ひまわりの涙

ゆうぜん

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ワスレナグサ

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10月の初め。文化祭まであと一ヶ月を過ぎ部室の空気はピリピリとしていた。変更となったラストシーンも形になり、セット作りや台本の確認など慌ただしい毎日が続いた。
景色が目まぐるしく変わる。忙しいのが楽しくて、俺は思わず笑ってしまう。
「なにニヤついてんだ、ほらこれ持ってくぞ」
重い段ボール箱を両手で抱え、俺の方を見る預本。
「悪い、ちょっと楽しくて」
「楽しい?」
俺も箱を持ち立ち上がる。
「俺、行事の時はみんなの手伝いばっかで自分で進んで何かやったことってないんだ」
「意外だな。璃人は率先してやりそうなのに」
「まさか。俺はその勇気がなかったし、みんなが楽しくやるのを見るのが楽しかったから。だけど、今年は演劇部の為に動いてる。いつもと違う忙しさがこんなにも楽しいんだって思ったんだ」
預本は足でドアを開け、俺が出るのを待ってからドアを閉めた。預本は振り返り箱を抱え直した。
「ほんっと璃人は純粋というか誠実というか。まぁ、今が楽しいっていうのは分からなくもないが……」
「去年の演劇部はどうだったんだ?」
前から走ってくる生徒や声を出して指示をする先生の横を歩きながら話す。
「んー、忙しかったが今年はそうでもないな。俺は去年お前と同じ役だったからな。あの時はほんと死ぬかと思った」
「授業以外で椅子に座ってるの見たことなかったもんなぁ。俺のとこに来たかと思えば購買でパン買ってこいだの宿題代わりにやれだの俺の方も違う意味で忙しかったよ」
「悪い悪い。ま。今年はお前がそれを味わう番だからな。そん時は俺も手伝ってやるよ」
「言ったな?遠慮なく頼るぞ」
「頼れ頼れ!今の俺はあの時とは違うからな!どんなことでもやるぜ!」
「主役じゃなくても預本は今回カギとなる役だぞ、大丈夫か?」
会議室のドアの前に箱を置き、肩を回す。
「あったりまえよ!今年は去年とは違うからな」
そう言い俺の肩に手を回す。
「お前とステージに立てるからな。俄然やる気が出てるんだよ」
ニッと笑いながら背中を叩かれた。力が強く前によろける。
「いてぇ!?お前加減ぐらいしろよ!」
「はっはっはっ!今の俺は力が有り余ってるからな!前の劇も出れなかった俺が出来るのはこれくらいだからな」
そう言い会議室のドアを開ける。預本はその場で止まった。その衝撃で俺は預本の背中に激突する。
「急に止まるなよ!」
「いや、悪い。部長が前にいたから」
鼻を押さえながら前を見る。すると大佳先輩がこちらを見て少し笑った。
「そんなに力が有り余ってるなら美術部から追加の筆を借りてきてちょうだい。あと河野内先生にステージの利用許可をもらってきて」
「今帰ってきたばかりなのに!?」
「はいはい文句言わない。風邪で劇に出られない間あなた何もしなかったじゃない。ここで役に立たないでどうするの。ほら、行った行った」
「え、ちょ…!」
大佳先輩は預本を会議室から出し、勢いよくドアを閉めた。
「はぁ、行こうぜ璃人」
すると直後再びドアが開けられ、
「あ。古海君はこっちに来て。瀬川が呼んでたから」
「はい。じゃ、預本頑張れよ」
「そんなぁ!」
笑顔で会議室に入りドアを閉める。預本が前にいて中をよく見れなかったが、辺りを見る限りどうやらセット作りは順調の様だ。部屋の隅、一人で台本を読む瀬川先輩を見つけ、俺は邪魔にならない様、端を歩きながら行く。
「瀬川先輩、戻りました」
俺に気付き台本を閉じる。
「おう。お疲れ様。悪いな突然呼び出して」
「いえ。俺もちょうど台本の確認をしたかったので」
「台本…というか古海とポルカの話がしたくてな」
「ポルカの?」
「まぁ立ち話もなんだから座れよ」
瀬川先輩の前にあった椅子に座り、お互い顔を見る。
「俺は台本を読んで思ったんだ。ポルカはお前とよく似てるって」
「似てる……」
「ポルカは人を笑顔にするためならなんでもやる。そしてその結果たとえ自分の笑顔を失っても、人のために行動できるやつだ。そして古海も部活に入ったばかりなのに俺たちの為に色々動いてくれた。そして自分のやりたいことを見つけた。人のために動くのはなかなか出来ることじゃない。本当にすごいと思う」
言われてなんだか照れくさくなる。俺は少し笑った。
「塔坂から聞いたか?ポルカはお前をイメージして作られたって」
「はい。その為に色々聞かれました」
瀬川先輩は苦笑した。
「ポルカがお前に似てるのは当たり前だ。作者がそうなるように仕組んだんだから。でもお前とポルカには決定的な違いがある」
「違い?」
瀬川先輩は真剣な顔をして、
だ」
簡単な単語なのに、それだけでハッとさせられた。ポルカは人々を笑顔にするため決して泣かない。だが笑顔を失い、ルミアとケインに見せた涙は苦しみで溢れていた。今まで笑顔を絶やさなかったポルカが初めて他人に見せた涙。人を笑顔にしたい思いと、その裏にあった苦しみが彼に涙を流させた。
「あいつも上手いことやるよな。クラウンのメイクは涙を描かない。サーカスで人を笑わせるポルカはそれを分かっててステージ場や楽屋、どこでも弱音や涙を見せなかった。だが笑顔を失った瞬間、その裏にあった涙が溢れでる。クラウンのメイクが涙でぐちゃぐちゃになる。その時初めてポルカはからになった。苦しみがポルカからステージに立つことを奪った。悲しみを知るとしてポルカは二人の前に立った」
俺は俯いた。そのことを思うと涙が出てしまいそうで、必死に堪えた。
「だがお前はポルカと違って他人ひとの為に泣けるやつだ。人の弱さや苦しみを分かっていてそれを吐き出せる友人がお前にはいる。だからお前の涙はなんだ。ポルカの涙を理解できるのはお前だけだ。台本が変わってもその涙だけは変わらなかった。お前がポルカの涙をどう表現するのか楽しみなんだ。本番まで時間がある。ポルカの涙をお前が救ってやってくれ」
そう言い立ち上がる。
「頼んだぞ…」
小さな声でそう聞こえた。
「はい」
先輩は驚いたような顔で俺を見た。まさか聞かれていると思っていなかったのか、慌てて口を隠す。
「俺、ポルカのことをもっと知りたい。だから塔坂のところへ行ってきます」
口を隠したまま瀬川先輩は目だけをこちらに向けた。
「やれることはこっちでやっとくから存分に聞いてこい」
「はい!」
俺は椅子から立ち上がり邪魔にならないよう端を歩く。
ドアを開け部屋を出る。塔坂は確か図書室に用があると言っていた。俺は廊下を走り、階段のすぐ隣にある図書室の扉を開ける。
「まだいるかな…」
辺りを見回し本棚の隙間を歩く。ふと、足に何かぶつかった。下を向くと、積み重なった本が床に置いてあり、ぶつかった拍子で崩れてしまった。
「やば……!」
大きな音と共に崩れた本を慌てて拾い、持ち上げる。
「誰……?」
音に気づいたのか本棚の横から顔が出る。
「璃人……」
俺は両手に持つ本を机の上に置き、塔坂を見る。
「本を床に置くな。危ないだろ」
「ごめん……集中してて…」
目線が机の上にいく。大量の本と教科書が広げてありノートにはびっしりと文字が書かれていた。
「これ……課題か?」
「来週テストがあるでしょ。それに向けてやってるんだけど」
見るからに追いついてないのが分かる。塔坂は学校を休みがちだった。その為授業内容に遅れが出ていた。ノートを取りペラペラとめくる。夏休み前にやった所をまだやってるのか……これは時間がかかりそうだ。
「あ、あの、璃人」
塔坂が後ろから小さく声をかけてきた。俺は振り返りノートを閉じる。
「僕一人じゃ限界がある。だから…教えて欲しいんだ!」
俺は少し考え、口を開く。
「そういうことなら預本も呼んでいいか?あいつああ見えて結構教えるの上手いんだ。きっと役に立つぜ」
「いいの?」
「あいつ今やる気に満ち溢れてるから構わないさ」
俺は図書室の扉を開ける。
「呼んでくるからちょっと待ってろ!」
「うん、よろしくね!」
預本は今頃美術室で筆を借りに行ってるはずだ。俺は階段を降り二階の廊下を走る。渡り廊下を過ぎ、真横が美術室だ。
ドアを開けようとした途端、すごい衝撃でドアが開けられる。
「おわっ!びっくりした…」
画材を下げ両手いっぱいに絵の具の入った缶を持つその人は俺に驚き一歩後ずさる。
「すいません!いきなり……あの、さっき演劇部の人が筆を借りに来ませんでしたか?」
「あぁ、それなら3分くらい前に出て行ったよ。なにやら急いでたみたいだけど」
「そうでしたか!すいません、ありがとうございます!」
俺はその場を走り去る。
「あ、さっきの子に会うなら伝えといて!"青より黄色の方が目立つ"って!」
「分かりました!」
一体なんの話をしたのだろうか。いや、それより預本を探すのが先だ。3分前に出て行ったってことは今は河野内先生のところか?
ここから職員室は近い。俺はそのままの足取りで階段を降りる。校長室を過ぎ職員室が見える。俺はドアの前で息を整え、ノックする。
「失礼します。河野内先生に用があって来ました。河野内先生はいらっしゃいますか?」
するとすぐ近くにいた先生が、
「河野内先生ならさっき他の生徒と職員室を出て行ったよ」
「どこに行ったか分かりますか?」
「確か…体育館って言ってたかな」
「ありがとうございます!」
俺はお辞儀をし、ドアを閉める。
なんだか行ったり来たりしてるな。さすがに走るのはやめよう。俺はスタスタと体育館に続く道を歩く。今は放課後で、ステージは先生に利用許可をもらえば使えるようになっている。この一ヶ月、体育館を使う運動部は休みとなり文化祭の手伝いに力を貸している。よって演劇部も体育館を使えるのだが、今は他が使っているのか?
河野内先生は普段部活を生徒に任せており、滅多に顔を出さない。こうした利用許可や部費についてなどは相談すれば快く受け入れてくれ、部員からも信頼されている。その先生が体育館に行くなんて珍しいこともあるんだな。と思い、体育館の扉を開ける。
「なんでだよ!?」
いきなり聞こえたその声は、預本のものだった。何事かと辺りを見回すと4人の生徒と預本がなにやら揉めていた。俺はすぐさまそこへ行き、状況を確認する。
「預本、何がどうしたんだ!」
「璃人!なんでここに!?」
「後で説明するよ。それよりこれは」
「なんだ、演劇部のやつか?」
4人いる内の一人が話しかけてきた。
「あぁ、そうだ。一体何があって揉めてるんだ」
見たところ全員2年生のようだ。俺たちと同じ学年か。それにしてもこの人達どこかで…
「俺たちは生徒会だ。会長が今年の体育館の利用の制限を出したんだ」
「制限?」
威嚇するように俺の前に一歩出た。
「去年、文化祭のステージで起こったこと覚えているよな?」
そこでハッとした。
去年の文化祭、ステージで発表をしていた5人のうち一人が舞台から転落する事故があった。大事には至らなかったものの、それにより三ヶ月はステージの利用が出来なかった。
「今年は去年の事故を踏まえてステージ上前から1メートルあけることが決まった。それともうひとつ」
預本は顔を上げた。
「大掛かりなセットや装飾は避けること」
「毎回驚くほどのセットを作る演劇部だが、それは今年は控えてもらいたい。去年のようなことにならないようにな」
「俺たちだけに忠告されてるみたいだな」
「でも、理由は分かった。てか、なんであんなにでかい声出したんだ預本。もっとひどいことかと思ったじゃんか」
「悪い、つい驚いちまって」
「この話は演劇部に帰ってからみんなに言わないと」
「だな」
「二人とも。ステージの利用許可はおりたから。本番3日前の2日間だけだけど」
「ありがとうございます!」
それを聞くのにこんなに時間がかかるなんて。俺は塔坂のことを思い出し、預本の腕を掴み体育館から引きづり出した。
「いてて、なんだよ」
「塔坂の勉強の手伝いをして欲しくて」
「は?なんで俺が」
「お前教えるの上手いじゃん」
「いや……だからって今じゃなくてもいいだろ」
俺は腕を離し、
「あいつは今やろうとしてるんだ。テストが近くて授業に追いついてないのを一人でなんとかしようとしてた。友達として手伝ってやりたいんだ。だから預本も協力してほしい」
預本は頭をかき、めんどくさそうな顔をしながら、
「まぁ、教えるのも勉強になるしな」
「そうこなくっちゃ!あ、そうだ」
俺たちは体育館から帰る途中、自販機に寄った。
「預本、奢るぜ何がいい?」
「お、じゃあお茶で」
「じゃあの意味がわからない。なんでいつでも飲めるやつなの。そこはほら、このだれも飲まなそうなしそジュースとか」
「どうしてそこで変なやつチョイスするんだよ」
「普段飲まないやつって逆に興味をそそられない?自分で買うのは嫌だけど買ってこられたらしょうがなく、みたいな」
「それはお前が俺に求めてるだけだろ。ほら、さっさと買って行くぞ」
「はいー」
俺は言われた通りにお茶を押す。そこでふと試したくなった。塔坂はこれを果たして飲むのか。俺は預本が携帯を見ている隙にしそジュースと自分の分を買った。
「ほい、お茶」
「さんきゅ」
携帯をしまいお茶を受け取る。
俺が手に持っていた物を見て預本は嫌そうな顔をする。
「まさかお前……」
「うん、あげたらどんな反応するかと思って」
「うわぁ、怒られてもしらねぇぞ」
「その時はその時だ」
二人で話をしながら階段を登る。
ジュースじゃなくて待たせすぎて怒られそうだな。俺はなるべく早足で図書室に向かった。
「いやー、待たせて悪かったな!こいつがあまりにも捕まらなくてな!」
そう言いながら中に入る。だが塔坂から声は帰ってこなかった。
「塔坂?」
俺は嫌な予感がした。前もこんなことがあったから。俺は塔坂が座っていた場所を見る。本が積み重なって分かりづらいが、どうやら寝ているだけだった。俺はほっと息を吐いた。
「心配かけやがって」
俺はそばにしそジュースを置き、何か書きかけているノートを見る。
そこには、小さく、"ワスレナグサ 花言葉 私を忘れないで"と書いてあった。
ワスレナグサ……名前だけでも切なく小さな願いを感じる。どうしてそれをノートに書いていたのか気になった。
途端、塔坂の頭が動いた。俺は目を逸らし持っていたジュースを飲む。
「あれ、いつの間に帰ってきたの?」
半分しか開いていないまぶたをこすりながら俺を見る。
「ついさっきだよ。ほら、預本連れてきたからやるぞ」
「そうだった、ありがとう璃人」
伸びをし椅子から立ち上がる。塔坂が預本の前まで行くと、深く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
その行動に驚いた預本はしゃんと姿勢を正し、
「こちらこそよろしくお願いします」
お互い頭を下げた。
そういえば塔坂と預本が話しているのを見るのは初めてだ。俺はその光景をまじまじと見つめた。
「今どこやってんだ?」
預本は側にあった数学の教科書を見る。
「うわ、ここか……」
「ごめんね、間に合うかな」
椅子に座る塔坂の横に椅子を持って行き預本は座る。俺は本の山を片しながら二人の会話を聞いていた。
「何言ってんだ俺が教えるんだからお前は心配しなくていい」
「預本くんやっぱり気合い入ってるね」
「当たり前だ。努力してるやつの前で俺が弱気になってどうする」
「……本当にありがとう」
「はっ、礼は次のテストで良い点取ってからにしろ」
「うん」
教科書が置かれ、ノートをめくる音がする。俺は本の山の中から花の本を見つけた。本棚に背を向けその場に座る。
母さんがいつだったか言っていた。人には誕生花というものがあるらしいと。俺はそれを思い出しページをめくる。俺の誕生日は1月23日だから……あった!
「スノーフレーク……花言葉は、純粋、純潔、汚れなき心、皆をひきつける魅力……こんな言葉似合わないな」
言葉にして本を閉じる。棚に戻し残りの本を持つ。預本の声とペンを走らせる音が聞こえる。俺は本を全部戻し終え二人のところへ行く。
「俺、ステージの利用許可が出たって言ってくるよ。あと制限のことも」
「分かった。こっちは俺に任せて話してきてくれ」
「頼んだ!」
璃人は預本くんの肩を叩いた。
ドアが閉まる音がし、僕はノートに視線を移す。
「ほんと仲が良いよね、君達」
「俺も高校からの付き合いだとは思えないぜ」
「二人ともお互いを信頼してる。すごく見ていて楽しいよ」
「まぁ、多少のいざこざはあるがな」
それも二人なら乗り越えられるって思ってしまう。それくらい、羨ましい関係だ。
僕は少し笑う。それを見た預本くんは横を向いた。
「璃人は預本くんの方が教えるのが上手いって言ってたけど二人とも勉強は得意なの?」
横を向いていた顔が教科書を見る。頬杖をつき、ペラペラとページをめくる。
「得意っていうか、俺の場合はずっとしてきたことだからな。俺の理想が俺が努力しないと届かないものだって知ってるし、その為には勉強だって友達だって才能だって勝ちたいじゃんか」
「預本くんは真っ直ぐに努力出来る人なんだね」
「ま。それが苦になることもあるけどな。勉強は学んだ分だけ自分を強くしてくれる。だからこうやって教えるのも俺の為といえば俺の為だな」
ニッと笑う預本くんの笑顔が眩しくて、僕は思わずノートで顔を隠した。
「良いやつだ。真っ直ぐで、璃人と似てる」
小さく呟いた声は暗い影を落とす。
ノートを置き、ペンを持つ。そこでふと缶が目に入った。
「これは璃人の忘れ物?」
ゲッと預本くんが一瞬嫌な顔をする。
「それは、璃人がお前に買ってきたんだが、嫌なら飲まなくていいぞ。後で投げて返すから」
「いや、いいよ。僕、しそジュース好きだから」
その声に椅子が揺れる音がする。
「初めて見た、それを飲めるやつがいるなんて」
「大げさだなぁ、美味しいよ」
「いや、いいよ……」
手を前に出し、遠慮する。
「預本くん、ひとつだけいい?」
「なんだ?」
僕は顔を見て言う。
「空……って呼んでもいい?」
「好きに呼べ。そんな改まって言わなくてもいいだろ名前なんて」
僕はペンを置く。
「僕にとって名前はすごく大事なんだ。君を信じたい。だから名前を呼ばせて欲しい」
そこまで信用されているなんて思いもしなかった。塔坂の中で一体俺がどんな評価なのか気になったが、すぐに返事をしないと失礼だと思い考えるのをやめた。
「好きに呼べって。それに、名前を呼ばれるのは悪い気はしないからな」
名字よりも親しみがこもってる。名前で呼ぶのは大事なこと。案外間違ってないかもな。
「ほら、さっさと続きやるぞ。じゃないとまじで終わんねぇ」
「…!頑張るね」
俺は教科書を開き直し、塔坂のノートを見る。俺の言葉を漏らすまいと脇にメモがしてあった。途中だった公式を解き始める塔坂の横顔は真剣そのもので、さっきまで笑っていたのが嘘のようだ。
お互い努力する姿はなんだか誰かの背中を追いかけている気がして、教える俺にも熱が入る。こうして追いかけているのをあの背中は感じているのだろうか。気付かせたい。追いつきたい。その思いが今の俺たちを動かす。
静かな図書室でペンを走らせ口を開く二人の心は、深まりゆく秋の気配を炎で溶かすかのようだった。ふと落ちる葉っぱはそれに気付き、池の中へと落ちていく。
遠い空を映す池は、もう直ぐ来る冷たい風を、予感していた。

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