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一 混色の果て
十六 侍の心意気
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「本当にすみません。集めて頂けるだけで十分なのに」
「気にしないでくれ。同僚のしりぬぐいの様な物だからな」
簿書係の非常勤職員である御田川和歌子は警備員のエンリケと二人、乱雑に放り込まれた制服をワゴンから取り出し、ポケットの中やタグを確認を進めていた。
「それに、今日は乾燥室の制服を地下の廊下に運ぶ必要もある。それには君の手を借りなければならない」
和歌子は返す言葉が無く黙り込んだ。本来であれば地下通路に什器を運ぶのは洗濯の雑用を引き受けている和歌子の仕事であるが、今は土谷の言いつけにより地下に降りる事は叶わない。
暫くの間、二人は無言で汚れた制服を洗濯機に放り込み、その最後に和歌子は無作法に放り出された靴下を下洗い用の洗濯機へと投げ込む。
「乾燥室に行こうか」
洗濯機が回る中、エンリケに言われるまま和歌子は階上の乾燥室へと向かう。かつてはささやかな観葉植物が育てられていた温室の様な乾燥室も、今は大麻煙草を吹かす者が散見される空間となってしまったが、夜勤を終えた警備員達が帰宅したこの時間帯に人影は無い。
「全く片付いていないな」
什器にはぎっしりとハンガーが掛けられ、大量の制服が吊るされている。その中には識別タグの付けられた物も有るが、持ち主はまだ引き取っていない。
「一番小さくしてしまうと、エレベーターには入りますけど、服が溢れますね……」
「上に積む様にすれば何とかなるはずだ。スラックスならあまりしわにならないだろう」
「そう、ですね……」
スラックスを吊るすハンガーが外され、スラックスごと鉄棒の上に乗り上げた格好になると、エンリケは大量のハンガーが吊るされたまま什器の鉄棒を強引に押し込んで縮め、金具を締めた。そして車輪の固定を外そうとした時、苛立った女性の声がエンリケの背後に浴びせられる。
〈ちょっと、洗濯してるのはあんた? 私の靴下はどこよ!〉
慌てて振り返ったエンリケが目にしたのは、和歌子に掴み掛らんばかりの剣幕で迫る女性警備員の姿だった。
〈おい、落ち着け!〉
エンリケは和歌子をかばう様に割って入るが、女性はエンリケを押しのけようとする。
〈私はそこの女に話が有るのよ!〉
胴体に向けられた乱暴な手がエンリケの眼に伸びた瞬間、エンリケは乱暴に女性を突き放して声を荒らげた。
〈いい加減にしろ!〉
先ほどまでと異なるスペイン語の怒声に、女性は意外だと言わんばかりにエンリケを見て叫んだ。
〈何よ、あんた、スペイン語が喋れる最初からそうしなさいよ!〉
〈それなら、なぜ日本語しか知らない非常勤職員に英語で詰め寄るんだ〉
〈ここにいる人間なら英語くらい喋れるでしょ? それとも、そこの女はハンディキャップの職員なわけ?〉
〈そもそもここは日本だ。あなたは日本が英語の通じない国だという事も知らずに来たのか?〉
〈ここは英語が通じるから来たのよ! それよりあんた、そこの女は私の靴下を返さない泥棒なの、私の靴下を返せって通訳しなさい!〉
エンリケは溜息を吐き、女性の名札を確かめてから後ろを振り向く。
「フェリシダ・アギラルという名札に見覚えは?」
エンリケの問いに和歌子は首を振り、彼は女性に向き直る。
〈アギラルさん、靴下にクリップを付けたか?〉
〈は?〉
〈制服を洗濯に出す時は、シリコンタグか名前を書いた耐水性ステッカーを貼ったクリップを付ける決まりになっている〉
〈そんなの初めて聞いたわ!〉
〈おかしいな。上司から通達がされていたはずだが……複数の人間が同じ物を洗濯に出すのに、どうやって自分の物を判別するんだ?〉
女性は言葉に詰まって黙り込む。
〈そもそも、靴下一足でも制服の持ち出しは規律違反、アルバイトもハンディも関係なく解雇される重大な違反行為だ。十分な給料を貰って生活が出来ている彼女が盗みを働く理由は無い〉
〈その女は私に対する嫌がらせとして〉
〈彼女はアギラルさんと接点は無い。なぜなら彼女は警備員のロッカールームに入る事を禁止されているからだ〉
女性は舌打ちして力任せにエンリケを突き飛ばし、そのまま背を向けた。
女性の態度から突き飛ばされる事を想定していたエンリケはその衝撃を防弾ベスト越しに受け止め、溜息を吐いた。
「リャ、リャヌラさん、大丈夫ですか?」
「この下はフラックジャケットだよ」
「あ、そっか……」
和歌子は目を伏せた。咄嗟の出来事となると何も出来ず、思い出せもしない、と。そもそも傭兵であるエンリケが多少の事で怪我をする事は無く、協会の警備員は申し訳程度の性能とはいえ防弾ベストの着用が必須となっている。
「ハンガーラックを下ろすついでに送るよ。一度簿書係の事務所に戻った方がいい」
エンリケは和歌子の方を振り返って告げる。
「あ、でも靴下は下洗いで」
「あのまま脱水して、通常の洗剤で洗えばいいのか?」
「それはそうですけど」
「それなら後は片付けておくよ。急な呼び出しが無い限りは」
「でも、それじゃあ申し訳ないです」
「気にしないでくれ。君に何かあったら、土谷に殺されかねないからな」
言って、エンリケは什器の車輪を固定する金具を外してエレベーターへと向かい、和歌子はその後を追った。
「気にしないでくれ。同僚のしりぬぐいの様な物だからな」
簿書係の非常勤職員である御田川和歌子は警備員のエンリケと二人、乱雑に放り込まれた制服をワゴンから取り出し、ポケットの中やタグを確認を進めていた。
「それに、今日は乾燥室の制服を地下の廊下に運ぶ必要もある。それには君の手を借りなければならない」
和歌子は返す言葉が無く黙り込んだ。本来であれば地下通路に什器を運ぶのは洗濯の雑用を引き受けている和歌子の仕事であるが、今は土谷の言いつけにより地下に降りる事は叶わない。
暫くの間、二人は無言で汚れた制服を洗濯機に放り込み、その最後に和歌子は無作法に放り出された靴下を下洗い用の洗濯機へと投げ込む。
「乾燥室に行こうか」
洗濯機が回る中、エンリケに言われるまま和歌子は階上の乾燥室へと向かう。かつてはささやかな観葉植物が育てられていた温室の様な乾燥室も、今は大麻煙草を吹かす者が散見される空間となってしまったが、夜勤を終えた警備員達が帰宅したこの時間帯に人影は無い。
「全く片付いていないな」
什器にはぎっしりとハンガーが掛けられ、大量の制服が吊るされている。その中には識別タグの付けられた物も有るが、持ち主はまだ引き取っていない。
「一番小さくしてしまうと、エレベーターには入りますけど、服が溢れますね……」
「上に積む様にすれば何とかなるはずだ。スラックスならあまりしわにならないだろう」
「そう、ですね……」
スラックスを吊るすハンガーが外され、スラックスごと鉄棒の上に乗り上げた格好になると、エンリケは大量のハンガーが吊るされたまま什器の鉄棒を強引に押し込んで縮め、金具を締めた。そして車輪の固定を外そうとした時、苛立った女性の声がエンリケの背後に浴びせられる。
〈ちょっと、洗濯してるのはあんた? 私の靴下はどこよ!〉
慌てて振り返ったエンリケが目にしたのは、和歌子に掴み掛らんばかりの剣幕で迫る女性警備員の姿だった。
〈おい、落ち着け!〉
エンリケは和歌子をかばう様に割って入るが、女性はエンリケを押しのけようとする。
〈私はそこの女に話が有るのよ!〉
胴体に向けられた乱暴な手がエンリケの眼に伸びた瞬間、エンリケは乱暴に女性を突き放して声を荒らげた。
〈いい加減にしろ!〉
先ほどまでと異なるスペイン語の怒声に、女性は意外だと言わんばかりにエンリケを見て叫んだ。
〈何よ、あんた、スペイン語が喋れる最初からそうしなさいよ!〉
〈それなら、なぜ日本語しか知らない非常勤職員に英語で詰め寄るんだ〉
〈ここにいる人間なら英語くらい喋れるでしょ? それとも、そこの女はハンディキャップの職員なわけ?〉
〈そもそもここは日本だ。あなたは日本が英語の通じない国だという事も知らずに来たのか?〉
〈ここは英語が通じるから来たのよ! それよりあんた、そこの女は私の靴下を返さない泥棒なの、私の靴下を返せって通訳しなさい!〉
エンリケは溜息を吐き、女性の名札を確かめてから後ろを振り向く。
「フェリシダ・アギラルという名札に見覚えは?」
エンリケの問いに和歌子は首を振り、彼は女性に向き直る。
〈アギラルさん、靴下にクリップを付けたか?〉
〈は?〉
〈制服を洗濯に出す時は、シリコンタグか名前を書いた耐水性ステッカーを貼ったクリップを付ける決まりになっている〉
〈そんなの初めて聞いたわ!〉
〈おかしいな。上司から通達がされていたはずだが……複数の人間が同じ物を洗濯に出すのに、どうやって自分の物を判別するんだ?〉
女性は言葉に詰まって黙り込む。
〈そもそも、靴下一足でも制服の持ち出しは規律違反、アルバイトもハンディも関係なく解雇される重大な違反行為だ。十分な給料を貰って生活が出来ている彼女が盗みを働く理由は無い〉
〈その女は私に対する嫌がらせとして〉
〈彼女はアギラルさんと接点は無い。なぜなら彼女は警備員のロッカールームに入る事を禁止されているからだ〉
女性は舌打ちして力任せにエンリケを突き飛ばし、そのまま背を向けた。
女性の態度から突き飛ばされる事を想定していたエンリケはその衝撃を防弾ベスト越しに受け止め、溜息を吐いた。
「リャ、リャヌラさん、大丈夫ですか?」
「この下はフラックジャケットだよ」
「あ、そっか……」
和歌子は目を伏せた。咄嗟の出来事となると何も出来ず、思い出せもしない、と。そもそも傭兵であるエンリケが多少の事で怪我をする事は無く、協会の警備員は申し訳程度の性能とはいえ防弾ベストの着用が必須となっている。
「ハンガーラックを下ろすついでに送るよ。一度簿書係の事務所に戻った方がいい」
エンリケは和歌子の方を振り返って告げる。
「あ、でも靴下は下洗いで」
「あのまま脱水して、通常の洗剤で洗えばいいのか?」
「それはそうですけど」
「それなら後は片付けておくよ。急な呼び出しが無い限りは」
「でも、それじゃあ申し訳ないです」
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