守れなかった過去が、俺たちを出会わせた〜トラウマで閉じていた距離を、二人で、ほぐしてく〜

kuku

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第1章

第3話 一人ではたどり着けなかった道も

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目を開けた瞬間、最初に感じたのは――温かさだった。

 ……あれ。

 ぼんやりした意識のまま、視界に入るのは、見慣れない天井。
 宿の、部屋。

 それから、じわりと、身体の感覚が戻ってくる。

 背中じゃなくて、頭の下に、柔らかい感触。
 ……え?

 ゆっくりと視線を下げて、息を止めた。
 目の前にあるのは、カイの胸元と、膝。

 俺、今……この人の膝の上で、寝てる……?

 状況が理解できなくて、思考が一瞬、止まる。
 昨日の夜のことも、すぐには思い出せない。

 悪夢とか、呼吸とか、そばにいてほしいって言ったこととか――全部、曖昧で。

 「……え……?」

 小さく声が漏れた、その瞬間。

 「……起きたか」

 低い声がして、視線を上げると、カイが目を開けていた。

 起きたか、って。
 ……起きたか?

 心の中で、同じ言葉を繰り返してしまう。
 まだ状況が飲み込めなくて、変な声が出た。

 「……え、あ……」

 それから、遅れて、ようやく疑問が追いつく。

 「……なんで、ここで……」

 カイは、少しだけ目を伏せてから、短く答えた。

 「体勢が、崩れてな」
 「起こすのも、刺激になると思った」

 ……それだけ?

 じゃあ、このまま……朝まで……?

 「……す、すみません……」

 反射的に出た言葉に、カイは小さく息を吐いた。

 「だから、謝るな」

 そう言って、俺が動こうとするのを見てから、ゆっくりと身体をずらす。

 俺は慌てて起き上がって、ベッドに腰を下ろした。
 その時になって、ようやく、自分の体調を意識する。

 ……あれ。

 身体が、思ったより軽い。

 だるさは残っているけど、頭ははっきりしているし、胸の苦しさもない。
 こんなふうに、自然に眠れたの、いつぶりだろう。

 「体調は」

 カイの声で、はっと我に返る。

 「……まだ少し、だるいですけど……でも……」

 言葉を探して、正直に続ける。

 「……久しぶりに、すっきりしてます」

 カイは短く頷いた。

 「なら、飯だな」
 「食えるか」

 正直、食欲はあまりない。

 でも、冒険者として、食事が大事なのは分かっている。

 「……はい」

 小さく頷くと、カイは扉に向かいながら、ぽつりとだけ言った。

 「下の飯、美味いぞ」

 ……それだけ。

 気を遣う言い方でもなく、励ますでもなく、ただ事実を伝えるみたいに。

 廊下に出て、階段を下りる。
 朝の宿は思ったより人が多くて、ざわざわしていた。

 ……でも、さっきの言葉を思い出して、少しだけ、気が楽になる。
 下の飯、美味いぞ。
 ただそれだけなのに、胸の奥が、ほんの少し温かくなる。

 ――けど。

 ドクン、と心臓が跳ねて、呼吸が、浅くなる。

 ざわついた声が、一斉に耳に流れ込んできて、視界の端が、じわりと滲む。

 ……だめだ、これ。
 足が、止まる。

 「……待ってろ」

 低い声がして、顔を上げると、カイがもう食堂の中に入っていくところだった。

 「え……」

 思わず、間の抜けた声が出る。

 ……今の、俺の様子、見てた……?
 数分もしないうちに、カイは戻ってきた。

 「部屋で待ってろ」

 短く、それだけ。

 さっき、一緒に食べようって言ってくれたのに。
 美味いって、教えてくれたのに。
 食べられなかった悔しさと、申し訳なさと、情けなさと――それから、少しの寂しさ。

 全部が混ざって、胸の奥がきゅっとなる。

 「……はい」

 小さく答えて、俺は階段を上がった。

 部屋に戻って、考えすぎないように、ベッドに腰を下ろした、その時。

 コンコンコン、とノックの音。

 扉を開けると、カイが朝食の盆を持って立っていた。

 「……一緒でいいか」
 「……え……」

 言葉に詰まっていると、カイは淡々と続ける。

 「ゆっくり食った方が、美味いからな」

 ……それだけ。

 理由を並べないところが、余計に、胸にくる。

 「……はい」

 部屋に入って、向かい合って座る。

 静かな部屋で食べる朝食は、カイの言う通り、美味しかった。
 温かいスープが、喉を通るたび、胸の奥が少しずつ落ち着いていく。

 「今日は、どこか行く予定か」
 「……依頼の報告で、ギルドに……」
 「今日は、新しい依頼も受けるつもりか」
 「……一応、そのつもり、です……」

 本当は、不安の方が大きい。
 昨日の夜。
 今朝の人混み。
 一人で大丈夫だって、思ってたけど……。

 俺の様子を見て、カイは少しだけ黙った。
 それから、何でもないことみたいに言う。

 「……せっかくだから、一緒に受けるか」
 「え……」

 思わず顔を上げる。

 「……足、引っ張るかもしれないですし……」

 言ってから、少し間を置いて、続けてしまう。

 「……カイさんは、Aランクですよね……」

 カイは、俺の顔を見てから、短く言った。

 「フィオは、Bだったよな」
 「……はい……だから……」

 それ以上、言葉が続かない。
 カイは、俺の顔をじっと見てから、ふっと視線を外した。

 「……とりあえず、ギルドまで行くんだろ」

 話題を切り替えるみたいな口調。

 「報告もあるんだろ」
 「……はい」
 「なら、ついでだ。一緒に行く」

 それ以上、この話は続けなかった。

 ……さっきの提案、なかったことにしたみたいに。
 でも、それが逆に、ありがたくもあった。
 逃げ道をくれた、みたいで。

 食べ終わって、宿を出る。

 朝の街は活気があって、人の声も多い。
 歩きながら、胸の奥が、少しずつざわついてくる。

 ……大丈夫。

 自分に言い聞かせて足を動かすけど、呼吸が、だんだん浅くなっていく。
 耳の奥が、ざわざわして、周りの音がやけに大きく聞こえる。

 ……まずい。

 悟られないように歩いていたけど、限界が来て、俺はふっと横の路地に逸れた。

 「……っ」

 壁に手をついて、息を整えようとした、その時。

 背中に、温もりが触れる。
 何も言わず、ゆっくりとさする手。
 それだけで、張りつめていた呼吸が、少しずつほどけていく。

 「……行けるか」

 落ち着いてからかけられた声に、小さく頷く。

 ギルドの建物は、近くで見るとやっぱり大きくて、人の出入りも多い。
 中に入った瞬間、胸が、ぎゅっと縮む。

 ……大丈夫、大丈夫。

 何度も心の中で唱えて、受付に向かう。
 手続きが終わって、掲示板の前まで来たところで、俺は足を止めた。

 ……ここまで来るだけで、これなのに。
 依頼なんて、本当に――。

 「……どうする」

 カイの声で、はっと顔を上げる。

 さっきは流したみたいに終わらせたのに、今度は、ちゃんと俺の返事を待っている。

 「……やっぱ、迷惑かけるかもしれない」

 ぽつりと零すと、カイの視線が、まっすぐ俺を捉えた。

 「……フィオ」

 名前を呼ばれて、胸が小さく跳ねる。

 「迷惑かけるとか、足を引っ張るかどうかは、今ここで決める話じゃない」

 それから、少しだけ声を落として続ける。

 「今回で、正式にパーティを組むってわけでもない」
 「だから、気負うな」

 ……そんなふうに言われて、胸の奥が、じんわりと緩む。

 「……嫌なら、断れ」

 昨日の夜と、同じ言葉。
 でも、今度は、逃げ道を用意するみたいな言い方で。

 「それと」

 カイは、もう一つだけ付け足した。

 「一緒に動くなら、敬語はやりづらい」
 「……え」
 「無理にとは言わない」
 「嫌なら、そのままでいい」

 でも、視線は逸らさない。
 逃げ道を残しながら、ちゃんと選ばせてくる。

 「……嫌、じゃないです」

 言った後で、自分でも少し苦笑する。
 まだ、すぐには抜けない。

 「……その、努力します」

 カイは、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 「それでいい」

 そう言って、掲示板に視線を戻す。

 「じゃあ、どれにする」

 俺も、遅れて掲示板を見上げた。

 ……一人じゃない。

 それだけで、さっきより、少しだけ、息がしやすい。
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