犯罪撲滅組織 Social at brave

長津九季

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怠惰

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山慎と黒田誠也は怖い顔しながら見つめ合っていた。互いに一歩も引かないのが遠巻きに見ている部下たちにもわかるくらいピリピリした雰囲気が漂っていた。そして黒田が目を逸らしながら手に持っていた書類を机の上に放り投げた。
「こんな甘ったれた刑が通ると思っているのか?もう一度考え直せ。」
 だが影山は黒田を見ながら反論した。
「お言葉ですが、これのどこが甘ったれているのか私にはわかりません。」
 黒田は座りながら大きく足を組みふんぞり返り影山を嘲笑した。
「熊田の意思を継いだつもりか?犯罪を犯したものを更生させる罰を与えるのが役目だと勘違いしていたあの老害の。」
「熊田さんの悪口は控えていただきたい。」
 影山の部下である山下篤志はうんざりしながらこのやりとりを見ていた。この光景はもう何度も見ている。黒田は先月までこのSocial at brave通称SaB(サブ)に勤めていた熊田康弘のことを嫌っていた。SaBは死刑を執行する権利はないものの厳格な罰を執行する権利が与えらている。そんな機関を創設するのに反論する声も多かった。だが、犯罪者を減らすと言う大義名分があればその声は徐々に小さくなっていた。
 SaBの創設者でもあり、最高責任者を務めている黒田誠也は犯罪者を精神的、そして社会的抹殺をすることで犯罪を根本的に無くそうと考えていた。人権侵害に値する刑もあるが、創設時に「この世から悪人を無くすには一線を越えなければならない」と声高らかに発言した。
 それに異を唱えた人物がいた。それが熊田康弘前執行部部長だった。
 犯罪撲滅組織の執行部。つまり与える罰を考え、それを実践する部署である。そこの長をやっている人だが、黒田の考えには反対していて更生を目的とした罰を与えていた。
 犯罪者は誰一人許さない黒田と更生させることを目的とする熊田はまるで水と油だった。そんな熊田が一身上の理由で辞めることになった。影山と山下は熊田に残るように説得したが、熊田は拒否した。
「お前たちにまで迷惑をかけるわけにはいかない。ここ去るのは俺1人で充分だ。」
 しかし、熊田は影山と山下にこっそり耳打ちした。
「黒田には気をつけて。邪魔者を排除するためなら手段を選ばない男だからな。」
 この一言で辞めるのではなく、辞めさせられたと感じ取れる。黒田の権力に屈することになったのだ。
「影山くん。君には期待していたのに残念だ。君たち2人とも明日もう一度ここに来るように。SaBの存在意義をもう一度教えて上げよう。」
 影山は不機嫌な顔をしながら自分のデスクに戻った。その顔を見るだけで一悶着あったと誰もが思った。山下もデスクに戻ると同期の吉田美波が声をかけた。
「あの様子だとまた揉めたの?」
「ああ。俺まで怒られた気分だったよ。」
 すると隣にいた小山昴が書類を手にしながら近づいた。
「確か執行対象者は前田睦月36歳。暴行及び窃盗の罪で逮捕。これに対する執行案が確か…」
「NPO法人でカンボジアに学校建設のチームに加わり携わるようにって案だよ。確かに日本に比べれば治安は最悪。電波も無く娯楽も無い。唯一の楽しみは食事くらいだけど、美味い飯が食えるわけでもない。」
「でも最大の理由は人のために尽くす事で真面目に働くことの意味を感じ取ることができるだよね。黒田理事長の掲げるスローガンとは真反対だもんね。」
 山下と吉田と小山が話していると影山の怒号が飛び交う。
「そこ。しゃべってないで仕事をしろ。それと山下ちょっと来てくれ。」
 山下が自分の顔を指差すと影山は頷き付いてくる来るように指示を出した。小さくため息を吐きながらちらっと吉田と小山を見るとまるでご愁傷様と言わんばかりの合掌をしていた。
 影山は自販機でコーヒーを2缶買い1つを山下に差し出した。
「いただきます。」
 影山がコーヒーを奢ることは同調を求める相談ということはすでに知っている。執行部部長とは思えないほどのメンタルの弱さだ。だがこの時はいつもと違っていた。
「山下。お前はなんでSaBに入所した?」
「話せば長くなりますが。」
「構わん。話してくれ。」
 腕を組みながら窓に映る景色を見る影山の背中に山下は語った。
「僕には2個上の姉がいるんです。姉には婚約する人がいました。でもその人が煽り運転で逮捕されました。悪いのは運転していた男なのに、同乗していた姉も悪者扱いされて。SNSに実名や住所、僕や両親のことも晒されて。正直しんどかったです。でもそんな時熊田さんが来てくれて姉は無罪放免だ。SaBは運転していた男にしか罰を与えない。君達は胸を張って生きてほしいって言われて。正しく生きてる人のために、熊田さんのようになれるようにと思ってここに入所しました。」
「そうか…。」
 影山はコーヒー一口つけると山下に向き直った。
「その男、篠山直樹。どうなったか知ってるか?」
 山下が首を横に振ると影山は鼻の付け根に指を合わせると絞り出すような声で答えた。
「SaBが出した罰は両手足を縛り椅子に固定させる。そしてヘッドホンにSNSやネットに書かれている悪口や誹謗中傷を一年間休むことなく聞かせるという罰だ。執行の意味は自分の行為がいかに愚かで醜いことだと思い知らせるためだ。」
「そんな…。」
 山下が絶句していると影山は立て続けに話した。
「当時俺はまだ平だったから口出しすることさえ許されなかった。熊田さんが掛け合ったが聞き入れてもらえなかった。その後篠山はどうなったか知ってるか?」
 山下が首をゆっくり横に振ると影山は左手で顔を覆いながら話した。
「廃人となって地下にある独房に捨てられた。そして去年息を引き取った。」
 山下は言葉も出ない様子だった。当然だろう。顔見知りの人間がそんな残酷な生涯を遂げることなんて想像もしなかった。今自分が所属している組織がそんな酷いところを実感しているだろう。
「今お姉さんはどうしてる?」
「…姉は細々と生きています。笑顔が絶えない人でしたがそんな面影はありません。」
 影山は山下の肩に手を置くと優しく声をかけた。
「俺たちは1つ間違えば簡単に命を奪える立場にいることを忘れるな。」
 そう言って影山は仕事場に戻った。山下はしばらくその場から動けなかった。気がついた時は夕日が自分を照らしていた。
「ただいま。」
「おかえり。」
 影山が家に帰ると都築あさひが返事をした。都築は影山の彼女であり婚約者でもある。2年近く同棲生活をしている。
「もうすぐご飯できるけど、先に食べる?」
「いや、風呂に入ってから食べるよ。」
 今日の出来事を洗い流すように忘れたかった。わざわざ山下に伝えなくても良かったのではと思ったが、いずれ知る機会があるのならば遅かれ早かれこうなるのだと無理矢理自分に言い聞かせた。
 SaBに所属している人間は自分の仕事を家族、友人等関係なく口外してはいけないこととなっている。執行対象者の家族や友人の逆恨みを巻き込まないためだ。なので仕事のことは裁判官と言うようにと決められている。なのであさひは慎がSaBの人間だと言うことを知らない。
 慎が無口でいるとあさひが顔を覗きに来た。
「食事中くらい楽しくできない?」
「悪い。今日は気分悪くてな。」
「まぁ人の人生を左右する仕事だから時には厳しくしないといけないこともあるけど、しっかり食べないと心がやられちゃうよ。私は笑顔の慎が好きだから。」
「ありがとう、あさひ。」
 ぎこちない笑顔を見せながら慎は少しずつご飯を口にする。
「そんなことがあったんだ。」
 山下の話に吉田と小山は耐えられず目の前にあったジョッキを勢いよく飲み干してしまう。
「人の命を奪える立場か。SaBに死刑にする権利が無いとはいえ、あまりにもひどい仕打ちだな。」
「本当にそう思う。でも自分達がそんな立場にいるなんて思ってもなかったなぁ。」
「SaBは俺たちが思ってる以上に犯罪者の根絶に力を入れてるんだろう。」
 吉田と小山はもし自分達の家族や友人、知り合いに罰が下されたらどうなるか想像しただけで鳥肌が立つ。
「でもSaBには関わりのない人が罰を与えることができる。俺らがそれを知るのは執行された後だ。」
 小山はまるで自分に言い聞かせるように呟いた。
 SaBに所属している人間はもし自分達の関わりがある人間が対象者になった場合、その事案には携わらない決まりがある。同情により相応の罰が執行されないことを防ぐためだ。
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