初めての愛をやり直そう

朝陽ゆりね

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再会、失意2

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 拓斗は明晰であるはずの脳が完全に停止し、硬直してしまったことをしばらくしてから悟った。

 茜の言葉を理解するのに時間がかかった。

「離婚……茜、が?」
「そうよ。私、結婚してるのよ。名字は榛原じゃなくて、藤本っていうの」

 そう言えば――拓斗は思った。

 早く茜と話がしたいばかりにまったく意識しなかったので聞き流してしまったが、さっきのウエイトレスがそんなことを言っていたではないか。

 ――藤本さんから聞きました。いってらっしゃい。

 苦いものが込み上げてくる。

「職場で知り合った人なんだけど、たった三年で会話のない夫婦になっちゃった」

 笑いながらの自虐的な言い方が拓斗には決定的のように聞こえた。

 茜の顔には苦笑が浮かんでいる。あきらめている顔だと察せられた。修繕の可能性は低そうだ。

「浮気してるとか?」
「それもあるかもしれない。でも……なんというか、間違えたんだと思う」
「間違えた?」

「そ。決定的な『なにか』があって関係が壊れるとかじゃなくて、毎日の生活の中で少しずつ『なにか違う』って思う、その積み重ね。子どもがいればまた違うのかもしれないけど、いないしね。だけどそう簡単に離婚するってのもどうかと思って、お互いに我慢して暮らしてる、そんな感じ。いくら離婚が珍しくないって言っても、やっぱり会社とかで気づまりじゃない? だから夫も言いだせないのだろうし、私もそう。こんなもんだ、どこもこんな感じだって言い聞かせてやり過ごす。だから気分転換にバイトすることにしたのよ」

「……なるほど」

 茜は、でも、と続けた。

「浮気っぽいことはしてると思う。経理の部署にいるのに接待とか言うのよ? バカでしょ。あるわけないじゃない。でも追及する気はないの。浮気の証拠を掴んで責めるのなら、なにも知らずにさっさと別れたほうがいいと思う。そしたらお互い傷つけずに済むじゃない。問題は私の生活なのよね」

「…………」

「現状維持なら生活には困らない、子どもができたら変わるかもしれない、でも時間は惜しい。永遠のループって感じ。私はやっぱり意気地がないのよ。聞けばいいことを、いつも聞けない」

 いつも、という言葉に力が入ったように思う。上目遣いに見る瞳がなにか言いたげだ。

 拓斗は目を見開いていた。目の前に座る茜が、十年前の茜に重なって見えた。

 希望はあるのにあきらめてしまったまなざしで寂しそうに笑う。

 儚げで頼りなくて、それでいて愛しく感じさせるあの時の茜が目の前にいる。

 いつも、に力がこもったのは、大学進学後の疎遠になりかけている時、どうしてるのかと聞けばよかったという意味?

 茜、そう呼ぼうとして、口を噤んだ。拓斗より早く茜が話し始めたからだ。

「神野さん、覚えてる?」
「え? あぁ、もちろん。まだタレントしてるんじゃなかった?」
「この前、友達からメールが回ってきたのよ。内緒で交際中だった恋人とついに結婚するみたい」
「へぇ。相手は?」
「それがね」

 茜は言葉の途中で区切り、クスクスと笑った。

「マネージャーなんだって。私さ、一回だけ会ったことがあるの。大学時代に。だから七年か八年越しの交際だと思うけど。小柄で小太りで、正直、マジ? って思った。だけどね」
「うん」

 茜の目がキラキラと輝き始めた。

「神野さん、ホントに好きみたいでね、うれしそうにカレの話をするの。あんなに外見とか気にして、周囲から羨ましがられることに命賭けてた人がさ。外見上ではけっして自慢できるカレシじゃないのに、大事にしてる感じで……こんな人だったんだって思ったの。というか、神野さんも普通の女の子じゃないって。そう思ったらうれしくなっちゃった。私さ、ずっと神野さんにコンプレックス抱いていたから」

「……そうだったね」
「タレント続けながら主婦って大変だと思うの。そのメール見て、自分が甘えていたって思ったの。だからバイトと主婦業、頑張ろうと思ってる」

 拓斗は胸に黒い雲が広がっていく様子を自覚した。

 勉強に必死だった。ガムシャラに勉強して、目的のものを手に入れた。

 医学の知識と、弁護士の資格。

 弁護士も就職難と言われているが、あっさり今の職場に入ることができた。大きな失敗もなく、順調に進んでいる。裁判では未だ黒星なしだ。

(だけど、大きなものを失くしていた)

 知らない間に茜は手の届かない世界へ行ってしまっていた。

 どれほど恋し、求めても、けっして手にすることはできない。

 どれほど努力しても。

 急に目の前が真っ暗になった気がした。

「島津君?」

 その証拠がこれだ。島津君――茜が名字で呼んでいる。

 はにかみながら、想いを込めて『拓斗君』と呼んでくれた茜はもういない。

(どこにもいない――)

「どうしたの?」
「なんでもないよ。時間、いいの? 俺はこれを食ってから帰るけど、夕食の支度とかしなきゃいけないんじゃない?」

 途端に茜の顔が曇った。

「……そうだね」

 キュッと唇を噛みしめる。拓斗をチラリと見ると、呼出しベルを押した。

「茜?」

 店員がすぐにやってきた。茜は拓斗の前に置かれているすっかり冷めてしまったパスタを指差した。

「同じものをお願いします」
「かしこまりました」

 店員が去っていくのを見送ってから、拓斗は驚いたように茜の名を呼んだ。

「なに?」
「なにって……食事は家でって言ったじゃないか」
「いいのよ。どうせ残業とかで遅くにしか帰ってこないんだから」
「…………」
「いいのよ、どうせ、どうせ……」

 テーブルにぽたりと一滴、悲しみが落ちた。

「ごめん。でも、今日は島津君と食事して帰るわ」

 彼女が毎日一人で食事をしていることを感じて胸が苦しくなる。

「島津君がずっと一人で食事してるって話を思い出しちゃった。お父さんが出張三昧で、あまり帰ってこないからって、ウチに呼んだもんね」
「今は早期退職して、田舎でのんびりやってるよ」

 茜のパスタが運ばれてきた。二人はそれらを食べながら、高校時代の話を続けた。

 十七歳から十八歳にかけての、青春時代の懐かしい話。二人の関係が一歩進んだ時のことを。

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