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第5章「崩落」
第56話「この婚約者には、得体のしれない部分が多すぎる……」
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(UnsplashのNathan Dumlaoが撮影)
トーヴ姫の言葉をザロ伯はあっさりと聞き流し、自分の言いたいことだけを言いつのった。
「話? ああ、ちょうどよかった。ボクからあなたへ言うことがあるんですよ。
よくよく聞いてください。女性はつい注意力が散漫になりがちですからね」
「はあ……でも今日は、私の話を先に……」
トーヴ姫はザロ伯の意識を自分へ向けようと、渾身の力で腕をつかんだ。
辺境伯の青い青い目が見えた。
透明な、青い目。
そのときトーヴ姫は初めて気がついた。
『このひと、世界は自分を中心に回っていると本気で考えているんだわ……』
ある意味では、危険すぎる男かもしれない。
世界は自分だけのためにあり、すべての人は自分が利用するために存在する。ためらいもなく、そう考えている男ほど、危険なものがあるだろうか。
ザロ辺境伯は、なにをやらかすか想像もつかない……。
それでもトーヴ姫は必死にくらいついた。
「あのっ、婚儀の事ですがっ!」
ザロ伯は軽薄そうに笑った。
「ああ、婚儀? どうせ衣装についてでしょう。
女ときたら……からっぽの頭の中には、衣装の事しかないんですね」
『それはお前の事だ、アホボケ伯爵!!』と、
ロウ=レイならそう言って、飾り立てたマントを蹴とばすだろう。
だが、ここにいるのはトーヴ姫だ。
16年を父親の庇護のもとで過ごし、真綿にくるまれて成長した傷つきやすい姫だ。
庭園を散歩するときですら婚約者にずるずる引きずられているような姫に、いったい何ができる……?
だが、トーヴ姫はぐん、とお腹に力をこめた。
心のなかで、レイピアを構える。
そう、この一カ月ばかり、蒼天騎士団長アデムから直々に教えを受けている剣を構えているつもりで、ゆっくりと口を開いた。
「あの、婚儀の時期ですが、遅らせるべきだと思うのです」
くわっ、と辺境伯の青い目が酷薄に光った。
ぞっとしてトーヴ姫は一歩下がる。
なんだろう、この恐ろしさはいったい……。
この婚約者には、得体のしれない部分が多すぎる……。
「婚儀の式をおくらせたい……?
ははあ、ご心配なく、すべてはボクが手配します。
ボクの衣装は黄色の予定です。ほら、結婚したらすぐに黄雲騎士団員になるわけですから、婚儀の時からボクには騎士としての敬意が払われるべきでね。
そこであなたの衣装はうすい緑色です。黄色を引き立てる色です。
ボクは辺境伯であり、黄雲騎士として注目を集めるわけですから、あなたは隣で引き立て役を務めるだけでいいんです。楽でしょう?」
「……はあ」
トーヴはあっけにとられて、そう答えた。ザロ伯の饒舌な口は止まらない。
「あなたは『花のトーヴ』ですし、ボクは美麗な顔を褒められる方です。美男美女の婚儀、ぜったいに評判になりますね。
あ、ボクからの指輪は用意しません。あなたの亡くなったお母さまのものを使います」
「そう……なんですか」
「ボクの母が残した宝石は辺境の城で厳重に管理していますから。あれは非常に貴重なものなんですよ。
ホツェル建国時から伝わるんです。そんじょそこらの宝石と、一緒にしてもらっては困るんだ」
「はあ。わたくしの、母の指輪を……?」
「そうです。
もちろん婚儀の後はその指輪も含めて、あなたの所有するすべての宝石はボクのものになります。
妻の財産はすべて夫に引き渡されますからね」
ザロ伯は、ひくひくと鼻をうごめかした。金色の頭のなかで、結婚後に手に入る財産を計算しているのだろう。
一気に下卑た顔になった。
「くく……宝石、美術品、馬車、土地。あなた名義のものはなくなります。
いりませんよ、だって、みんなの憧れの辺境伯夫人になるんですよ?
伯爵夫人になりたい姫は大勢います。さらにボクの妻になりたい女性は列を作っているくらいです。
あなたは信じられないほど運がいい姫なんですよ。感謝してください」
ここまでくると、トーヴはもはや感心するしかない。
いったいこの男は、どこまで自分勝手で利己的なのだろう。
突き詰めてゆけば、強欲も個性になるのだろうか……。
ただし、トーヴは思った。
一点だけ、非常に重要な一点だけは、ここでザロ伯にきちんと言っておかなければならない。
今後、誤解のないように……。
ぐっと、トーヴ姫はお腹に力を入れた。
「あの、馬車や美術品をあなたが所有されるのはいいのですが、宝石と土地は、あなたのものになりません……」
小さな声で言うとザロ伯は立ち止まり、この世がひっくり返ったような驚きを見せた。
「なんだって? このバカ女は、何を言っているんだ?」
……ばかおんな……?
トーヴ姫の言葉をザロ伯はあっさりと聞き流し、自分の言いたいことだけを言いつのった。
「話? ああ、ちょうどよかった。ボクからあなたへ言うことがあるんですよ。
よくよく聞いてください。女性はつい注意力が散漫になりがちですからね」
「はあ……でも今日は、私の話を先に……」
トーヴ姫はザロ伯の意識を自分へ向けようと、渾身の力で腕をつかんだ。
辺境伯の青い青い目が見えた。
透明な、青い目。
そのときトーヴ姫は初めて気がついた。
『このひと、世界は自分を中心に回っていると本気で考えているんだわ……』
ある意味では、危険すぎる男かもしれない。
世界は自分だけのためにあり、すべての人は自分が利用するために存在する。ためらいもなく、そう考えている男ほど、危険なものがあるだろうか。
ザロ辺境伯は、なにをやらかすか想像もつかない……。
それでもトーヴ姫は必死にくらいついた。
「あのっ、婚儀の事ですがっ!」
ザロ伯は軽薄そうに笑った。
「ああ、婚儀? どうせ衣装についてでしょう。
女ときたら……からっぽの頭の中には、衣装の事しかないんですね」
『それはお前の事だ、アホボケ伯爵!!』と、
ロウ=レイならそう言って、飾り立てたマントを蹴とばすだろう。
だが、ここにいるのはトーヴ姫だ。
16年を父親の庇護のもとで過ごし、真綿にくるまれて成長した傷つきやすい姫だ。
庭園を散歩するときですら婚約者にずるずる引きずられているような姫に、いったい何ができる……?
だが、トーヴ姫はぐん、とお腹に力をこめた。
心のなかで、レイピアを構える。
そう、この一カ月ばかり、蒼天騎士団長アデムから直々に教えを受けている剣を構えているつもりで、ゆっくりと口を開いた。
「あの、婚儀の時期ですが、遅らせるべきだと思うのです」
くわっ、と辺境伯の青い目が酷薄に光った。
ぞっとしてトーヴ姫は一歩下がる。
なんだろう、この恐ろしさはいったい……。
この婚約者には、得体のしれない部分が多すぎる……。
「婚儀の式をおくらせたい……?
ははあ、ご心配なく、すべてはボクが手配します。
ボクの衣装は黄色の予定です。ほら、結婚したらすぐに黄雲騎士団員になるわけですから、婚儀の時からボクには騎士としての敬意が払われるべきでね。
そこであなたの衣装はうすい緑色です。黄色を引き立てる色です。
ボクは辺境伯であり、黄雲騎士として注目を集めるわけですから、あなたは隣で引き立て役を務めるだけでいいんです。楽でしょう?」
「……はあ」
トーヴはあっけにとられて、そう答えた。ザロ伯の饒舌な口は止まらない。
「あなたは『花のトーヴ』ですし、ボクは美麗な顔を褒められる方です。美男美女の婚儀、ぜったいに評判になりますね。
あ、ボクからの指輪は用意しません。あなたの亡くなったお母さまのものを使います」
「そう……なんですか」
「ボクの母が残した宝石は辺境の城で厳重に管理していますから。あれは非常に貴重なものなんですよ。
ホツェル建国時から伝わるんです。そんじょそこらの宝石と、一緒にしてもらっては困るんだ」
「はあ。わたくしの、母の指輪を……?」
「そうです。
もちろん婚儀の後はその指輪も含めて、あなたの所有するすべての宝石はボクのものになります。
妻の財産はすべて夫に引き渡されますからね」
ザロ伯は、ひくひくと鼻をうごめかした。金色の頭のなかで、結婚後に手に入る財産を計算しているのだろう。
一気に下卑た顔になった。
「くく……宝石、美術品、馬車、土地。あなた名義のものはなくなります。
いりませんよ、だって、みんなの憧れの辺境伯夫人になるんですよ?
伯爵夫人になりたい姫は大勢います。さらにボクの妻になりたい女性は列を作っているくらいです。
あなたは信じられないほど運がいい姫なんですよ。感謝してください」
ここまでくると、トーヴはもはや感心するしかない。
いったいこの男は、どこまで自分勝手で利己的なのだろう。
突き詰めてゆけば、強欲も個性になるのだろうか……。
ただし、トーヴは思った。
一点だけ、非常に重要な一点だけは、ここでザロ伯にきちんと言っておかなければならない。
今後、誤解のないように……。
ぐっと、トーヴ姫はお腹に力を入れた。
「あの、馬車や美術品をあなたが所有されるのはいいのですが、宝石と土地は、あなたのものになりません……」
小さな声で言うとザロ伯は立ち止まり、この世がひっくり返ったような驚きを見せた。
「なんだって? このバカ女は、何を言っているんだ?」
……ばかおんな……?
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