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第22章「嵐の前」 (佐原視点)
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──近くにいるのに、遠い。
七原の座る椅子まで、ほんの二メートルもない。なのに、手を伸ばせば届くような気はしなかった。
「……ここの匂い、変わってないな」
ぽつりと落とされた声は、どこか懐かしさと警戒が入り混じっていた。
「変える理由もないし、変えたくなかった」
自然にそう返しながら、佐原は気づいていた。たった今の自分の言葉が、なにかを誤魔化しているように聞こえたことに。
七原は、机の角に視線を落としたまま、指先でコートの袖口をいじっている。
「……少しは、変わったと思うけどな。俺」
「そうか?」
「うん。前みたいに……何かを壊したいって気持ちは、もうない。それでも、自分のこと、まだ信用できてないけどさ。……それでも、前よりマシだと思ってる」
その言葉の中に、微かに震えがあった。
佐原は、喉の奥で言葉を噛み潰す。「そうだね」と言えば簡単すぎるし、「違う」と言えば壊れてしまいそうだった。
代わりに、ただ視線を七原に向けた。彼はその視線に気づき、ふっと笑った。
「……医者の目って、すぐわかるな。なんか観察されてる気がする」
「習慣だから、仕方ない」
「ほんとは、“俺のことだけ見てる目”だったらいいのにな」
その一言に、空気が一瞬止まった。佐原の胸に、痛みにも似た熱が走る。
「……患者としてしか、見られない」
吐き出すように言ったその声は、自分でも驚くほど乾いていた。
七原は、小さく笑った。けれど、その笑みの奥に、どこかしら期待のような、諦めのようなものが見えた。
「そっか。……なら、俺、また診察の予約、入れようかな」
「……やめとけ。冗談でも」
「冗談に聞こえなかった?」
「……ああ」
それきり、言葉が途切れた。窓の外で風が枝を揺らしていた。天気予報が言っていた通りだ。今夜から、嵐になるらしい。
その音が、ふたりの沈黙に入り込んでくる。
「……少し、話しすぎたな。今日は」
「じゃあ、また来る」
その言葉に、佐原は反射的に「いつ」と聞きかけて、やめた。
まだ近づきすぎてはいけない。けれど、もう見えないふりもできない。
そんな奇妙な“距離”だけが、そこに残された。
七原が立ち上がる。その姿を、佐原は黙って見送った。
玄関の鍵を開ける手が、わずかに震えた。
もう少しで、届いてしまいそうだった。
七原の座る椅子まで、ほんの二メートルもない。なのに、手を伸ばせば届くような気はしなかった。
「……ここの匂い、変わってないな」
ぽつりと落とされた声は、どこか懐かしさと警戒が入り混じっていた。
「変える理由もないし、変えたくなかった」
自然にそう返しながら、佐原は気づいていた。たった今の自分の言葉が、なにかを誤魔化しているように聞こえたことに。
七原は、机の角に視線を落としたまま、指先でコートの袖口をいじっている。
「……少しは、変わったと思うけどな。俺」
「そうか?」
「うん。前みたいに……何かを壊したいって気持ちは、もうない。それでも、自分のこと、まだ信用できてないけどさ。……それでも、前よりマシだと思ってる」
その言葉の中に、微かに震えがあった。
佐原は、喉の奥で言葉を噛み潰す。「そうだね」と言えば簡単すぎるし、「違う」と言えば壊れてしまいそうだった。
代わりに、ただ視線を七原に向けた。彼はその視線に気づき、ふっと笑った。
「……医者の目って、すぐわかるな。なんか観察されてる気がする」
「習慣だから、仕方ない」
「ほんとは、“俺のことだけ見てる目”だったらいいのにな」
その一言に、空気が一瞬止まった。佐原の胸に、痛みにも似た熱が走る。
「……患者としてしか、見られない」
吐き出すように言ったその声は、自分でも驚くほど乾いていた。
七原は、小さく笑った。けれど、その笑みの奥に、どこかしら期待のような、諦めのようなものが見えた。
「そっか。……なら、俺、また診察の予約、入れようかな」
「……やめとけ。冗談でも」
「冗談に聞こえなかった?」
「……ああ」
それきり、言葉が途切れた。窓の外で風が枝を揺らしていた。天気予報が言っていた通りだ。今夜から、嵐になるらしい。
その音が、ふたりの沈黙に入り込んでくる。
「……少し、話しすぎたな。今日は」
「じゃあ、また来る」
その言葉に、佐原は反射的に「いつ」と聞きかけて、やめた。
まだ近づきすぎてはいけない。けれど、もう見えないふりもできない。
そんな奇妙な“距離”だけが、そこに残された。
七原が立ち上がる。その姿を、佐原は黙って見送った。
玄関の鍵を開ける手が、わずかに震えた。
もう少しで、届いてしまいそうだった。
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