月夜の森の異種族見聞譚 〜臆病な森人ナユタナの見聞〜

ポムサノコペリ

文字の大きさ
8 / 21
第二夜『屋敷と遠征』

一(第八話)

しおりを挟む


 ナユタナが目を覚ますと、寝台の毛布の中だった。
 しばらく天井を眺めてから、ゆっくりと身を起こし、ぼんやりとしたまま室内を見回した。
 窓を仰げば、日の高さから昼ごろと知れた。

 毛布から出した手には、トルナ酒の陶瓶が握られていた。
 酒の味に手を加えていたのだが、疲れてそのまま寝てしまったらしい。
 硬くこわばった指を広げ、瓶を寝台の脇に置いた。

 体を伸ばしてから寝台を下りる。
 昨晩のままの格好で、短くなった髪を確かめた。

 床に揃えてあった靴は履かず、裸足のまま板張りの部屋を一周する。
 家具や壁を眺め、飾られた花の匂いを嗅いだ。
 鏡に掛けられた布をめくると、翡翠の瞳がこちらを見て笑った。

「ナユタナ様、起きていらしたのですね」

 振り向くと、女中のマーヤが戸口の前に立っていた。
 食事を乗せた給盤きゅうばんを手にしている。
 マーヤとともに小卓の前に行くと、そこにも食事が用意されていた。

「これは朝餉に用意していたものです。新しいものに変えますね」
「……片付けてしまうのか?」

 椅子によじ登ったナユタナは、その中から食べられそうなものをいくつか移してもらった。
 下げられるものが気になり、マーヤを見つめる。

「それはどうするのだ?」
「軽食にしたり、家畜に回します」
「家畜?」
「ガロやリュナクがおります」

 ナユタナが見てみたいと言うと、マーヤはあとで案内すると約束した。
 卓上に座ろうとしたナユタナを止めたマーヤは、椅子に分厚い敷物を置いて座らせた。

「今朝はびっくりしました」

 食事を摘むナユタナに、マーヤは朝の出来事を語る。

 朝の支度を手伝おうと部屋に入ったマーヤは、窓際の椅子にユトロが座っているのを見て飛び上がった。
 マーヤに気付いたユトロは静かにするよう指で示し、小卓の上で寝ているナユタナを見た。

 ナユタナは卓上から手足を放り出し、手に酒瓶を握って眠っていた。
 マーヤには、幸せそうな寝顔に見えた。

「ナユタナ様は、太陽の飾り文字のようなお姿で、寝ていらっしゃいました」

 マーヤはその寝姿に、王家の紋章にある太陽を思い出したという。
 屋敷を出る前に、ひと目顔を見に来たユトロは、ナユタナを酒瓶ごと寝台に運び、そのまま行ってしまったらしい。

「あたしは起こそうと思ったのですが、ユトロ様に……止められてしまって」

 ナユタナは頷きながら、パンを乳で流した。

「これは?」
「それはペリカという果実です。
 領内で栽培されていて、今朝、厨房に届いたものです」
「ほう……甘みが強く、良い香りの果実だ。
 屋敷の外へ行けば、果樹を見られるだろうか」

 黄緑色の小さな粒に、ナユタナは夢中になった。
 マーヤは言葉を探すように、ナユタナの様子を窺っていた。

「あのう……ユトロ様は、その……ナユタナ様の……旦那様になられるお方、ではないのでしょうか……?」

 ペリカを食べ終えたナユタナは、指を舐めてマーヤを見つめる。
 マーヤは水の入った桶を差し出し、ナユタナは手を洗った。

「それは違うぞ、マーヤ。
 私はユトロの嫁候補であって、今は、試しの関係なのだ」
「では……ナユタナ様はユトロ様を、夫にしたくないと……思っていらっしゃるのですか?」

 確かにナユタナは、今のところ嫁になる気はないが、マーヤの質問の意図が掴めない。
 ナユタナがきょとんとしていると、マーヤは眉を寄せた。

「今度のお仕事は、ひと月かかるって……その、聞きましたよ?
 それなのに、お出かけになるユトロ様に、最後にお見せになったお姿が、卓の上で寝ていたところなんて……」

 マーヤは顔を手で覆い、自分のことのように恥じらった。
 人族であれば、よほどの失態だったらしい。

 マーヤの赤い顔を見て、ナユタナは、どうしたものかと目を瞬かせた。

「た……たったひと月ではないか。
 もちろん、あの人が無事に帰って来ることは願うが──」

 ナユタナは濡れた手を払い、椅子から飛び降りて寝台へ行く。
 そしてトルナ酒の瓶を取り、マーヤのもとに戻ると、小皿に少し垂らした。

「ユトロの無事の帰りを願おう!」

 小皿を掲げたナユタナは、そう言って酒を呷った。

「ほらな」

 得意げに胸を張ったナユタナを、マーヤは複雑な顔で見つめていた。

「あたしが言わなければ、それ……やりませんでしたよね?」
「……そんなことはない」

 それは酒に願いを込めて祈る、森人のまじないであった。
 昼間に酒を飲む理由として、よく使われる方便でもある。


 ナユタナが食事を済ませると、マーヤは服を選んでほしいと、廊下からいくつか箱を運び入れた。
 廊下の壁には箱が山のように積まれている。
 ナユタナが寝ていたため、朝から領内の服屋が運んできたそれを選別できずにいた。

「私はひとりしかいないはずだが……」

 廊下に出たナユタナは、箱の多さに目を丸くした。

「ユトロ様は、女性のお召し物がいくらするのかがわからず、たくさんのお金を渡したと聞きました」

 ナユタナはマーヤと一緒に箱の中身を確認し、着る服と着ない服に分ける作業を行う。
 試着はしないのかとマーヤは尋ねたが、すべて着たら日が暮れてしまうとナユタナはぼやく。
 廊下の箱は次々と分けられ、多くの品が部屋の外に積まれた。

「これだけでよろしいのですか?」
「動きやすそうなこれらで十分だ。
 これでも多いと思うが、マーヤの服はもっと多いのか?」
「いえ。確かに、これだけあれば十分ですね」

 空になった箱は、残りの服とともに服屋に返すという。
 屋敷の者で、誰かその服を使わないのだろうかとナユタナは考えたが、マーヤは一瞬言い淀み、それから首を横に振った。

「リーナにやったらよかろう。マーヤもどうだ?」
「ナユタナ様、これはユトロ様からの贈り物ですよ?
 なぜ、あたしたちが頂くのですか」
「マーヤは楽しそうに箱を開けていたではないか」
「でもこれは、見本のお品です。
 お店にお返ししなくてはなりません」

 マーヤが断る理由がわからず、ナユタナは箱の中身を吟味し、細かい編み物の肩掛けと、花弁のように柔らかな長衣を取り出して、彼女に渡した。

「服屋もこんなに返されては困るのではないか?
 そうであろう、ダラン」

 マーヤが振り向くと、いつからいたのか、黒衣の執事が立っていた。
 驚いたマーヤは、受け取った服を咄嗟に差し出す。

「いえ、こちらはまだ精算が終わっておりません。
 先に金を出し、見合った服を用意させ、そこから選び、残りを返して差額を戻してもらう──そういう取引なのでございます。
 買わない品は、未成約品として店は再び売りに出せますので、何も問題ございません」

 淡々としたダランの説明に、ナユタナはぎょっとする。
 既に金と交換した品ではなかったらしい。
 マーヤに渡した服を見つめる。

「ですが、ここにある品がすべてナユタナ様のものであることも事実。
 ナユタナ様がご自身の所持品をどう扱われるかは、自由でございます」

 ダランは一度視線をずらし、声の調子を落とした。

「お前はそれを頂いたのだ。
 礼を言って、きちんと持ち帰るように」

 マーヤは頭を深く下げてナユタナに礼を言い、隣の小部屋に慌てて服を置きに行く。
 ナユタナは状況を測りかねていた。
 だが、場の空気が静まったのを見て、ダランが何かを収めたのだと気付く。

「面倒なことを言っただろうか……」
「滅相もございません。他にご入用の品はございますか?」

 少し気が引けたが、ナユタナにはどうしても欲しい物があった。

「紙と書くものが欲しい。紙はたくさんだ」
「お手紙でございましょうか」
「記録をするのだ。質は悪くて構わない」

 快く注文を受けたダランは、去り際に小さな笛をナユタナに渡した。
 迷子になった時の笛をユトロが渡すと言っていたのを思い出し、ナユタナは眉を寄せる。

「それは、私めの耳にのみ届く特別な笛でございます。
 困ったときにはぜひお使いください」

 迷子用ではないとわかり、ナユタナは有り難く受け取った。


 体を拭き、薬を塗って着替えると、日はすっかり傾いていた。

「このお薬、すごいですね。頭のかぶれがすっかり治っています」
「本当か? 昨晩はじくじくしていたはずだが」

 薬はマーヤに作らせたので、効能をいじる術は使っていない。
 一番酷かった頭の傷だけ、きれいに治るのはおかしいと思った。
 ナユタナは、虫刺されの跡を鏡で確認する。

 髪の隙間を訝しげに覗くと、微かな魔法の気配が漂っていた。
 そっと髪をかき分けたナユタナは、かぶれていた皮膚を見た。
 マーヤの言うように、確かにかぶれはきれいに消えていた。

 違和感を覚え、指先に魔力を練り、滲ませる。
 土属性の“染み込む力”を宿した術を指に乗せ、頭に残る魔法に触れたナユタナは、注意深くその指先を見つめた。

 森人族とは異なる種族の力、そして“かい”の属性が混じっている──

 その瞬間、肌がぞくぞくと粟立ち、体が勝手に震え出した。
 突如として恐怖に包まれたナユタナは、その場にへたり込み、指先の魔力を散らした。

「ど、どうされましたか?」
「いや……何でもない。少し、寒くなっただけだ……」

 ナユタナはその独特の恐怖に、覚えがあった。
 喉の奥がひゅっと鳴る。

 ──ユトロだ。

 人狼が癒しの術を使うとは知らなかったが、それでも、あの男の魔法なのだろう。
 拭っても取れず、ナユタナはため息を吐く。


 気を取り直したナユタナは、ダランに貰った笛を紐に通して首に下げ、胸元にしまった。
 腰に碧晶の短剣を差し、薄藍の袖を広げ、身動きを確かめる。
 足の裏の汚れを払い、脚衣の広い裾を革靴で押さえるように履き、紐で括った。

 残りの服は衣装棚へしまわれ、箱はすべて廊下に出された。
 後に来るという服屋が、空いた箱を確認して精算をするという。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

超能力者なので、特別なスキルはいりません!

ごぢう だい
ファンタジー
 十歳の頃に落雷の直撃を受けた不遇の薫子は、超能力に目覚める。その後十六歳の時に二度目の落雷により、女神テテュースの導きにより、異世界へ転移してしまう。ソード&マジックの世界で、薫子が使えるのは超能力だけ。  剣も魔法も全く使えない薫子の冒険譚が始まる……。

絡みあうのは蜘蛛の糸 ~繋ぎ留められないのは平穏かな?~

志位斗 茂家波
ファンタジー
想いというのは中々厄介なものであろう。 それは人の手には余るものであり、人ならざる者にとってはさらに融通の利かないもの。 それでも、突き進むだけの感情は誰にも止めようがなく… これは、そんな重い想いにいつのまにかつながれていたものの物語である。 ――― 感想・指摘など可能な限り受け付けます。 小説家になろう様でも掲載しております。 興味があれば、ぜひどうぞ!!

無自覚に世界最強だった俺、追放後にチートがバレて全員ざまぁされる件

fuwamofu
ファンタジー
冒険者団から「役立たず」と追放された青年リオ。 実は彼のスキル《創造》は、世界の理を作り替える最強の能力だった。 追放後、孤独な旅に出るリオは、自身の無自覚な力で人々を救い、国を救い、やがて世界の中心に立つ。 そんな彼の元には、かつて彼を見下していた美少女たちが次々と跪いていく──。 これは、無自覚に世界を変えてしまう青年の、ざまぁと覇道の物語。

『辺境伯一家の領地繁栄記』スキル育成記~最強双子、成長中~

鈴白理人
ファンタジー
ラザナキア王国の国民は【スキルツリー】という女神の加護を持つ。 そんな国の北に住むアクアオッジ辺境伯一家も例外ではなく、父は【掴みスキル】母は【育成スキル】の持ち主。 母のスキルのせいか、一家の子供たちは生まれたころから、派生スキルがポコポコ枝分かれし、スキルレベルもぐんぐん上がっていった。 双子で生まれた末っ子、兄のウィルフレッドの【精霊スキル】、妹のメリルの【魔法スキル】も例外なくレベルアップし、十五歳となった今、学園入学の秒読み段階を迎えていた── 前作→『辺境伯一家の領地繁栄記』序章:【動物スキル?】を持った辺境伯長男の場合

アイムキャット❕~異世界キャット驚く漫遊記~

ma-no
ファンタジー
 神様のミスで森に住む猫に転生させられた元人間。猫として第二の人生を歩むがこの世界は何かがおかしい。引っ掛かりはあるものの、猫家族と楽しく過ごしていた主人公は、ミスに気付いた神様に詫びの品を受け取る。  その品とは、全世界で使われた魔法が載っている魔法書。元人間の性からか、魔法書で変身魔法を探した主人公は、立って歩く猫へと変身する。  世界でただ一匹の歩く猫は、人間の住む街に行けば騒動勃発。  そして何故かハンターになって、王様に即位!?  この物語りは、歩く猫となった主人公がやらかしながら異世界を自由気ままに生きるドタバタコメディである。 注:イラストはイメージであって、登場猫物と異なります。   R指定は念の為です。   登場人物紹介は「11、15、19章」の手前にあります。   「小説家になろう」「カクヨム」にて、同時掲載しております。   一番最後にも登場人物紹介がありますので、途中でキャラを忘れている方はそちらをお読みください。

国王像にヒゲを生やしただけで無人島に送られました!

忍絵 奉公
ファンタジー
国王像にヒゲを一本描いただけ。それだけの理由で青年リオは「国家反逆罪」というとんでもなくくだらない冤罪を着せられ、島流しにされてしまう。だが護送中の船は嵐に遭遇し、辿り着いたのは地図にも載らない完全な無人島だった。 生存能力ゼロ、知識ゼロのポンコツ状態で始まったサバイバル生活は、なぜか喋るカニや歪む空間など、次第におかしな方向へ転がり始める。 やがてリオは、 一番偉い悪魔、四大神獣、そして偉そうな神様たちが軽く喧嘩しながらバーベキューをしている場所に辿り着く。 しかも、国王像ヒゲ事件は――実は宇宙規模の因果の一部だったと知らされる。

精霊さんと一緒にスローライフ ~異世界でも現代知識とチートな精霊さんがいれば安心です~

ファンタジー
かわいい精霊さんと送る、スローライフ。 異世界に送り込まれたおっさんは、精霊さんと手を取り、スローライフをおくる。 夢は優しい国づくり。 『くに、つくりますか?』 『あめのぬぼこ、ぐるぐる』 『みぎまわりか、ひだりまわりか。それがもんだいなの』 いや、それはもう過ぎてますから。

処理中です...