、真っ先に自分自身に怒りが湧いた。国王になりやる事は山積みで正直自分自身の事でいっぱいになり余裕など皆無だった。だがそんな事は言い訳にすらならない。今回の件はレアンドルの落ち度だ。
「少しやり過ぎな気もしますが……」
「やり過ぎ? 冗談だろう。ベルティーユは俺の妻になるんだ。言わば未来の正妃だ。その彼女に意図して心労を与えていたんだぞ。首を刎ねられなかっただけでも感謝するべきだ」
レアンドルの言葉にルネもジークハルトも肩を竦ませた。
確かに不毛な争いは終わりにすると誓った。それにしては横暴な事を言っている自覚はある。
(だが彼女を傷付けようとするならば、話は別だ。俺は絶対に赦さない)
その夜、レアンドルは何時もよりも早く仕事を切り上げベルティーユの部屋を訪れた。扉をノックしても何の反応もない。
普段はそんな不誠実な事はしないが、どうしてもベルティーユと話がしたいレアンドルは許可なく扉を開けた。
「ベルティーユ」
「……」
「勝手に入ってしまってすまない。だがどうしても君と話がしたい」
部屋の中は薄暗く、彼女は窓辺に佇んでいた。
「……どうぞ」
此方を振り返る事なく彼女は静かにそう返事をした。
「ベルティーユ、先ずは言っておきたい事がある。俺は君以外を娶るつもりはない。この事は忘れないで欲しい」
「……」
「それで、その……君と仲直りがしたんだ」
レアンドルのその言葉にベルティーユは身体をピクリとさせた。
◆◆◆
仲直りがしたいと話すレアンドルにベルティーユは恐る恐る振り返る。すると彼は困り顔をしていた。
久々に見た彼の顔に心が折れそうになり、縋り付きたくなる。だがグッと堪えて彼を見据えた。
「レア……陛下、もう私に構わないで下さい」
「ベルティーユ……」
「リヴィエに行く事が叶わないのなら別の形で協力は致します。だから心配しなくても大丈夫です」
「聞いてくれ、君が侍女から吹き込まれた事は根も葉もない嘘なんだ」
「……」
レアンドルがこれまでの経緯を説明し、そして丁寧に謝罪をしてくれた。
あの侍女が話していた事は嘘だった。その事に安堵する一方で、彼が約束を反故にする人間ではないと事は分かっていた。彼女の言葉を信じていた訳ではない。ただ怖くなったのだ。あの時、クロヴィスが死んで逝く様を目の当たりにして、それが彼と重なった気がした。
それに自分が彼の側にいる事が足枷になってしまう事は事実だ。だから……。
「別に彼女の言葉が嘘でも真実でも関係ありません。私はやはり貴方の事が信用出来ないと思っただけです。ただそれだけなんです」
こんな風に言えば彼はもっと動揺すると思ったが、意外にも冷静だった。
レアンドルにとってベルティーユはその程度の存在だったという事だ。自分で言ったのにも関わらず傷付くなんて莫迦だ。
「君は今自分がどんな顔をしているか分かっているのか」
「え……」
その瞬間、腕を引かれレアンドルに掻き抱かれた。訳が分からず呆然としていると彼の額が自分のそれに触れた。
「そんな傷付いた顔をして……嘘だと丸分かりだ」
「っ……」
「言った筈だ。俺の妻に相応しい女性は、この世の何処を探しても君しかいないと」
彼には敵わないとベルティーユは諦めて白状をする。
「私、怖くなったんです……クロヴィス様が死んで逝くのを見て……。貴方のお父様だった国王陛下が死んで逝くのを見て……。レアンドル様も何時かあんな風に死んでしまうかも知れないと思ったら、怖くて仕方がなかった。私が側に居れば貴方の立場は悪くなる。これから先、きっと要らぬ恨みを買う事もあるでしょう。だからっーー‼︎」
ベルティーユは、口付けられ言葉を飲み込んだ。
真っ直ぐな灰色の瞳が洋燈の灯を受け揺れている。
「君といれるなら、恨みなど幾らでも買ってやる」
「危険です……」
「冷酷非道と恐れられた男だ、心配など不要だ」
「ですが……」
「ベルティーユ、大丈夫だ。君を残して死んだりはしない」
「っ……」
「それとも、俺が約束を破る人間だと思っているのか?」
「そんな事あり得ません!」
「なら問題ないな」
そう言って少し意地悪そうに笑った彼に心臓が高鳴る。
こんな時に不謹慎だと自分でも思うが、意識してしまうと彼に触れられている全てが熱く感じて鼓動は速くなるばかりだ。
「仲直りしてくれるか?」
「はい、申し訳ありませんでした」
「いや、今回の事は全て俺の落ち度だ。君が謝る必要はない。すまなかった」
お互いに謝り合って笑ってしまった。
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