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詩方夢那

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第三十話 またの御来店を心よりお待ちしております

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 ――店は夏休みが終わったから、もう人手が要らなくなったって。
“ウェイトレスのアルバイト”は短期間の物だったと親に言い、次を探すふりをしながら、明日歌はただ、家の中を片付けたいと思っていた。
 そして、ふと、雪だるまを持っていれば涼しいのだろうと、大量の氷と引き換えに不思議な涼しさを得て、雑然としたままだった室内を徹底的に片付け、ありとあらゆる物をごみに出した。
 それを機に、捨てるに捨てられずに居た大学の教科書や資料は全て捨ててしまったし、すっかりくたびれていた冬物の服も、全部捨ててしまった。
 その合間には、毎日プルートの為のお菓子を作っていた。
 最初に作ったのはカスタードプリンで、次に作ったのは豆腐と板チョコで作れるチョコレートムース。
 プリンは焦がされたカラメルソースの苦みがプルートには強過ぎて、ムースは豆腐の量が多かった所為か、味の薄い物になってしまった。だが、焼き立てのシナモン風味のココアカステラはしっとりと柔らかく、大半をプルートが食べてしまったし、バナナマフィンは店で出したいとまで言った。
 部屋の片付けが一段落し、時間に余裕が生まれて最初に作ったのは、ココア味のメレンゲクッキーと、余った卵黄で作るたまごボーロだった。どちらも小さい故に手間が掛ったが、プルートは子供の様に喜んでいた。
 続いて作ったのは、チーズクッキーとナッツをたっぷりと入れたスノーボールクッキー。チーズの塩気を感じるクッキーがプルートには斬新だったらしく、皆にも食べさせてあげると、レシピ共々彼はそれを持ち帰った。
 更に、ふと、母親に、クレープなんていいねと言われて作ったのは、手作りのアイスクリームを包んだクレープだった。それは、ソフトクリームが大好きなプルートにも喜ばれた。
 その次の作ったのは、クッキーとアイスクリームで余った卵白を使った、スライスアーモンドのチュイールとゴマのチュイール。薄い焼き菓子だが、一度に何枚も作れない為、酷く時間が掛った。しかし、ゴマのチュイールもまた、プルートには斬新だったらしく、大喜びで頬張っていた。
 最後に作ったのは、マカロンの原型と言われるアマレッティの様な、日本のまころんの様な焼き菓子と、アイスボックスクッキー、そして、ドライフルーツのたっぷり入った、ロッシェ風のクッキー。それは、深夜にひっそりと彼女の家に入ったプルートが、彼女がデザートに食べるからと取り分けていた分をこっそりと、そして、喜んで食べて帰って行った。 

 *

 九月十一日。
 昼前、店に居たプルートはロディアに呼ばれ、タロットルームに入った。
「プルート……あなた、仕事の事、忘れてないわよね?」
 プルートは目を伏せた。
「分かってる……分かってる、けど」
 分からなかった。あれほどおいしい物を作ってくれる明日歌の魂を、何故、回収しなければならないのか。
「あなたは死神、運命の執行代理者……仮令たとえどれほど情を掛けた相手だとしても、その運命に背く事は出来ない。それが分かっているなら、どうして」
「だって……あんなにおいしい物、作ってくれる人が……死にたい人だとは、思えない……」
「人間とは、そうしたものですよ、プルート」
 カーテンの隙間から向けられたのは、スフェーンの声だった。
「スフェーン、あなた……」
「死神を占う事はしない。なぜなら、死神には過去も未来も無いから……死神とは、運命の一部でしかないから……プルートの声が、此処から聞こえるのは不自然ですよ」
 スフェーンに向けられていたロディアの視線が、僅かに逸れる。
「プルート。人間と言うのは、何故死ななくてはならないのか理解出来ない時、自ら命を絶とうとする物なのですよ」
「え……」
 プルートの瞳が、スフェーンを捉えた。
「そもそも、彼女の魂の回収は、ひと月前にする予定だったんですよね」
「そうだけど……」
 スフェーンは口元をほほ笑ませる。
「今、彼女が生きている時間は、半ば夢と同じなのですよ……本来の予定が少し狂ってそうならなかった、僅かな寄り道の時間……だから、絶望も、苦悩も、全て忘れて、あなたにおいしい物を作ってくれた……ただ、それだけに過ぎないんです」
「スフェーン……ねぇ、どうして、どうしてそんな事が言えるの? スフェーンは」
「私は単なる魔法学者に過ぎませんよ……ただ、私も遠い昔、かつて、そうだったのもので」
「それって……」
「まだ、ガス灯も無い時代でした。世が新しくなろうかという頃、私は自らの手で自分を殺したものですからね……ただ、訳も無く絶望して」
「それで……」
「その絶望が、魔界の眷属には気に入られたのでしょうか……今となっては、もう、思い出せもしない昔の話ですがね」
「絶望……」
「彼女の絶望は深く根付き、もう、取り払う事が出来ない……それが、魔界の眷属にとって、最高の条件になった……不思議な事を信じてくれる、絶望に駆られ、死に突き進まんとする人間と言うね」
 プルートは目を伏せる。
「プルート。時として、人間と言う物は、死ぬ事が幸せである事もあるのですよ。その手段を厭わない程の死に方をしてもなお、それが幸せな事が……」
「でも……」
 プルートの瞳から、何かがこぼれ落ちた。
「夢同然の時間に、その幸せを受け取ったというのなら……それに報いなさい。それが、あなたのするべき事なのですから」
 プルートは懐に手を入れ、手帳を取り出した。
 ――木珠明日歌。経済的苦痛による自殺念慮あり。
「幸せに……」
 名前に続く一文が、白い指になぞられ、消えてゆく。
 プルートは其処に、小さく書き足した。
 ――九月十三日、病死。
「これでいいんだ。これで……幸せに、なれるんだ……」
 プルートは言い聞かせる様に呟いた。

 *

 九月十二日。
 深夜にプルートが居た所為か、殆ど眠れないまま、朝五時に彼女は台所へ下りた。そして、早朝から仕事に出る父親を送り出し、母親を送り出して洗濯を始めた。さしたる量では無かったが、なんとなく、身の回りの物を全て放り込んだ。
 日が傾きかけた頃、少し早く帰って来た父親と、理由も無く夕方を過ごし、乾ききった洗濯物を取り込んで、帰って来た母親と理由の無い会話を続け、夕飯の片付けをした。
 その折、醤油さしを倒してしまい、スカートが酷く醤油臭くなってしまった。
 お風呂に入っている間に、洗ってしまおうと、彼女は汚れてしまったスカートのみならず、その日着ていた物を全て洗濯機に放り込み、脱衣所に吊るした。
 そんな深夜、彼女は一睡も出来ないまま、ただ、ぼんやりと空を見つめ、僅かに空が白み始めるのを見届け、台所に降りた。その階段で、擦り切れてしまいそうだった寝間着のズボンが悲鳴を上げるのを聞いた。
 あぁ、遂に破れてしまったのか、と思うと同時に、着替えなら脱衣所に有ると何の感慨も無く思った。
 破れてしまった寝間着を袋に詰め、不思議と乾いていたスカートとTシャツに着替えて台所に行くと、見覚えのある黒いマントが座っていた。
「あぁ、そういう事だったのか……」
 明日歌は納得した様に笑い、手にしていた雪だるまを差し出した。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 死神は笑ってそれを受け取ると、懐に納めた。
「いこっか」
「うん」
 明日歌は頷いた。
「おいで」
 死神は手を広げ、明日歌を呼び寄せる。
 明日歌は柔らかな抱擁の中、その胸に手を遣った。
「怖がらなくても、大丈夫だよ」
 死神の右手に、彼の背丈ほどもある大鎌が現れる。
「キミのお菓子、おいしかった……ありがとう」
「どういたしまして……」
 死神を見上げた明日歌の顔に、彼の顔が近付いた。
 静かで甘やかな口付けが交わされた瞬間、死神は彼女を強く抱きしめ、その鎌を光らせた。
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