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一方的な宣言
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「初めまして。一応は君の婚約者ということになっているニコラス・ワイルドだ。
こんなオッサンで悪いな。でも残念ながら若返ることは出来ない。だからしばらく、そうだな、君が大人になるまでの間は我慢してくれ。
早速だが、君に言っておきたいことがある。
君を娶るけれど、それは形だけだ。君にはあくまでもお客様として我が家で過ごしてもらう。本当の夫婦になる必要はない。
この婚姻はいつでも無効に出来るから安心してくれ。
いつか君が大きくなって、好きな人が出来たなら、その人と結ばれるのも自由だ。勿論、相手が受け入れてくれたら、だけど。でも出来るだけの手助けはする。
だから俺のことは、時々顔を見せる小父さんとでも思っていて欲しい。
君が嫌がることはしないし、怖いものからも守る。俺自身が怖いなら、出来るだけ顔を合わせないで済むようにしよう。
きっと君を、この苦しみから救い出す。
だから今は出来るだけ身体を休めておいてくれ」
恐ろしい夢に魘されていた時に、ふと意識を取り戻した。
その時に見えたのは、明るい金色。そして綺麗な青。
男の人の声が聞こえる。父より低くて落ち着いた声。それなりの年齢の人だと思う。
本来なら怖くて仕方ない筈のその声は、不思議な程に優しくて、怖がらなくても良い気がする。でも、やっぱり怖い。
暫くぼんやり見ていると、青色が消えて金色も遠ざかる。
ドアの閉まる音を最後に、耳を打つ程の静寂に満たされる部屋。それでも耳に残るあの声。
暫くして起きると、部屋には侍女や護衛が控えているだけ。
きっと都合の良い夢を見たんだ。あんな条件の婚姻なんてあり得ない。あれでは相手方には得るものがないのだから。
でも夢ならそれでも良い。今だけは、あの安心感に浸っていたい。
だから誰も起こさないで。
ジュリアにとって都合の良い夢は、その場に控えていた侍女や護衛たちが確かに見聞きした現実だ。
彼らは怯える彼女を見ていられなかった。だが、誰も伯爵に意見することが出来ない。
数年前、他の子たちとの扱いの差について意見した護衛が、その場で解雇された。当然ながら紹介状などもらえない。
のみならず、たかが使用人に諌められた苛立ちを発散させるべく、いつも以上に酷くジュリアに当たり散らした。伯爵が彼女に手を上げたのは、その時が初めてだ。
意見した結果が、再就職が難しい最悪な形でのクビ。おまけに肝心のジュリアは余計に酷い目に遭わされる。
それが分かっていて、あえて物申す馬鹿など存在しない。
しかし、やるせない思いが募る。
特に伯爵が最初に嫁がせようとした相手をこっそり探った時、誰もが正気を疑った。その子爵はジュリアとは祖父と孫ほどに年が離れている。おまけに残虐な嗜虐症として名が知られているのだから。
堪りかねた者が然るべき機関に訴えるか、それともアラベラ夫人に直訴しようかと思い立った時。急に違う相手との縁談が纏まった。
使用人たちはこの先も知ることはないだろうが、それは父の企みを知った長女が夫を動かした結果だ。
若き侯爵に良い酒が手に入ったと呼び出され、使用人を全て下がらせた文字通り二人きりの席。何も知らずにやって来た伯爵は、ご機嫌で美酒を楽しんでいた。
侯爵が次女の縁談に言及するまでは。
密かに警告を受けた際、伯爵はまともな返答が出来なかった。妻にすら秘密裡に動いていたのに、どうして彼が知ることになったのか。家の情報がどこに、どれだけ漏れているのだろう。
一気に酔いが醒めた伯爵は、今は情報源を探ることに注力すべきだと判断した。
だが出来るだけ早くジュリアの保護者という立場から解放されたい。なので子爵と同じくらいの支度金が見込める上に、今度こそ外野に文句を言われない、人間性に問題のない相手を探そう。
そこで白羽の矢が立ったのがニコラスだ。ニコラスにとってはまさに白羽の矢、だがジュリアにとっては日常を覆う暗闇を穿つ一矢となる。
しかし縁談が成立した時、ジュリアを案ずる使用人一同が感じたのは落胆だった。
死別した婚約者が忘れられないと言いながら、こんな幼い少女は受け入れるのか。実はそういう趣味だから成人した女性を退けていたのか。なら元婚約者は便利な存在だっただろう。
など、言いたい放題であった。
だからこそ、彼が部屋を見舞いに訪れた際、皆は何があろうとお嬢様のお傍を離れまいと誓った。
そんな彼らに辺境伯が求めたのは、この場で見聞きした一切を口外しないこと。たとえ相手がグリーヴ伯であっても。
もし破ったらワイルド辺境伯家のみならず、ミルズ公爵家をも敵に回すことになる、との警告まで添える始末。
何をするつもりかと警戒しながらも、どうしようもない身分差の前には、彼らに出来るのは頷くことだけ。
警戒心が最高潮に達した彼らを後目に放たれたのが、あの台詞。
彼らがどんなに安堵したのか、ニコラスが聞く機会はないだろう。
「これでお嬢様も安心だな」
「てっきり閣下は幼い少女がお好きなのかと思っていたわ」
「俺は早くから自分好みの美女に育て上げるつもりなのかと思った」
「男の究極の夢だな、それ」
「女でもそういうのが好きな人っているわよ」
緊張の緩みにより起こる饒舌だが、病人の部屋にはかなり騒がしい。
うるさくて寝ていられなかったのか、薄く目を開けたジュリアに気付いた一人が静止する。
「しっ。お嬢様を起こしちゃ駄目でしょう」
「おっと、静かにしないとな」
彼らが口を噤むとすぐに目を閉じるその顔は、魘されていた時よりもずっと子供らしく穏やかだ。
「さっきより寝苦しくなさそう、よね?」
「少しでも良い夢を見て戴きたいな」
高熱に魘されていたジュリアが、ニコラスの言葉を覚えていられるかは分からない。それどころか、まともに聞こえていたかすら定かではない。
それでも構わなかった。ニコラスにとって、あれは決意表明だから。
言ってみれば単なる自己満足である。だけど元から部屋にいた侍女と、ぞろぞろついてきた使用人たちの様子を見る限り、意味はあったらしい。
思ったよりも彼女の味方が多かったことに頬を緩ませながら、ニコラスは今後の手続きについて考えていた。
「あの、そんなに警戒しないでくれるかな?
僕は単に、どうして今になって君が動いたのか知りたいだけなんだよ。妹には無関心だと思っていたのに」
「どうして閣下がそれを知りたがるのですか?」
「『閣下』なんて呼び名、やめてくれない? 愛する妻にそんな風に呼ばれたら悲しくなるよ。
それと、僕の質問に答えて欲しいな」
夫婦の寝室でソファーに押し倒され、逃げられない状態での話し合い。傍目には夫婦の語らいに見えるが、甘さは皆無。
皆無だと思っているのは、片方だけではあるが。
「何の不思議もありませんわ。
グリーヴ家には財政上の問題なんてないのですよ。そんな家が、あのような者に成人前の娘を嫁がせたら、激しい非難を浴びるのは目に見えています。
縁戚となったこの家にも良くない影響を及ぼすでしょう。
ですから、そうならないように阻止して下さいと旦那様にお願いしたのです」
「ふうん、まあ良いか。そういうことにしておいてあげる」
そう言いながら妻を抱き上げベッドに向かう。
「旦那様?! 何をなさるのですか?」
「何って、野暮なことを訊くね。愛妻をベッドに運んでするコトなんて一つでしょ?
ああ、もしかして、うんと恥ずかしい言葉で虐めて欲しいの?
じゃあ、ご期待に応えようかな」
「はあっ?! そんなワケありません!!」
「ああ、もう。とりあえず今は黙って」
侯爵に翻弄されるままの彼女は気付かない。夫がどれだけ自分に執着しているのか、それを受け止めないままの自分に焦れながらも、気付かない妻を惑わせることに楽しみを覚えているのかに。
(こんなに思いつめた状態の君を放っておくのは心配だから、悪いけど動けなくさせてもらうよ)
歪な家庭環境のせいで夫婦のあり方が分からない妻に、ひたすら愛を囁く日々。
その言葉を全く信じていない彼女に、いつか思い知らせてやりたい。目の前の一見すると軽いだけの男が、どれ程に重い愛を自分に向けているのかを。
(でも君の弱点を知ったから、今まで以上にやりやすくなったかも)
現在は、つい最近まで塵ほども興味のなかった義妹の情報をかき集めている最中だ。姑息であろうと気にしない、それで妻の心が得られるなら。
「ねえ。僕たちが幸せになって、あの子も救われるなら、君も文句はないでしょう?
君を手放す以外のことなら、何でもするから安心してね」
意識を飛ばした妻に語りかけるその顔は、望みを叶える糸口を掴んだ喜びに輝いていた。
こんなオッサンで悪いな。でも残念ながら若返ることは出来ない。だからしばらく、そうだな、君が大人になるまでの間は我慢してくれ。
早速だが、君に言っておきたいことがある。
君を娶るけれど、それは形だけだ。君にはあくまでもお客様として我が家で過ごしてもらう。本当の夫婦になる必要はない。
この婚姻はいつでも無効に出来るから安心してくれ。
いつか君が大きくなって、好きな人が出来たなら、その人と結ばれるのも自由だ。勿論、相手が受け入れてくれたら、だけど。でも出来るだけの手助けはする。
だから俺のことは、時々顔を見せる小父さんとでも思っていて欲しい。
君が嫌がることはしないし、怖いものからも守る。俺自身が怖いなら、出来るだけ顔を合わせないで済むようにしよう。
きっと君を、この苦しみから救い出す。
だから今は出来るだけ身体を休めておいてくれ」
恐ろしい夢に魘されていた時に、ふと意識を取り戻した。
その時に見えたのは、明るい金色。そして綺麗な青。
男の人の声が聞こえる。父より低くて落ち着いた声。それなりの年齢の人だと思う。
本来なら怖くて仕方ない筈のその声は、不思議な程に優しくて、怖がらなくても良い気がする。でも、やっぱり怖い。
暫くぼんやり見ていると、青色が消えて金色も遠ざかる。
ドアの閉まる音を最後に、耳を打つ程の静寂に満たされる部屋。それでも耳に残るあの声。
暫くして起きると、部屋には侍女や護衛が控えているだけ。
きっと都合の良い夢を見たんだ。あんな条件の婚姻なんてあり得ない。あれでは相手方には得るものがないのだから。
でも夢ならそれでも良い。今だけは、あの安心感に浸っていたい。
だから誰も起こさないで。
ジュリアにとって都合の良い夢は、その場に控えていた侍女や護衛たちが確かに見聞きした現実だ。
彼らは怯える彼女を見ていられなかった。だが、誰も伯爵に意見することが出来ない。
数年前、他の子たちとの扱いの差について意見した護衛が、その場で解雇された。当然ながら紹介状などもらえない。
のみならず、たかが使用人に諌められた苛立ちを発散させるべく、いつも以上に酷くジュリアに当たり散らした。伯爵が彼女に手を上げたのは、その時が初めてだ。
意見した結果が、再就職が難しい最悪な形でのクビ。おまけに肝心のジュリアは余計に酷い目に遭わされる。
それが分かっていて、あえて物申す馬鹿など存在しない。
しかし、やるせない思いが募る。
特に伯爵が最初に嫁がせようとした相手をこっそり探った時、誰もが正気を疑った。その子爵はジュリアとは祖父と孫ほどに年が離れている。おまけに残虐な嗜虐症として名が知られているのだから。
堪りかねた者が然るべき機関に訴えるか、それともアラベラ夫人に直訴しようかと思い立った時。急に違う相手との縁談が纏まった。
使用人たちはこの先も知ることはないだろうが、それは父の企みを知った長女が夫を動かした結果だ。
若き侯爵に良い酒が手に入ったと呼び出され、使用人を全て下がらせた文字通り二人きりの席。何も知らずにやって来た伯爵は、ご機嫌で美酒を楽しんでいた。
侯爵が次女の縁談に言及するまでは。
密かに警告を受けた際、伯爵はまともな返答が出来なかった。妻にすら秘密裡に動いていたのに、どうして彼が知ることになったのか。家の情報がどこに、どれだけ漏れているのだろう。
一気に酔いが醒めた伯爵は、今は情報源を探ることに注力すべきだと判断した。
だが出来るだけ早くジュリアの保護者という立場から解放されたい。なので子爵と同じくらいの支度金が見込める上に、今度こそ外野に文句を言われない、人間性に問題のない相手を探そう。
そこで白羽の矢が立ったのがニコラスだ。ニコラスにとってはまさに白羽の矢、だがジュリアにとっては日常を覆う暗闇を穿つ一矢となる。
しかし縁談が成立した時、ジュリアを案ずる使用人一同が感じたのは落胆だった。
死別した婚約者が忘れられないと言いながら、こんな幼い少女は受け入れるのか。実はそういう趣味だから成人した女性を退けていたのか。なら元婚約者は便利な存在だっただろう。
など、言いたい放題であった。
だからこそ、彼が部屋を見舞いに訪れた際、皆は何があろうとお嬢様のお傍を離れまいと誓った。
そんな彼らに辺境伯が求めたのは、この場で見聞きした一切を口外しないこと。たとえ相手がグリーヴ伯であっても。
もし破ったらワイルド辺境伯家のみならず、ミルズ公爵家をも敵に回すことになる、との警告まで添える始末。
何をするつもりかと警戒しながらも、どうしようもない身分差の前には、彼らに出来るのは頷くことだけ。
警戒心が最高潮に達した彼らを後目に放たれたのが、あの台詞。
彼らがどんなに安堵したのか、ニコラスが聞く機会はないだろう。
「これでお嬢様も安心だな」
「てっきり閣下は幼い少女がお好きなのかと思っていたわ」
「俺は早くから自分好みの美女に育て上げるつもりなのかと思った」
「男の究極の夢だな、それ」
「女でもそういうのが好きな人っているわよ」
緊張の緩みにより起こる饒舌だが、病人の部屋にはかなり騒がしい。
うるさくて寝ていられなかったのか、薄く目を開けたジュリアに気付いた一人が静止する。
「しっ。お嬢様を起こしちゃ駄目でしょう」
「おっと、静かにしないとな」
彼らが口を噤むとすぐに目を閉じるその顔は、魘されていた時よりもずっと子供らしく穏やかだ。
「さっきより寝苦しくなさそう、よね?」
「少しでも良い夢を見て戴きたいな」
高熱に魘されていたジュリアが、ニコラスの言葉を覚えていられるかは分からない。それどころか、まともに聞こえていたかすら定かではない。
それでも構わなかった。ニコラスにとって、あれは決意表明だから。
言ってみれば単なる自己満足である。だけど元から部屋にいた侍女と、ぞろぞろついてきた使用人たちの様子を見る限り、意味はあったらしい。
思ったよりも彼女の味方が多かったことに頬を緩ませながら、ニコラスは今後の手続きについて考えていた。
「あの、そんなに警戒しないでくれるかな?
僕は単に、どうして今になって君が動いたのか知りたいだけなんだよ。妹には無関心だと思っていたのに」
「どうして閣下がそれを知りたがるのですか?」
「『閣下』なんて呼び名、やめてくれない? 愛する妻にそんな風に呼ばれたら悲しくなるよ。
それと、僕の質問に答えて欲しいな」
夫婦の寝室でソファーに押し倒され、逃げられない状態での話し合い。傍目には夫婦の語らいに見えるが、甘さは皆無。
皆無だと思っているのは、片方だけではあるが。
「何の不思議もありませんわ。
グリーヴ家には財政上の問題なんてないのですよ。そんな家が、あのような者に成人前の娘を嫁がせたら、激しい非難を浴びるのは目に見えています。
縁戚となったこの家にも良くない影響を及ぼすでしょう。
ですから、そうならないように阻止して下さいと旦那様にお願いしたのです」
「ふうん、まあ良いか。そういうことにしておいてあげる」
そう言いながら妻を抱き上げベッドに向かう。
「旦那様?! 何をなさるのですか?」
「何って、野暮なことを訊くね。愛妻をベッドに運んでするコトなんて一つでしょ?
ああ、もしかして、うんと恥ずかしい言葉で虐めて欲しいの?
じゃあ、ご期待に応えようかな」
「はあっ?! そんなワケありません!!」
「ああ、もう。とりあえず今は黙って」
侯爵に翻弄されるままの彼女は気付かない。夫がどれだけ自分に執着しているのか、それを受け止めないままの自分に焦れながらも、気付かない妻を惑わせることに楽しみを覚えているのかに。
(こんなに思いつめた状態の君を放っておくのは心配だから、悪いけど動けなくさせてもらうよ)
歪な家庭環境のせいで夫婦のあり方が分からない妻に、ひたすら愛を囁く日々。
その言葉を全く信じていない彼女に、いつか思い知らせてやりたい。目の前の一見すると軽いだけの男が、どれ程に重い愛を自分に向けているのかを。
(でも君の弱点を知ったから、今まで以上にやりやすくなったかも)
現在は、つい最近まで塵ほども興味のなかった義妹の情報をかき集めている最中だ。姑息であろうと気にしない、それで妻の心が得られるなら。
「ねえ。僕たちが幸せになって、あの子も救われるなら、君も文句はないでしょう?
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