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再会、失意1
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上司で所長の和泉に呼ばれ、謝られてから数時間が経っていた。
申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、本当のことを言う必要もなく、言えば知佳を傷つけるだけなのでただ頭を下げるだけだった。
その日はもう仕事をする気になれず、早々とオフィスを後にした。
五時の終業時間。事務の女性達が帰る時間に自分が退社するなんてほとんどないことだ。いつも時間に追われ、必死だから。
向かったのは近くのカフェ。
セルフ系のカフェが人気を博している昨今だが、ウエイトレスが注文を聞き、運んでくれる従来のカフェもじわじわと巻き返しを始めている。ここもその一つだった。
カフェ――その言葉は拓斗の心を揺さぶる。
(あの時も、茜を追いかけてメイドカフェに入ったんだ)
初めて足を踏み入れるカフェ。何度か見かけたが、店内に入る勇気がなかった。緊張する。彼女を見つけてもいつもガラス越しだ。だから茜かどうか確信が持てない。本人だったらなんと言えばいい?
元気だった?
今、どうしてるの?
連絡を入れていた受験期間、無事に合格して入学した大学。その後、完全に連絡しなくなったのは自分のほうだ。
メールの返事をしなきゃ、たまには電話を、会って食事でも……そう思うばかりで、なにもできなかった。
医学生として学びながら、空いた時間で司法試験の勉強をするというのは至難の業だった。
在学中での合格は無理だったが、一年で為し得たことは確かに誇りだ。その代わり、茜とは完全に切れてしまった。
拓斗は六年間も大学生をし、さらに一年受験浪人をしているが、茜は別の大学の文学部に進んだので、四年後には就職しているはずだ。カフェでウエイトレスをしているとは考えにくいのだが。
「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」
何人かの女性の声が響く。近づいてきた店員に顔を向けると、彼女の顔が明らかに、え? という困惑に変わった。
拓斗の中でなにかが大きく膨らんだ。
やっぱり。
その言葉が頭の中をグルグルと回る。
「あ、あの」
「一人です」
「お好きなお席にどうぞ」
「奥の席でもかまいませんか?」
拓斗は一番奥の六人掛けの席を指差した。
「えぇ、けっこうです。どうぞ」
拓斗は足早に奥の席へと向かった。そこで腰を下ろし、アイスコーヒーを注文した。
しばらくしてテーブルにアイスコーヒーが置かれた。その間、拓斗はじっと彼女を見つめていた。
「ありがとう」
しばしの沈黙。その間、拓斗は目を離さなかった。困惑した彼女が、俯き加減のまま視線だけ拓斗に向け、また逸らせた。
「……本当に、アイスコーヒーが好きなのね」
茜がぽつりと呟くように言った。
「元気だった?」
「うん」
「いつまで仕事? 今日は話があって来たんだ。終わるまで待っているから少し時間をもらえない?」
明らかな動揺が茜の瞳に浮かんでいる。それでも微笑むと、「六時までだから」と告げた。
「じゃあ、ここで待つよ」
茜は頷いて身を翻した。
(茜だった。だけど……)
働いている茜を眺める。
(痩せたよな?)
何度も見かけたのに確信を持てなかった理由はこれだったのだと思った。
あの時もけっして太ってはいなかった。むしろ細身に入る体型だったように記憶している。今、店内で動き回っている茜は以前よりも痩せていて、さらにやつれているようにも見える。
メイド衣装で店内を歩き回っていた十年前とはまったく違った。
純粋な少女の笑顔は、疲れを感じさせる大人の微笑みに変わり、胸元から膝まであるロングタイプのふりふりエプロンは腰から下だけの一般的なそれになっていた。拓斗は十年の重みを感じた。
小さく吐息をつくと、鞄から資料を取り出し、視線を落とした。
明後日、抱えている案件の一つが一回目の裁判を迎える。内容の詳細を頭に入れようと集中した。
「島津君、終わったよ。……島津君」
肩を触れられてハッと息をのむ。顔を上げると着替えた茜が立っていた。
「あ、うん」
状況を把握した瞬間、なんとも言えない苦いものが込み上げてきた。
――島津君。
たった一言がズンと重く響く。これも十年の重みか。
拓斗は急いで片づけ、精算書を手に立ち上がった。
「外で待ってて」
「うん」
レジに立ったウエイトレスと目で挨拶を交わして茜は店から出ていった。
拓斗が内ポケットから財布を取り出すと、ウエイトレスが金額を口にした。なにか言いたげなまなざしだ。拓斗はうっすら微笑んだ。
「高校の時のクラスメートなんです。懐かしくて、つい声をかけちゃって」
「藤本さんから聞きました。いってらっしゃい」
ウエイトレスに笑顔で見送られ、拓斗は軽く会釈をして出入り口に向かった。
外で茜が待っている。ドアノブを握り、開けた。
「お腹すいてない?」
「……食事は家に帰ってから取るから」
「そう。でも俺は帰っても一人だからなにか食べてもいいかな」
「いいよ」
「じゃあ……」
周囲を見渡し、ファミレスを見つける。拓斗が小さく指差すと、茜は頷いた。
ファミレス、これも心を揺さぶる。
中へ入ってメニューを注文し、ドリンクバーからコーヒーと紅茶を取って席につくと、拓斗は茜に向き直った。
「職場が近いんだ。見つけた時は驚いた」
「うん。私も驚いた」
「気づいてた?」
茜は少し微笑んでかぶりを振った。
「そっか。じゃ、偶然だね。俺、今、ここで働いてる」
ポケットから名刺を取り出して茜に渡す。茜はプリントされている内容を確認すると、うれしそうに笑った。
「目指した通り弁護士になったんだね。おめでとう」
「ありがとう」
「医療関係をメインにした弁護士さんなの?」
「一応ね。だけど弁護士ってさ、若いと軽く見られるから、駆け出しの新人は贅沢言っていられないんだ。所長は良い人で、医療関係の相談があると俺に回してくれるけど、絶対数少ない」
「どんな関係が多いの? やっぱり、離婚?」
拓斗はそれを聞いて笑った。
「いや、俺のオフィスは会社関係がメイン。企業トラブルってヤツだ。なんでも引き受けるけど、離婚とか親族間のトラブルは少ないな」
「……そう」
茜は力が抜けたように肩を少しばかり揺らせて息を吐きだした。
「どうしたの? 身内にトラブルでもあるの?」
「離婚を考えててね。だから島津君との再会にちょっと期待しちゃった」
「へぇ。誰? 兄弟?」
「……違う」
「まさか、親とか?」
「ウチの両親が仲いいの、知ってるでしょ。相変わらずよ」
「そうだった」
言われて思いだす。拓斗の母がいず、父は出張が多いというので、食事に呼ばれることがあったのだ。その時の茜の両親はとても仲がよかった。。
「だよな。親戚? いとことか」
「私よ」
「え?」
「私だって。離婚したいって考えてるの」
申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、本当のことを言う必要もなく、言えば知佳を傷つけるだけなのでただ頭を下げるだけだった。
その日はもう仕事をする気になれず、早々とオフィスを後にした。
五時の終業時間。事務の女性達が帰る時間に自分が退社するなんてほとんどないことだ。いつも時間に追われ、必死だから。
向かったのは近くのカフェ。
セルフ系のカフェが人気を博している昨今だが、ウエイトレスが注文を聞き、運んでくれる従来のカフェもじわじわと巻き返しを始めている。ここもその一つだった。
カフェ――その言葉は拓斗の心を揺さぶる。
(あの時も、茜を追いかけてメイドカフェに入ったんだ)
初めて足を踏み入れるカフェ。何度か見かけたが、店内に入る勇気がなかった。緊張する。彼女を見つけてもいつもガラス越しだ。だから茜かどうか確信が持てない。本人だったらなんと言えばいい?
元気だった?
今、どうしてるの?
連絡を入れていた受験期間、無事に合格して入学した大学。その後、完全に連絡しなくなったのは自分のほうだ。
メールの返事をしなきゃ、たまには電話を、会って食事でも……そう思うばかりで、なにもできなかった。
医学生として学びながら、空いた時間で司法試験の勉強をするというのは至難の業だった。
在学中での合格は無理だったが、一年で為し得たことは確かに誇りだ。その代わり、茜とは完全に切れてしまった。
拓斗は六年間も大学生をし、さらに一年受験浪人をしているが、茜は別の大学の文学部に進んだので、四年後には就職しているはずだ。カフェでウエイトレスをしているとは考えにくいのだが。
「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」
何人かの女性の声が響く。近づいてきた店員に顔を向けると、彼女の顔が明らかに、え? という困惑に変わった。
拓斗の中でなにかが大きく膨らんだ。
やっぱり。
その言葉が頭の中をグルグルと回る。
「あ、あの」
「一人です」
「お好きなお席にどうぞ」
「奥の席でもかまいませんか?」
拓斗は一番奥の六人掛けの席を指差した。
「えぇ、けっこうです。どうぞ」
拓斗は足早に奥の席へと向かった。そこで腰を下ろし、アイスコーヒーを注文した。
しばらくしてテーブルにアイスコーヒーが置かれた。その間、拓斗はじっと彼女を見つめていた。
「ありがとう」
しばしの沈黙。その間、拓斗は目を離さなかった。困惑した彼女が、俯き加減のまま視線だけ拓斗に向け、また逸らせた。
「……本当に、アイスコーヒーが好きなのね」
茜がぽつりと呟くように言った。
「元気だった?」
「うん」
「いつまで仕事? 今日は話があって来たんだ。終わるまで待っているから少し時間をもらえない?」
明らかな動揺が茜の瞳に浮かんでいる。それでも微笑むと、「六時までだから」と告げた。
「じゃあ、ここで待つよ」
茜は頷いて身を翻した。
(茜だった。だけど……)
働いている茜を眺める。
(痩せたよな?)
何度も見かけたのに確信を持てなかった理由はこれだったのだと思った。
あの時もけっして太ってはいなかった。むしろ細身に入る体型だったように記憶している。今、店内で動き回っている茜は以前よりも痩せていて、さらにやつれているようにも見える。
メイド衣装で店内を歩き回っていた十年前とはまったく違った。
純粋な少女の笑顔は、疲れを感じさせる大人の微笑みに変わり、胸元から膝まであるロングタイプのふりふりエプロンは腰から下だけの一般的なそれになっていた。拓斗は十年の重みを感じた。
小さく吐息をつくと、鞄から資料を取り出し、視線を落とした。
明後日、抱えている案件の一つが一回目の裁判を迎える。内容の詳細を頭に入れようと集中した。
「島津君、終わったよ。……島津君」
肩を触れられてハッと息をのむ。顔を上げると着替えた茜が立っていた。
「あ、うん」
状況を把握した瞬間、なんとも言えない苦いものが込み上げてきた。
――島津君。
たった一言がズンと重く響く。これも十年の重みか。
拓斗は急いで片づけ、精算書を手に立ち上がった。
「外で待ってて」
「うん」
レジに立ったウエイトレスと目で挨拶を交わして茜は店から出ていった。
拓斗が内ポケットから財布を取り出すと、ウエイトレスが金額を口にした。なにか言いたげなまなざしだ。拓斗はうっすら微笑んだ。
「高校の時のクラスメートなんです。懐かしくて、つい声をかけちゃって」
「藤本さんから聞きました。いってらっしゃい」
ウエイトレスに笑顔で見送られ、拓斗は軽く会釈をして出入り口に向かった。
外で茜が待っている。ドアノブを握り、開けた。
「お腹すいてない?」
「……食事は家に帰ってから取るから」
「そう。でも俺は帰っても一人だからなにか食べてもいいかな」
「いいよ」
「じゃあ……」
周囲を見渡し、ファミレスを見つける。拓斗が小さく指差すと、茜は頷いた。
ファミレス、これも心を揺さぶる。
中へ入ってメニューを注文し、ドリンクバーからコーヒーと紅茶を取って席につくと、拓斗は茜に向き直った。
「職場が近いんだ。見つけた時は驚いた」
「うん。私も驚いた」
「気づいてた?」
茜は少し微笑んでかぶりを振った。
「そっか。じゃ、偶然だね。俺、今、ここで働いてる」
ポケットから名刺を取り出して茜に渡す。茜はプリントされている内容を確認すると、うれしそうに笑った。
「目指した通り弁護士になったんだね。おめでとう」
「ありがとう」
「医療関係をメインにした弁護士さんなの?」
「一応ね。だけど弁護士ってさ、若いと軽く見られるから、駆け出しの新人は贅沢言っていられないんだ。所長は良い人で、医療関係の相談があると俺に回してくれるけど、絶対数少ない」
「どんな関係が多いの? やっぱり、離婚?」
拓斗はそれを聞いて笑った。
「いや、俺のオフィスは会社関係がメイン。企業トラブルってヤツだ。なんでも引き受けるけど、離婚とか親族間のトラブルは少ないな」
「……そう」
茜は力が抜けたように肩を少しばかり揺らせて息を吐きだした。
「どうしたの? 身内にトラブルでもあるの?」
「離婚を考えててね。だから島津君との再会にちょっと期待しちゃった」
「へぇ。誰? 兄弟?」
「……違う」
「まさか、親とか?」
「ウチの両親が仲いいの、知ってるでしょ。相変わらずよ」
「そうだった」
言われて思いだす。拓斗の母がいず、父は出張が多いというので、食事に呼ばれることがあったのだ。その時の茜の両親はとても仲がよかった。。
「だよな。親戚? いとことか」
「私よ」
「え?」
「私だって。離婚したいって考えてるの」
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