桜吹雪と泡沫の君

叶けい

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第九話 壊れていく

scene23 懐古

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ー慶一ー
照明の絞られた薄暗い店内に、控えめな音量のジャズピアノが流れている。
手に持ったロックグラスの氷が、カラリと音を立てる。琥珀色の液体はかなり薄まってしまって、酒の匂いがしない。
「もう一杯、同じものを」
カウンターに立つ白髪のマスターにグラスを上げて見せる。マスターが頷いたのを確認してから、グラスに残ったウイスキーを喉に流し込んだ。
大学生の頃に時々来ていたバーだった。あの頃、格好つけたくてわざと度数の高い酒を頼んでは、悪酔いしていた事を思い出す。
教師になってからは、酒を飲む頻度も付き合い程度に減っていた。久しぶりに流し込んだウイスキーが胃の底を熱くする。
目の前に、さっきと同じデザインのグラスに入ったスコッチウイスキーが置かれた。
手に取ろうとした瞬間、背後から色白の細い指が伸びてきてウイスキーグラスを掠め取られる。
「何、飲んだくれてるんだよ。珍しい」
振り返ると、久しぶりに見る顔がにやにやしながら俺を見下ろしていた。
「……世良せら
返せよ、とグラスを奪い返そうとするが、からかうように世良はひょいとグラスを高く上げてしまう。
「何飲んでるんだよ?」
立ったまま勝手にひとのグラスに口をつけると、世良は顔をしかめた。
「うっわ、強い酒飲みやがって」
世良はようやくグラスを置くと、ジントニック、とカウンターに向かって呼びかけ、隣の席に腰を下ろした。
「どうした、ここで見かけるの久しぶりじゃん」
高校時代からの友人である世良とは、酒が飲める年になってからよく二人でこのバーに出入りしていた。
「お前こそ、医者がこんなところで酒飲んでていいのかよ」
「今日はもう非番だからな。PHSも置いてきてやった」
マスターがジントニックを世良の前に置く。俺は、黙って自分のウイスキーグラスに口をつけた。
「何、透人ゆきとチャンと喧嘩でも?」
軽い調子で聞いてくる世良は、俺と透人がどこで知り合って、どういう関係になったのかも全部知っている。俺が酔った勢いで、このバーで洗いざらい話したことがあるからだ。何度か直接会わせたこともある。
「……俺は、何か間違っていたのかな」
呟くと、世良は続きを促すようにこちらの様子をうかがいながら、ジントニックを口に含んだ。
「四年も一緒に住んでるのに、余計に距離が遠くなった気がするんだ」
「倦怠期?」
「いや……」
グラスを置いた。溶けかけていた氷が、傾いて音を立てる。
「俺はうまくやっていたつもりだったんだけど、あっちは違ったらしい」
「浮気でもされましたか」
冗談ぽく聞いてくる世良に、みたいだな、と返す。
途端に吹き出す世良。
「まじ?うけるな」
「何がおかしいんだよ」
「いやー、あの真面目っ子が浮気するような甲斐性身に着けたのかと思うと、笑えるなって」
世良は頬杖をつき、透明なグラスに浮いた水滴を細い指でなぞる。
「高校生の頃は一途に、お前の事追っかけてたからなあ。それに甘えちゃったか?」
「……」
黙ってウイスキーを舐める。脳裏に、まだ高校生だった頃の透人の顔が浮かんだ。
「俺の幼馴染が、さ」
世良は、半分近く減ったジントニックのグラスを傾けた。
「ほら、前にも話したじゃん。心臓が悪くて、俺が今、主治医してんの」
「……ああ」
「あいつがよく言うんだよな。永遠に続くものなんてあるわけないって。何でそんな希望も何も無いこと言うんだよって言い返したら、なんて言ったと思う?」
「……さあ」
世良は小さく笑って俺を見る。
「どんなものも、限りがあるから美しいんだって。何もかも永遠に続いていたら、その内にありがたみも喜びも、何も無くなるんだってさ。だから、今目の前にある幸せを大事にしなきゃいけないんだって。そうやって少しでも長く、その幸せが続くように」
世良はそう言うと、残っていたジントニックを飲み干し、空になったグラスを置いた。
「何があったか知らないけど、一回きちんと向き合ったら?浮気されてプライド傷ついたかも知れないけど、永遠に続くものなんてないんだからさ。それでもまだ終わらせたくないんだったら、努力する事も必要なんじゃない?」
「……そうかもな」
酔いが回って覚束ない手つきで、飲みかけのウイスキーグラスを置く。
飲んでやろうか?と笑う世良の方へ、押しやるようにグラスを滑らせた。

部屋に帰る頃には日付が変わってしまっていた。
音を立てないようにそっと鍵を開け、玄関の戸を閉める。廊下の明かりがつきっぱなしだった。
まだ起きているのかと思いながらリビングを覗くが、透人の姿はない。部屋を覗くが、ベッドは空だった。
まさか、出て行ったのか。
たとえそうだとしても、俺にそれを責める資格は無い。
ため息をつきながら自分の部屋に入り、立ち止まった。
俺のベッドで、枕にしがみつくようにして透人が寝息を立てている。泣き腫らしたように目尻が赤い。
「……透人」
小声で呼びかける。すっかり眠っているのか、華奢な肩が静かに上下するだけだ。
傍らにしゃがみ、赤くなった瞼にそっとキスを落とす。身じろぐ気配がした。
「……慶ちゃん?」
薄ら目を開いた透人が、俺の姿を認めて数回瞬きする。
「ごめんな、透人」
そう言って前髪をそっと撫でると、透人は微かに首を横に振った。
「ううん。帰ってきてくれて、良かった……」
「……ごめん」
頬を撫で、そっと口付けた。拒むこともなく、いつも通りに応えてくれる。
そのまま、朝までしっかり抱き合って眠った。
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