冷徹王太子の愛妾

月密

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七十話

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 モーリスが部屋を訪ねて来たのは二日程前の事だ。

『遅くなり申し訳ございません。ようやくブルマリアス国王をお迎えする手筈が整いましたので、ご報告に上がりました』

 彼はベルティーユ達がリヴィエへと来る前からずっと準備をしてくれていた。ただディートリヒの側近は彼だけではなく、今リヴィエの政権は割れている。それ故、情報共有などが難しいく手間取っていたと聞かされた。
 それにロランが偽者だという事はベルティーユ達が入国した時点で分かっていたそうだ。それを踏まえた上でレアンドルを迎えに行くと話した。

『ベルティーユ様のご同行者様の処刑が決まりました。もう余り時間はございません』
 
 彼と話し合い、モーリスがレアンドルを迎えに行っている間にベルティーユはロラン達の救出へと向かう事になった。それが今日の夜中だった。



 謁見の間に入ったベルティーユは呆然と立ち尽くした。
 入る前から声は洩れ聞こえてはいたが、扉を隔てていたので鮮明ではなかった。だから尚の事タイミングが悪かった。もう少し遅れて開ける事が出来れば良かったのに……そんな下らない事を考えてしまう。正直もうこれ以上聞きたくなかった。
 十日程前に兄と話した時にも「裏切り者」と称され辛かったが、そんなものは非ではない。
 あの時はディートリヒも興奮気味だったし、自分も感傷的になっていて悪く捉え過ぎかも知れないと思った……いや思いたかった。そうじゃないと遣る瀬無くてどうしようもなかった。

『ベルティーユが死ねば良かったんだ‼︎‼︎』

 だがやはりこの言葉が兄の本心だ。悲しいが受け入れる他はない。
 ただそれでも思わずにはいられない……そこまで言われなくてはならないくらい私は悪い事をしたのだろうかーー。


 ベルティーユ達が中へと入った瞬間、ディートリヒがレアンドルへと剣を突き付けるのが見えた。そして彼もまた剣を抜く。

「手出しは許さない。これは国の威信をかけたリヴィエ王とブルマリアス王の決闘だ」

 足を踏み出すリヴィエ側の兵士等をディートリヒが一喝した。

「そうだろう? ブルマリアス王」
「……どうやら話し合いは無理な様だな」
「愚問だ。そもそも始めからリヴィエとブルマリアスの和平を望む事自体が間違いだったんだ」
「致し方がない」

 諦めた様にレアンドルが静かに話す声が合図とばかりに、二人は同時に床を蹴り上げた。

 薄暗く静寂の中、打ち合いが始まった。
 剣が擦れ打ち合う音が響き渡り誰もが固唾を飲む。
 ディートリヒが手出しをするなと言っていたが、どの道誰も手出しなど出来る筈がない。
 何しろ二つの国の王が剣を交わらせているのだからその迫力は凄まじい。
 一介の兵士などその気迫に圧倒され微動だに出来ないだろう。

「兄上……どうしてですか……」
「マリユス……」

 ディートリヒの言動に弟は呆然と立ち尽くしている。
 不安気な弟の姿に胸が痛んだ。

 どうにかしなくてはならない。このままではいけない。
 互いに相手を殺したくて仕方がないと言わんばかりに、レアンドルからもディートリヒからも恐ろしい程に殺気がひしひしと伝わってくる。

(こんな戦い、虚しいだけ……)

 その時だった。ディートリヒの剣先がレアンドルの腕を掠めた。僅かにレアンドルは蹌踉めく。

「っ……」

(レアンドル様っ……)

 叫びたくなる衝動を抑え込み、ベルティーユは祈る様にして見守る。
 レアンドルは殺気立ってはいるが、ディートリヒを殺すつもりはない筈だ。ディートリヒを殺せば収拾がつかなくなる事を分かっているからだ。だが兄は違う。レアンドルを本気で殺す気で挑んでいる。当然だ、そもそも処刑するつもりだったのだから。だからこそレアンドルの方が不利だ。

(どうすれば良いの? 分からない……もし、お母様が生きていたら……)

 胸元に仕舞い入れているブローチに上から触れた。
 母のルイーズは賢く優しく気高く、どんな時も笑顔を絶やさず、母として妻として王妃として尊敬出来る人だった。
 ルイーズの周りには何時も沢山の人が集まり慕われていた。
 きっとそんな母ならディートリヒを止める事が出来た筈だ。ベルティーユの言葉が届かなくても、母の言葉ならきっとーー。

(どうして私はこんなにも無力なの……)

 勝敗がつかないまま打ち合いは続いた。そんな中、少し離れた場所にいるルネがボソリと呟く声が聞こえた。

「レアンドルの動きがおかしい……」
「ルネ様、どういう意味ですか」

 堪らずベルティーユは反応をしてしまう。

「もしかしたら先程負った傷が原因かも知れません……」

 確かに少し前に剣先はレアンドルの腕を掠めたが、深傷には見えなかった。

「恐らく、毒です」
「⁉︎」

 その言葉にベルティーユは弾かれた様にマリユスを見た。

「刃の側面に毒が塗ってあるんだと思います。兄上は、昔はそんな卑劣な事は出来ないと言っていました。でも、おかしくなってからは『確実に敵の息の根を止める事が出来る』そう言って笑っていました」
「っ……」

 何時かレアンドルが毒に倒れ生死の境目を彷徨った時を思い出す。
 その瞬間、全身から血の気が引くのを感じた。

(止めなくちゃ)

「だ、誰か、二人を止めて下さい……モーリス! お願い、お兄様を止めて‼︎」

 縋る様に目を向けるが、彼は無言のまま首を横に振る。同じ様にルネや護衛達にも声を掛けるが誰一人動こうとしない。

「どうして……」

 冷静になって考えればリヴィエ側の人間も誰も手出しをしようとしていない。皆傍観しているだけだ。
 幾ら主人からの命令だとしても、こんな事はおかしい。

「一国の二人の王が命を懸けているんだ。神聖な戦いに水を差す様な事はしちゃダメなんだ」

 ロランから静かに嗜める様に言われるが、ベルティーユは納得が出来なかった。
 この空間で自分だけが異質な存在に思えてくる。

(私が、おかしいの……?)

 ベルティーユには国の威信とか決闘なんてそんなものが本当に必要なのか分からない。
 確かに王族や貴族が拘る矜持とか体裁とか、国や民族としての誇りとか誰もが当然の様に重んじている。
 だが今ベルティーユが思う事はただ一つだけだ。下らないーー。

 そんなものの為に、これまで数え切れない命が喪われきた……。

 母……ブランシュ……クロヴィス……シーラ……リヴィエの兵……ブルマリアスの兵……他国の兵……リヴィエの民……ブルマリアスの民……他国の民……ーー。

 奪い奪われ、憎しみの連鎖は続き争いは終わる事はない。
 だからこそ、その負の連鎖を終わらせる為に此処まで来たのに結局殺し合う事しか出来ないなんてそんなの悲し過ぎる。

(私達には言葉があるのに、きっと話せば分かり合える筈なのに……。リヴィエの民もブルマリアスの民も同じ人間で、傷を負えば血が流れ大切な人を喪えば涙を流す)

『ベルティーユ』

 母が亡くなったばかりの頃、ベルティーユは寂しさの余り母の名が刻まれた墓石の前で泣き続けていた。
 すると不意に頭を優しく撫でられた。

『戦いからは何も生まれない』

 ゆっくりと顔を上げれば、そこには真っ直ぐ前を見据える兄がいた。

『私は争いをする必要のない世を創りたい。誰も嘆く事も苦しむ事もなく、奪う事も奪われる事もさせたくない。リヴィエもブルマリアスも国なんて関係なく、皆が安心して暮らせる平和な世に私が必ずしてみせる。約束だ』

『……』

『だからもう泣かないで、ベルティーユ。きっと何時か君がまた心から笑える日が来るから、私を信じてーー』

 その時の兄は、まるで御伽話に出てくる勇士に見えた。純粋に格好いいと思った。誇らしかった。そんな兄を尊敬し、ずっと信じてきた。

(どうしてこんな時に……もう意味なんてーー)

 ふと昔の記憶が蘇った。
 
(もうあの頃のお兄様はいない……。でも、あの頃の想いは私の中にはまだ残っている。死んだりしていない)
 
 徐々に動きが鈍くなるレアンドルは、ディートリヒからの剣を受けるだけで精一杯だ。
 洋燈の薄明かりで鮮明ではないが、彼の表情が苦痛に歪んで見える。
 剣で斬られるか毒で倒れるかもはやどちらかも分からない。毒が彼の身体を蝕み体力を奪い、戦いが長引けば長引く程レアンドルは不利になるだろう。

「っ‼︎」
「どうした? 冷酷非道と恐れられ剣豪と名高いブルマリアスの王も大した事はなかった様だ」
「まだだ……まだ、これからだっ‼︎‼︎」

 渾身の力を振り絞りレアンドルは剣を振り上げたが、その剣は最も簡単にディートリヒに弾き飛ばされた。
 丸腰になったレアンドルに今度はディートリヒが真っ直ぐ剣を向けると、そのまま突いた。

 不思議だ、時間がゆっくりと流れて見えた。
 隣にいたロランやルネ達は口では格好付けていた癖に、一斉に前へと足を踏み出していた。
 だが残念。それよりも数歩も早く踏み出していた自分が先だ。得意気にそんな事を考えている自分に笑ってしまった。

「ベルティーユっー‼︎‼︎‼︎」

 痛みって後からくるのね……自らの胸元に刺さる剣を見てそんな風に思った。

 

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