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第二章

不安いっぱいの幕開け

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 取り乱している私にセイさんは憐れむよな眼差しを向けた。

「大聖女候補は志願したからってなれるものではありません」

 微妙に会話がかみ合っていない。

「じ、じゃあ、どうして…っ」

「託宣の下されし『ミルズ神に愛されし乙女』のあなただからこそなれるのです」

「!?」

 託宣!
 そういえば、お父様からそんな話を聞いていたような……!
 もしかして、このVIP待遇といい、大聖女候補といい、神殿での私の立場がエライ事になっている……?!

 想像を遥かに越えた現実と激しいプレッシャーに一瞬、気が遠くなりかけてよろめいた私を、セイさんの腕が素早く支えてくれる。

「大丈夫ですか?」

 まったく、大丈夫じゃない……。

 セイさんはとりあえず私を手近な椅子に座らせ、女官を呼んで飲み物を持ってくるように指示した。
 すすめられるままに煽ってみると葡萄酒で、お酒が飲めない私は盛大にむせてしまう。

 そんな私の背中をさすりつつ、セイさんは人形じみた美しい顔に慈愛の表情を浮かべ、いたわりの言葉をかけてくれる。

「疲れているのですね。今日はもう休んだ方がいいでしょう。
 身の回りの世話はお付きの女官達がしますが、それ以外で何かあればいつでも私を呼んで下さい」

 セイさんが言うようにたしかに今日の私はもう限界だった。
 昨夜、エルファンス兄様との別れを惜しむためにほぼ不眠なのと、アルコールが回ってきたのか、脳みそがこれ以上の思考を拒否している。

 形だけはうやうやしい礼をしてセイさんが去っていくと、すでに気力が残されていない私は女官達に寝巻きを着せて貰い、ベッドへと倒れ込んだ。

 眠りに落ちながら、7年後、無事にここから出て行けるのだろうかという不安が頭をもたげ、底無し沼にはまっていくような感覚をおぼえた……。



 翌朝、瞼にまぶしい光を感じて目を覚ました。
 開いた窓から差し込む朝の光に照された室内を見て、ここがもう公爵家の屋敷ではないことを思い出す。

 食事は呼ばなくても運ばれてきた。
 規則正しい生活を送らなくてはいけない神殿では時間割が決まっているのだろう。

 朝食後は清掃の時間のようで、私が部屋にいるにもかかわらず、ホウキやハタキやぞうきんを持った女官達が忙しく立ち働き始める。

 一晩寝ても昨日のショックが抜けない私は、窓辺の椅子に座ってぼーっとその様子を眺める。

「フィーネ様、清掃が終わりました」

 と、意識がすっかり飛んでいたらしく、声をかけられてハッとする。
 同時に、目の前にいる女官の瞳が何かを追うように動き、ホウキを構える動作をするのが視界に映った。

 つられて見てみると、今まさに窓から侵入してきたらしい毛虫が床を這っている。

 私は立ち上がり、咄嗟にホウキの前に手を差し出す。

  バシッ!

  直後、小気味良い音が響き――

「あっ、なんて事を!   申しわけありません!   フィーネ様」

 毛虫の代わりに私の手を思い切り叩いてしまった女官が蒼い顔で謝ってきた。
 私は手をさすりながら痛さを誤魔化すように作り笑いする。

「だ、大丈夫です……この毛虫は私が逃がしておきますから、あなた達はもう下がってください」

  指示に従って女官達が部屋から下がるのを待ったあと、書き物机の上からメモ用紙を一枚取って床にかがみこむ。

 醜く嫌われ者の毛虫はまるで前世の自分の姿を思い起こさせた。
 幼い頃から不細工だった私は、蛾が蝶になる話に希望を抱いたものだった。

 紙で毛虫をすくい取った私は、感傷的な気分で語りかける。

「知ってる? 毛虫が美しい蝶になる話があるけど、大抵の毛虫は蛾になってしまんだって。
 だからあなたも蛾になるかもしれないね……。
 でも、蛾だってよく見ると綺麗な羽をしているのを知ってるよ。
 何にしてもいつかあの広い空を飛べるなんてうらやましいな」

 窓近くにある木の枝に紙を寄せてやり、無事に毛虫が乗り移るのを確認する。

 そしてくるりと振り返ると、いつの間にか室内に新しい人影があった。

 肩口で切りそろえた白髪の髪と灰色の瞳――白皙の人形じみた美しい顔――私の専属指導係のセイさんだ。

「少しよろしいですか?」

 目が合うと、セイさんはにっこり笑って話しかけてきた。

「あ、はい!大丈夫です…」続けて私は恐る恐る訊いてみる。

「え……と、ちなみにいつから、そこにいましたか?」

 セイさんはお得意の慈愛に満ちた笑顔を浮かべて答える。

「少し前からです……」

 うわっ!

 私は恥ずかしさに叫び出しそうになる。

 虫と会話しているのを聞かれてしまった!
 相当変な女だと思われたよね?




 かなり不安いっぱいの神殿生活の幕開けだった……。


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