毒舌王子は素直になれない

九条りりあ

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序章

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ここは大陸の東側に位置する小国の一つ『アルバーン』の王都『エミール』。この国の東側は広大な海が広がり、西側は豊かな森林が広がっている。人々はそこで牛やヤギを飼い、田や畑を耕しながら陽気に歌う。港町ではその日獲れた魚を競る市場が開かれ、毎日賑わっている。街には活気があり、そこに住む人々の表情は明るい。まさに、平和を絵にかいたような国である。

【東国に呪われた終焉の地あり。空は黒き雲で覆われ、光届くことのないかの地は魍魎の都なり】

これはこの地を歌った詩の一節である。この詩の一節の通り、平和なこの国もかつてはドラゴンや魔物が蔓延り荒れ果てた大地が広がっていたのだという。伝承では、空から太陽の光が降り注ぐことないその空は黒い雲で覆われ、大地はドラゴンや魔物の血で赤く染まり血生臭い大地が広がっていた。東国から吹く風は絶えず鉄の匂いがしたという記述もある。

【黒き衣をまとい、漆黒の髪をなびかせ、憂いを帯びた深い藍色の瞳で終焉の地と変わり果てた大地を眺める者あり】

そんな誰一人立ち入ることのできなかったその土地を憂い、人々が恐れるしかなかったドラゴンや魔物を魔法で追い払ったのが、時の大魔導士『エミル・アルバーン』。西国の名高い大魔導士だった彼はただ一人でこの地に入り、7日間の死闘の末この地を平定せしめた。エミルは、『終焉の地、魍魎の都』とまで言わしめられたこの荒れ果てた大地を救った英雄と崇められた。彼は人々に願われ、この国を統治する初代国王になった。彼が救ったこの地を人々は感謝を込めて『アルバーン』、王都を『エミール』と呼び、以後その平穏は保たれ、彼の血を受け継いだ子孫たちがこの国を治めている。

つまりは、『エミル・アルバーン』は“僕たち”の先祖ということになる。

……と、ここまで語ってしまえばお分かりだろうが“僕”はこの国の王家の者ということになる。

名は、『ジョシュア・アルバーン』。この国の第一王子にして、王位継承権第一位ということになっている。年の功は21。次期国王になるために魔術に剣術、この国の人々を守るためにありとあらゆることを学び己を磨いている。優しい母、威厳ある父、信頼できる家臣たち。周囲の人々はとても温かい。だからこそ、悩みなどほとんどない。否、正確に言えば、“ある一点”を除いては心配事などないのである。

さて、どうしたものか――……、と思い至ったところで『ジョシュア様?』と鈴の音のような美しい凛とした声がすぐ傍で聞こえハッと我に返った。我に返り、声が聞こえた方に顔を向けると、“彼女”は明るめの茶色の長い髪を後ろに束ね、薄紫色の瞳を心配そうに揺らしていた。どうやら物思いに更けてしまっていたようだ。

そんな“彼女”に『あぁ、大丈夫だよ。少しぼんやりしていただけだ』と安心させるように微笑むと、『左様ですか?』と安心したようにスッと肩を落とした。そんな“彼女”の様子を見やってから、目の前に置かれている円状の白いテーブルに視線を向けると紅茶の入ったカップが手前に一つ対面に一つ置かれている。どうやら声をかけてくれた“彼女”が置いてくれたようだった。

王宮の“僕”が与えられた一室に設けられたバルコニー。日当たりのよいその場所はお茶をするにはもってこいだ。“彼女”が置いてくれたもう一つのカップ、つまりはテーブルを挟んで“僕”の対面に座っているのは、どこまでも黒い漆黒の髪の男。髪の色が近ければ近いほど魔力が高いとされている。つまりは、この男の魔力は計り知れないということに他ならない。そんな漆黒の髪を風が揺らし、無造作に“彼”がかき分けると“彼”の双眼が露になった。“彼”が持つ深い藍色の瞳は宝石のサファイアのような輝きを持っている。切れ長な目はいかにも涼し気で、端正な顔立ちをした男は、左の肘をテーブルにつき、自らの頬を左手で支えていて、その顔はどこか不機嫌そうだ。

「で、兄上。話というのは何だ?」

 彼の名は、『ジェラルド・アルバーン』。この国の第二王子にして、3つ下の“僕”の弟。特に魔法に関しては僕よりも優れており、『エミル・アルバーン』再来だと言われているほどの魔法使いだ。18歳にしてこの国一番の魔道士に与えられる『黒き魔導士(ブラックソーサラー)』の称号を与えられ、この国を守る魔導騎士団の団長でもある。

 ちなみに僕の心配事というのは、よくある兄弟間の王位継承権争いなどという類のものではない。兄弟仲は良好だ。

「ジェラルド様。そのように不機嫌そうにされるとジョシュア様も話されにくいかと」

 そこに窘めるように言ったのは先ほど“僕”に声をかけてくれた『エリン・ルノアール』。ジェラルドに仕える侍女の1人だ。主にジェラルドの身の回りのことをするのが仕事。年はジェラルドと同じく18。彼女は今まさに“僕”とジェラルドの目の前に綺麗に盛り付けられたクッキーを置こうとしていた。8歳の頃からジェラルドに仕えてきているので、もうかれこれ10年の付き合いになる。付き合いも長く、年も近いため気が置けない間柄。身分は違えど、僕自身幼馴染のように思っている。

「別に不機嫌なつもりはない」

 そういってそっぽを向くジェラルドは兄の“僕”から見ても不機嫌そうにしか見えない。そんなジェラルドを見やっているとジェラルドの脇に控え、同じように彼を見ていたらしいエリンと目が合う。そして、どこか困ったように申し訳なさそうに“僕”を見るエリンに、大丈夫だよと微笑みかけジェラルドに視線を移すとジェラルドはエリンをちらりと見やって、さらにむすっと不機嫌そうな表情を浮かべていた。そして面白くなさそうにエリンが淹れた紅茶のカップを左手で取った。

その様子を見ながら、全く、と心の中でそっとため息をつきながら、“僕”もジェラルドと同じように、紅茶の入ったカップの取っ手を右手で掴み、カップの淵に口をつけ、かぐわしい香りのする紅茶を口に含むと口当たりのよい苦さが口の中に広がる。ほどよい苦さにふーとなごんでいると

「茶が薄い」

同じく紅茶に口をつけていたジェラルドがコトンとソーサーの上に自ら持っていたコップを置いた。

「これなら俺が淹れた方がマシだ」

 そして、傍らに控えるエリンを見上げる。瞬時にこの場が凍てついた。その沈黙を破ったのは

「では、もう一度入れなおしましょう」

にこにこしているエリンなわけで……。

「茶葉の無駄だ。結果は同じだろう」
「…………」

ばっさりと言い切ったジェラルドにエリンは黙ったまま微笑んではいたが、張り付けた笑みが今にも攣りそうだと顔に書いている。まさに、一触即発しそうな雰囲気に内心頭を抱えながら

「ぼ、僕はエリンが淹れてくれた紅茶美味しかったな。もう一杯いただこうかな?」

慌てて“僕”がそう言いつくろうと『本当ですか?』とエリンはぱぁと笑顔になる。対してジェラルドはふんと鼻を鳴らして面白くなさそうに空になったカップの底を見つめたまま口を開いた。

「早く準備して来たらどうだ?兄上はお前と違って忙しいんだ」

 ジェラルドの言葉に一瞬ムッと眉を細めたが

「そうですね。次こそはジェラルド様にも美味しいと言っていただけるよう善処してまいります」

ジェラルドと僕に丁寧に礼を取り、踵を返してエントランスから出ていった。そんなエリンを横目で見て、一層ぶっきらぼうな顔になったジェラルドを見ながら、僕は心の中でそっとため息をついた。バタンとエントランスの扉が閉まり切るのを見届けて、僕は目の前に座っているジェラルドを見た。すると

「で?」

ジェラルドは何事もなかったかのように僕を見た。

僕の心配事は目下このことなのだ。小さくため息をついて僕はジェラルドに言った。

「“僕”に嫉妬したのはわかるのだけれど、エリンに当たることはないだろう?」
「…………」
「心にもないことを言って……。本当は紅茶は美味しかったんだろう?」
「…………」
「全部、飲み干してる」
「…………」

 ジェラルドの前に置かれている彼のカップを指させば、カップの底に描かれた美しい蝶の絵が見えていた。ジェラルドはすっかり黙り込んでしまった。そんな彼に『ジェラルド』と彼の名を呼びかけて

「お前はエリンに優しくできないのか?」

その藍色の瞳を見るとふいっとそっぽを向いてジェラルドはつまらなそうに答えた。

「……“兄さん”には関係ない」

 そして突然スッと立ち上がる。少し長めの漆黒の髪がゆらりと揺れた。

「どうした?」

 立ち上がったジェラルドを見上げると広がる青空に輝きを放っている太陽が眩しい。眩しさに目を細めながらジェラルドを見ると、痺れを切らしたとばかりに口元をわずかに尖らしている。

「アイツが遅いから、急かしてくる」
「今さっき行ったばかりじゃないか?」
「…………」

 僕の言葉に何も答えずジェラルドは僕に一つ礼をして、踵を返してエントランスを足早に出ていってしまった。背筋を正して真っすぐと歩んでいくジェラルドの後ろ姿が扉で見えなくなって、僕は『全く、あいつは……』と息を吐いた。何となく、弟の考えていることがわかったからだ。

「エリンが自分の目の届くところにいないから落ち着かない……からか?」

 まぁ、この一部始終を見てもらえばわかると思うが

「もう少し素直になればいいものを……」

要するに“僕”の心配事というのは、『弟のジェラルドが幼馴染の侍女に素直になれない』ということなのである。

 カップに残ってある紅茶を一口飲んで

「はてさて、どうなるか……」

そう小さく独り言ちて、眼下に広がる町並みを眺めた。

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