月の降る夜に

友坂 悠

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月の降る夜に

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 あたしがそのふたりに遭ったのは、夕暮れの教室だった。 
 見慣れた教室のその景色がまったく違ったものに見えるぐらいに、なにか、異彩を放っている、そんな感じで、ふたりはその場に佇んでいた。 
 家に帰る途中で忘れ物に気がついたあたしは、それがほんの些細なもので、普段だったらたぶん『まあいいや』って思って取りに帰ったりはしないようなものだったけど、この時に限っては妙に気になって、引き返してきたのだった。そして、見てしまったのだ。 
  
 ふたりに遭った、ていうか、こんな初めて見た、みたいな言い方、ほんというと正しくない。ふたりのうちの一人はあたしの同級生で、良くっていうほどではないけど、とりあえず知っている人だ。 
 彼。冴草涼くん。 
 クラスの男子のなかではピカイチの美男子だったとおもう。 
 日頃、現実の世界から逃亡気味のあたしは、女の子同士の噂話なんかとも無縁で過ごしていたから詳しいことはわからないけど、ファンクラブまで出来ているってことは何かで聞いたことがある。 

(どうせあたしなんか・・・) 
 相手にされっこない。 
 そう思っていたこともあったけど、今まであんまり意識したことなかったのに。 

 綺麗だった。 
 もうひとりの男の子は見たことなかったけど、涼くんにすっごく似てて、ほんと二人で並んでいる姿は、まるであたしがいつも見ている夢のなかの世界みたいだった。 

「ごめんなさい……」 
 あたしは思わずそう口走っていた。 
「なんで謝るのさ」 
 涼くんがそう言った。神秘的な笑顔で……。 
 もうひとりの男の子も笑顔だったから、あたしはなんか余計にバツがわるくなって、 
「ごめんなさい……。忘れ物取りにきたの……。お邪魔しちゃったみたいで……」 
 と、しどろもどろに答えていた。 

 いきなり、もうひとりの男の子のほうが笑い出した。 
 おなかを押さえて、堪えるようにではあったけど。 

 あたしはものすごく恥ずかしくなって。 
 そのまま教室から逃げ出していた。顔がものすごく、熱かった。 


「いったい……」 
 どうしたっていうんだ? 
 あの娘は顔を真っ赤にして駆け出して行った。 
 あの娘――松本裕子。 
 いつもクラスの隅っこで、うつむきかげんでいる―― 
 そんな印象の娘だった。 
 いつも自信がなさそうな、そんな感じで。 
 いらいらする――そう、思ったこともある。 
 まわりの女子があの娘に対して、なんか、馬鹿、にしたような反応をしていることに。 
(もっと自分の意見、はっきり出したらいいのに) 
 そう、傍目で見てて、なんか、いらいらして―― 
  
 それにしても―― 
 こいつ、まだ笑ってやがる。 
「おい、いいかげんにしろよ」 
 お前のせいであの娘……。 
「わるい……、なんか、あんな反応新鮮でさ」 
「にしても、あの子、俺のこと見えたのな。お前一人とは思ってなかったみたいだったし……」 
「そうかもな。ちょっと意外だった……」 
 そう。こいつ――玲、は、普通は人の目には見えない筈。 
 少なくとも今までは、玲のことを感づいた人はいなかった。 
 僕の母親を除いて……。 

 僕は……いや、僕たちはもともと双子として生まれる筈だった。 
 最初は確かに双子だったと、とうさんは言っていた。 
 それが、生まれる前に、何故かもう一人は消滅してしまったのだと。 
  
 でも、僕たちはちゃんと双子で生まれてきていたのだ。 
 僕はずっと玲と二人だって、思っていた。 
 3歳のときに死んだ母親だけが、そのことを信じてくれた。 
 かあさんだけが……玲のことを呼んでくれていた―― 
  
 物心ついたときにはもう、僕は、玲のことを人に言ってはいけないんだと感じるようになっていた。 
 誰も信じてはくれないし、それに、玲自身がそれを望まなかった。 
 玲のほうが、辛かったと思うのに。 
 ただ、そのせいで、玲のほうが大人びるのが早かったのかもしれない。 
 僕よりも……。 


 次の日。 
 あたしは、なんか学校に行きたくなくって。 
 おなかが痛いっていって、休んでしまった。 
 学校は……楽しくない……。 
 夢の世界にいたほうが、楽しい。 
 今まで、そう思って。 
 ちょっと悲しいことがあると、すぐに休んでしまっていた。 
 お父さんも、お母さんも、あたしのことなんか、あんまり好きじゃないんだろう。 
 あたしが学校を休んでも、何も言わなかった。 
  
 でも、今日はなんか、いつもと違って……。 

 なんか、悲しかった。 
  
 昨日の光景が目に焼き付いてる。 
  
 もっと見ていたかったな……。 
 なんてね。 
 すごく綺麗で、幸せな気分だったから……。 

 でも……。 
 あたしがいなくても、誰も悲しんだりしないんだろうな……。 
  
 そう思うこと、今までなかったのに。 
 昨日から、あたし、なんかおかしい。 


 放課後僕は、いや、僕たちは、裕子さんの家に向かっていた。 
 どうしても、玲を見えたかどうかを確かめたくて。 
 それに……。 
 どうして休んだのかが、気になって。 

 あの娘が、よく学校を休んでいることは知っていた。 
 それもいつも、その前日に泣きそうな顔をしていたことも。 
 なんか、あの娘は僕にとって、気になる存在だったのだ。 
 何故か、わからないけれど……。 


 もう、日が暮れている。 
 ちょっとさむいけど、すっごく綺麗な月夜だ。 
 あたしは、なんか外に出たくなって。 
 近所のコンビニに出かけた。 
  
 両親は、まだ帰ってこない。 
 お互い、顔を合わせたくないのだろう。いつも、遅くまで仕事をしている。 
 あたしのことなんて、気にもしないで。 
 二人がふたりとも、浮気をしていること、あたしは知ってるんだけどな……。 
 お見合いで結婚したらしい二人は、ほんとに愛し合ってもいないのに「あたし」っていう子供ができて、後悔してるんだ。 
 いつからか、自然にそのことに気がついてから。 
 あたしは、生きていく気力が無くなったらしい。 

 晩御飯は、いつも適当に食べたり食べなかったり。 
 コンビニで買うことも多い。 
 お金だけは、一応置いてってくれてたから。 

 コンビニに入ると、最前列の棚はバレンタインのコーナーになっていた。 

 ……もう二月かぁ。 
 あたしには、関係ないな……。 

 あたしは籠を持つと、ぐるっと店の中をまわって。 
 何がほしいわけでもなかったけど。 
 一通り見て、雪見だいふくとドリンクヨーグルト、あと、メロンパンを買ってお店を出た。 

 こんな寒いのに……。 
 そう思うけど、あたしは、この雪見だいふくのつめたくて甘い口当たりが、好きだった。 

 柔らかくって、もちもちっとして、甘くて。口の中で融ける感じが。 

  
 家にたどり着くと……。 
  
 彼、がいた。 
 玄関の前に、あの、もう一人の男の子と一緒に……。 

「どうして……」 
 あたしは、もうびっくりして。 
 それ以上、何も言えなかった。 
「裕子さん」 
 もう一人の男の子のほうが、あたしの名前を呼んだ。 
「あの……」 
「君、俺のこと、見える?」 
「え?」 
 おもわずそう、答えていた。 
「やっぱり、見えてるんだね」 
 そう言う彼の言葉が、あたしには理解できなかった。 
  

「俺たちは、双子なんだよ」 
「でも、誰も玲のこと、気がついてくれる人、いなくって」 
「なんで、君にこんなこと、話してるんだろ? 俺」 

 公園のベンチにあたしたちは座って話していた。 
 寒かったけど、でも。 
 誰も自分の存在にすら気がついてくれないなんて……。 
 あたしのほうが、まだ幸せかもしんない。 
 あたしは……話を聞きながら、目頭が熱くなっていた。 

「あたし……」 
「なんでかな……君のこと、前からすごく気になって……」 
「涼くん……」 
 涼くんの顔が、月明かりではっきり見える。 
 心臓が、ばくばく言ってる。 
 すっごく綺麗で……。 
 恋? 
 わかんないけど。 
 経験ないし。 
 でも、同情じゃ、なくて。 
 共感、に、近いかもしれない。 

「俺たち……」 
「こんなこと、話せたの、君がはじめてだから……」 
「玲くん……。涼くん……」 
「あたし……」 
 あたしは、生まれてはじめて、バレンタインの告白、って、いいな、って、思えて。 
 こんなに近くに感じられるのに、好きだ、って言う勇気が、なかなか出てこなくって。 
 せめて、さっきチョコレート買っておけばなぁ。 
 って、後悔していた。 
  
 まるで、月が降っているかのように、辺りが月明かりで満ちていた。 
 二人は、ふっと立ち上がると。 
 玲くんの姿が、だんだんと涼くんに重なって。 
 二人が、一人になった。 
 涼くんであり、玲くんであるその姿は、月明かりに融けるように。 
 神秘的で、すごく、綺麗だった。 

「俺……。君のこと、好きだ」 
 玲くんの話し方だった。 
「玲くん?」 
 あたしの手が、彼の手に包まれた。 
 温かかった。 
 嬉しかった。 

 こんなあたしでも、誰かに愛して貰える。 
 誰かに必要とされる。 
 それがすごく、嬉しくって。 
  
「君をちゃんと感じたくて……涼に身体貸して貰ったんだ」 

「あたしも……」 
 あたしは、自分の気持ちをちゃんと伝えたくて。 
 チョコレートはないけど、変わりに…… 

 あたしは、玲くんに向かって、 
「これ、二人で食べて」 
 と、雪見だいふくを渡した。 
「でも、俺……」 
「あたし、ふたりとも、好きだから……」 
 玲くんは、こくん、と、うなずくと、雪見だいふくのパッケージを開け、そのひとつをぱくん、と口の中に放り込んで。 
 そして、 
「俺たちは、二人でひとつだから……」 
 そう言って、もうひとつをあたしのほうに差し出した。 
 あたしは、おもいっきりの笑顔になって。 
「うん」 
 そう一言だけ、言って。 
 雪見だいふくをほうばった。 
 つめたくて、おいしくて、何故か、涙がでた。 
  
  
    end 
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