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しおりを挟む戦場を幾度となく生き抜いてきたのに、この扉を開けるのは、なぜだか異様に緊張する。
妻の部屋を訪ねる、たったそれだけのはずなのにオルテガは毎回扉の前で考えを巡らせる事になる。
夕方に聞いたロバンの報告によるとラニエラは長く雨に打たれたせいか朝から高熱が続き、まだ目を覚ましてしないという。
実のところ、オルテガはラニエラが夫である自分を怖がっている事に気づいていた。
だから意識がないのなら怖がらせることもないだろう、と顔を見にやって来たはいいものの、もし目を覚ましていたらと思うとなかなか、この扉を開けないでいる。
そうしていると、チリン、と小さく擦れるようなベルの音がして、そういえばラニエラは足を怪我していたことがオルテガの頭をよぎった。
もしかしてなにかあったのかと躊躇していた事も忘れてオルテガは勢いよく扉を開いた。
そして目に入った光景に、低く、唸るような声を出す。
「――…ここで何をしている」
ラニエラが眠るベッドのすぐそば、一人のメイドが大きな姿見の前でドレスを体に当てていた。
シンプルながら品のある、一目見て分かる上質なドレス。
庶民には到底手が届かないであろう代物。
つまりこの部屋の主、ラニエラのドレスだ。
突然の来訪者に、そしてそれがオルテガだった事に、姿見の中の自分を惚れ惚れとした表情で見ていたメイドの顔は一瞬で翳り、そして怯えに変わる。
「あッ、これは―…」
動揺したメイドがドレスを後ろ手に隠そうと動いた拍子にドレスの裾が揺れて、すぐ横にあったサイドボードのベルを擦め、チリン、と音を立てた。
どうやらオルテガが扉の前で聞いたのはこの音らしい。
ラニエラが目覚めたら、人を呼べるようにロバンあたりがサイドボードにベルを置いていたのだろう。
そして病に伏せっている主人の傍らで、メイドが勝手に主人のドレスを拝借していたところ、ドレスの裾が当たって小さくベルが鳴ってしまった。ベルが鳴ったにも関わらず気にせず姿見を見ていた様子からして、誰も来ないと高を括っていたのだろう。
オルテガが扉の外にいるとも知らずに。
予想を裏付けるように、おろおろとした態度で狼狽えるメイドの前を通り過ぎ、部屋の中央に置かれたベッドへと近づく。
小さな寝息と共に、時折苦しそうな呼吸が聞こえてくる。
手を伸ばして落ちそうになっている額のタオルを直してみる。
体温を吸って温かくなったタオルは少し乾いていた。
それをすくい上げ、サイドボードの上にある水の入ったボウルに浸す。
氷が溶けてしまっているが、致し方ない。
しかし気になるのは、その横に置かれたものだ。
空っぽの水差し。
手付かずのままの薬。
「もう一度聞く。此処で何をしている」
碌に看病も出来ないメイドが、一体何を、と。
オルテガの視線の先に気が付いたのか、メイドが息を飲んだのが分かる。
タオルを額に戻すと、苦しそうに歪んでいた表情が少しだけ緩んだ気がした。
「答えられないのなら、その手に持っているものを置いて今すぐ城を出ていけ。お前の様なメイドは此処には必要ない」
オルテガはそう冷たく言い放つ。
静かな怒りに気圧されて動く事も出来ない、涙を流し、ガタガタと恐怖に震えはじめたメイド。
オルテガはそんなメイドを一瞥して、サイドボードに手を伸ばす。
そしてベルを手にとり、数回、カラン、カラン、と鳴らした。
想像していたよりも響いた音に、ベッドで眠っているラニエラを見やったが幸い目を覚ましてはいない様だった。
そしてすぐさま「奥様、お目覚めですか!」とやって来たのはロバンだ。
オルテガはそれに答える事無く、今度はカーテンと窓を開けていく。
換気され、籠っていた部屋に新鮮な空気が差し込む。
鳴らされたベル、寝込んだままのラニエラ、そして怯えた様子のメイド。
部屋の異様な空間にすぐに気が付いたロバンは、まずメイドの手にあるものに言葉を無くした。
そんなロバンの様子に、メイドはなにか言わねばと震える口を開く。
「黙りなさい」
しかしロバンの厳しい一言に何も言えず閉口せざるを得なくなる。
さっと室内を見回して、大方の事情を悟ったロバンは、メイドの手から迅速にドレスを回収する。
「私が付いていながら、このような……誠に申し訳ございません」
そして背を向けるオルテガに向かって、深く、深く頭を下げた。
「…俺の気が変わらない内にさっさと連れていけ」
投げられたオルテガの言葉は憤りが篭っていた。
それでも声を荒げないのは、ラニエラの前だからかもしれない。
ラニエラの様子も気になったが、今は無意識にラニエラに気を遣っているオルテガの気が変わる前にと、迅速にメイドを引き連れて部屋を出ようとしたロバン。
「ロバン」
名前を呼ぶ声が、固く、ロバンもつい身構える。
「―ー…次はない。せいぜい、肝に銘じておけ」
それは厳しい警告。
次は無い、その短く、重い言葉を噛み締めて、ロバンは御意の返答を伝えた。
部屋を出て扉を閉める時、ロバンはちらりと部屋の中を伺う。
閉じる扉の先、ロバンの目に映ったのは、ベッドサイドに腰掛けたオルテガが、寝込むラニエラの頬にまるで壊れ物を扱うようにそっと優しく触れている姿だった。
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