「おれの姫は美少女剣士、ただし『突発性・沸騰派』」 随時更新してます💛

中野 翠陽(なかの みはる)

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第3章「王都の陰謀」

第32話「奇跡のような清らかさを持つ美少女」

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(UnsplashのRyann Flippoが撮影 )

 月が傾く。
 ラーレ・アデムは王の寝室の隠し扉から、薄暗い階段に舞いおりた。
 手には小さな明かりを持っているだけだが、もう何百回も通っている階段だから、小さなくぼみもぜんぶ身体に入っている。
 アデムは月の女王のごとく、軽やかに階段を駆け下りる。


 しかし、ふと足を止めると、暗い石壁に向かって明かりをかざした。
 積み上げられた壁には、華麗な絵織物が下げられている。歴代の王が、ひそかにやってくる愛人を迎えるために飾った精緻な織物だ。

 かすかな明かりを受けて浮かび上がるのは、双頭の龍とその前にひざまずく聖処女の絵。
 二つの頭をもたげて清らかな少女を見つめるのは、ホツェル王国と王を守護する伝説の龍である。
 ホツェルには昔から、『良王の治世には、双頭の龍が生まれる』という言い伝えがある。ほんとうに双頭の龍を見たことがなくても、ホツェルの民なら子供のころから寝物語に聞かされる伝説だ。

 そして双頭の龍は聖処女から生まれるという。
 これはつまり、若く清浄な乙女こそがホツェルの王統をつなぐ妃になれるという意味だと、アデムは考えている。
 
 若く、清浄な乙女。
 ホツェルの王妃にはそういう姫がふさわしい。
 歴戦の女騎士ではなく、風にも当てずに育てられたたおやかな姫こそが王妃になるべき娘なのだ。
 たとえば、トーヴ姫。

 ちりっと明かりが小さな音を立てた。アデムはいまいましげにつぶやく。

「……あの姫こそ王妃にふさわしいと、この10年ずっと成長を心待ちにしていたのに……まさか辺境伯にさらわれるとは、思っていなかったわ」

 どこかから風が入っているのだろうか? アデムの持つ明かりが、さっきからちらちらと揺れている。
 しかしアデム自身は、じっと食い入るように絵織物の聖処女をみつめている。
 そこに、汚れなきトーヴ姫がいるかのように……。

 ふう、とアデムはため息をつく。そして明かりを手元に戻すと、また一歩一歩ゆっくりと階段を降りはじめた。
 かすかに虫よけ香の匂いが強まってくる。この隠し階段は王宮の左翼棟1階、端っこにある使われていない衣裳部屋へ通じている。虫よけの匂いはそこから来るのだ。

 くだりの石段が尽き、アデムの前に衣裳部屋への扉があらわれた。扉は衣装部屋の奥の奥に架けられた絵織物に隠されている。出入りは誰にも見られない。
 アデムは、そっと明かりを吹き消した。この先は月光だけで歩けるからだ。
 人のいない衣裳部屋を通り抜け、王宮の裏口から忍び出る。
 黒いマントを深々とかぶり、早足で蒼天騎士団寮へ向かった。通いなれた道を、半月が照らしている。

 アデムが寮の扉をたたこうとしたとき、小さな物音がした。

 ぎくりとしながら振りかえったとき、アデムの手には愛用のレイピアが握られている。

「私をつけねらうとは、いったい何者……あっ、あなたは!?」

 アデムの動きが止まる。ぬきかけたレイピアを、かちりと収める。
 いぶかしげな顔で、目の前の小さな影にたずねた。

「いったい、こんな時間にこんなところで……何をしておいでです――トーヴ姫?」


 さらり、とトーヴ姫は黒いマントを頭からはずした。
 質素なマントをまとっただけでも匂い立つような美しさがこぼれるようだ。
 トーヴはゆるゆると片足を引き、優雅に膝を折って宮廷風のお辞儀をした。
 礼儀とたおやかさが、骨の髄にまでしみ込んでいる姫君。アデムがケネス王の妃として思いさだめている美少女は、想像にたがわぬ成長を遂げていた。
 そして花びらのような唇が開く。
 
「アデムさま、いきなり訪ねてまいりました非礼を、お許しくださいませ」

 小さな声だ、とアデムはうっとりと耳を傾ける。
 春先の花のような声だ。

 私が男なら、とアデムは思った。
 この声を聞くだけのことに、命をかけても悔いはないだろう。
 トーヴ・ジャバとは、奇跡のような清らかさを持つ美少女なのだ。

 アデムは、緊張で全身をこわばらせている姫に気をつかい、やさしく笑いかけた。

「姫、どうなさったのです。こんな夜に出歩いてはなりません。王都は安全ではありますが……まさか、おひとりで来られたのですか?」
「ひとりです。内密のお願いに参りましたので……アデムさま。どうぞお聞き届けくださいませ」

 トーヴ姫のマントが地面に広がった。アデムの前にひざまずいている。
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