理系作家(♀)、科学知識で異世界を快適リフォーム!~もふもふ神獣を餌付けしたら、いつの間にか大賢者として崇められていました~

KOTOHA

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第1話:神獣? いいえ、駄犬です

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「賢者の真の姿……? なんと美しい……」

 月明かりの下、大国の皇帝が剣を捨て、その場に跪いた。

「我々は……女神を『公爵』などという人間の枠に押し込めようとしていたのか……! なんたる不敬……!」

「女神よ! どうか、どうか我らをお導きください!」

 ガシャッ、ガシャン!

 王と皇帝がひれ伏し、それに続いて数千の兵士たちが一斉に平伏する。

 工場の庭が、巨大な信仰の場と化した。

「……風呂上がりにこれかよ」

 湯上がりのビールを片手に、晶は深いため息をついたが、もう止める気も起きなかった。

 ◇

 これは、静かに暮らしたいだけの理系出身ラノベ作家が、うっかり世界をリセットしかけ、いつの間にか「救国の賢者(女神)」として崇められてしまうまでの、不本意なサクセスストーリーである。

 ──────

「……重い」

 交易都市、アステル。

 夏の湿気を帯びた熱気が、石造りの街並みにまとわりつく昼下がり。

 路地裏にひっそりと店を構える『よろずや ユウキ』

 その店内で、店主の結城 晶ゆうき あきらは、自身の右足にのしかかる「質量の塊」に溜め息をついた。

「むにゃ……アキラぁ……いい匂いするのだ……くんくん」

 晶の革ブーツの上に顎を載せ、幸せそうに寝息を立てているのは、銀色の髪をした幼女だ。

 年齢は十歳ほどだろうか。晶が作ったブカブカのデニムつなぎを着ているが、その頭頂部にはピーンと立った三角形の獣耳。

 そしてお尻の方では、彼女の身長ほどもある巨大でふさふさとした銀色の尻尾が、床の埃を払うモップのようにパタパタと動いている。

 ポチ。

 以前、雪の降る森で出会った、狼獣人の少女だ。

 今ではすっかり野生を忘れ、こうして空調も効いていない店内で、晶の体温で涼を取る『よろずやの看板娘(兼・駄犬)』に収まっている。

「……おいポチ。足が痺れてきた。どいてくれ。血流が悪くなる」

「んん~……やだ。アキラの足、ひんやりして気持ちいいのだ……ここがボクの特等席なのだ……」

 ポチは言うことを聞くどころか、さらにギュッと晶の脚に抱きついた。

 その瞬間、ふわりと香る獣特有の日向のような匂いと、最高級の毛皮シルクにも勝る尻尾の感触。

 ……正直、悪くはない。

 だが、晶は眉間のシワを深め、自身の胸元へと視線を落とした。

 そこには、ファンタジー世界特有の革のベルトと、その上から羽織った「白衣」。

 そして何より、男装用のさらしによって物理的に圧縮され、完全なるAカップへいげんと化した胸部があった。

(……足も重いが、胸も苦しい。さらしをきつく巻きすぎたか。これでは肺活量が低下し、脳への酸素供給に支障が出るな)

 結城 晶。

 端正な顔立ちと、知的なアイスブルーの瞳を持ち、こちらの世界では「クールな美青年」として通っているが、その中身は日本からの転移者、ライトノベル作家として活動していた、元・理系女子リケジョである。

 彼女がこの世界で生き抜くために選んだ戦略は二つ。

 一つは、前世の知識を活かした「科学的アプローチ」。

 そしてもう一つは、性別を偽る「男装」だ。

 なぜ男装しているのか?

 身を守るため?

 いや、理由はもっと合理的だ。

(女として生きれば「胸が残念」とイジられるリスクがあるが、クールなイケメンとして振る舞えば、市場のオバちゃんからトマトをオマケしてもらえる……。利益率が段違いなのだ)

 そう、全ては生活防衛と、ささやかなコンプレックス隠蔽のためである。

 その時、店番を手伝っていた大家の娘、フローラが、カウンターの隅で頬を染めて身もだえした。

「はぁ……尊いですわ……。気難しい孤高の賢者様と、彼にだけ心を許し、その身を捧げる伝説の神獣フェンリル……。まるで古代神話の1ページのよう……」

 フローラの視線が、晶とポチの間を行ったり来たりしている。

 彼女の脳内フィルターを通すと、今の「足がしびれてイラついている店主と駄犬」という構図が、「種族を超えた禁断の絆」に変換されているらしい。

(……相変わらず、彼女の妄想力はバグっているな)

 晶が呆れてゴーグルの位置を直した、そのときだった。

 バンッ!!

 静寂を破り、店のドアが乱暴に開かれた。

 ポチが「わふっ!?」と驚いて飛び起き、尻尾がボッと膨らむ。

「アニキィィィッ!! た、大変だぁッ!!」

 飛び込んできたのは、常連の冒険者、リナだ。

 小柄で健康的な褐色肌を持つ双剣使いの彼女が、今日は顔面蒼白で、背中に倍近い体躯の大男を背負っている。

「ど、どうしたリナ。騒々しい」

「仲間が……! ガイルがダンジョンで『呪い』にやられた! 教会のポーションも効かねえんだ! 頼むアニキ、助けてくれぇッ!」

 リナが男を床にドサリと降ろす。

 ガイルと呼ばれた重戦士は、白目を剥いて激しく痙攣していた。顔色は土気色で、口からは泡を吐いている。

 晶は白衣を翻し、滑り込むように男のそばへ膝を突いた。

 即座に首筋に指を当て、脈を取り、瞼を裏返した。

(……脈拍微弱。瞳孔収縮。チアノーゼ反応あり。……そしてこの、特有の甘い異臭)

 晶の脳内データベースが高速で検索をかける。

 診断を下そうとした、その時。

 横からポチが鼻をヒクつかせ、ガイルの口元に顔を近づけた。

「くんくん……! うわっ、くさっ!?」

 ポチが耳を伏せて飛び退いた。

「こいつ、口の中から『腐ったアーモンド』の臭いがするのだ! ビリビリして、喉が焼けるような嫌な臭いなのだ!」

 その言葉に、晶のアイスブルーの瞳が鋭く光った。

 アーモンド臭。ある種の毒物が持つ、決定的なシグナル。

 ポチの超感覚センサーが、晶の推測を「確信」へと変えた。

「……でかしたぞ、ポチ。大手柄だ」

「えへへ、褒められたのだ!」

「リナ、こいつは呪いじゃない。ダンジョンに生えている『青い未熟な木の実』でもかじったんだろう?」

「えっ!? な、なんで分かるんだアニキ! 確かにガイルのやつ、休憩中に腹減ったって変な実を食ってたけど……」

「未熟な果物の種子には、『アミグダリン』が含まれている。こいつはそれを大量摂取し、胃酸で分解されて発生した毒ガスによって、細胞レベルで呼吸ができなくなっているんだ」

 専門的に言えば「シアン化物中毒」。

 回復薬ポーションは傷を塞ぐだけで、化学物質の分解まではできない。

「あちゃあ……。ガイルのやつ、意地汚いからな……」

 リナがバツが悪そうに頭をかく。

 この世界の人間は科学知識がないため、原因不明の急死はすぐに「呪い」だの「祟り」だのと片付けられる。

 だが、原因が「物質」なら、「化学」で殴れる。

「フローラ、水を持ってこい。ポチ、お前は私の鞄から『青い小瓶』を出せ」

「わかったのだ! 任務なのだ!」

 晶はガイルの胸元に右手をかざした。

 集中する。

 彼の体内を巡る毒素の構造式を脳裏に描き出し、それを無害化するための対抗式を構築する。

 その姿は、端から見れば「無詠唱で儀式を行う大魔導師」そのものだが、彼女が脳内で行っているのは、理系特有の「記述コーディング」作業だ。

 晶の唇が、小さく動いた。

「……構成式展開。酸素供給阻害要因除去デトキシケーション・シアン……」

 ヒュンッ。

 晶の指先から、青白い光の粒子が溢れ出した。

 それは魔法陣のような円形ではなく、複雑な亀の甲羅のようなベンゼン環と、元素記号の羅列となって空中に浮かび上がる。

「な、なんだこれ!? 文字が……光って回ってる!?」

 リナが目を丸くする。

「……硫黄化合物・結合ニュートラライズ・インジェクション……反応開始!」

 カッ、と店内に閃光が走る。

 晶が記述した化学反応式が、現実世界に強制執行コンパイルされる。

 男の体内にある猛毒のシアン成分を、解毒剤の成分とガッチリ結合させ、無害な水溶性物質へと書き換えていく。

 数秒後。

 ガイルの激しい痙攣がピタリと止まり、土気色だった顔に赤みが戻った。

「……う……ううん……」

 彼は大きく息を吸い込み、ゆっくりと目を開けた。

「ガイル! 大丈夫か!?」

 リナが泣きながら大男に抱きつく。

 晶は額の汗を拭いながら立ち上がり、白衣の裾を払った。

(ふぅ……。ただの中和反応だが、生体内でやるのは骨が折れるな)

「す、すげえええ! 『死の呪い』を、光の粒子に変えて消し去ったのか!?」

 リナが涙目で晶を見上げる。

「今のが伝説の浄化魔法……『ホーリー・ハグ』なんだね、アニキ!」

「違う。あと抱擁とか言うな。鳥肌が立つ」

「すごいですわアキラ様……! 死の淵から魂を、数式という鎖で縛り上げて引き戻すなんて……やはり貴方様は、命の理さえも書き換える『冥府の賢者』でもあらせられるのですね!」

「設定を盛るなフローラ」

 二人が勝手に感動している足元で、ポチが晶のズボンの裾をグイグイと引っ張った。

「アキラ、アキラ! 毒消したのだ! ボク、匂い当てたのだ!」

「ああ、助かったよ。お前がいなきゃ特定に時間がかかった」

「ならご褒美なのだ! あのトロトロをつけたお肉、食わせろなのだーっ!」

 ポチがふさふさの尻尾をプロペラのように回転させている。

「……現金なやつだな。よし、今日は奮発して厚切りにしてやる」

 晶が苦笑した。その時だった。

 興奮冷めやらぬリナが、晶の細い腕をガシッと掴んだ。

「こ、こんなすげえ魔法使いが、無登録なんてありえねえ! アニキ、ギルド行こうぜ! この偉業を登録しねえと人類の損失だ!」

「は? いや、私は目立ちたくないんだが……」

「いいから! ランクアップ間違いなしだ! 行くぞオラァ!」

「ちょ、待て! 引っ張るな! さらしがズレる……ッ!?」

 晶は抵抗する間もなく、テンションの上がったリナに引きずり出されていった。

 ポチも「お肉お肉ーっ♪」と嬉しそうについていく。

(……待て。)

 ギルド登録ということは、ステータスカードによる「あれ」があるのではないか?

(まずい。非常にまずいぞ……!)

 晶の顔色が、先ほどのガイル以上に青ざめていった。

 それは毒よりも恐ろしい、性別バレ&貧乳バレという「社会的死」へのカウントダウンだった。

 ◇

 冒険者ギルドの喧騒の中、晶は処刑台に向かう囚人のような気分でカウンターの前に立たされていた。

 周囲には、酒と汗と鉄の匂いが充満している。

「さあアニキ! ここに手を乗せれば、一発でステータスが出るからよ!」

 目の前には、身分証を発行・更新するための魔道具――水晶板のような装置が置かれている。

 この世界では、この装置に手をかざすだけで、個人の能力や属性が瞬時に解析され、カードとして発行されるのだ。便利すぎるがゆえに、残酷なシステムである。

 逃げ場はない。

 リナは目を輝かせ、ギルド職員も「さあどうぞ」と事務的な笑顔を向けている。

(……くそっ。やるしかないのか)

 晶は覚悟を決めて、震える手を水晶にかざした。

 ブゥン……

 低い駆動音と共に、装置の隙間から銀色のカードがゆっくりと吐き出される。

 晶は祈るような気持ちで――いや、もはや絶望に近い心持ちで、そこに刻まれた文字を確認した。

【名前】 ユウキ・アキラ
【種族】 人間ヒューマン
【職業】 ###### (文字化け)
【性別】 女フィメール
【称号】 永遠の平原エターナル・フラット

(ッ……!? 両方出てるじゃないかバカ野郎!!)

 晶は心の中で絶叫した。

 職業欄の文字化けなど、どうでもいい。

 問題は下の二行だ。

 性別バレ。これは晶がこの街で必死に積み上げてきた「クールなアニキ」としての地位の崩壊を意味する。

 だが、それ以上に許せないのが称号だ。

 永遠の平原。

 このふざけた魔道具は、晶のささやかな胸(Aカップ)を、未来永劫成長しない不毛の大地だと認定しやがったのだ。

 なんという高性能。なんという無慈悲。

「おっ、できたかアニキ! 見せてくれよ!」

 リナが横からカードを覗き込もうとする。
 見られたら終わる。

 女だとバレる以前に、人としての尊厳が死ぬ!

 晶は神速の動きでカードを鷲掴みにし、親指と人差し指で「性別欄」と「称号欄」を同時にプレスした。

「……だめだ」


 晶の口から、地獄の底から響くような低い声が漏れた。

「えっ? なんでだいアニキ? なんでそんな変な持ち方して……」

「見るな」

 晶は冷や汗を流しながら、必死にポーカーフェイスを作る。

 今、晶の脳内CPUはフル稼働で言い訳を生成していた。

 毒の解毒式を組んだ時よりも高速で。

「ここには……人の身では耐えられない『禁忌の情報』が記されている。お前のような一般人が見れば、精神が崩壊するかもしれない」

 リナが息を呑む音が聞こえた。

 足元では、ポチが不思議そうに首を傾げている。

「くんくん……? アキラ、なんか焦ってる匂いがするのだ。冷や汗の匂いなのだ」

「(しっ! 静かにしろポチ! 後でたっぷり肉をやるから!)」

 晶の必死の形相を、リナは勝手に解釈した。

 隠された性別……男でも女でもない、高次元の存在?

 隠された称号……『魔神殺し』? それとも『世界を滅ぼす者』……?

「そ、そうだったのか……。アニキは、そんな業カルマを背負って、人知れずあたいらを助けてくれてたんだな……」

 リナの目から、ツーと涙が流れた。

 晶は内心で突っ込む。

(なんでだよ)

「わかったぜアニキ……。あたい、一生聞かねえ! その指の下にある真実ごと、全部受け止めるぜ!」

「わふっ! ボクも受け止めるのだ! だから早くお肉よこすのだ!」

 晶は深く安堵のため息をつきながら、カードをポケットの最奥部へとねじ込んだ。

 二度と出さない。封印指定だ。

「……ああ、助かる。帰るぞ」

 こうして、結城晶の伝説は幕を開けた。

 目的は世界平和でも魔王討伐でもない。

 ただ、科学の力でこの世界の不便さを解消し、静かで快適な「執筆環境」を手に入れたいだけなのに。

「アキラ~、お腹すいたのだ~。早く帰ってご飯にするのだ~」

「アニキ! 今夜は宴会だな! 祝杯あげようぜ!」

「ふふっ。アキラ様の伝説の始まり……私がしっかりと記録書せいてんに残しておきますわ!」

 ……どうやら、静かな生活への道のりは、まだ少し遠そうである。

 彼女が隠した『永遠の平原エターナル・フラット』という称号。

 それは後に、『大地の神』を意味する二つ名として、世界中に響き渡ることになる。

 ――だが今の彼女にとって、それは隠し通したい「単なる不名誉」でしかなかった。
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