ペールブルーアイズ

MS

文字の大きさ
上 下
7 / 11
ペールブルーアイズパートⅦ

ペールブルーアイズ 

しおりを挟む
九十
渋谷にある地方から進出して来たうどんのチェーン店で田中と有吉がカウンター席で並んでうどんを食べている。
「今度新しく入った島本と美侑が幼馴染だったなんて吃驚だな」
とうどんを食べながら有吉が言うと、その有吉を見て吃驚する様な提案をする田中。
「今度のスーパーファイナル、美侑の弔い合戦にしないか」
田中をチラッと見ただけでうどんを食べ続ける有吉。
「美侑と瑠璃華が対立してたのは公然の事実と言って良かっただろ、島本もそれが判ってて瑠璃華を破る為にJPBに入って来たんじゃないかな」
「確かにそう言う噂も立ってはいるけど、如何だかね―」
「島本の意志は兎も角、瑠璃華をトップから引き摺り下ろす事が美侑の最大の供養になると思わないか」
と言う田中を一旦箸を止めて見てから
「そうかも知れないけど瑠璃華に勝てる訳ないよ」と言う有吉。
「嫌、分んないよ。瑠璃華の人気が上がれば上がる程アンチ瑠璃華の数も増えてるから、それを纏める事が出来れば可能性はあるよ。一攫千金のチャンスでもあるんだし―」
と言う田中を初めて確りと見る有吉。田中が更に
「まず美侑のファンとアンチ瑠璃華の連中に声を掛ける事だけど、他にも面白い手があるよ―」と続けると
「何―」と返して来る有吉。その有吉に少し不気味な笑みを返す田中である。

九十一
緑川中の職員室前の廊下で今日の授業を終えた田代とマユと村山が向き合って立ち話をしている。
「竹内さんにも言ったけど、虐めはなかったとと言うのが第三者委員会が出した結論なの」
と相も変わらない田代に
「担任されていた先生個人としても虐めはなかったと言う認識ですか」と問い掛けるマユ。しかし
「第三者委員会の結論が全てなの」とにべもない田代。
「瑠璃華に虐められて自殺したんじゃないんですか」と問い質すマユに
「いい迷惑なの、忙しいんだから―」と言って歩き出す田代。
取り残された二人を職員室に戻って来た坂上が嫌味のある顔で見る。
一応、頭は下げるマユと村山である。

緑川中学と書かれた門から憮然とした様子は消えているにせよ、楽しい訪問ではなかった事は十分伺えるマユと村山が出て来る。
「招からざる客だったですね」と村山が言うと
「―兎に角、触られたくないんだね」とマユ呟く様に返す。
「自殺した子の家に行くんですか」と聞いて来る村山に、頷くマユ。
「相手にされなかったんじゃないんですか」と言う言葉には、少しだけ頷くマユである。

九十二
脇坂の家のインターフォンを押すマユの手は華奢だが、それを確りとは押す。
応答はないし全てのカーテンが閉まっている状況からすると留守に思えるが、二階の窓のカーテンが少しだけ動いてそれを否定する。
それを感じてその方にマユが目をやると、そのマユの方を、やっぱ駄目ですね、と言う様な顔で見る村山がいる。ある程度予想していた事とは言え、殆ど成果が無いと言う現実を突き付けられると流石に気持ちが萎えて仕舞うマユであるが、それでは駄目だと思いまだまだこれからと言うのを村山に示す為の言葉を探し始める。
しかしお腹が減っているのと、餡かけチャーハンの味を思い出したマユから出て来た言葉は 
「ご飯にしない」と言うシンプルな物だった。
それには全く異論がない村山は、気持ち良く頷くだけである。

九十三
競馬場を走る競馬馬をそこそこの数の観客が見つめている。競馬馬がゴールすると其々が喜怒哀楽を表現する。
その中で怒りを表わしている男、新井に田中が声を掛ける。
「外しました―、面白い儲け話、聞いてみません―」
田中の方を、何だこいつ、と言う様な顔で見る新井。その新井に笑顔を見せて
「試に、聞いてみても損しないですよ」と言う言葉を投げてみる田中である。

パチンコ屋で隣の人の山の様に積まれたパチンコ玉のケースを面白くなさそうに見ている男に
「面白い儲け話があるんですけど、聞いてみませんか」と話し掛ける有吉。
「何」と言う風に、有吉の方に目をやる男。
「聞いて損しませんよ」と続ける有吉は、中々の作り笑顔である。

宝くじ売り場の行列に並んでいるオバサン、佐原に背後から
「いい儲け話があるんですけど、話聞きませんか」と声を掛ける田中達の竹内のファン仲間の男。
後からの声に、自分になのかと訝しんだ顔で振り返る佐原。
その顔は、中々憎めない物に見える。

九十四
何時もブラウン管のテレビが点いている中華屋で向き合って座っているマユと村山の前に女主人が
「お待たせ」と言って餡かけチャーハンを置く。軽く頭を下げるマユに
「また来たんだね」と声を掛ける女主人。笑顔で
「餡かけチャーハンが食べたくて遥々やって来ました」と答えるマユに、女主人も笑顔を見せてから
「脇坂さんに会えたの」と聞いて来る。
「今さっき行って来たんですけど、居留守使われました」
「あの人、内に二三日に一度は必ずの様に来るから、来たら連絡しようか」
「えっ、本当ですか―」と声を上げるマユ。
「あの竹内さんにも―そうしたのよ」
その言葉に声が出ないマユ。
「どうかしたの」と言う女主人に
「マジですかと言いたいです、失礼ですけど―」と返すマユ。
「―素直にそお言えば好いよ、気は使わんでいいわ」と言う女主人の言葉に
「お願いします」と頭を下げるマユ。それに続いて村山も一応と言う感じで頭を下げる。
全く違うその様が、マユの中では竹内と脇坂が会っていたと言う事が衝撃的と言って好い様な事実である言を示していた。何とかその中身を早く知りたいと考えるマユであるが、脇坂に会う事でしか解決しそうにないので、それを願うしかないと思うマユでもあった。

九十五
飲み屋で田中と新井が向き合ってビールを飲んでいる。田中が新井のグラスにビールを注ぎながら
「兎に角、高い払い戻し倍率が出る様に島本を最終的に一位に持って来たいと思っています」と田中が言うと
「瑠璃華に勝てるの」と返して来る新井。
「確かに不可能に思えますよね、だから協力して欲しいんです。この国の誰もが今年も瑠璃華が頂点に立つと思ってるでしょうから島本が頂点に立てば凄い事になりますよ。スーパーファイナルはIDがボーナスを付けてくれますからね、千倍以上、嫌、その上の桁や更に上だって有り得ますよ」と言う田中の言葉に
「結局七人当てなきぁいけないんだから、難しいよな」と余り乗り気でない様な返事の新井。
「簡単に大金は儲けれませんよ。可能性の高い組み合わせを予想しますから選んで貰えば―」
その田中の言葉にもにやけた笑顔を浮かべるだけの新井である。

九十六
中華屋で餡かけチャーハンを食べている脇坂の耳に
「相席宜しいですか」
と言う声が入って来て顔を上げる脇坂だが、目の前に座っている結構気合いの入った顔のマユを見つけるだけである。そのマユを落ち着いた様子で見つめる脇坂。
この時には既に、脇坂にとってマユは会いたい人ではないにせよ、会わなければいけない人になっていたのだ。
言い方を変えれば自殺した娘に対して目を背けないで、正面から向き合おうと言う姿勢に変わって来たと言う事だ。水を持って来た女主人に目をやって
「ラーメンお願いします」と言うマユ。脇坂も
「ラーメン一丁ね」と言う女主人の方を見るが、何の言葉も発しない。只、マユは発して来る。
「竹内さんとどんな話をされたのか、聞かせて貰いたいんです」
その言葉にも、何も答えず餡かけチャーハンを食べる脇坂である。
   
九十七
JPBの控室ではテーブルの中央に座っている島本がナイフでリンゴの皮を剥いている。
島本の前には林檎の為の皿もあるが、正面には例の本が置かれている。
勿論、リンゴは食べる為に剥かれているが、島本はそれを食べる為に座っている訳ではない。人を待っているのだ。その人が入って来たので、敬意を表したのか島本が声を掛ける。
「CMの撮影ご苦労様です」
「―あれっレッスンは―」と言う言葉が瑠璃華から返って来る。
「CM撮ってたもんで―」
「凄いねぇ、まだ入って間もないのに。アトラクションのプロデュースまでやるんでしょ―」
判らない位小さく頷いた島本が
「瑠璃華さんが戻って来たら二人でタクシーに乗ってレッスンに来て、との事です」
瑠璃華は島本の正面、何時もの自分の指定席に座るが、それは島本の注文に嵌った様にも見える。と言うより瑠璃華の次の言葉に聞けば、もう確りと嵌っていると言った方が好いのかも知れない。
「少しは気を利かして自腹で先に行けねえ、あたしがお前とタクシーなんかに乗りたくねえの判ってるだろ」
と喋る瑠璃華は明らかに何時もの冷静さを失っていた。何時もの瑠璃華ではなかった。
その瑠璃華を少しだけ上目使いで見る島本。その顔には笑みさえ漂っている様に見える。
「私も同じくです。リンゴ食べます」
瑠璃華は笑う。笑うより他にどんな余地もないので笑っている様に見える。
そしてその笑いは時間が経つと段々剥げ落ちて、何も笑っていない様に見えて来る。
その瑠璃華は黙って易眼ののが耐え難いとばかりに言い放つ。
「その訳の判んない本、本当に目障りなんだよ」
その言葉を無視して、リンゴを食べ始める島本。しかも美味しそうに食べ始める。
それが瑠璃華の怒りを更に煽って行く。その島本を睨んで
「目障りだっつうの」と言葉を吐きつける瑠璃華。
平然とリンゴを食べ続ける島本。
怒りが治まらない瑠璃華は、立ち上がって皿の上のナイフを取って本に突き刺す。そして
「ふざけてんの」と続ける。
その瑠璃華の言葉に、中腰になって本からナイフを抜いて、袖口がフリル状になっているJPBの制服を着ている瑠璃華の右腕の袖を引っ張ってナイフを突き刺す島本。
ナイフは袖を貫いて瑠璃華の指の間に刺さる。そして瑠璃華を初めて確りと見て
「これ言いましたよね、兄の、おにいちゃんの本なんですよ」とゆっくりと口を動かす島本。
表情に影が差している瑠璃華からは、言葉は出てこない。
「リンゴ戴いて下さいよ」
と言う島本に、弱い語気で
「要らねえよ」と返す瑠璃華。
すると素早くナイフを他の指の間に刺し直す島本。
「今度は指が無くなるかも知れませんよ、結構不器用なもんで―」
少し間が在ってから、瑠璃華がリンゴを食べ始める。
更に島本がその口にリンゴを数個突っ込む。
そして、その瑠璃華を笑ってから
「ご忠告に沿って一人でレッスンに行って来ます」
と言って悠然と部屋を出て行く島本。
部屋にはナイフを引き抜こうとするが片手では抜く事が出来ず、立ち尽くすだけの瑠璃華。
 
時の流れから取り残された様な中華屋で変らず向き合っているマユと脇坂だが、既にテーブルの上に料理はなく替りにマユのスマホが置かれていて、それは落書きを映し出している。
そのスマホの中の落書きの写真は勿論変わる筈はないが、存在感は増した様に見える。
「確かに、おにいちゃん―の声がした、所は由香の字やな。間違いないと思う」
とスマホを見つめている脇坂が言うと
「おにいちゃん、の後に何か言葉が在ったのに何か訳あってこうなったと言うか、書かなかったんですかね」
と脇坂に聞いて仕舞うマユ。
脇坂が由香から聞いたのは瑠璃華に言われて悠太を川に誘き出した事だけでこの落書きも初めて見たと聞かされたのに、これ以上問い質して由香の事を思い出させても辛い思いをさせるだけだと感じていたのにだ。
それだけ「おにいちゃん」の次の「―」が気になった。しかし
「これが由香が書いた最後の字なんやな」と言う何かきっかけを与えると泣き出して仕舞いそうな顔を見ていると、自分も脇坂がそうなったら一緒に大泣きして仕舞そうにさえ思えたので、マユは如何でもいい様な事を聞いてそれを回避しようとした。自分は一応探偵と言う立場であり部外者でも在るのだから、一定の距離を取って冷静でいる必要があると思ったのだ。それで、言葉使いに違和感を感じていたのて゛
「此方の方じゃないんですね」と言う言葉を導き出して言葉にした。その言葉に
「ええ、由香が生まれて直ぐにこっちへ引っ越して来たんですけどね」
と言ってから、始めてマユを確りと見つめて
「謎を解くのが探偵さんの仕事やないの」と続ける脇坂。
その脇坂の突っ込みに、自分が思っているより脇坂がずっと前向きだと感じたのて笑顔を見せて
「そうですね」と答えるより他はなく、そうするマユであった。

自分のナイフで固定された右腕をそうでない左手で掴んで体を後ろに引く瑠璃華。
服が破れてやっと自由になる瑠璃華だが、その怒りは行き場を失っていた。
怒りを何かにぶつけないと収まらない瑠璃華が、目の前のリンゴが載った皿を思い切り払い除ける。
その皿はテーブルを滑って行き窓に衝突する。鋭い大きな音がしてどちらも割れて仕舞う。

青海中の校舎の屋上から何かが落下していく。
それは人の様に見える。
鈍い音が轟いてく青海中の校庭に血だらけの緑川中の制服姿の由香が横たわり、人が飛び降りたのだと判る。

上地川の河原の崖の上に歩みを進めている悠太の後ろには、その方を見つめている幼い由香の姿がある。
その崖の下にはお面を被って島本の真似をしている瑠璃華と、同様にお面を被った虐め役の翔と耕介が猿芝居を演じている。
瑠璃華の島本を真似た「おにいちゃん」と言う声が悠太は勿論、由香にまで聞こえて来る。その声に慌てて歩みを早めて崖の下を見ようとした悠太が転落する。血だらけになった悠太を見て慌てて崖の上に上がり逃げ出そうとする翔達に、「馬鹿野郎」と言って崖の上に塗った蝋を剥がすのを手伝わさせる瑠璃華。
その様子を見つめている由香の顔は慄いている様な顔である。

テーブルの上には餃子が二皿置かれていて、運ばれて来たばかりの様でまだ熱そうである。
その中の一つが村山の口に運ばれて行く。それを熱そうに食べながら
「餃子も美味しいです」
と向き合っているマユに言ってから水を飲む村山に、マユも水を啜ってから徐に喋り出す。
「こうやって再びやって来た意味あったのかなぁ」
「色々判った事あったんですよね」
頷くマユの表情は余り冴えないもので、出て来る言葉も歯切れが悪い。
「肝心な事が―判らなくて―唯その廻りを回ってるだけって言うか―」
「落書きの件ですか、でも島本さんのお兄さんの事故に瑠璃華が関わってたのが判っただけでも大きな成果ですよ」と言う村山に、軽く頷くマユであるが出て来る言葉は重い。
「証拠も無いし―証人も、もういなくなってるし―」
「でも随分前の事ですよね 。十年以上経ってますよね―」。頷くだけのマユに
「時効が関わって来ると思うので、どっちみち犯罪には出来ませんよ」と続ける村山。
「そうかも知れないけど―」。そのマユの歯切れの悪い言葉に、頷く村山だが話題は変えて来る。
「でも島本さんのお兄さんってまだ入院されてるんですかね。長過ぎません―」
マユが首を捻っていると、女主人が
「お待たせしました」と言ってラーメンを村山の前に置く。その女主人に
「あのう、島本さんのお兄さんってまだ入院されてるんですよね」と尋ねるマユ。
「知らないよ―東京の病院に入院されたらしいから、調べなさいよ。探偵さんなんでしょ」
再び突っ込まれて仕舞い、頷いてから村山と顔を見合わせて少しだけ笑顔を見せるマユであった。

九十八
加奈の実家であるそば屋、ふなみ庵で笑みを浮かべて座っている加奈の前には作り笑顔の瀬藤の姿がある。
その加奈が徐に口を。
「珍しいのよ、こうやってメンバー連れて来るの」
「少し、吃驚してます―」
「吃驚しなくて好いの、瀬藤ちゃんって特に仲の好い子っていないみたいじゃん、だからーあたし達の仲間に入らないかなって―」
「えっ、瑠璃華さん達のグループに入らないかって事ですか―」
変わらない笑みで頷く加奈に、嬉しそうな顔を作っで
「あたしなんか入っていい様な人気ないです。島本さんとかの方がよっぽど相応しい人気があると思いますけど―」と言う瀬藤。その言葉に笑みを消して憮然とした顔で
「島本―ウザいだけ」と言う言葉を吐く加奈に、瀬藤は表情は崩さずに笑顔のままだが返す言葉が見つからず困っていると好子がそばを運んで来て救ってくれる。その好子に
「如何してママが持って来るの」と嫌味のある言葉を吐く加奈。 
「初めまして、今度―」と立ち上がって言う瀬藤に
「座ってて、勿論判ってるから」
と、ママと言う言葉が似合っていない笑顔の好子が声を掛けてくれる。
そして一旦加奈を見てから、更に続ける好子。
「久し振りにメンバーの方連れ来てくれたから、嬉しくて運んで来たのに疎ましがられて世話無いわよね」
殆ど満面の笑みの好子がそばを瀬藤の前に置くと、加奈が
「ホント、もお煩いんだから―」とぼやく。その加奈の表情が
「この前瑠璃華さん達本当に来たの、何故だか店閉めてから来るからそばを一人前だけ作っといてって言われて、言われた通りにしたんだから如何だったか教えなさいよ」と言う好子の言葉に急変する。その加奈は
「煩い、あっち行って」と半端怒鳴る様に言って、手もその様に動かして好子を追い払う。
そして、不服そうな顔を見せて離れて行く好子から何か様子が変わった加奈を訝しんだ顔で見ている瀬藤の方に視線を移す加奈だが、その瀬藤の顔を見ている様には見えなかった。 

竹内の顔を見つめていた。瑠璃華と絵夢が竹内を連れてやって来た時の記憶が甦って来ていた。四人掛けのテーブル席を崩して座っている加奈が斜めに竹内を見ていて、竹内の向かいに瑠璃華、その横に絵夢が座っている。また竹内の前にだけそばが置かれていて、それがその場の関係を示していると言って好かった。
「遠慮せずに戴いて下さいよ」と言う瑠璃華の言葉に
「別に、そば食べたくないんだけど」と返す竹内。
「加奈に失礼だろ。凄く有名なんだぜ、加奈の家のそばは」と頭ごなしに絵夢が言うと
「話が在るって何なの」と瑠璃華に問う竹内。
「此処じゃ何だから、奥で聞きましょう」と言って立ち上がり、絵夢と加奈に促す瑠璃華。
促された二人は、竹内を捕まえて奥の厨房に引き摺り込んで行く。
「離せよ」と叫ぶ竹内に
「此処のそばの売りは富士の名水に有るのよ。存分に味合わさせて上げましょう」と優しい口調で言う瑠璃華。
その言葉に、絵夢と加奈が竹内の頭を抑え込んでそばを茹でる水槽に沈める。その竹内に
「ネットに書き込むのはチクリじゃないとでも思ってんの」と言う声を浴びせる絵夢。
少しの時間が経ち、二人が力を弱めると竹内が水槽から苦しそうな顔を上げて来る。その竹内が瑠璃華に
「あんたが由香を殺した様なもんなんだろ」
半端、怒鳴る様に言う。思わぬ言葉と言うか、頭の片隅に追いやっていた名前を言われ
「由香―」と繰り返すだけの瑠璃華。
「由香のお父さんに会ったの」と必死に続ける竹内。
「こいつ、何言ってんですか」と言う加奈に
「黙らせな」と命令する瑠璃華。
絵夢と加奈が再び沈めようとするが、竹内は必死に絵夢の髪を掴んで抵抗する。
しかし手を振り解かれて再び沈められる竹内。
少し時間が経ち、再び水槽から苦しそうな顔を上げる竹内。
「同期は売らないんじゃなかったの」と絵夢。
「あたしは書き込んでないわよ」と否定してから
「由香のお父さんは、はっきりあんたに虐められて自殺したと言われた―」
と再び瑠璃華に突っ込んで来る竹内。癇に障った瑠璃華が
「この煩い女、黙らせろ」と怒鳴る。
再び沈められる竹内。
「裏切り者にはお仕置きよ」と加奈が言うと
「商品を傷付けないから水責めがいいって言う瑠璃華のアイデアは正しいわ。確かにこの女も商品だもんね」
と瑠璃華を見て絵夢が続くが、二人は竹内を抑え続けている。笑っている二人に
「やり過ぎじゃねえ、大丈夫か」と瑠璃華が声を掛ける。
絵夢と加奈が体重を掛けて竹内を抑えていた手を離すが、竹内は沈んだままである。
竹内を引き上げて息を嗅いだ瑠璃華が
「息してねえぞ」と言うと、絵夢と加奈から血の気が一気に失せて行く。そして
「死ん、死んじゃったのー嫌だぁ」と言って後退りして尻餅を着く加奈。瑠璃華に睨まれている絵夢は
「すみません」とと言う言葉を吐くだけで立ち尽くしている。
瑠璃華は一人だけ変らない様子であるが、一度溜め息は着く。それでも
「兎に角指紋拭き取れよ、足跡も消した方が好いな」ときっぱりと指示する。
そして、徐にスマホを出して電話を掛ける瑠璃華である。

瀬藤の方に目をやっているが、何処も見ていなくて全く言葉を失くして仕舞った加奈に
「どうかしたんですか」と言う言葉を掛ける瀬藤。我に返った加奈に
「顔色悪いですよ」と続ける瀬藤。取り敢えず
「食べてよ」と言う加奈だが、それ以上言葉は続かない。
瀬籐はその言葉に従って、つけ汁の中に薬味を入れてそばを食べ始める。 

九十九
柚木家の居間のテレビは音楽番組を映していて、丁度JPBが唄っている所である。それを瑠璃華の髪型に似せたウィッグを被ったマユが、一人でソファに座って眺めている。
唄が終るとマユは、立ち上がって洗面所の方に歩いて行ってそこの鏡の前に立つ。そしてJPBの歌を唄って踊るマユが、決めのポーズを取ってそれを終えるとやっとこさの言葉を吐く。
「結構似てるか―、嫌、マジで似てる」
そして、瑠璃華を表わす言葉を続けるマユである。それは、結構悦に入っている様に見える。
「絶体ナンバーワンのスーパーアイドル、嫌、この世で最も最低で最悪の女、それとも悪魔の中の悪魔。本当の姿は―」。その言葉を、柚木の
「何の積り」と言う言葉が中断させる。振り返って
「判んない―」と聞くマユの期待を裏切って
「判る訳ないでしょ、歯を磨きたいんだけど」
と言う言葉が返って来る。場所を退けるマユに今度は少し期待に沿った言葉を吐く柚木。
「あー、調査してるアイドルの真似」。首を捻ってから
「真似じゃない―でもとんでもない女だね、あの瑠璃華って女」と返すマユ。
「そうなの、あのJPBってグループ、なんか厄介なグループだね。あの殺された子の捜査も進んでないし―」
「殺されたって、何時から殺人事件になった訳」
「言ってなかったっけ―そう言う捜査方針なんだから言っちゃいけないんだけどね。胃の中の水が真水って言うか海水じゃなかったので、それがどんな水か調べてるんだけど、水道ではないし市販されてる水でもないみたいなの。科捜研の人によると美味しい水、何処かの名水かなんかじゃないかって事なんだけど、それが特定出来なくて現状は行き詰ってるとしか言い様がないみたいなの」と言ってから歯を磨き出す柚木。
その姉の言葉の何処かに引っ掛かって仕舞うマユは、鏡に映る何となく間抜けに見えてきた歯を磨く姉の姿を見つめて仕舞う。只、マユの間抜けな姉を見つめている時間は短かった。直ぐに引っ掛かっている事にピント来たので行動した。そのマユは何故か自分が被っているウィッグを柚木に被せて小走りで居間に戻り、テレビにJPBの冠番組を映し出す。そして、その冠番組の中で好子がインタビューを受けている所を探し出すマユである。
今度のスーパーファイナルでは頂点を目指して欲しいと答えているその好子の後ろには、当店のそば富士に湧き出る貴重な名水を使っていますと言うポスターが貼られている。
素早くと言う言葉では全然足りない早さで洗面所に戻って呑気に歯を磨いている場合じゃない柚木を居間に引っ張り込んで、停止させてあるテレビの画面のそのポスターを指差して
「この水の気しない」と言うマユ。
「もぐもぐもぐ」と返す柚木。
勿論、そう言った訳ではないし、叉そう聞こえた訳でもない。それはマユの印象でありそれに基づいた表現でしかないが、それに腹が立った事も事実だった。そのマユの
「此処で殺されたかも知れないのよ」と言う言葉にも、柚木は
「もぐもぐもぐ」である。
そのウイッグを被った姉ちゃんは自分の所為でもあるが間抜けにしか見えず、言葉を失くして仕舞うマユだが、停止を解除してテレビの画面を動かし始める。
一方、間抜けにされた姉ちゃんとしては訳の判らない妹に辟易とするだけだが、柚木としては、もぐもぐもぐ、に救われていた。後に勘としか言い様がないマユの水の指摘が当たっていて事件を大きく動かす事になった時
「あたしもあのポスターを見てピンと来た」と言う現時点では到底考えれない言葉を吐く柚木としてはの事であるが―。テレビは、番組のMCが
「富士の名水で作ったそばはサイコ―です」と喋ってそばを美味しそうに食べるのを映していて、それをマユと
変わらず歯を磨いている柚木が見つめている。柚木は仕方なくと言う風だが、マユはMCが美味しそうに食べるそのそば屋の映像に、何か惹きつけられたのかの様に見つめている。


閉店後のふなみ庵の厨房で好子に向き合って新山が話を聞いていて、その後ろには気の無い様子の山田の姿も見える。その廻りでは鑑識が鑑識作業を行っていて、厨房の水を採取したり指紋を採ったりしているが、その中に柚木の姿も見る事が出来る。
「娘さんに瑠璃華さん達が来るって言う事は聞いたけど、姿は見ていないんですよね」
と新山が尋ねると、頷きながら
「夜遅くに来られた様なんで―家を調べて如何するんですか―」と言う言葉を返して来る好子。
「念の為だと思って下さい―夜遅くに御協力、本当に有り難う御座います」
と憮然とした様子の好子に笑顔を作って答える新山。
その後ろでは笑顔も何もない山田が変わらず立っていて、柚木が排水溝の栓を取り外して丁寧に付着物を採取している。
しおりを挟む

処理中です...