65 / 78
六十四話
しおりを挟む扉を開けるとそこは全く変わっていなかった。
あの後城に到着するとベルティーユだけロラン達とは引き離され、この部屋に連れて来られた。
「私の部屋……」
あの日の記憶のまま変わらない部屋に胸が締め付けられる。
「ずっと、そのままにしていてくれたのね……」
ベッドも机も椅子も、カーテンも置物なども全てあの日のままだ。懐かしさに目を細める。
窓の外を見れば、遠くに街並みや海が見える。ベルティーユは暫く景色を眺めていた。すると部屋の外が騒がしくなる。足音が段々と近付いて来て、一際大きく響いたと同時に扉が勢いよく開いた。
「姉上ー‼︎‼︎」
現れたのは白金髪の蒼眼の少年だった。
息を切らしフラつきながらもベルティーユを凝視している。その様子から必死になって走って来た事が窺えた。
「マリユス、なの?」
「っ‼︎」
恐る恐る問いかけると彼はくしゃりと顔を歪ませ、今にも泣き出しそうな顔をする。そんな姿に目の奥が熱くなり唇をキツく結んだ。
「そうです、貴方の弟のマリユスです‼︎」
「そう……大きくなったのね」
「姉上っ‼︎」
マリユスはベルティーユを掻き抱いた。
身体を震わせ堪え切れなくなったのか幼子の様に声を上げ泣き出す。
「マリユス……」
「姉上っ、ご無事で良かった……僕、もう二度と会えないかと思って……」
泣き噦る弟の頭を撫でると逆効果だったらしく、更に大泣きをする。
ベルティーユは苦笑しながら弟が落ち着くまで頭や背中を撫で続けた。
「取り乱してしまい、すみませんでした……」
一時間近く飽きる事なく泣き続けたマリユスは、ようやく落ち着きを取り戻し椅子に座った。
恥ずかしいのか俯きモジモジとしている。
「ふふ、泣き虫な所は変わらないのね」
「ゔっ……」
「でも一瞬、誰だか分からなかったわ」
最後に会った時、弟はまだ八歳で背もベルティーユより全然低かった。だが今は見上げなくては目を合わせる事も出来ない。
何だか切なくなった。マリユスの成長が、八年近くという歳月が如何に長いものなのかを物語っている様に思えた。
「手紙ありがとう。貴方やお兄様からの手紙が届くのを何時も心待ちにしていたの。お兄様は変わりない?」
「……」
「マリユス?」
平然を装ってディートリヒの事を聞いてみたが、内心は心臓が煩いくらい脈打っていた。
マリユスは眉根を寄せベルティーユから目を逸らす。その様子だけで返答を聞く必要がなかった。
「……姉上が居なくなって、毎日寂しくて仕方がありませんでした。でも必ず帰って来ると信じていました。そんな中で僕も兄上もそれなりに穏やかに過ごしてはいたんです。ただ、二年くらい前におかしくなって」
「ブランシュ王女が亡くなったから」
「っ……」
弾かれた様に此方を見るマリユスに、ベルティーユは小さく頷いて見せた。
「実は……兄上とブランシュ嬢は、恋仲だったんです」
「⁉︎」
意外な事実に思わず息を呑んだが、だが妙に納得をした。
(お兄様の怒りの在処は……)
「兄上は、ブルマリアスと無事和平条約を結ぶ事が出来たなら、ブランシュ王女に正式に結婚を申し込むってずっと話していました」
不思議だった。あの兄が命を狙われたくらいで和平を突っ撥ね一切交渉に応じる事もなくなりブルマリアスに激しい怒りを露わにした。
兄は良くも悪くも本当に寛大な人だったのにのに……そうずっと引っ掛かっていたが、ようやく腑に落ちた。
「お兄様は、ブランシュ王女を心から愛していたのね」
それ故に赦せなかったのだろう。彼女を利用して自分を殺させようとした事が。
ベルティーユがブランシュと会ったのは、人質交換の際のほんの一瞬だけだ。だから彼女の事は何も知らないし分からない。だがクロヴィスやロラン、シーラの話から分かる事が一つだけある。
とても優しい人だったーー。
そんな人が人を殺す事を命じられ、尚且つ恋仲になった人を殺さなくてはいけなかった。
勿論油断させて殺す為の演技だったかも知れない。だが最期にディートリヒに真実を告白し、自ら命を絶った事を考えると彼女もまたディートリヒを愛していたと思うのが自然だろう。
「ブランシュ嬢が亡くなってから兄上はおかしくなってしまった……。上手く言えないけど、怖いんです。それに姉上の事も……」
「私?」
「あ、違っ……何でもないんです!」
慌てて訂正するが、聞いてしまったからにはそのままには出来ない。ベルティーユは渋るマリユスから真相を聞き出した。
「そう、お兄様がそんな事を……」
正直あの手紙でも違和感を感じていたのでそこまで驚きはしなかった。だがやはり悲しくはなってしまう。
(裏切り者、か……)
「僕は、兄上の本心ではないと思います! 今はまだブランシュ嬢の事で心を病んでいて、それを姉上へとぶつけてしまっているだけで……。だから、その……」
「ありがとう、マリユス。私なら大丈夫よ。それにブルマリアス国王の妾である事は事実だから……。でもね、私はリヴィエを裏切ったつもりはないわ。それだけは分かって」
本来ならば経緯を話すべきかも知れない。だがまだ子供のマリユスには精神的負荷が大きい過ぎる。それに昔から弟は姉思いの優しい子だったから言いたくない。
たった一歳で母を亡くし、物心ついた時には父はずっと病で床に伏せていた。その父も七歳の時に亡くなった。
寂しい思いをしない様にベルティーユは何時も弟と一緒にいた。だからか、自分でいうのもなんだが姉ベッタリに育ってしまった。ベルティーユがリヴィエから離れる時も、弟は泣き噦り手が付けられなかった。可哀想だと思ったが、どうしようもなかった。
「僕は姉上が裏切ったなんて絶対に思っていません! 僕は姉上の事をずっと信じて帰りを待っていたんです。確かにブルマリアスの王太子の妾になったと聞いた時は、正直驚いたし悲しかった。でも、それ以上に姉上が生きていてくれた事が嬉しかった」
歯を食い縛り泣くのを我慢しているマリユスにベルティーユも釣られそうになってしまう。だが今は泣いている場合ではない。
「姉上……お帰りなさい」
「ただいま」
ベルティーユは再び弟と熱い抱擁を交わした。
0
あなたにおすすめの小説
大人になったオフェーリア。
ぽんぽこ狸
恋愛
婚約者のジラルドのそばには王女であるベアトリーチェがおり、彼女は慈愛に満ちた表情で下腹部を撫でている。
生まれてくる子供の為にも婚約解消をとオフェーリアは言われるが、納得がいかない。
けれどもそれどころではないだろう、こうなってしまった以上は、婚約解消はやむなしだ。
それ以上に重要なことは、ジラルドの実家であるレピード公爵家とオフェーリアの実家はたくさんの共同事業を行っていて、今それがおじゃんになれば、オフェーリアには補えないほどの損失を生むことになる。
その点についてすぐに確認すると、そういう所がジラルドに見離される原因になったのだとベアトリーチェは怒鳴りだしてオフェーリアに掴みかかってきた。
その尋常では無い様子に泣き寝入りすることになったオフェーリアだったが、父と母が設定したお見合いで彼女の騎士をしていたヴァレントと出会い、とある復讐の方法を思いついたのだった。
私の意地悪な旦那様
柴咲もも
恋愛
わたくし、ヴィルジニア・ヴァレンティーノはこの冬結婚したばかり。旦那様はとても紳士で、初夜には優しく愛してくれました。けれど、プロポーズのときのあの言葉がどうにも気になって仕方がないのです。
――《嗜虐趣味》って、なんですの?
※お嬢様な新妻が性的嗜好に問題ありのイケメン夫に新年早々色々されちゃうお話
※ムーンライトノベルズからの転載です
代理で子を産む彼女の願いごと
しゃーりん
恋愛
クロードの婚約者は公爵令嬢セラフィーネである。
この結婚は王命のようなものであったが、なかなかセラフィーネと会う機会がないまま結婚した。
初夜、彼女のことを知りたいと会話を試みるが欲望に負けてしまう。
翌朝知った事実は取り返しがつかず、クロードの頭を悩ませるがもう遅い。
クロードが抱いたのは妻のセラフィーネではなくフィリーナという女性だった。
フィリーナは自分の願いごとを叶えるために代理で子を産むことになったそうだ。
願いごとが叶う時期を待つフィリーナとその願いごとが知りたいクロードのお話です。
月夜に散る白百合は、君を想う
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。
彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。
しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。
一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。
家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。
しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。
偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。
【完結】夢見たものは…
伽羅
恋愛
公爵令嬢であるリリアーナは王太子アロイスが好きだったが、彼は恋愛関係にあった伯爵令嬢ルイーズを選んだ。
アロイスを諦めきれないまま、家の為に何処かに嫁がされるのを覚悟していたが、何故か父親はそれをしなかった。
そんな父親を訝しく思っていたが、アロイスの結婚から三年後、父親がある行動に出た。
「みそっかす銀狐(シルバーフォックス)、家族を探す旅に出る」で出てきたガヴェニャック王国の国王の側妃リリアーナの話を掘り下げてみました。
ハッピーエンドではありません。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
【完結】愛する人はあの人の代わりに私を抱く
紬あおい
恋愛
年上の優しい婚約者は、叶わなかった過去の恋人の代わりに私を抱く。気付かない振りが我慢の限界を超えた時、私は………そして、愛する婚約者や家族達は………悔いのない人生を送れましたか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる