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ツヴァイは今代魔王の産み落とした第二世代の直系魔族である。
現在の活動年数は七年ほどと、第八まで存在する直系魔族の中では比較的長く活動している。
故に相応に強い。少なくとも、王家直属だろうと多少腕の立つ護衛程度は、危なげなく一方的に皆殺しにできる。
人類からすれば理不尽な話ではあるが、それは当然のことだった。
魔族とは、言ってしまえば魔王の分体のようなものだ。その基本性能が根本的に人類とは異なる。
魔力はもちろん身体能力でさえも、例外はあれど、それこそ大人と子供ほどの差があるのだ。
そんな能力差を持ちながら敗北するなど、有り得ない話だろう。
実際、今代勇者の護衛とやらも、さしたる苦もなく簡単に始末することができた。
そう、ツヴァイと第五世代の部下三名がここにやって来たのは仕事のためである。
情報を頼りに馬車を発見し、【炎坐濁流】を不意打ちで放った。それで大半の護衛と御者、馬は殺したが、馬車に防護の術が掛かっていたようで、馬車の中と馬車の陰にいた護衛は生き残ってしまった。
とはいえ、それほど問題があるわけでもなかった。
前述の通り、魔族と人類では根本的に性能が違うのだから。護衛の中に例外の存在は居らず、簡単に殺せた。
その途中で、馬車から今代の勇者と思われる幼子と二人の女が出てきた。それ自体は構わない。わざわざ馬車をこじ開ける手間が省けるのだから。
だが、逃げられるのは面倒だった。
どうせ大した距離を稼げるはずもないが、目の届かない場所に行かれては困る。
手早く護衛を片付けるため、魔術を使った。
まだ何人かは残っているが、そちらは部下に任せれば良い。
都合よく盾になりそうな女二人は逃げ出した。
ツヴァイは最速で勇者に迫り、剣を振り上げた。
勇者は……いや、幼子は、状況を理解できていないかのように、呆然とツヴァイを見上げていた。
刹那、ツヴァイの動きが止まった。
これは、この子は本当に勇者なのだろうか。
いや、情報に間違いはないはずだ。その情報とこの幼子の容姿に差異はない。恐怖に染まった顔をしていようと、間違っているはずがないのだ。
であれば、どれほど幼くともこれは敵だ。
いずれ王を殺すものだ。
本当に、それは刹那の逡巡。
間と呼べるほどの時間ではなかった。
強いたとて、誤差と呼べるかも怪しい。
逡巡を振り切り剣を振り下ろすまでの間。
それは、勇者には十分な時間だった。
小さな勇者が、魔力を動かしたことに気付いた。
ここに来て、ようやくツヴァイは己の過ちを知った。
だが、もう遅い。魔術を起動するよりも剣を振り下ろす方が速いのは自明だ。もし魔術を起動できたとしても、生半な防御結界など容易く斬り伏せられる。仮に攻撃を選ばれたとしても、無視して斬る。所詮ツヴァイは魔王の分体だ。相討ちだろうと、勇者を消せるならそれで構わない。
必死の決意とともに剣を振り下ろすツヴァイの思惑など、勇者は知る由もない。
「【微風】」
小さな呟きがツヴァイの耳に届いた瞬間、二人の間で爆風が発生した。
それは、とても微風などとは言えない規模の暴風だった。
しかし、所詮はただの風である。ツヴァイの剣を止めることなど出来はしない。
だが、勇者の目的はそれではなかった。
勇者の起動した魔術はツヴァイや剣ではなく、勇者自身を吹き飛ばし、ツヴァイの剣は空振らされた。
ふざけたやり方だ。
いくらただの風であろうと、ツヴァイの剣から逃れられる速度で身体が吹き飛ばされて、ただで済むはずがない。成熟していない身体では、たとえ受け身が取れたとしても、骨や筋が壊れても不思議はないだろう。
言ってしまえば、致命傷を避けるために自爆したようなものだ。
再び感じた魔力の動き。またも発生した風は吹き飛ぶ勇者の身体を減速させた。しかし、完全に止まったわけではない。そんなことをすれば、それこそ身体が壊れる。
だが、それでも真面に受け身を取れる程度には減速できたようだ。
姿勢を低くツヴァイを見る勇者は、先程とは別人のような無表情に冷えた眼をしていた。
どこか背筋が震えるような感覚を覚えながら、ツヴァイは吹き飛んだ勇者を追って駆けていた。渾身の一撃を避けられたのは事実だが、一手逃れられただけだ。この程度、すぐに詰められる。
それでも勇者の表情は変わらない。
どこまでも冷徹な無表情で、淡々と魔力を動かす。
起動したのはまたも風の魔術だ。馬鹿の一つ覚えかと呆れながら、ツヴァイもまた魔術を起動する。
ツヴァイが使った魔術も風の魔術だ。
勇者の風による高速移動を妨害するように風を起こした。当然ながら勇者が減速に使った風と違い、身体を気遣うような止め方はしなかった。
あるいは運が良ければそのままトドメをさせたかもしれないが、残念ながらそうはならなかった。
勇者が起こした風は先程までに比べて弱く、ツヴァイが起こした風によって勇者は吹き飛んだ。
「読まれた……だと?」
いや、おそらくは読まれたわけではない。
ツヴァイの魔術起動を見て、自身の魔術の規模を変化させたのだ。
瞬時の判断としては化け物染みているが、有り得ないというほどではない。魔王や第一世代なら当然の如くやってのけるだろう。
たかが五つの幼子であれば、結局は異常であるが。
しかしこの場であれば、やはり奴が勇者なのだという確信が深まっただけだ。
それに、さらに一手必要にはなったが、勇者が吹き飛んだ方向は悪くない。
そちらの方向には部下たちがいるのだから。
ちらりと確認すれば、部下はまだ護衛たちと戦闘を続けているようだった。何を遊んでいるのかと苛立ったが、よく考えればツヴァイが勇者に迫ってからまだ数秒しか経っていない。
仕方がないと思い直し、勇者を追いながらもう一度魔術を起動する。今度は勇者を殺すためではなく、護衛を片付けるために。
使ったのは土を動かす魔術だ。
何もないところに火や風、水や土を生成する魔術と違い、現実に存在するものを動かす魔術は少し特殊だ。
生成であれば、単に『そこに在る』ということにするという世界に対する自我の強さ。悪く言えば我儘さが重要となるが、これは案外、慣れれば誰にでもできる。
しかし逆に、現実にあるモノを動かす、つまりは操作の魔術では、その我儘さが枷となる。
操作の魔術で必要となるのは、『己を動かすモノの一部』ということにする、いわば同調性だ。自分を殺すのではなく、自分を変える技術。これは練習しても難しい、適性の問題と言っても良い。
言い換えると、自己の外側の現実を歪めるのが生成系の魔術であり、自己の内側の現実を歪めるのが操作系の魔術なのだ。
ツヴァイが用いたのは土を操作する魔術だ。
己を地面の一部とし、また地面を己の一部とする。つまりは地面とは己である。故に動かすことができる。
そんな単純なロジックで操作の魔術は起動した。
決してロジックが単純であるためではないが、魔術が齎した効果もまた単純だった。
ツヴァイが魔術を起動した瞬間、護衛たちの足元の地面が沈んだ。
ただの落とし穴未満の即席トラップと侮るなかれ。どんなに浅くとも、落とし穴とは恐ろしいものだ。
例えば、階段を降りるとき、足を踏み外したことはあるだろうか。あるいは踏み込んだ地面が思ったよりも低かった、そんな経験でも良い。
なんであれ、そこにあるはずの地面がない、というのは、大袈裟ではなく死を覚悟するほどに恐ろしいことなのだ。咄嗟に落ち着けるようなものではない。
特に戦闘中であれば、そんな隙があればどうなるか。
当然の結果として、護衛たちはバランスを崩し転んだ。
その隙をついて部下が勝利する。そのはずだった。
だが、ツヴァイの目論見は上手くはいかなかった。
部下たちの足元の地面もまた沈んだためだ。
当然これはツヴァイの魔術の効果ではない。効果範囲の設定を間違えるような初歩的なミスをするはずがなかった。
であれば下手人は勇者ただ一人だ。
操作系も使えるのか、と臍を噛むが、それでも部下たちの勝利が揺らぐとは思えない。身体能力が上である以上、バランスを取るのもこちらの方が早いのだから、多少遅れはしても、結果は変わらない。
そう考え、勇者との距離を詰める。
最早お決まりのように、勇者が風の魔術を起動した。
「なに?」
しかし、今度の風は勇者自身を吹き飛ばすためのものではなかった。
部下と護衛たちの間に発生した風は、バランスを崩した両者を容易く吹き飛ばした。
ツヴァイが小さく舌打ちした。仕切り直された。これでは護衛がすぐに死なない。ここからは勇者からの魔術支援が護衛たちに入るため、決着は泥沼になってしまう。
それでも勝ちが揺らぐとは思えないが、ツヴァイの頭には不安がちらついていた。
それはきっと、相手が勇者であるが故だろう。
先代魔王の敗北が、ツヴァイの意識にも影響を与えているのだ。
敗北の予感を振り払い、ツヴァイは更に勇者に踏み込んだ。
魔力が動き、またも風で逃げるのかと思えば、勇者はすっとツヴァイに手を伸ばした。
本能が、全力で警鐘を鳴らした。
踏み込みで得た力を、全て横に逸れるために使う。それだけでは足りず、勇者の真似をするように風の魔術で自分の身体を加速させた。
急激な方向転換と衝撃に骨が軋むような感覚がしたが、その程度で済んで良かったと言うべきだろう。
「爆ぜろ」
本来ツヴァイがいた場所が、文字通り爆ぜた。
種も仕掛けも無い、ただの魔術による爆発だ。
あのまま進めば死んでいた、という事実さえ勘定に入れなければ、特段珍しいものでもない。
だが、ツヴァイは驚愕していた。
今のは、ツヴァイの魔術だ。
厳密には、ツヴァイが護衛を殺すために用いた魔術だ。
一般的に、魔術には個性が出る。
魔術とは現実を歪めるものだ。同じ結果を求めたとしても、その歪め方には本人の性質やその日の体調などが大きく影響する。だから厳密には、この世に同じ魔術は存在しないと、そう考えるべきなのだ。
そしてそれは、勇者でも魔王でも変わらない。
しかし、今の爆発と、ツヴァイの魔術は全く同一のものだった。
ありえないことだ。普通に考えれば。
個性が出ないということは、それは魔術を完璧にコントロールしているということなのだから。
もしも本当にそうであるのなら、この勇者は既に、魔術に於いては先代や魔王を超えている。
いやそれ以前に。
「……なるほど」
勇者の呟きが、耳に届く。
たった今死にかけたことなど、比較にならないほどの恐怖を感じた。背筋が震え、冷や汗が吹き出す。
これは、こいつは駄目だ。
顔を見れば分かる。無表情な部分は変わらないが、眼が違う。感情を感じさせなかった冷えた眼は、文字通り玩具を得た子供のように輝いている。
今の爆発はただの実験だ。
初めて見た魔術を見様見真似で試してみただけ。その結果を経て、次はきっとあいつにとって最適化された魔術が起動する。
そもそも、知らない魔術を見ただけで真似するなんて、そんなことができて良いはずがない。それがただの風を起こすような魔術ならまだ分かる。真に才があればそういうこともあるだろう。
だが、爆発の魔術は珍しくはなくとも簡単な魔術ではない。魔族の中でも才ある方であるツヴァイとて、会得するにはしばらくかかった。ただの風や火と比べ、生成に必要なイメージが膨大になるためだ。
それを、ただ見ただけで扱う。笑い話にしても三流だ。現実であるならもっと笑えない。
いや、そもそもそれが真実である保証もない。
元々修練していた魔術である可能性もあるのだから。
思考を落ち着けるため、そう自分に言い聞かせていく。であれば何故ツヴァイと完全に同一の魔術を使用できたのか、という疑問が出てくるのだが、ツヴァイはそれを努めて無視した。
それに、たとえ魔術の才が常軌を逸していたとて、それだけで敗北するほどツヴァイという魔族は弱くない。
己を奮い立たせ、ツヴァイは剣を構える。
動揺はしたが、長時間呆けていたわけでもない。
部下たちもすでに起き上がり、再び護衛たちと剣を交えている。数的有利を取れなかったのは誤算だが、有利を取れていないのはこの勇者とて同じこと。
であれば、競い合うのは純粋な地力だ。それならば、年季の差でツヴァイが勝利することも十分に可能だ。
「総員! 魔術は使うな!」
念のために指示を出し、勇者に向かって一歩踏み出す。
この勇者相手に魔術を使うのは、半ば自殺行為と言っても過言ではない。これ以上相手の手札を増やすのは危険だ。
予想していたのかそうでないのか、表情からは何一つ読み取れなかったが、勇者に動揺した様子はない。
魔力の動き。
また爆発が来ると直感した。
瞬時に結界を、爆発は防げるが、ツヴァイ自身の剣は防ぎきれない強度の防御結界を張った。
単純な破壊力であれば爆発は剣に勝るが、爆発の威力はすぐに分散するため、結界を破るのには向いていない。
直後、ツヴァイの張った結界が弾けた。
爆発の威力が想定以上に高かったためだ。
本当に最適化されてきた。いや、あるいは威力を増すように調整しただけかもしれない。
どちらにせよ関係はない。結界は破られたが、ツヴァイは無傷だ。踏み込むための勢いは死んでいない。このまま斬れる。
だが、その想定が実現することはなかった。
ツヴァイが無様に転んだからだ。
想像すらしていなかった出来事――踏み込んだ先に地面がなかったという事実――に、思考が硬直する。
思考が再起動し、土の魔術を使われたのだ、と理解するのに、しばしの時間を要した。
魔力の動きは感じなかったが、おそらくは爆発と同時に使って隠蔽したのだろう。先程ツヴァイは爆発を防ぐことに集中していたために気づけなかった。
同時起動はただでさて難しく、特に生成と操作を同時に起動するのは難易度が高いが、この勇者であればできると考えて然るべきだった。
勇者の位置を確認すると、既に大きく移動していた。
そればかりか、護衛たちと斬り合っていた部下の一人が爆発により命を落としている。
怒りで目の前が真っ赤になった。
「貴様っ! 許さんぞ!」
意識すらせず、自然と怒鳴り声が出た。
「お前が言えたことか?」
平坦な声で返されたが、怒りが収まることはない。
だが、怒りのままに吶喊するような真似はしなかった。
ここまでの交戦で、それが意味のない行動であると理解したからだ。単に接近するだけでは、勇者は必ず対応する。
確実に護衛たちを減らし、部下たちと共に数で押し潰す。
そのために、護衛たちに爆発の魔術を使う。部下も巻き込む可能性はあったが、そちらは全く心配していなかった。
当然のように張られた結界が、想定通りに爆発を防いだ。
その結果に頓着はせず、爆発の魔術を連射していく。一枚目の結界は三発目で破れたが、すぐに張り直された二枚目以降の結界は五発までは耐える。
しかし関係はない。爆発を連射しながら、同時に土の魔術を使う。だがそちらも、勇者が土に干渉してきたせいで失敗した。狙い通りとほくそ笑み、土の魔術を継続する。
ツヴァイの狙いに気付いたためか、勇者が小さく舌打ちした。
ツヴァイの狙いは、勇者に魔術を使わせることだ。
いくら勇者であっても、同時に使える魔術には限界がある。その限界は一般的に二つか、ごく稀に三つ以上使える者がいる。この勇者であれば三つ以上使えたとしてもおかしくはない。
だが、それでも限界はある。いずれできるようになるとしても、成熟していない脳では三つ以上の術は扱いきれないと、ツヴァイは読んだ。いや、賭けたのだ。
このまま粘っていれば、勇者の魔力を削れるし、支援なしで部下と護衛が戦えば順当に勝つのは部下だ。さらにここから魔術の使えない勇者をツヴァイが剣で攻め立てていく。
一人殺されたのは痛手だが、ツヴァイたちが負けることはまずない。
それを良しとしないのは当然ながら勇者だ。
しかし、実質的に魔術を縛られた彼女に取れる手は少ない。いずれ訪れるはずの未来であれば、もう一つ魔術を使うか、あるいは剣を握るといった手もあっただろうが、今の彼女の身体はそれを選ぶにはあまりにも脆弱すぎる。
故に勇者の選んだ手は実にシンプルなものだった。
パッと、勇者は結界を解いた。
タイミング自体はツヴァイにとっては悪く、部下を巻き込んではしまった。だが護衛たちへの被害はそれ以上だ。四人いた護衛は皆死に絶えた。いや、生きている可能性はあるが放置すれば確実に死ぬし、少なくともこの戦闘中に復帰することはない。
何の躊躇いもなく仲間を見捨てた勇者に、ツヴァイは対応できなかった。
結界と同時、土の魔術すらも解除した勇者は瞬時に魔術を動かし、爆発の魔術を起動した。
その狙いは、ツヴァイではなく部下たちだった。
反射的に結界を張り身を守ろうとした部下たちの対応力は賞賛に値するが、相手が悪かった。
張られた結界は破られたものの、爆発自体は防いだ。部下がそれに安心したのも束の間、ツヴァイがやったのと同じように爆発は連射され、部下の一人は砕け散り、もう一人はそれに煽られ吹っ飛んでいった。
瞬く間に全滅した部下を横目に、ツヴァイは剣を振るっていた。
守るのは、どう足掻いても間に合いそうになかった。
だからツヴァイは、憤怒に胸を灼かれながらも部下を見捨て、勇者を確実に仕留めることを選んだのだ。
使う魔術を肉体の強化のみに絞り、勇者の反応すら追いつかない速度で首を刎ねる。
過去最速の一撃が勇者に迫り、身体に届く。
刹那。
ツヴァイの剣が折れた。
それは経年劣化や物理的な衝撃に因るものではなかった。まるで初めからそういう形であったかのように、刃と柄が離れていた。
肉体の強化により齎された極限の思考速度故か、ツヴァイは即座に原因を看破した。
(操作の魔術かっ!)
そう、勇者がツヴァイの剣に魔術を使ったのだ。
簡単なことではなかったはずだ。金属、鋼を操作するのは土とは比にならないほど難易度が高く、決して反射的にできるようなことではない。
先程まで勇者は爆発の魔術しか使用していなかった。その間、ずっと剣に魔術を掛け続けていたのだろう。ツヴァイの剣は業物ではあるが決して特殊な物ではない。更に、ツヴァイが使う魔術を絞ったのも勇者にとって幸いした。普段は魔力を流し強化しているため、魔術に対する抵抗もあるが、今だけはごく低くなっていたのだ。
だが、剣が折れたことは勇者の危険が去ったことを意味しない。剣が折れても、刃には慣性が残っているのだから。
勢いそのままに、刃は勇者に迫る。
だが、そんなことを彼女が予想していないはずもない。
使い手を失い、ただ勢いがあるだけの刃を、勇者は素手で掴み取った。受け止め切れるものではなく、掌に刃が食い込み血が噴き出すが、骨を断たれるようなことはない。その程度の傷は後で治せる。
痛みはあるだろう。しかしそれを一顧だにせず、勇者は更に強く刃を握る。
操作の魔術は未だ継続されている。握りしめられた部分の刃は勇者の手でも握れる太さに変わっていた。
多少短くなったとはいえ、依然身の丈よりも長い剣を逆手で握る勇者。
ツヴァイの目には、それを振り抜こうとする勇者の姿が鮮明に映っていた。
だが、それは甘すぎる。
剣を失ったとて、近距離では体格でも技術でも力でも、何を比べてもツヴァイが有利だ。この距離では爆発の魔術を使えば本人も逃れられない。それ故の判断だったのだろうが、このままいけば順当に勝てる。
そう考えていたツヴァイに、想定以上の速度で刃が迫った。
肉体強化の魔術を使っているのだと気付いたが、生憎とツヴァイは既に覚悟を決めている。
刃を躱す必要はない。
片腕で受け、もう片方の拳を振り抜けばそれで終わりだ。
「我らの、勝ちだ!!!」
振り抜かれた拳は、見えない壁に止められた。
「なっ」
結界だった。
剣を変形させ終え、勇者はすでに使う魔術を変更していた。
結界は、剣は防ぎきれないが、爆発は防げる。
ツヴァイが使った結界よりも、勇者が使う結界は堅牢だった。それでも剣は防ぎきれないだろうと考えていたが、拳はその限りではなかったのだ。
理解が追いつくそのときには、既に勇者の刃がツヴァイの腕を斬り飛ばしていた。
その勢いのまま、刃は首へ吸い込まれるように疾る。
刃が首へ触れた瞬間、勇者が吹っ飛んだ。
「お逃げください!」
部下の声を聞き、勇者が剣を手放し、風の魔術で移動したのだと遅れて理解した。
ツヴァイは肉体強化の魔術を維持したまま、一心不乱に逃げ出した。
勇者であっても追いつける速度ではなかった。
故に、彼だけは生き残ったのだ。
無様に。
惨めに。
哀れにも。
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