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第1話:神獣? いいえ、駄犬です
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「賢者の真の姿……? なんと美しい……」
月明かりの下、大国の皇帝が剣を捨て、その場に跪いた。
「我々は……女神を『公爵』などという人間の枠に押し込めようとしていたのか……! なんたる不敬……!」
「女神よ! どうか、どうか我らをお導きください!」
ガシャッ、ガシャン!
王と皇帝がひれ伏し、それに続いて数千の兵士たちが一斉に平伏する。
工場の庭が、巨大な信仰の場と化した。
「……風呂上がりにこれかよ」
湯上がりのビールを片手に、晶は深いため息をついたが、もう止める気も起きなかった。
◇
これは、静かに暮らしたいだけの理系出身ラノベ作家が、うっかり世界をリセットしかけ、いつの間にか「救国の賢者(女神)」として崇められてしまうまでの、不本意なサクセスストーリーである。
──────
「……重い」
交易都市、アステル。
夏の湿気を帯びた熱気が、石造りの街並みにまとわりつく昼下がり。
路地裏にひっそりと店を構える『よろずや ユウキ』
その店内で、店主の結城 晶は、自身の右足にのしかかる「質量の塊」に溜め息をついた。
「むにゃ……アキラぁ……いい匂いするのだ……くんくん」
晶の革ブーツの上に顎を載せ、幸せそうに寝息を立てているのは、銀色の髪をした幼女だ。
年齢は十歳ほどだろうか。晶が作ったブカブカのデニムつなぎを着ているが、その頭頂部にはピーンと立った三角形の獣耳。
そしてお尻の方では、彼女の身長ほどもある巨大でふさふさとした銀色の尻尾が、床の埃を払うモップのようにパタパタと動いている。
ポチ。
以前、雪の降る森で出会った、狼獣人の少女だ。
今ではすっかり野生を忘れ、こうして空調も効いていない店内で、晶の体温で涼を取る『よろずやの看板娘(兼・駄犬)』に収まっている。
「……おいポチ。足が痺れてきた。どいてくれ。血流が悪くなる」
「んん~……やだ。アキラの足、ひんやりして気持ちいいのだ……ここがボクの特等席なのだ……」
ポチは言うことを聞くどころか、さらにギュッと晶の脚に抱きついた。
その瞬間、ふわりと香る獣特有の日向のような匂いと、最高級の毛皮シルクにも勝る尻尾の感触。
……正直、悪くはない。
だが、晶は眉間のシワを深め、自身の胸元へと視線を落とした。
そこには、ファンタジー世界特有の革のベルトと、その上から羽織った「白衣」。
そして何より、男装用のさらしによって物理的に圧縮され、完全なるAカップと化した胸部があった。
(……足も重いが、胸も苦しい。さらしをきつく巻きすぎたか。これでは肺活量が低下し、脳への酸素供給に支障が出るな)
結城 晶。
端正な顔立ちと、知的なアイスブルーの瞳を持ち、こちらの世界では「クールな美青年」として通っているが、その中身は日本からの転移者、ライトノベル作家として活動していた、元・理系女子である。
彼女がこの世界で生き抜くために選んだ戦略は二つ。
一つは、前世の知識を活かした「科学的アプローチ」。
そしてもう一つは、性別を偽る「男装」だ。
なぜ男装しているのか?
身を守るため?
いや、理由はもっと合理的だ。
(女として生きれば「胸が残念」とイジられるリスクがあるが、クールなイケメンとして振る舞えば、市場のオバちゃんからトマトをオマケしてもらえる……。利益率が段違いなのだ)
そう、全ては生活防衛と、ささやかなコンプレックス隠蔽のためである。
その時、店番を手伝っていた大家の娘、フローラが、カウンターの隅で頬を染めて身もだえした。
「はぁ……尊いですわ……。気難しい孤高の賢者様と、彼にだけ心を許し、その身を捧げる伝説の神獣フェンリル……。まるで古代神話の1ページのよう……」
フローラの視線が、晶とポチの間を行ったり来たりしている。
彼女の脳内フィルターを通すと、今の「足がしびれてイラついている店主と駄犬」という構図が、「種族を超えた禁断の絆」に変換されているらしい。
(……相変わらず、彼女の妄想力はバグっているな)
晶が呆れてゴーグルの位置を直した、そのときだった。
バンッ!!
静寂を破り、店のドアが乱暴に開かれた。
ポチが「わふっ!?」と驚いて飛び起き、尻尾がボッと膨らむ。
「アニキィィィッ!! た、大変だぁッ!!」
飛び込んできたのは、常連の冒険者、リナだ。
小柄で健康的な褐色肌を持つ双剣使いの彼女が、今日は顔面蒼白で、背中に倍近い体躯の大男を背負っている。
「ど、どうしたリナ。騒々しい」
「仲間が……! ガイルがダンジョンで『呪い』にやられた! 教会のポーションも効かねえんだ! 頼むアニキ、助けてくれぇッ!」
リナが男を床にドサリと降ろす。
ガイルと呼ばれた重戦士は、白目を剥いて激しく痙攣していた。顔色は土気色で、口からは泡を吐いている。
晶は白衣を翻し、滑り込むように男のそばへ膝を突いた。
即座に首筋に指を当て、脈を取り、瞼を裏返した。
(……脈拍微弱。瞳孔収縮。チアノーゼ反応あり。……そしてこの、特有の甘い異臭)
晶の脳内データベースが高速で検索をかける。
診断を下そうとした、その時。
横からポチが鼻をヒクつかせ、ガイルの口元に顔を近づけた。
「くんくん……! うわっ、くさっ!?」
ポチが耳を伏せて飛び退いた。
「こいつ、口の中から『腐ったアーモンド』の臭いがするのだ! ビリビリして、喉が焼けるような嫌な臭いなのだ!」
その言葉に、晶のアイスブルーの瞳が鋭く光った。
アーモンド臭。ある種の毒物が持つ、決定的なシグナル。
ポチの超感覚センサーが、晶の推測を「確信」へと変えた。
「……でかしたぞ、ポチ。大手柄だ」
「えへへ、褒められたのだ!」
「リナ、こいつは呪いじゃない。ダンジョンに生えている『青い未熟な木の実』でもかじったんだろう?」
「えっ!? な、なんで分かるんだアニキ! 確かにガイルのやつ、休憩中に腹減ったって変な実を食ってたけど……」
「未熟な果物の種子には、『アミグダリン』が含まれている。こいつはそれを大量摂取し、胃酸で分解されて発生した毒ガスによって、細胞レベルで呼吸ができなくなっているんだ」
専門的に言えば「シアン化物中毒」。
回復薬ポーションは傷を塞ぐだけで、化学物質の分解まではできない。
「あちゃあ……。ガイルのやつ、意地汚いからな……」
リナがバツが悪そうに頭をかく。
この世界の人間は科学知識がないため、原因不明の急死はすぐに「呪い」だの「祟り」だのと片付けられる。
だが、原因が「物質」なら、「化学」で殴れる。
「フローラ、水を持ってこい。ポチ、お前は私の鞄から『青い小瓶』を出せ」
「わかったのだ! 任務なのだ!」
晶はガイルの胸元に右手をかざした。
集中する。
彼の体内を巡る毒素の構造式を脳裏に描き出し、それを無害化するための対抗式を構築する。
その姿は、端から見れば「無詠唱で儀式を行う大魔導師」そのものだが、彼女が脳内で行っているのは、理系特有の「記述コーディング」作業だ。
晶の唇が、小さく動いた。
「……構成式展開。酸素供給阻害要因除去……」
ヒュンッ。
晶の指先から、青白い光の粒子が溢れ出した。
それは魔法陣のような円形ではなく、複雑な亀の甲羅のようなベンゼン環と、元素記号の羅列となって空中に浮かび上がる。
「な、なんだこれ!? 文字が……光って回ってる!?」
リナが目を丸くする。
「……硫黄化合物・結合……反応開始!」
カッ、と店内に閃光が走る。
晶が記述した化学反応式が、現実世界に強制執行コンパイルされる。
男の体内にある猛毒のシアン成分を、解毒剤の成分とガッチリ結合させ、無害な水溶性物質へと書き換えていく。
数秒後。
ガイルの激しい痙攣がピタリと止まり、土気色だった顔に赤みが戻った。
「……う……ううん……」
彼は大きく息を吸い込み、ゆっくりと目を開けた。
「ガイル! 大丈夫か!?」
リナが泣きながら大男に抱きつく。
晶は額の汗を拭いながら立ち上がり、白衣の裾を払った。
(ふぅ……。ただの中和反応だが、生体内でやるのは骨が折れるな)
「す、すげえええ! 『死の呪い』を、光の粒子に変えて消し去ったのか!?」
リナが涙目で晶を見上げる。
「今のが伝説の浄化魔法……『ホーリー・ハグ』なんだね、アニキ!」
「違う。あと抱擁とか言うな。鳥肌が立つ」
「すごいですわアキラ様……! 死の淵から魂を、数式という鎖で縛り上げて引き戻すなんて……やはり貴方様は、命の理さえも書き換える『冥府の賢者』でもあらせられるのですね!」
「設定を盛るなフローラ」
二人が勝手に感動している足元で、ポチが晶のズボンの裾をグイグイと引っ張った。
「アキラ、アキラ! 毒消したのだ! ボク、匂い当てたのだ!」
「ああ、助かったよ。お前がいなきゃ特定に時間がかかった」
「ならご褒美なのだ! あのトロトロをつけたお肉、食わせろなのだーっ!」
ポチがふさふさの尻尾をプロペラのように回転させている。
「……現金なやつだな。よし、今日は奮発して厚切りにしてやる」
晶が苦笑した。その時だった。
興奮冷めやらぬリナが、晶の細い腕をガシッと掴んだ。
「こ、こんなすげえ魔法使いが、無登録なんてありえねえ! アニキ、ギルド行こうぜ! この偉業を登録しねえと人類の損失だ!」
「は? いや、私は目立ちたくないんだが……」
「いいから! ランクアップ間違いなしだ! 行くぞオラァ!」
「ちょ、待て! 引っ張るな! さらしがズレる……ッ!?」
晶は抵抗する間もなく、テンションの上がったリナに引きずり出されていった。
ポチも「お肉お肉ーっ♪」と嬉しそうについていく。
(……待て。)
ギルド登録ということは、ステータスカードによる「あれ」があるのではないか?
(まずい。非常にまずいぞ……!)
晶の顔色が、先ほどのガイル以上に青ざめていった。
それは毒よりも恐ろしい、性別バレ&貧乳バレという「社会的死」へのカウントダウンだった。
◇
冒険者ギルドの喧騒の中、晶は処刑台に向かう囚人のような気分でカウンターの前に立たされていた。
周囲には、酒と汗と鉄の匂いが充満している。
「さあアニキ! ここに手を乗せれば、一発でステータスが出るからよ!」
目の前には、身分証を発行・更新するための魔道具――水晶板のような装置が置かれている。
この世界では、この装置に手をかざすだけで、個人の能力や属性が瞬時に解析され、カードとして発行されるのだ。便利すぎるがゆえに、残酷なシステムである。
逃げ場はない。
リナは目を輝かせ、ギルド職員も「さあどうぞ」と事務的な笑顔を向けている。
(……くそっ。やるしかないのか)
晶は覚悟を決めて、震える手を水晶にかざした。
ブゥン……
低い駆動音と共に、装置の隙間から銀色のカードがゆっくりと吐き出される。
晶は祈るような気持ちで――いや、もはや絶望に近い心持ちで、そこに刻まれた文字を確認した。
【名前】 ユウキ・アキラ
【種族】 人間ヒューマン
【職業】 ###### (文字化け)
【性別】 女フィメール
【称号】 永遠の平原
(ッ……!? 両方出てるじゃないかバカ野郎!!)
晶は心の中で絶叫した。
職業欄の文字化けなど、どうでもいい。
問題は下の二行だ。
性別バレ。これは晶がこの街で必死に積み上げてきた「クールなアニキ」としての地位の崩壊を意味する。
だが、それ以上に許せないのが称号だ。
永遠の平原。
このふざけた魔道具は、晶のささやかな胸(Aカップ)を、未来永劫成長しない不毛の大地だと認定しやがったのだ。
なんという高性能。なんという無慈悲。
「おっ、できたかアニキ! 見せてくれよ!」
リナが横からカードを覗き込もうとする。
見られたら終わる。
女だとバレる以前に、人としての尊厳が死ぬ!
晶は神速の動きでカードを鷲掴みにし、親指と人差し指で「性別欄」と「称号欄」を同時にプレスした。
「……だめだ」
晶の口から、地獄の底から響くような低い声が漏れた。
「えっ? なんでだいアニキ? なんでそんな変な持ち方して……」
「見るな」
晶は冷や汗を流しながら、必死にポーカーフェイスを作る。
今、晶の脳内CPUはフル稼働で言い訳を生成していた。
毒の解毒式を組んだ時よりも高速で。
「ここには……人の身では耐えられない『禁忌の情報』が記されている。お前のような一般人が見れば、精神が崩壊するかもしれない」
リナが息を呑む音が聞こえた。
足元では、ポチが不思議そうに首を傾げている。
「くんくん……? アキラ、なんか焦ってる匂いがするのだ。冷や汗の匂いなのだ」
「(しっ! 静かにしろポチ! 後でたっぷり肉をやるから!)」
晶の必死の形相を、リナは勝手に解釈した。
隠された性別……男でも女でもない、高次元の存在?
隠された称号……『魔神殺し』? それとも『世界を滅ぼす者』……?
「そ、そうだったのか……。アニキは、そんな業カルマを背負って、人知れずあたいらを助けてくれてたんだな……」
リナの目から、ツーと涙が流れた。
晶は内心で突っ込む。
(なんでだよ)
「わかったぜアニキ……。あたい、一生聞かねえ! その指の下にある真実ごと、全部受け止めるぜ!」
「わふっ! ボクも受け止めるのだ! だから早くお肉よこすのだ!」
晶は深く安堵のため息をつきながら、カードをポケットの最奥部へとねじ込んだ。
二度と出さない。封印指定だ。
「……ああ、助かる。帰るぞ」
こうして、結城晶の伝説は幕を開けた。
目的は世界平和でも魔王討伐でもない。
ただ、科学の力でこの世界の不便さを解消し、静かで快適な「執筆環境」を手に入れたいだけなのに。
「アキラ~、お腹すいたのだ~。早く帰ってご飯にするのだ~」
「アニキ! 今夜は宴会だな! 祝杯あげようぜ!」
「ふふっ。アキラ様の伝説の始まり……私がしっかりと記録書せいてんに残しておきますわ!」
……どうやら、静かな生活への道のりは、まだ少し遠そうである。
彼女が隠した『永遠の平原』という称号。
それは後に、『大地の神』を意味する二つ名として、世界中に響き渡ることになる。
――だが今の彼女にとって、それは隠し通したい「単なる不名誉」でしかなかった。
月明かりの下、大国の皇帝が剣を捨て、その場に跪いた。
「我々は……女神を『公爵』などという人間の枠に押し込めようとしていたのか……! なんたる不敬……!」
「女神よ! どうか、どうか我らをお導きください!」
ガシャッ、ガシャン!
王と皇帝がひれ伏し、それに続いて数千の兵士たちが一斉に平伏する。
工場の庭が、巨大な信仰の場と化した。
「……風呂上がりにこれかよ」
湯上がりのビールを片手に、晶は深いため息をついたが、もう止める気も起きなかった。
◇
これは、静かに暮らしたいだけの理系出身ラノベ作家が、うっかり世界をリセットしかけ、いつの間にか「救国の賢者(女神)」として崇められてしまうまでの、不本意なサクセスストーリーである。
──────
「……重い」
交易都市、アステル。
夏の湿気を帯びた熱気が、石造りの街並みにまとわりつく昼下がり。
路地裏にひっそりと店を構える『よろずや ユウキ』
その店内で、店主の結城 晶は、自身の右足にのしかかる「質量の塊」に溜め息をついた。
「むにゃ……アキラぁ……いい匂いするのだ……くんくん」
晶の革ブーツの上に顎を載せ、幸せそうに寝息を立てているのは、銀色の髪をした幼女だ。
年齢は十歳ほどだろうか。晶が作ったブカブカのデニムつなぎを着ているが、その頭頂部にはピーンと立った三角形の獣耳。
そしてお尻の方では、彼女の身長ほどもある巨大でふさふさとした銀色の尻尾が、床の埃を払うモップのようにパタパタと動いている。
ポチ。
以前、雪の降る森で出会った、狼獣人の少女だ。
今ではすっかり野生を忘れ、こうして空調も効いていない店内で、晶の体温で涼を取る『よろずやの看板娘(兼・駄犬)』に収まっている。
「……おいポチ。足が痺れてきた。どいてくれ。血流が悪くなる」
「んん~……やだ。アキラの足、ひんやりして気持ちいいのだ……ここがボクの特等席なのだ……」
ポチは言うことを聞くどころか、さらにギュッと晶の脚に抱きついた。
その瞬間、ふわりと香る獣特有の日向のような匂いと、最高級の毛皮シルクにも勝る尻尾の感触。
……正直、悪くはない。
だが、晶は眉間のシワを深め、自身の胸元へと視線を落とした。
そこには、ファンタジー世界特有の革のベルトと、その上から羽織った「白衣」。
そして何より、男装用のさらしによって物理的に圧縮され、完全なるAカップと化した胸部があった。
(……足も重いが、胸も苦しい。さらしをきつく巻きすぎたか。これでは肺活量が低下し、脳への酸素供給に支障が出るな)
結城 晶。
端正な顔立ちと、知的なアイスブルーの瞳を持ち、こちらの世界では「クールな美青年」として通っているが、その中身は日本からの転移者、ライトノベル作家として活動していた、元・理系女子である。
彼女がこの世界で生き抜くために選んだ戦略は二つ。
一つは、前世の知識を活かした「科学的アプローチ」。
そしてもう一つは、性別を偽る「男装」だ。
なぜ男装しているのか?
身を守るため?
いや、理由はもっと合理的だ。
(女として生きれば「胸が残念」とイジられるリスクがあるが、クールなイケメンとして振る舞えば、市場のオバちゃんからトマトをオマケしてもらえる……。利益率が段違いなのだ)
そう、全ては生活防衛と、ささやかなコンプレックス隠蔽のためである。
その時、店番を手伝っていた大家の娘、フローラが、カウンターの隅で頬を染めて身もだえした。
「はぁ……尊いですわ……。気難しい孤高の賢者様と、彼にだけ心を許し、その身を捧げる伝説の神獣フェンリル……。まるで古代神話の1ページのよう……」
フローラの視線が、晶とポチの間を行ったり来たりしている。
彼女の脳内フィルターを通すと、今の「足がしびれてイラついている店主と駄犬」という構図が、「種族を超えた禁断の絆」に変換されているらしい。
(……相変わらず、彼女の妄想力はバグっているな)
晶が呆れてゴーグルの位置を直した、そのときだった。
バンッ!!
静寂を破り、店のドアが乱暴に開かれた。
ポチが「わふっ!?」と驚いて飛び起き、尻尾がボッと膨らむ。
「アニキィィィッ!! た、大変だぁッ!!」
飛び込んできたのは、常連の冒険者、リナだ。
小柄で健康的な褐色肌を持つ双剣使いの彼女が、今日は顔面蒼白で、背中に倍近い体躯の大男を背負っている。
「ど、どうしたリナ。騒々しい」
「仲間が……! ガイルがダンジョンで『呪い』にやられた! 教会のポーションも効かねえんだ! 頼むアニキ、助けてくれぇッ!」
リナが男を床にドサリと降ろす。
ガイルと呼ばれた重戦士は、白目を剥いて激しく痙攣していた。顔色は土気色で、口からは泡を吐いている。
晶は白衣を翻し、滑り込むように男のそばへ膝を突いた。
即座に首筋に指を当て、脈を取り、瞼を裏返した。
(……脈拍微弱。瞳孔収縮。チアノーゼ反応あり。……そしてこの、特有の甘い異臭)
晶の脳内データベースが高速で検索をかける。
診断を下そうとした、その時。
横からポチが鼻をヒクつかせ、ガイルの口元に顔を近づけた。
「くんくん……! うわっ、くさっ!?」
ポチが耳を伏せて飛び退いた。
「こいつ、口の中から『腐ったアーモンド』の臭いがするのだ! ビリビリして、喉が焼けるような嫌な臭いなのだ!」
その言葉に、晶のアイスブルーの瞳が鋭く光った。
アーモンド臭。ある種の毒物が持つ、決定的なシグナル。
ポチの超感覚センサーが、晶の推測を「確信」へと変えた。
「……でかしたぞ、ポチ。大手柄だ」
「えへへ、褒められたのだ!」
「リナ、こいつは呪いじゃない。ダンジョンに生えている『青い未熟な木の実』でもかじったんだろう?」
「えっ!? な、なんで分かるんだアニキ! 確かにガイルのやつ、休憩中に腹減ったって変な実を食ってたけど……」
「未熟な果物の種子には、『アミグダリン』が含まれている。こいつはそれを大量摂取し、胃酸で分解されて発生した毒ガスによって、細胞レベルで呼吸ができなくなっているんだ」
専門的に言えば「シアン化物中毒」。
回復薬ポーションは傷を塞ぐだけで、化学物質の分解まではできない。
「あちゃあ……。ガイルのやつ、意地汚いからな……」
リナがバツが悪そうに頭をかく。
この世界の人間は科学知識がないため、原因不明の急死はすぐに「呪い」だの「祟り」だのと片付けられる。
だが、原因が「物質」なら、「化学」で殴れる。
「フローラ、水を持ってこい。ポチ、お前は私の鞄から『青い小瓶』を出せ」
「わかったのだ! 任務なのだ!」
晶はガイルの胸元に右手をかざした。
集中する。
彼の体内を巡る毒素の構造式を脳裏に描き出し、それを無害化するための対抗式を構築する。
その姿は、端から見れば「無詠唱で儀式を行う大魔導師」そのものだが、彼女が脳内で行っているのは、理系特有の「記述コーディング」作業だ。
晶の唇が、小さく動いた。
「……構成式展開。酸素供給阻害要因除去……」
ヒュンッ。
晶の指先から、青白い光の粒子が溢れ出した。
それは魔法陣のような円形ではなく、複雑な亀の甲羅のようなベンゼン環と、元素記号の羅列となって空中に浮かび上がる。
「な、なんだこれ!? 文字が……光って回ってる!?」
リナが目を丸くする。
「……硫黄化合物・結合……反応開始!」
カッ、と店内に閃光が走る。
晶が記述した化学反応式が、現実世界に強制執行コンパイルされる。
男の体内にある猛毒のシアン成分を、解毒剤の成分とガッチリ結合させ、無害な水溶性物質へと書き換えていく。
数秒後。
ガイルの激しい痙攣がピタリと止まり、土気色だった顔に赤みが戻った。
「……う……ううん……」
彼は大きく息を吸い込み、ゆっくりと目を開けた。
「ガイル! 大丈夫か!?」
リナが泣きながら大男に抱きつく。
晶は額の汗を拭いながら立ち上がり、白衣の裾を払った。
(ふぅ……。ただの中和反応だが、生体内でやるのは骨が折れるな)
「す、すげえええ! 『死の呪い』を、光の粒子に変えて消し去ったのか!?」
リナが涙目で晶を見上げる。
「今のが伝説の浄化魔法……『ホーリー・ハグ』なんだね、アニキ!」
「違う。あと抱擁とか言うな。鳥肌が立つ」
「すごいですわアキラ様……! 死の淵から魂を、数式という鎖で縛り上げて引き戻すなんて……やはり貴方様は、命の理さえも書き換える『冥府の賢者』でもあらせられるのですね!」
「設定を盛るなフローラ」
二人が勝手に感動している足元で、ポチが晶のズボンの裾をグイグイと引っ張った。
「アキラ、アキラ! 毒消したのだ! ボク、匂い当てたのだ!」
「ああ、助かったよ。お前がいなきゃ特定に時間がかかった」
「ならご褒美なのだ! あのトロトロをつけたお肉、食わせろなのだーっ!」
ポチがふさふさの尻尾をプロペラのように回転させている。
「……現金なやつだな。よし、今日は奮発して厚切りにしてやる」
晶が苦笑した。その時だった。
興奮冷めやらぬリナが、晶の細い腕をガシッと掴んだ。
「こ、こんなすげえ魔法使いが、無登録なんてありえねえ! アニキ、ギルド行こうぜ! この偉業を登録しねえと人類の損失だ!」
「は? いや、私は目立ちたくないんだが……」
「いいから! ランクアップ間違いなしだ! 行くぞオラァ!」
「ちょ、待て! 引っ張るな! さらしがズレる……ッ!?」
晶は抵抗する間もなく、テンションの上がったリナに引きずり出されていった。
ポチも「お肉お肉ーっ♪」と嬉しそうについていく。
(……待て。)
ギルド登録ということは、ステータスカードによる「あれ」があるのではないか?
(まずい。非常にまずいぞ……!)
晶の顔色が、先ほどのガイル以上に青ざめていった。
それは毒よりも恐ろしい、性別バレ&貧乳バレという「社会的死」へのカウントダウンだった。
◇
冒険者ギルドの喧騒の中、晶は処刑台に向かう囚人のような気分でカウンターの前に立たされていた。
周囲には、酒と汗と鉄の匂いが充満している。
「さあアニキ! ここに手を乗せれば、一発でステータスが出るからよ!」
目の前には、身分証を発行・更新するための魔道具――水晶板のような装置が置かれている。
この世界では、この装置に手をかざすだけで、個人の能力や属性が瞬時に解析され、カードとして発行されるのだ。便利すぎるがゆえに、残酷なシステムである。
逃げ場はない。
リナは目を輝かせ、ギルド職員も「さあどうぞ」と事務的な笑顔を向けている。
(……くそっ。やるしかないのか)
晶は覚悟を決めて、震える手を水晶にかざした。
ブゥン……
低い駆動音と共に、装置の隙間から銀色のカードがゆっくりと吐き出される。
晶は祈るような気持ちで――いや、もはや絶望に近い心持ちで、そこに刻まれた文字を確認した。
【名前】 ユウキ・アキラ
【種族】 人間ヒューマン
【職業】 ###### (文字化け)
【性別】 女フィメール
【称号】 永遠の平原
(ッ……!? 両方出てるじゃないかバカ野郎!!)
晶は心の中で絶叫した。
職業欄の文字化けなど、どうでもいい。
問題は下の二行だ。
性別バレ。これは晶がこの街で必死に積み上げてきた「クールなアニキ」としての地位の崩壊を意味する。
だが、それ以上に許せないのが称号だ。
永遠の平原。
このふざけた魔道具は、晶のささやかな胸(Aカップ)を、未来永劫成長しない不毛の大地だと認定しやがったのだ。
なんという高性能。なんという無慈悲。
「おっ、できたかアニキ! 見せてくれよ!」
リナが横からカードを覗き込もうとする。
見られたら終わる。
女だとバレる以前に、人としての尊厳が死ぬ!
晶は神速の動きでカードを鷲掴みにし、親指と人差し指で「性別欄」と「称号欄」を同時にプレスした。
「……だめだ」
晶の口から、地獄の底から響くような低い声が漏れた。
「えっ? なんでだいアニキ? なんでそんな変な持ち方して……」
「見るな」
晶は冷や汗を流しながら、必死にポーカーフェイスを作る。
今、晶の脳内CPUはフル稼働で言い訳を生成していた。
毒の解毒式を組んだ時よりも高速で。
「ここには……人の身では耐えられない『禁忌の情報』が記されている。お前のような一般人が見れば、精神が崩壊するかもしれない」
リナが息を呑む音が聞こえた。
足元では、ポチが不思議そうに首を傾げている。
「くんくん……? アキラ、なんか焦ってる匂いがするのだ。冷や汗の匂いなのだ」
「(しっ! 静かにしろポチ! 後でたっぷり肉をやるから!)」
晶の必死の形相を、リナは勝手に解釈した。
隠された性別……男でも女でもない、高次元の存在?
隠された称号……『魔神殺し』? それとも『世界を滅ぼす者』……?
「そ、そうだったのか……。アニキは、そんな業カルマを背負って、人知れずあたいらを助けてくれてたんだな……」
リナの目から、ツーと涙が流れた。
晶は内心で突っ込む。
(なんでだよ)
「わかったぜアニキ……。あたい、一生聞かねえ! その指の下にある真実ごと、全部受け止めるぜ!」
「わふっ! ボクも受け止めるのだ! だから早くお肉よこすのだ!」
晶は深く安堵のため息をつきながら、カードをポケットの最奥部へとねじ込んだ。
二度と出さない。封印指定だ。
「……ああ、助かる。帰るぞ」
こうして、結城晶の伝説は幕を開けた。
目的は世界平和でも魔王討伐でもない。
ただ、科学の力でこの世界の不便さを解消し、静かで快適な「執筆環境」を手に入れたいだけなのに。
「アキラ~、お腹すいたのだ~。早く帰ってご飯にするのだ~」
「アニキ! 今夜は宴会だな! 祝杯あげようぜ!」
「ふふっ。アキラ様の伝説の始まり……私がしっかりと記録書せいてんに残しておきますわ!」
……どうやら、静かな生活への道のりは、まだ少し遠そうである。
彼女が隠した『永遠の平原』という称号。
それは後に、『大地の神』を意味する二つ名として、世界中に響き渡ることになる。
――だが今の彼女にとって、それは隠し通したい「単なる不名誉」でしかなかった。
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