コガレル

タダノオーコ

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過去からの使者

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ここはひとまず冷静になって身体を離した。
それで。我が弟、准がどうしたって?


「母親を…その、殺したって…」

そんなことまだ言ってんのか。
誰も准のせいだなんて思いもしないし、だから何を言うこともない。

ただ大叔父が、
「准を産まなければ、母親は死ぬことはなかった」
そう言ったのを子供の時分、准は聞いてしまった。
親父の無言で睨みつけた抗議と准の青ざめる表情の狭間で、俺は動けなかったのを覚えてる。
何もしてやれなかった。
そこから准が荒れる日もあった。

それでも分別がつくようになった今、准が母親の話をするのは相手の気を引きたいからだ。
どうでもいい奴にはその話を振ったりしない。


「准の部屋で二人っきりになるの禁止」

笑える。
大概俺も余裕がない。
もう何もかも全てを俺のものにしたい。
…安心が欲しいよ。


「…ませんか?」

キッチンに移動して弥生が食事を用意してる間に、動くのが面倒だからシンクで手を洗ってた。
水の流れる音で、話が聞き取れなかった。

「何て?」

そこに下がってたタオルで手を拭いてから、テーブルに着いた。

俺が座ると弥生も目の前の席に腰掛けた。
弥生は自分の食事が済んでても、俺が食事をする時は必ず一緒に座る。
俺だけじゃなくて、親父や准の時もそうだ。

弥生に言わせれば、俺ら家族は食事のマナーが良いらしい。
食事姿が綺麗とも言われたけど、自分じゃ良く分からない。

もうずっとそれぞれが都合のいい時間に飯を食うだけで、団らん的なものはなかった。
食事はやっぱり誰かと一緒の方が美味いと思えるようになったのは、弥生がいつもそこに座ってるからだ。

「日曜日、和乃さんの送別会に出られませんか?」

俺が箸を持つと、多分さっきの話をもう一度繰り返した。
金曜で和乃さんは家政婦を辞める。
日曜にうちでささやかにお疲れ様会をやるそうだ。
親父も准にも確認は出来てるって。

日曜は午後の遅い時間からの仕事だったと思う。
俺も昼間だったら大丈夫そうだ。
それを伝えたら、嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「良かった、ご家族が揃ったらきっと和乃さん嬉しいと思いますよ」

泣いたり、怒ったり、へこんだり、喜んだり…
よくもまぁ、そんなに表情がたくさんあるもんだ。

見てて飽きないし、こういう何気ない時間にも穏やかな幸福があることを知った。
目の前で頬杖ついてる笑顔につられて、気づいたら俺も微笑んでた。


***


日曜になると和乃さんが我が家を訪ねてきた。
ダイニングのテーブルに今日は、イスが一脚増えた。

「和乃さんは主役席です」

弥生がそう勧めると、促されるまま腰掛けた。
和乃さんがこの食卓に着くのはたぶん初めてのことだ。

テーブルには弥生が準備した食事が、大皿で並んだ。
運ぶのを手伝おうと腰を浮かせる和乃さんの肩を、弥生は何度か押して戻した。
逆にいつまでも座ろうとしない弥生に、親父が着席を勧めた。

「私も良いですか?」

和乃さんにそう尋ねると、「もちろんですよ」そう答えがあって、皆が揃った。

「和乃さん、長い間お疲れ様でした。これからのご健康とご多幸をお祈りして、乾杯」

親父が音頭を取って、お疲れ様会は始められた。

准は学生だし、俺はこの後仕事があるからソフトドリンク、和乃さんはビールを飲んだ。
親父と弥生は赤ワインを開けた。

親父が今後の和乃さんの予定を尋ねたら、妹さんがいるみたいで旅行でもしようと話してるらしい。
和乃さんはご主人に先立たれて、子供は確かいないはずだ。

食事や飲み物を勧めながら、弥生は今まで聞けなかった和乃さんのプライベートや俺ら家族のことを聞いてる。

親父が時々、弥生のグラスにワインを注ぐのを俺は細い目で見てた。
時間が進むに連れて、完璧に主役より酔った女が誕生した。
『とおぶん飲まない』って言ってなかったっけ?

「和乃さん、遠慮しないで飲んで下さい。帰りは圭さんが送りますから」

「フハッ、」

俺は吹いた。
そんな話初めて聞いた…
和乃さんは苦笑いして、グラス七分目のビールを、弥生が九分目にするのを見守った。

「准君はどんな赤ちゃんだったんですか?」

和乃さんの初めて家に来た時の話に、弥生が尋ねた。
和乃さんが来たのは、准が生まれて一年もしないうちだ。
家政婦というより、初めはベビーシッターとして来てもらってた。

後から知ったことだけど、うちに来た時和乃さんは、息子さんを事故で亡くされたばかりだった。
たぶん1人息子だったんじゃないかな。

「病気はしないし、あまり泣かないし手が掛からなかったですね、准さんは」

弥生は頷いて聞いてる。

「私が授業参観に行っても、文句は一度も言わなかったですし。
圭さんは嫌がりましたけど」

今になって復讐か…
准は知らん顔で食事に箸を伸ばしてる。

「昔から可愛かったんですね、准君…」

酔いも手伝ってうっとりする弥生に、満更ではなさそうな准に腹が立つ。

飲みたい…
弥生のグラスを奪って飲み干したくなるのをぐっと我慢した。




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