夜想曲は奈落の底で

詩方夢那

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第二章 Gambling with the Devil

2-14-7 Pandemonium

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 母親の喚き声すら無視して怒りに任せて床を磨いていたレインの手がようやく止まったのは、世の中が完全に動き出したころの事だった。
「……あ、ごめん、起こした?」
「あ、え、おはようございます……」
 低い机を拭いていたレインとソファに横たわっていた小鳥遊の目が合った。
「……掃除、終わりました?」
 小鳥遊は体を起こしながら、机に立てかけられたカーペットを見遣る。
「うん。カーペット乾いたら、原状復旧」
「そうすか、お疲れ様です……話し合い、終わらせましょうか」
 レインは黙って頷き、居間の隅で肩を寄せて座り込むランとリンを見遣った。
「どうします?」
「とりあえず、コーヒー、淹れてくる」
 レインは疲れ果てた両親が椅子に腰掛ける台所へと向かった。
「貴様っ」
 父親はレインの姿を見るなり声を荒らげるが、レインは意に介さず、再びコーヒーメーカーの支度を始める。
「隆君、コーヒー出来たら、こっちに集まって貰えるかな」
「え……」
「あっち、カーペット乾いてなくて、机、使えない」
「あ、あぁ……」
 広くはない台所に全員を集める事に疑問を抱きながら、ルーシーはコーヒーメーカーが止まるのを待った。
「……呼んでくるよ」
「うん」
 ルーシーは親子三人を残し、作業部屋へと向かう。
「おい」
 父親の低い声に、レインは警戒の眼差しを向ける。
「なんで此処に音楽関係の人間が居るんだ」
「とーさんに邪魔された話をする為だよ」
「話?」
「皆来たらわかるよ」
 レインはルーシーが片付けたティーカップを再び広げ、コーヒーを注ぐ。
「それは紅茶用のカップだろうが、そんな事も知らないのか」
「こんな人数分の食器、これしかないし」
 食卓に一人分としては少し少ない量のコーヒーが注がれたカップが並ぶ。
「なんだこの量、お前はコーヒーの一杯淹れられないのか」
「人数で割るとこうなる。とーさんは算数苦手だっけ?」
「貴様」
 立ち上がろうとする父親に、母親の鋭い視線が突き刺さる。

 親子の緊張が膠着する中、疲れ果てた様子のケリーらが台所へと通された。
「おい、他人の家の台所に勝手に」
「此処はうちの会社の作業場所ですが! 何か!」
 小鳥遊の声に父親は押さえつけられ、歯ぎしりする様に黙り込む。
「……レイン、この狭い場所で、一体何をする気ですか」
 鴇田は奇妙な状況に眉を顰めながら、俯きがちに佇むレインを見る。
「ケリー、とーさんに、どういう要件か、教えてあげて」
「え、えっと……」
 ケリーは歯ぎしりする初老の男性とその傍らで恨めしそうに男性を眺める女性を見て困惑を隠せない。
「実は……今、ぼく達のバンドは、ギタリストが不在でして……事務所の社長から、後任者の紹介はされたのですが」
「だったらうちの倅に何の用だ!」
 怒号にケリーは肩を竦めるが、意を決した様に言葉を続ける。
「メンバーとしては! メンバーとしては、お宅の息子さんに、復帰して」
「今更何を言うか!」
 年上の男性から叱りつけられた経験に乏しいケリーは二度目の怒号に震えあがる。
「おじさん、無関係な彼を責めないで下さい。その責任は、僕に有るんです」
「は?」
 表情を歪ませ、レインの父親はルーシーを睨む。
「僕が社長から紹介された後任者とうまくやっていけないと申し出た結果、彼は僕を慰留する為に、ユウキ君を呼び戻したいと言ったんです」
「だったらお前が辞めれば済む話だろうが!」
「お言葉ですが!」
 三度目の怒号にハリーが声を上げる。
「お言葉ですが、俺達はタカシさんがバンドを離脱する事を望んでいません」
「別にバンドの演奏者なんて誰だってかまわんだろうが。現にうちのバカ息子が辞めたからと言って、バンドは続いていたんだろう?」
「演奏者が変われば、それはもう別のバンドなんですよ」
 ハリーは怯む事無く、レインの父親を真っ直ぐに見つめて続けた。
「メンバーが変わっても続けていくのは、生半可な事じゃないんです。事務所の人間が転勤で入れ替わるのとはわけが違う、全く違う物を作る人間を入れた工房が、それまでと同じ品物を作れるとでも?」
「それをするのがプロじゃないのかね」
「音楽に限っては違いますよ」
「だったらオーケストラはどうなる」
「既存の音楽を演奏するオーケストラと、全く新しい物を自分達で作り続けるバンドを一緒にしないで下さい!」
 ハリーの気迫に押され、レインの父親は息を呑んだ。
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