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それぞれの場所へ
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しおりを挟む立ち尽くしてた。
さっき私が拒絶された自動ドアの中に、二人は簡単に入って行った。
またどれくらいの時間が経ったんだろう。
…夕飯の支度をしなくちゃ。
もう帰ろう、そう思った時エントランスから成実さんが出てきた。
成実さんは左右を確認すると、一直線に私に向かって歩いて来た。
目の前で立ち止まると腕を組んだ。
「私ずっと、高校生の頃から圭が好きなの。
もう、ここには来ないで。消えて」
威圧的な姿勢と態度とは裏腹に、いつか屋敷を訪ねて来た時のような勝気な表情は見られなかった。
それでも言いたいことを言い終えたら、肩のバッグをかけ直して颯爽と歩き出した。
成実さんの背中は、繁華街の中へと消えて行った。
私は道を渡った。
迷いはなかった。
さっきの繰り返し。
オートロックの外側から、部屋番号で呼び出した。
まだ、帰らない。
今までの人生の中で、こんなに人や物に執着することなんてなかった。
形あるものはいつか壊れることを覚悟したし、去る者は追わなかった。
それなのに…圭さんだけは離したくなかった。
欲しくて、欲しくて、たまらなかった。
この想いが伝わらないことに、怒りさえ覚えた。
自分勝手で我儘な感情を秘めてたことに、自分で初めて気づいた。
プチっと小さく機械音がした。
「成実、いい加減…」
一週間振りに聞く圭さんの声。
その声は私じゃない名前を呼んだ。
それに目の前の自動ドアが開かない限り、距離は1ミリも縮まない。
「圭さん、弥生です」
しばらくの沈黙の後、
「用はない」
拒絶されて、通話は切れた。
涙は出なかった。
今度こそ本当に枯れたのかも知れない。
オートロックの内側にはやっぱり人の影。
防犯意識が高くて贅沢なマンションに、コンシェルジュと呼ばれる常駐する人物がいることを知らなかった。
人の目を避けて、また向かいの歩道に舞い戻った。
辺り一帯の街路樹の葉がパサパサと音を立てた。
雨だと気づいた瞬間に、鼻の頭に水滴が当たった。
…夕飯作らなくちゃ。
ループする考えに、足はリンクしなかった。
頭の中は帰路を思い浮かべてるのに、身体はこの場所を離れられなかった。
*****
私は東京を離れた。
防波堤の上に立つと、両手を上げて身体を限界まで伸ばした。
初秋の太陽の緩やかな照り返しと穏やかな波の向こうに、水平線が広がってた。
圭さんのドラマは好評で終わった。
以降メディアでの露出も急激に増えた。
ベネチア国際映画祭での最優秀主演男優賞と作品賞は惜しくも逃した。
それでも映画は高く評価されて、海外では監督と並んで知る人ぞ知る俳優になったそうだ。
成実さんとは結婚秒読みか、って噂も出てる。
これらの情報は自分で収拾した訳じゃない。
全て第三者からのありがたいようでありがたくない、情報提供によるものだった。
後悔はなかった。
恥を捨てて、最大限にやれることをやった結果が今現在だった。
背後でシャッターを切る音がした。
「仁王立ちの、いい画が撮れました」
冬馬(とうま)君は、首から下げたカメラから手を離すと、両腕を上げて足を開いて私の格好の真似をした。
「そんなにガニ股じゃない。モデル料もらうから」
「じゃ、夕飯奢りますよ。何食べます?」
屈託なく笑う冬馬君に私は、曖昧に微笑みだけ返した。
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