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第3章「王都の陰謀」
第33話「また似たようなものをしょい込んでしまった……」
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(UnsplashのJess Zoerbが撮影)
アデムの脳裏に、ついさっき見た双頭の龍と聖処女の絵柄が浮かんだ。
このたおやかな姫がひざを折っていいのは、王の前だけだ。いずれ、彼女が夫として崇拝するはずのケネス王の前だけ。
アデムは自分も膝を折り、そっとトーヴ姫の小さな手を取った。
「姫、どのようなお頼みでも、お聞きいたします。ですが、まずお立ち下さい」
アデムの手の中にあるのは、柔らかい、しなやかな指だ。生まれてからの16年間、手袋以上に重いものを持ったことがない手だ。
傷を負ったこともなく、鋭い刃で敵を屠ったこともなく、返り血を浴びたこともない手。
まさに、妃としてふさわしい手だ。
アデムは静かに尋ねた。
「こんな時間です。このまま黄雲騎士団寮へお送りしましょう。お話は途中で……」
しかしトーヴ姫はまるい額を固くしてうつむいたまま答えた。
「いいえ。わたしの願いを、かならずお聞き届けくださるとお約束いただくまでは、この場から動きません」
「……姫」
アデムは驚いた。
『花のトーヴ』と言えばつつましくおとなしく、朝露のように素直な姫だと思っていた。右をむけと言われれば陽が沈むまで右を向いたまま過ごす少女だと。
しかし今、アデムの目の前にいるのは、自分の願いを押し通すために一歩も引かないと固く決心している若い女だ。
「あなたに関する認識を、一新しなければならないようですね……」
アデムはつぶやいた。
「わかりました。姫の御用が何であれ、このアデム、かならず従いましょう」
それを聞いて、トーヴのこわばった肩がゆるっと落ちた。大きく息を吐く。
顔を上げてアデムを見た。
実に美しい姫だ。月光も恥じらうような美しさ。
しかし『ホツェルの宝石』は、思いがけないことを言い出した。
「アデムさま。わたくし、剣を学びたいのです」
「……けん? 剣ですか? その、武具の種類をお知りになりたいと?」
「いえ、それは知っております。わたくしの学びたいのは、剣技。実技です」
「実技……しかしそれは、不要な技術では?」
アデムの言葉に、トーヴ姫は一瞬だけ眉をひそめた。そして13歳も年上のアデムに向かい、噛んで含めるように言った。
「アデムさま。わたくしは剣を振るう者になりたいのです。つまり、騎士になりたいのです」
「き……騎士!?」
今度こそ、アデム本気で驚いた。
ホツェル王国随一の美少女、『花のトーヴ』が騎士になりたい?
「し……しかしトーヴ姫、あなたは辺境伯に、高位の貴族に嫁ぐ方です。
広い領土を運営していく技術は必要でしょうが、剣技は不要なはず……」
トーヴ姫は慈母のようにやさしく微笑み、
「領土を運営していく技術はすでに学んでおります。
わたくしの母は『西の町城』の領主でした。幼いころから領地運営の技術を教え込まれ、母亡きあとは、わたくしが『西の町城』のあるじです。 それで十分です。辺境伯夫人になるつもりはないのです」
「……なぜ? 騎士の娘、貴族の娘に生まれた以上、能うかぎり高位の男性を望まれるのがふつうでしょう」
アデムの言葉に、トーヴ姫は目を伏せた。長いまつげが月光を浴びて影を作る。
まるで陶器の人形だ、とアデムは思う。つややかで傷ひとつない人形。だがこの人形はただの玩具ではないようだ。
その証拠にふたたび目を開いたトーヴ姫はきりりとした視線で見つめてきた。
「わたくしは、自分の道を自分で選ぶと決めたのです、
あの六月祭りの夜にロウ=レイ様を見た時から、そう決めておりました」
思わずアデムが叫んだ。
「ロウ=レイ!? 姫、あれは蒼天騎士団随一の問題児です。悪い影響を受けてはなりません!」
しかしトーヴ姫はアデムのマントにつかみかからんばかりの勢いで言い返した。
「問題児ですって……とんでもない! ロウさまは、わたくしを救ってくださったのです。
王都中の人が集まる広場で、わたくしのかわりに恥辱をかぶってくださった。
あやうく、許婚者に裏切られたみじめな姫になるところをロウさまが代わってくださったのです。
まことの強さとは、ああいうこと……ロウさま……すてき」
「あの……トーヴ姫?」
「はい」
「誤解のないように申し上げますが、ロウ=レイは考えるより体が先に吹っ飛ぶ人間です。
あの時も、そんな深い思慮はなかったものと……」
「まあ、なんてことをおっしゃるんでしょう!?
ロウさまは英雄です、光です! アコガレです!
わたくしは強くなりたい。ロウさまのような、アデムさまのような騎士になりたいのです。
自分で自分の体を、運命を、自由に動かしてみたいのです……
そして必ずや、ロウさまやアデムさまをお助けする騎士となり……きええええいっ!」
ぶん! とトーヴ姫は見えない剣で、見えない敵を打倒した。
青白い頬が紅潮して、キラキラしている。
「ふむ……」
アデムはうなった。こうなったら、どうしようもない。
いったんこういう思考にはまり込んだら、人は他人の言葉など聞かないものだ。
「わかりました姫……では今日からあなたは私の弟子です。弟子とは師匠の言葉を聞くもの。
とにかく今夜は、黄雲騎士寮へ戻りましょう……」
「はいっ! お師匠さま!!」
トーヴ姫は架空の剣をおさめ、また静かな美少女に戻った。だが興奮の名残りで、目がキラキラしている。
アデムはそっとつぶやいた。
「ようやくクルティカとロウ=レイを王都から出したのに、また似たようなものをしょい込んでしまった……」
アデムの脳裏に、ついさっき見た双頭の龍と聖処女の絵柄が浮かんだ。
このたおやかな姫がひざを折っていいのは、王の前だけだ。いずれ、彼女が夫として崇拝するはずのケネス王の前だけ。
アデムは自分も膝を折り、そっとトーヴ姫の小さな手を取った。
「姫、どのようなお頼みでも、お聞きいたします。ですが、まずお立ち下さい」
アデムの手の中にあるのは、柔らかい、しなやかな指だ。生まれてからの16年間、手袋以上に重いものを持ったことがない手だ。
傷を負ったこともなく、鋭い刃で敵を屠ったこともなく、返り血を浴びたこともない手。
まさに、妃としてふさわしい手だ。
アデムは静かに尋ねた。
「こんな時間です。このまま黄雲騎士団寮へお送りしましょう。お話は途中で……」
しかしトーヴ姫はまるい額を固くしてうつむいたまま答えた。
「いいえ。わたしの願いを、かならずお聞き届けくださるとお約束いただくまでは、この場から動きません」
「……姫」
アデムは驚いた。
『花のトーヴ』と言えばつつましくおとなしく、朝露のように素直な姫だと思っていた。右をむけと言われれば陽が沈むまで右を向いたまま過ごす少女だと。
しかし今、アデムの目の前にいるのは、自分の願いを押し通すために一歩も引かないと固く決心している若い女だ。
「あなたに関する認識を、一新しなければならないようですね……」
アデムはつぶやいた。
「わかりました。姫の御用が何であれ、このアデム、かならず従いましょう」
それを聞いて、トーヴのこわばった肩がゆるっと落ちた。大きく息を吐く。
顔を上げてアデムを見た。
実に美しい姫だ。月光も恥じらうような美しさ。
しかし『ホツェルの宝石』は、思いがけないことを言い出した。
「アデムさま。わたくし、剣を学びたいのです」
「……けん? 剣ですか? その、武具の種類をお知りになりたいと?」
「いえ、それは知っております。わたくしの学びたいのは、剣技。実技です」
「実技……しかしそれは、不要な技術では?」
アデムの言葉に、トーヴ姫は一瞬だけ眉をひそめた。そして13歳も年上のアデムに向かい、噛んで含めるように言った。
「アデムさま。わたくしは剣を振るう者になりたいのです。つまり、騎士になりたいのです」
「き……騎士!?」
今度こそ、アデム本気で驚いた。
ホツェル王国随一の美少女、『花のトーヴ』が騎士になりたい?
「し……しかしトーヴ姫、あなたは辺境伯に、高位の貴族に嫁ぐ方です。
広い領土を運営していく技術は必要でしょうが、剣技は不要なはず……」
トーヴ姫は慈母のようにやさしく微笑み、
「領土を運営していく技術はすでに学んでおります。
わたくしの母は『西の町城』の領主でした。幼いころから領地運営の技術を教え込まれ、母亡きあとは、わたくしが『西の町城』のあるじです。 それで十分です。辺境伯夫人になるつもりはないのです」
「……なぜ? 騎士の娘、貴族の娘に生まれた以上、能うかぎり高位の男性を望まれるのがふつうでしょう」
アデムの言葉に、トーヴ姫は目を伏せた。長いまつげが月光を浴びて影を作る。
まるで陶器の人形だ、とアデムは思う。つややかで傷ひとつない人形。だがこの人形はただの玩具ではないようだ。
その証拠にふたたび目を開いたトーヴ姫はきりりとした視線で見つめてきた。
「わたくしは、自分の道を自分で選ぶと決めたのです、
あの六月祭りの夜にロウ=レイ様を見た時から、そう決めておりました」
思わずアデムが叫んだ。
「ロウ=レイ!? 姫、あれは蒼天騎士団随一の問題児です。悪い影響を受けてはなりません!」
しかしトーヴ姫はアデムのマントにつかみかからんばかりの勢いで言い返した。
「問題児ですって……とんでもない! ロウさまは、わたくしを救ってくださったのです。
王都中の人が集まる広場で、わたくしのかわりに恥辱をかぶってくださった。
あやうく、許婚者に裏切られたみじめな姫になるところをロウさまが代わってくださったのです。
まことの強さとは、ああいうこと……ロウさま……すてき」
「あの……トーヴ姫?」
「はい」
「誤解のないように申し上げますが、ロウ=レイは考えるより体が先に吹っ飛ぶ人間です。
あの時も、そんな深い思慮はなかったものと……」
「まあ、なんてことをおっしゃるんでしょう!?
ロウさまは英雄です、光です! アコガレです!
わたくしは強くなりたい。ロウさまのような、アデムさまのような騎士になりたいのです。
自分で自分の体を、運命を、自由に動かしてみたいのです……
そして必ずや、ロウさまやアデムさまをお助けする騎士となり……きええええいっ!」
ぶん! とトーヴ姫は見えない剣で、見えない敵を打倒した。
青白い頬が紅潮して、キラキラしている。
「ふむ……」
アデムはうなった。こうなったら、どうしようもない。
いったんこういう思考にはまり込んだら、人は他人の言葉など聞かないものだ。
「わかりました姫……では今日からあなたは私の弟子です。弟子とは師匠の言葉を聞くもの。
とにかく今夜は、黄雲騎士寮へ戻りましょう……」
「はいっ! お師匠さま!!」
トーヴ姫は架空の剣をおさめ、また静かな美少女に戻った。だが興奮の名残りで、目がキラキラしている。
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