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8巻
8-2
周囲に座りやすそうな石を置き、適当な木の枝にホワイトボードを立てかけて、俺達は緊急会議を始めた。
参加メンバーは、俺とセーラー戦士、ハサミ君を含めた七人の小人達。議題は、件の女の子についてである。
俺達は切り株の上に投影された映像を見ながら、話をまとめていった。
俺は手に持った黒マジックの蓋をカチッと閉じて、ホワイトボードをコンコン叩いた。そこには、イラスト付きで図が描かれている。
「おっほん……では改めて、状況を整理しよう。森に迷い込んだお嬢さん。仮に彼女を『白雪姫』とする」
デフォルメされた女の子のイラスト。その下には大きく「白雪姫」と書いてある。イラストは小人達には好評だった。
「また勝手にあだ名をつけて……でも、気に入った。私は支持する」
顎に手を添えて頷き、セーラー戦士が新しいニックネームを評価してくれた。会議に違和感なく溶け込んでいるところを見ると、セーラー戦士もやる気のようだ。
「ありがとう。それでだ。この白雪姫は、とてもかわいい人間の女の子である。ここ重要だな。ある日、そんなかわいい女の子が小人達が暮らすこの森に迷い込み、彼らに保護された。そして病を患い、目が見えなくなっていたため介抱されることになり、今に至ると……」
イラストの下に「かわいい」と新たに書き加えて、赤マジックでハートマーク。
ともかく、おおよその経緯はこんなところらしい。
「でもなんで君達が白雪姫の面倒を?」
聞いてみると、ハサミ君がとろけたような表情で白雪姫について語る。
「あの子は突然この森にやってきたんだ。とっても優しくて、ボクらのことをいつも思いやってくれるんだ。眠る時はお話をしてくれるし、歌もとても上手でさ。彼女が森で歌うと、そこだけ花が咲いたみたいに明るくなって、幸せな気分になるんだよ」
他の六人は、彼らが献身的に彼女の面倒を見る理由を、的確に要約して一斉に声をそろえた。
「ハサミがあの子のことが好きだから」×6
「はぁ!?」
否定するように声を上げるハサミ君。俺とセーラー戦士はニヤリとしてしまう。
「……なるほど」
「……それは、えっと、いい話だね」
「どこがだよ! ちちちちち違うからな!」
ハサミ君が真っ赤な顔で否定すればするほど、六人の言葉の信ぴょう性はぐんぐん上がっていく。
「友達の友達は友達みたいな?」
「友達だからほっとけないし」
「いいやつだし……」
「あの子はやさしいし」
「見ているとほっとけない」
「彼女とか、割と憧れる」
彼らは、陰ながら仲間の幸せを祈る応援団であるらしい。故に、一致団結して、白雪姫を守るためにこの森に封印を施していたようだ。過剰に強力な結界だったが、それだけ彼女を守ろうという思いが強いのだろう。
「そっかそっか……恋か、そうかー」
ハサミ君の恋話にセーラー戦士が興奮していた。普段、女の子っぽいところはあまり表に出さないが、こういう時の食いつきはいい。
六人の小人達はハサミ君を応援していたものの、どうにも進展がないので歯がゆく感じていたらしい。皆にバレているのだから、今さら何を恥ずかしがることがあるのかと。もういっそのこと突撃して玉砕した方が清々しいのではないかと!
六人から、手厳しい意見がポツポツと上がる。
「ふむ……君らからしても不満もあると。難しいねどうも」
俺は、小人達から口々に出る重要なワードを、ホワイトボードに書き出していった。
「と、いうことらしいんだけど……」
「うるさいわぁ!」
真剣に尋ねてみたら、ハサミ君から怒鳴りつけられてしまった。
俺は真っ赤な顔で怒るハサミ君をまぁまぁと宥めた。とにかく大体の事情はわかった。ここまで聞ければ、協力できることはあるだろう。
そう、例えば……真面目な話、白雪姫の病状について。
そもそも下調べをしたのはこのためである。決して下世話な好奇心からではない。
俺はさっき本人を見てわかった事実を伝えておくことにした。
「でもまぁ重要なのは、ここからだよな。俺が調べてわかったことを単刀直入に言っちゃうと、彼女の目が見えないのは魔法のせいだよ。視覚を封印する」
「……え?」
声を上げたのはセーラー戦士である。小人達は声にならないほど驚いている。特にハサミ君は愕然とした表情を浮かべ、誰より先に俺に詰め寄ってきた。
「本当か! 目が見えないのが魔法だって!?」
首を締め上げられガクガク揺さぶられながら、俺はなんとか声を絞り出した。
「あぁ。呪いって言い換えてもいいと思うよ。そのせいで白雪姫は目が見えてない」
「じゃあ、彼女は……」
「誰かに視界を奪われて、森に放り込まれたんだろう。彼女も犯人に心当たりくらいあるんじゃないか?」
その犯人についてはあえて深くは立ち入らなかった。状況から考えて、殺されなかっただけでも幸運とみるべきなのかもしれない。
「……だからまぁ、君達が彼女を病気だと感じたのは、彼女が精神的に落ち込んでいて元気がなかったからじゃないかな。でも根本の原因は呪いだよ」
俺は、そう結論付けた。
ハサミ君は怒りを露わに、切り株に拳を振り下ろす。
「あんなかわいい娘にひどいことをするなんて!」
「なー信じられないよな!」
かっと熱くなるハサミ君と心底同情する俺。そんな俺達の様子を、セーラー戦士はなぜか呆れ顔で見ていた。
「今……かわいいかどうかは関係ないんじゃないかな?」
「うむ。そうだね」
「い、いやぁ。そうなんだけど……」
俺は真顔で頷いたが、ハサミ君は困った顔でもじもじとしていた。そんなハサミ君に小人達の生温かい視線が集まる。
セーラー戦士の言う通りだと、俺は力強く切り株に手のひらを叩きつけた。
「そうだとも! 今は彼女の見た目など些細な問題だ! セーラー戦士よ、かわいいかどうかなんて、この問題の一要素でしかないんだ」
「と言うと?」
「もう惚れてしまったんだから仕方ないじゃないか。そう、今はハサミ君の恋をどう応援するか、そこが問題だろ!」
「……そうだね。そこ大事だね!」
キラリンとセーラー戦士の目が輝く。
サムズアップしている小人達。
一人わなわな震えているハサミ君が、後ずさりして叫ぶ。
「だから……ち、違うわーーーーー!」
ハサミ君は「青い春」とおでこに落書きしたくなるほど、真っ赤になっていた。
ちょっとからかいすぎてしまったらしい。反省である。
思い返してみれば、俺はこの時点でもう少し警戒をしておくべきだった。
というのも、彼女が命を狙われているという事実が、思っていたよりも性急に迫っていたのだから。
◇◆◇◆◇
「いい? わざわざ高いお金を払って雇った意味をよく考えて頂戴」
「……はい心得ております」
ひざまずき、暗殺者は従順にふるまう。
「ならいいのよ。前の奴はしくじったからね。まったく……」
依頼主の女は、部屋の中をうろつきながら、依頼の内容を忌々しげに説明していった。熱く塗られた化粧や、装飾品で飾り立てたドレスは、彼女の自己顕示欲をそのまま形にしているようであった。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」
丸い姿見に自分の姿を映して問いかけると、鏡の像が歪んでいく。しばらくして、そこに映し出されたのは、森で小人達と戯れる美しい少女の姿であった。
女の顔が朱に染まる。
「ああ忌々しい。何のためにわざわざ危ない橋を渡って、あの娘を罠にはめたと思っているんだか……ここに映るのは私のはずなのに」
そう口にする様子を見て、暗殺者は、依頼主は少々おかしくなっているようだと思った。
鏡は魔法の品と見て間違いないだろう。どこから拾ってきたのかはわからない。質問に応えて、映し出す像を変えるとは面白い魔法である。
おそらくその鏡は、前に立つ者の心象を見せているに過ぎない。かつては本人が言う通り、「この世で一番美しいのは誰?」という問いで、自分の姿を映し出していたはずである。
ところが、ある時を境に少女を映し出すようになった。それは依頼主自身、自分よりもその少女の方が美しいと心のどこかで認めてしまったからに違いなかった。
しかし暗殺者にそんな事情はまったく関係ない。
依頼主が声を震わせて告げる。
「ここに映っている女を確実に殺しなさい……」
「……御意」
今は依頼主に、忠誠を誓うべく頭を垂れるだけだ。
◇◆◇◆◇
アップルちゃんは暗殺者である。
幼くかわいらしい容姿で相手を油断させて近づき、果物を差し出して暗殺する。暗殺に使う果物の種類は多々あるが、その中でも彼女が好んで使うのがリンゴだった。
その殺し方が名前の由来である。
なぜ彼女が暗殺にリンゴを使うのか? 本当の理由は誰も知らない。
依頼者との会合を終えたばかりのアップルちゃんが呟く。
「……偉い人の考えることはわからない」
今日も今日とて、アップルちゃんは見つけた客から高い依頼料を取っていた。この時忘れてならないのは、依頼者が暗殺者を値踏みする以上に、アップルちゃんもまた客を品定めしているということだ。
アップルちゃんは、今回の依頼主がお気に召したようだった。
「最高に狂ってて、吐き気がするほど上客……掃いて捨てるほど誰かの恨みも買っている。これは寝首を掻いて財産全部持ち出しても、後々美談で語られそう。まぁそういうこともある」
アップルちゃんは腕はよい。時に依頼者さえターゲットにすることもあったが、それが表に出たことは一度もなかった。口が軽く、短絡的で、お調子者。そしてなによりお金持ち。そんな依頼主の時ほどアップルちゃんの懐は温まった。
仕事は秘密裏になされることが徹底されており、そのことがアップルちゃんを謎の暗殺者アップルちゃんたらしめているのである。
今回アップルちゃんがターゲットを追って出向いた先は、封印されたという森であった。その封印には手を焼き、中に入ることができなかったが、妙な二人組の男女が現れたことで状況が変わった。
突然、入口が出来、無防備なまま放置されたのだ。
これ幸いとアップルちゃんは森に侵入した。カゴいっぱいにリンゴを携え、黒い頭巾を被れば、謎の暗殺者アップルちゃんの出来上がりである。
森に侵入してから、そう時間も経たずに彼女にチャンスが巡ってきた。
◇◆◇◆◇
ハサミ君は真っ赤な顔で逃げ出した。
俺が映像で追うと小人の家に帰ったようだったので、とりあえず一安心。今は家の屋根の上で膝を抱えていた。
「なんだか悪いことしたかな……」
「そうだね、悪乗りが過ぎたかもしれない」
俺とセーラー戦士は深く反省していた。ついつい雰囲気に身を任せてしまうのは悪い癖である。
どうやら屋根の上がハサミ君の一人になれる場所らしい。
そう言えば、母さんの逆鱗に触れ、危うく逆さ吊りの刑に処されそうになった俺は、なんとか逃げ延びようと屋根の上に登ったことがあったなと急に思い出した。
だけど母さんの操るロープから逃げられなくて……逃げ着いた場所の高さにビビり、膀胱が限界を迎え……大洪水……昔のことだ、忘れよう。
とにかく誰しも一人になりたいことはあるもんだ。
俺達は相変わらず会議を続けていた。照れて逃げてしまったハサミ君のために何かできないかという、彼にとっては有難迷惑この上ない議題について話し合っていたのである。
まったくセーラー戦士と旅をすると、こういう色恋沙汰に縁があって困る。
「恋の魔法使い……出動か?」
「そのフレーズ。気に入ったの?」
「そんなわけないだろう?」
ただ遅々として進まない会議に痺れを切らせ、血迷ったことを口走っただけである。
六人の小人達もすでにだれ、俺達の前に用意してあったお茶も冷めきっていた。一向に出てこない解決策を空から落ちてくるのを待つかのような不毛な状態になりつつあった。
「でもさ、実際問題。白雪姫ってそれどころじゃないって気はするんだよね」
セーラー戦士がふいに呟いた一言で、俺は目を覚ました。
「……そりゃそうだ。呪われてるわけだから」
「先にそっちを解決しないと、どうしようもないよね」
まさしくその通り。
呪われているという状況があまりにもピンとこなさすぎて、気づいていなかった。俺が集めたのは、白雪姫の表層の情報にすぎなかったが、ともかく人の恨みを買うような娘ではないという印象だったのだ。
「基本、おとなしい娘みたいだからね。それなのに呪われるってのは不憫だ。ハサミ君が守ってあげたいって思う気持ちもわかるな?」
下調べで浮かび上がってきた映像を見れば、誰でも大抵そう思うだろう。それだけ彼女は可憐で、状況も捨て置けない。同情の余地もあった。
「……太郎も、ああいう娘はかわいいと思う?」
セーラー戦士の質問に、自分でも妙な答えを返した。
「ん? かわいいとは思うけども……なぜか彼女には違和感も覚えてる」
「なんで? おかしくない?」
セーラー戦士は驚いていたが、俺だってなんでこんなことを言ったのか自分でもわからない。
「いやー俺もおかしいとは思うんだけどね。なんでだろ?」
清楚で可憐な女の子。
言葉にしてみても一般的なかわいい女の子像に当てはまる。俺だってそう思ってる。でも、何か引っかかるものがあるのだ。
「まぁとにかく、助けようとは思ってるよ」
曖昧に頷く俺に、セーラー戦士は不思議そうな視線を向けた。
とにかく俺としては断る理由はないし、彼女を助けることで、小人達がパソコンをもらってくれるなら願ったり叶ったりだ。
セーラー戦士も、ひとまずはそれで納得したようだった。
「そうだね。私も太郎は助けるだろうと思ってるよ。ところで、白雪姫の呪いがどういうものなのかわかりそうなの?」
「まぁ、おおよそは。目を封印して視力を奪うわけだけど、永続的に効果があるタイプで、随分簡単に使えるように効率化してある。その割にやたら解除は難しそうだ。ここまで面倒くさい改良を加えているということは片手間の魔法じゃないね。こんなしょうもない魔法を研究する魔法使いがいるというのは悲しいもんだ」
まったく同じ魔法使いとして嘆かわしい。おかげで白雪姫のような犠牲者が出る。セーラー戦士も一度呪いの腕輪で命を握られた経験があるので、他人ごとではないと考えているらしかった。
「でも、太郎なら治せるんでしょう?」
「治せるとも。そこは心配しなくていい」
「してないよ。太郎だもんね」
セーラー戦士は一切疑うこともないようだった。
六人の小人達が拍手をしてきたので、俺はそれに応えた。
「本人の承諾をもらったら、いつでも治せるようにはしておくさ」
「え? 本人の承諾? 治療を断る理由なんてないんじゃないかな?」
セーラー戦士だけでなく小人達も小首をかしげていたが、そう焦る必要はない。治す場所が目ともなれば不安もあるだろうし、ちゃんと意思確認くらいしておくのがマナーというものだ。
それに――俺とてこんなことは言いたくはないが、言わねばならないだろう。
「そうかな? ……俺みたいに怪しい奴に、目の治療とか任せたいか?」
「なるほど、それは怖いかも……」
「確かに!」×6
「そんなに力強く言われるとへこむわ……」
その時である。ずっと映しっ放しになっていた家の映像に、見慣れない人影が現れた。すかさず俺はそれを目で追う。
黒い頭巾を目深に被っているので顔はわからない。小柄な人のようではあるが。
「アレ誰だろう? 君達の知り合い?」
小人達に聞いてみたが、彼らは一様に首を横に振る。
「知らない」
「会ったことない」
「誰あれ?」
「女の子みたいね」
「あの娘じゃないなぁ」
「リンゴ持ってた!」
誰も知らない? こんな閉ざされた森で、そんなことがあるだろうか? 俺はその時うっかり忘れていた重大な事実に気がついた。
「あれ? そういえば俺、入口の結界どうしたっけ?」
「それは、開けっ放しだったと思うけど……」
セーラー戦士が、入口でのごたごたを思い出して答える。確かにそうだった。
「じゃ、じゃあさ。今この森出入り自由ってことだよね? 白雪姫、命狙われてるんじゃなかったっけ?」
俺がそう言うと、会議は一斉に沈黙した。もしかしたら、割と取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。
映り込んでいた黒い頭巾が危険な人物だったとしたら大変だ。今すぐ対処しなくては。
「……! 急ごう!」
一も二もなく立ち上がるセーラー戦士。
「ちょっと待って! 俺も行くから!」
俺と小人達も慌ててセーラー戦士の後を追った。
◇◆◇◆◇
アップルちゃんは暗殺者である。
彼女の強みは、決してその素性を悟らせないことにあった。
ノックをして声をかける。彼女の声はごく普通の少女にしか聞こえない高い声だ。
「……ごめんください。何か入用のものはありませんか?」
「だ、誰?」
扉の向こうから、強張った声が答える。
扉には鍵がかかっていなかったので、そのまま小屋の中に入る。ターゲットの顔を見つけてアップルちゃんは笑った。ターゲットの情報は、前もって頭に叩き込んであった。
視界を奪う呪いは依然として機能したままのようだ。それでもこのターゲットが生きているのは、暗殺を請け負った前任者が情けをかけたからか、もしくは、彼女を生かした協力者がいるのだろう。
まったく暗殺者として嘆かわしい結果である。アップルちゃんはそういうのは嫌いだった。しかし同時に、暗殺し損ねてしまうのも仕方がないとも感じていた。
彼女の美しさは、一人の人間が殺意を抱くほどなのだ。逆に、美しさゆえに殺すのを惜しいと感じてしまうのも、ごく自然なこととも言えた。
それでも、そんなことはアップルちゃんには関係のない話だ。
ただいつも通りニコニコと笑ってことを成す。それがアップルちゃんの美学である。
「私は……しがない物売りです。特に果物などをたくさん扱っています」
「果物を?」
「……ええ。特にこのリンゴなどは最高に美味しいと評判です。お近づきの印にどうですか?」
「え? でも……困るわ」
ターゲットはためらっている。彼女はシーツを胸に抱いて少し怯えているものの、警戒しているわけでもないようだ。
おそらくアップルちゃんの声から、自分よりも幼いと思ったのだろう。自分よりも小さく、弱い存在に気を許してしまうのは自然な感情だ。
ただそれを意図的に利用すれば、するりと警戒を抜けてしまう。
「……はい。甘くて頬がとろけますよ?」
アップルちゃんの秘密。
彼女はかつて決して強くはなかった。彼女の家に伝わる魔法は、かなり特殊なものだったから。
風の魔法を極近距離、極小範囲に絞って殺傷能力を上げる魔法。手のひらサイズに圧縮した空気を相手に叩き込み、炸裂させる。
なぜこのような形にしようと思ったのかはわからないが、とにかく彼女の家系が代々継いで強化してきた魔法であることに違いない。
利点といえば魔力の消費が素晴らしく少ないこと。この魔法を習得すれば、魔力の少ない一般人でも人を殺傷するほどの風を放つことができるだろう。
問題は射程距離である。当てるためにはナイフが届くような範囲まで近づかねばならない。はっきり言ってしまえば、ナイフを突き刺した方が早い。こうしたもろもろの結果、無防備を装った奇襲を狙うしかなかった。
そのため彼女の家系の多くは、この魔法を活かすために体術を学んでいた。素早く相手の隙を突くことに長けた技術の習得は、彼女の家系に課せられた義務でもあった。
しかしアップルちゃんは小柄で、その体術も活かしきれなかった。
だから彼女は、奇襲の仕方をアレンジした。幼い容姿の少女が笑顔で近づいてきたら油断するのではないか。魔法も当たるまでそれと悟らせなければより良い。手に持てるサイズの物体の真ん中に魔法を発生させ、即席の爆弾にするというのも悪くない。
彼女のリンゴを手に取れば――それはもう彼女の距離だ。食べても食べなくても、問題はない。ただアップルちゃんはリンゴを食べてくれた方が好きだった。
黒い頭巾に身を包んだかわいらしい少女は、ニッコリと笑いリンゴを差し出す。
「――存分に味わってください」
「待った!」
「……!」
その時、天井に穴が空き、何かがアップルちゃんに向かって落ちてきた。突然、襲ってきたハサミの刃を避け、アップルちゃんは飛び退く。
参加メンバーは、俺とセーラー戦士、ハサミ君を含めた七人の小人達。議題は、件の女の子についてである。
俺達は切り株の上に投影された映像を見ながら、話をまとめていった。
俺は手に持った黒マジックの蓋をカチッと閉じて、ホワイトボードをコンコン叩いた。そこには、イラスト付きで図が描かれている。
「おっほん……では改めて、状況を整理しよう。森に迷い込んだお嬢さん。仮に彼女を『白雪姫』とする」
デフォルメされた女の子のイラスト。その下には大きく「白雪姫」と書いてある。イラストは小人達には好評だった。
「また勝手にあだ名をつけて……でも、気に入った。私は支持する」
顎に手を添えて頷き、セーラー戦士が新しいニックネームを評価してくれた。会議に違和感なく溶け込んでいるところを見ると、セーラー戦士もやる気のようだ。
「ありがとう。それでだ。この白雪姫は、とてもかわいい人間の女の子である。ここ重要だな。ある日、そんなかわいい女の子が小人達が暮らすこの森に迷い込み、彼らに保護された。そして病を患い、目が見えなくなっていたため介抱されることになり、今に至ると……」
イラストの下に「かわいい」と新たに書き加えて、赤マジックでハートマーク。
ともかく、おおよその経緯はこんなところらしい。
「でもなんで君達が白雪姫の面倒を?」
聞いてみると、ハサミ君がとろけたような表情で白雪姫について語る。
「あの子は突然この森にやってきたんだ。とっても優しくて、ボクらのことをいつも思いやってくれるんだ。眠る時はお話をしてくれるし、歌もとても上手でさ。彼女が森で歌うと、そこだけ花が咲いたみたいに明るくなって、幸せな気分になるんだよ」
他の六人は、彼らが献身的に彼女の面倒を見る理由を、的確に要約して一斉に声をそろえた。
「ハサミがあの子のことが好きだから」×6
「はぁ!?」
否定するように声を上げるハサミ君。俺とセーラー戦士はニヤリとしてしまう。
「……なるほど」
「……それは、えっと、いい話だね」
「どこがだよ! ちちちちち違うからな!」
ハサミ君が真っ赤な顔で否定すればするほど、六人の言葉の信ぴょう性はぐんぐん上がっていく。
「友達の友達は友達みたいな?」
「友達だからほっとけないし」
「いいやつだし……」
「あの子はやさしいし」
「見ているとほっとけない」
「彼女とか、割と憧れる」
彼らは、陰ながら仲間の幸せを祈る応援団であるらしい。故に、一致団結して、白雪姫を守るためにこの森に封印を施していたようだ。過剰に強力な結界だったが、それだけ彼女を守ろうという思いが強いのだろう。
「そっかそっか……恋か、そうかー」
ハサミ君の恋話にセーラー戦士が興奮していた。普段、女の子っぽいところはあまり表に出さないが、こういう時の食いつきはいい。
六人の小人達はハサミ君を応援していたものの、どうにも進展がないので歯がゆく感じていたらしい。皆にバレているのだから、今さら何を恥ずかしがることがあるのかと。もういっそのこと突撃して玉砕した方が清々しいのではないかと!
六人から、手厳しい意見がポツポツと上がる。
「ふむ……君らからしても不満もあると。難しいねどうも」
俺は、小人達から口々に出る重要なワードを、ホワイトボードに書き出していった。
「と、いうことらしいんだけど……」
「うるさいわぁ!」
真剣に尋ねてみたら、ハサミ君から怒鳴りつけられてしまった。
俺は真っ赤な顔で怒るハサミ君をまぁまぁと宥めた。とにかく大体の事情はわかった。ここまで聞ければ、協力できることはあるだろう。
そう、例えば……真面目な話、白雪姫の病状について。
そもそも下調べをしたのはこのためである。決して下世話な好奇心からではない。
俺はさっき本人を見てわかった事実を伝えておくことにした。
「でもまぁ重要なのは、ここからだよな。俺が調べてわかったことを単刀直入に言っちゃうと、彼女の目が見えないのは魔法のせいだよ。視覚を封印する」
「……え?」
声を上げたのはセーラー戦士である。小人達は声にならないほど驚いている。特にハサミ君は愕然とした表情を浮かべ、誰より先に俺に詰め寄ってきた。
「本当か! 目が見えないのが魔法だって!?」
首を締め上げられガクガク揺さぶられながら、俺はなんとか声を絞り出した。
「あぁ。呪いって言い換えてもいいと思うよ。そのせいで白雪姫は目が見えてない」
「じゃあ、彼女は……」
「誰かに視界を奪われて、森に放り込まれたんだろう。彼女も犯人に心当たりくらいあるんじゃないか?」
その犯人についてはあえて深くは立ち入らなかった。状況から考えて、殺されなかっただけでも幸運とみるべきなのかもしれない。
「……だからまぁ、君達が彼女を病気だと感じたのは、彼女が精神的に落ち込んでいて元気がなかったからじゃないかな。でも根本の原因は呪いだよ」
俺は、そう結論付けた。
ハサミ君は怒りを露わに、切り株に拳を振り下ろす。
「あんなかわいい娘にひどいことをするなんて!」
「なー信じられないよな!」
かっと熱くなるハサミ君と心底同情する俺。そんな俺達の様子を、セーラー戦士はなぜか呆れ顔で見ていた。
「今……かわいいかどうかは関係ないんじゃないかな?」
「うむ。そうだね」
「い、いやぁ。そうなんだけど……」
俺は真顔で頷いたが、ハサミ君は困った顔でもじもじとしていた。そんなハサミ君に小人達の生温かい視線が集まる。
セーラー戦士の言う通りだと、俺は力強く切り株に手のひらを叩きつけた。
「そうだとも! 今は彼女の見た目など些細な問題だ! セーラー戦士よ、かわいいかどうかなんて、この問題の一要素でしかないんだ」
「と言うと?」
「もう惚れてしまったんだから仕方ないじゃないか。そう、今はハサミ君の恋をどう応援するか、そこが問題だろ!」
「……そうだね。そこ大事だね!」
キラリンとセーラー戦士の目が輝く。
サムズアップしている小人達。
一人わなわな震えているハサミ君が、後ずさりして叫ぶ。
「だから……ち、違うわーーーーー!」
ハサミ君は「青い春」とおでこに落書きしたくなるほど、真っ赤になっていた。
ちょっとからかいすぎてしまったらしい。反省である。
思い返してみれば、俺はこの時点でもう少し警戒をしておくべきだった。
というのも、彼女が命を狙われているという事実が、思っていたよりも性急に迫っていたのだから。
◇◆◇◆◇
「いい? わざわざ高いお金を払って雇った意味をよく考えて頂戴」
「……はい心得ております」
ひざまずき、暗殺者は従順にふるまう。
「ならいいのよ。前の奴はしくじったからね。まったく……」
依頼主の女は、部屋の中をうろつきながら、依頼の内容を忌々しげに説明していった。熱く塗られた化粧や、装飾品で飾り立てたドレスは、彼女の自己顕示欲をそのまま形にしているようであった。
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」
丸い姿見に自分の姿を映して問いかけると、鏡の像が歪んでいく。しばらくして、そこに映し出されたのは、森で小人達と戯れる美しい少女の姿であった。
女の顔が朱に染まる。
「ああ忌々しい。何のためにわざわざ危ない橋を渡って、あの娘を罠にはめたと思っているんだか……ここに映るのは私のはずなのに」
そう口にする様子を見て、暗殺者は、依頼主は少々おかしくなっているようだと思った。
鏡は魔法の品と見て間違いないだろう。どこから拾ってきたのかはわからない。質問に応えて、映し出す像を変えるとは面白い魔法である。
おそらくその鏡は、前に立つ者の心象を見せているに過ぎない。かつては本人が言う通り、「この世で一番美しいのは誰?」という問いで、自分の姿を映し出していたはずである。
ところが、ある時を境に少女を映し出すようになった。それは依頼主自身、自分よりもその少女の方が美しいと心のどこかで認めてしまったからに違いなかった。
しかし暗殺者にそんな事情はまったく関係ない。
依頼主が声を震わせて告げる。
「ここに映っている女を確実に殺しなさい……」
「……御意」
今は依頼主に、忠誠を誓うべく頭を垂れるだけだ。
◇◆◇◆◇
アップルちゃんは暗殺者である。
幼くかわいらしい容姿で相手を油断させて近づき、果物を差し出して暗殺する。暗殺に使う果物の種類は多々あるが、その中でも彼女が好んで使うのがリンゴだった。
その殺し方が名前の由来である。
なぜ彼女が暗殺にリンゴを使うのか? 本当の理由は誰も知らない。
依頼者との会合を終えたばかりのアップルちゃんが呟く。
「……偉い人の考えることはわからない」
今日も今日とて、アップルちゃんは見つけた客から高い依頼料を取っていた。この時忘れてならないのは、依頼者が暗殺者を値踏みする以上に、アップルちゃんもまた客を品定めしているということだ。
アップルちゃんは、今回の依頼主がお気に召したようだった。
「最高に狂ってて、吐き気がするほど上客……掃いて捨てるほど誰かの恨みも買っている。これは寝首を掻いて財産全部持ち出しても、後々美談で語られそう。まぁそういうこともある」
アップルちゃんは腕はよい。時に依頼者さえターゲットにすることもあったが、それが表に出たことは一度もなかった。口が軽く、短絡的で、お調子者。そしてなによりお金持ち。そんな依頼主の時ほどアップルちゃんの懐は温まった。
仕事は秘密裏になされることが徹底されており、そのことがアップルちゃんを謎の暗殺者アップルちゃんたらしめているのである。
今回アップルちゃんがターゲットを追って出向いた先は、封印されたという森であった。その封印には手を焼き、中に入ることができなかったが、妙な二人組の男女が現れたことで状況が変わった。
突然、入口が出来、無防備なまま放置されたのだ。
これ幸いとアップルちゃんは森に侵入した。カゴいっぱいにリンゴを携え、黒い頭巾を被れば、謎の暗殺者アップルちゃんの出来上がりである。
森に侵入してから、そう時間も経たずに彼女にチャンスが巡ってきた。
◇◆◇◆◇
ハサミ君は真っ赤な顔で逃げ出した。
俺が映像で追うと小人の家に帰ったようだったので、とりあえず一安心。今は家の屋根の上で膝を抱えていた。
「なんだか悪いことしたかな……」
「そうだね、悪乗りが過ぎたかもしれない」
俺とセーラー戦士は深く反省していた。ついつい雰囲気に身を任せてしまうのは悪い癖である。
どうやら屋根の上がハサミ君の一人になれる場所らしい。
そう言えば、母さんの逆鱗に触れ、危うく逆さ吊りの刑に処されそうになった俺は、なんとか逃げ延びようと屋根の上に登ったことがあったなと急に思い出した。
だけど母さんの操るロープから逃げられなくて……逃げ着いた場所の高さにビビり、膀胱が限界を迎え……大洪水……昔のことだ、忘れよう。
とにかく誰しも一人になりたいことはあるもんだ。
俺達は相変わらず会議を続けていた。照れて逃げてしまったハサミ君のために何かできないかという、彼にとっては有難迷惑この上ない議題について話し合っていたのである。
まったくセーラー戦士と旅をすると、こういう色恋沙汰に縁があって困る。
「恋の魔法使い……出動か?」
「そのフレーズ。気に入ったの?」
「そんなわけないだろう?」
ただ遅々として進まない会議に痺れを切らせ、血迷ったことを口走っただけである。
六人の小人達もすでにだれ、俺達の前に用意してあったお茶も冷めきっていた。一向に出てこない解決策を空から落ちてくるのを待つかのような不毛な状態になりつつあった。
「でもさ、実際問題。白雪姫ってそれどころじゃないって気はするんだよね」
セーラー戦士がふいに呟いた一言で、俺は目を覚ました。
「……そりゃそうだ。呪われてるわけだから」
「先にそっちを解決しないと、どうしようもないよね」
まさしくその通り。
呪われているという状況があまりにもピンとこなさすぎて、気づいていなかった。俺が集めたのは、白雪姫の表層の情報にすぎなかったが、ともかく人の恨みを買うような娘ではないという印象だったのだ。
「基本、おとなしい娘みたいだからね。それなのに呪われるってのは不憫だ。ハサミ君が守ってあげたいって思う気持ちもわかるな?」
下調べで浮かび上がってきた映像を見れば、誰でも大抵そう思うだろう。それだけ彼女は可憐で、状況も捨て置けない。同情の余地もあった。
「……太郎も、ああいう娘はかわいいと思う?」
セーラー戦士の質問に、自分でも妙な答えを返した。
「ん? かわいいとは思うけども……なぜか彼女には違和感も覚えてる」
「なんで? おかしくない?」
セーラー戦士は驚いていたが、俺だってなんでこんなことを言ったのか自分でもわからない。
「いやー俺もおかしいとは思うんだけどね。なんでだろ?」
清楚で可憐な女の子。
言葉にしてみても一般的なかわいい女の子像に当てはまる。俺だってそう思ってる。でも、何か引っかかるものがあるのだ。
「まぁとにかく、助けようとは思ってるよ」
曖昧に頷く俺に、セーラー戦士は不思議そうな視線を向けた。
とにかく俺としては断る理由はないし、彼女を助けることで、小人達がパソコンをもらってくれるなら願ったり叶ったりだ。
セーラー戦士も、ひとまずはそれで納得したようだった。
「そうだね。私も太郎は助けるだろうと思ってるよ。ところで、白雪姫の呪いがどういうものなのかわかりそうなの?」
「まぁ、おおよそは。目を封印して視力を奪うわけだけど、永続的に効果があるタイプで、随分簡単に使えるように効率化してある。その割にやたら解除は難しそうだ。ここまで面倒くさい改良を加えているということは片手間の魔法じゃないね。こんなしょうもない魔法を研究する魔法使いがいるというのは悲しいもんだ」
まったく同じ魔法使いとして嘆かわしい。おかげで白雪姫のような犠牲者が出る。セーラー戦士も一度呪いの腕輪で命を握られた経験があるので、他人ごとではないと考えているらしかった。
「でも、太郎なら治せるんでしょう?」
「治せるとも。そこは心配しなくていい」
「してないよ。太郎だもんね」
セーラー戦士は一切疑うこともないようだった。
六人の小人達が拍手をしてきたので、俺はそれに応えた。
「本人の承諾をもらったら、いつでも治せるようにはしておくさ」
「え? 本人の承諾? 治療を断る理由なんてないんじゃないかな?」
セーラー戦士だけでなく小人達も小首をかしげていたが、そう焦る必要はない。治す場所が目ともなれば不安もあるだろうし、ちゃんと意思確認くらいしておくのがマナーというものだ。
それに――俺とてこんなことは言いたくはないが、言わねばならないだろう。
「そうかな? ……俺みたいに怪しい奴に、目の治療とか任せたいか?」
「なるほど、それは怖いかも……」
「確かに!」×6
「そんなに力強く言われるとへこむわ……」
その時である。ずっと映しっ放しになっていた家の映像に、見慣れない人影が現れた。すかさず俺はそれを目で追う。
黒い頭巾を目深に被っているので顔はわからない。小柄な人のようではあるが。
「アレ誰だろう? 君達の知り合い?」
小人達に聞いてみたが、彼らは一様に首を横に振る。
「知らない」
「会ったことない」
「誰あれ?」
「女の子みたいね」
「あの娘じゃないなぁ」
「リンゴ持ってた!」
誰も知らない? こんな閉ざされた森で、そんなことがあるだろうか? 俺はその時うっかり忘れていた重大な事実に気がついた。
「あれ? そういえば俺、入口の結界どうしたっけ?」
「それは、開けっ放しだったと思うけど……」
セーラー戦士が、入口でのごたごたを思い出して答える。確かにそうだった。
「じゃ、じゃあさ。今この森出入り自由ってことだよね? 白雪姫、命狙われてるんじゃなかったっけ?」
俺がそう言うと、会議は一斉に沈黙した。もしかしたら、割と取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。
映り込んでいた黒い頭巾が危険な人物だったとしたら大変だ。今すぐ対処しなくては。
「……! 急ごう!」
一も二もなく立ち上がるセーラー戦士。
「ちょっと待って! 俺も行くから!」
俺と小人達も慌ててセーラー戦士の後を追った。
◇◆◇◆◇
アップルちゃんは暗殺者である。
彼女の強みは、決してその素性を悟らせないことにあった。
ノックをして声をかける。彼女の声はごく普通の少女にしか聞こえない高い声だ。
「……ごめんください。何か入用のものはありませんか?」
「だ、誰?」
扉の向こうから、強張った声が答える。
扉には鍵がかかっていなかったので、そのまま小屋の中に入る。ターゲットの顔を見つけてアップルちゃんは笑った。ターゲットの情報は、前もって頭に叩き込んであった。
視界を奪う呪いは依然として機能したままのようだ。それでもこのターゲットが生きているのは、暗殺を請け負った前任者が情けをかけたからか、もしくは、彼女を生かした協力者がいるのだろう。
まったく暗殺者として嘆かわしい結果である。アップルちゃんはそういうのは嫌いだった。しかし同時に、暗殺し損ねてしまうのも仕方がないとも感じていた。
彼女の美しさは、一人の人間が殺意を抱くほどなのだ。逆に、美しさゆえに殺すのを惜しいと感じてしまうのも、ごく自然なこととも言えた。
それでも、そんなことはアップルちゃんには関係のない話だ。
ただいつも通りニコニコと笑ってことを成す。それがアップルちゃんの美学である。
「私は……しがない物売りです。特に果物などをたくさん扱っています」
「果物を?」
「……ええ。特にこのリンゴなどは最高に美味しいと評判です。お近づきの印にどうですか?」
「え? でも……困るわ」
ターゲットはためらっている。彼女はシーツを胸に抱いて少し怯えているものの、警戒しているわけでもないようだ。
おそらくアップルちゃんの声から、自分よりも幼いと思ったのだろう。自分よりも小さく、弱い存在に気を許してしまうのは自然な感情だ。
ただそれを意図的に利用すれば、するりと警戒を抜けてしまう。
「……はい。甘くて頬がとろけますよ?」
アップルちゃんの秘密。
彼女はかつて決して強くはなかった。彼女の家に伝わる魔法は、かなり特殊なものだったから。
風の魔法を極近距離、極小範囲に絞って殺傷能力を上げる魔法。手のひらサイズに圧縮した空気を相手に叩き込み、炸裂させる。
なぜこのような形にしようと思ったのかはわからないが、とにかく彼女の家系が代々継いで強化してきた魔法であることに違いない。
利点といえば魔力の消費が素晴らしく少ないこと。この魔法を習得すれば、魔力の少ない一般人でも人を殺傷するほどの風を放つことができるだろう。
問題は射程距離である。当てるためにはナイフが届くような範囲まで近づかねばならない。はっきり言ってしまえば、ナイフを突き刺した方が早い。こうしたもろもろの結果、無防備を装った奇襲を狙うしかなかった。
そのため彼女の家系の多くは、この魔法を活かすために体術を学んでいた。素早く相手の隙を突くことに長けた技術の習得は、彼女の家系に課せられた義務でもあった。
しかしアップルちゃんは小柄で、その体術も活かしきれなかった。
だから彼女は、奇襲の仕方をアレンジした。幼い容姿の少女が笑顔で近づいてきたら油断するのではないか。魔法も当たるまでそれと悟らせなければより良い。手に持てるサイズの物体の真ん中に魔法を発生させ、即席の爆弾にするというのも悪くない。
彼女のリンゴを手に取れば――それはもう彼女の距離だ。食べても食べなくても、問題はない。ただアップルちゃんはリンゴを食べてくれた方が好きだった。
黒い頭巾に身を包んだかわいらしい少女は、ニッコリと笑いリンゴを差し出す。
「――存分に味わってください」
「待った!」
「……!」
その時、天井に穴が空き、何かがアップルちゃんに向かって落ちてきた。突然、襲ってきたハサミの刃を避け、アップルちゃんは飛び退く。
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