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焦燥
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しおりを挟む身体が冷えて目が覚めた。
いつの間にか日は暮れてた。
暗い部屋を出て一階に降りると、親父は帰ってた。
「チーズ、頂いてる」
ダイニングのテーブルに土産のチーズとワインのボトルが並んでた。
親父の斜向かいの席に俺も腰掛けた。
あのまま眠り込まなければ、親父が帰ってくる前に俺は出て行っただろう。
弥生はもういなくなった。
今が話をするタイミングかも知れない。
「イタリアはどうだった?」
「賑やかだったよ。時間がなくてあまり観光はできなかったけど」
「そうか。勿体なかったな」
覚悟を決めたのに、なかなか切り出せない。
親父は自分でグラスにワインを注いだ。
グラスが空になったのは知ってたけど、俺は注いでやることはしなかった。
聞くんだ。
「葉山さんのお母さんを知ってるよね?」
「ああ、知ってたよ」
親父の表情は変わらない。
俺が弥生の母親の話を振っても動じなかった。
「弥生君から聞いたよ、お兄さんが来て、お前と話したって」
俺は頷いた。
「手切れ金の話は本当?」
「本当だ」
シラフじゃ辛すぎる。
車の運転さえなければ、今すぐ俺も飲みたい気分だった。
「彼女は手切れ金を受け取ると、俺の前から姿を消した。
その後のことはよく知らない。
聞く必要はないと思ったから」
「最低だな…」
弥生の母親がじゃなくて、親父がだ。
手切れ金を渡すってのは、縁を切るってことなんだろう。
「白岩の息子さんは、迎えに来たんだって?」
親父はグラスを空にして、また手酌した。
「弥生君は謝ってたよ、お前が出て行ったのは自分のせいだって。
お前を好きになってしまった、って」
は、親父に言ってどうすんだ…
「馬鹿だね、あいつ。
で、何て答えたの?
お前は俺の娘だって言ったの?
お前は圭と腹違いの兄妹だって?」
「馬鹿はお前だ」
親父は俺を諭すように、それでいて自分の過去を確認するように話を続けた。
「いいか、弥生君は俺の娘じゃない。
弥生君の母親とは、お前の母さんと結婚する前に付き合ってた。
母さんと知り合う前に、彼女は俺の前から姿を消していた」
つまり…不倫じゃなかったと?
「弥生君が娘だとしたら、圭より年下ということはありえない」
「じゃあ何で嘘をついてまで、うちに弥生を住まわせた?」
「手切れ金が渡ってたのは本当だ。
母親を捨てて、その娘もまた見捨てることはできなかったよ」
弥生の父親は別人だ。
…妹じゃない。
「違う、馬鹿は俺だ」
待ってろ、そう言って親父は二階へ上がって行った。
しばらくして戻って来ると、メモ用紙を渡された。
「名古屋の住所だ。
もし弥生君を本当に幸せにしてやれるなら、迎えに行きなさい。
そうじゃないなら…普通の子なんだ、もうそっとしておいてあげなさい」
親父は自分が馬鹿だと言った。
でも違う。
やっぱり馬鹿は俺だ。
何で白岩の話を信じた?
弥生は俺のマンションで、処女だって言った。
白岩の話を鵜呑みにして、酷い言葉を浴びせて泣かせたのに。
メモに視線を落とした。
名古屋であいつと暮らしてる?
嫌だ。
白岩も、他の奴でも、やっぱり嫌だ。
俺以外はダメだ。
他の誰かが弥生に触れるのは嫌だ。
他の誰かが弥生を見ることさえ嫌だった…
名古屋へ。
許してくれるまで、謝ろう。
ここでもいい、マンションでもいい…
また一緒に暮らしたい。
俺の目の届くところにいて欲しいよ…
ガレージでエンジンをかけると、弥生に電話をかけた。
繋がらなかった。
ラインも繋がらない。
スマホを替えたのか、番号を換えたのか…
ナビにメモの住所を読ませると、車を発進させた。
名古屋までは車で片道5時間くらいか。
はやる気持ちは眠気と疲れを吹き飛ばした。
車を走らせて白岩家に到着したのは、真夜中を少し過ぎた時間だった。
弥生がしばらくの間過ごした、戸建ての家の門の前。
深夜で迷惑かも知れない。
それでも迷わずインターフォンを押した。
応答したのは弥生じゃない女性の声だった。
伯母さんだろう。
「深夜にすみません、真田と申します。葉山さんはいらっしゃいますか?」
「少々お待ち下さい」
玄関外の電気は元々点いてた。
少ししてドアを開けて姿を見せたのは弥生じゃなかった。
目が合うと、門の外から頭を下げた。
「弥生の伯母です。どうぞ」
門扉を開きながらそう言われて、俺は敷地の中にいざなわれた。
伯母さんの格好は、すぐに外出できるような服装だった。
この時間なら部屋着や寝巻きの方が自然なのに。
慌てて着替えたのか?
玄関を入るとスリッパを勧められて、ダイニングに案内された。
手で示されたテーブルのイスに腰掛けると、伯母さんは俺の向かい側に腰を下ろした。
「弥生さんは?」
「お父さんから電話がありました。息子が向かっていますって」
だからか。
俺の訪問を知ってたんだ。
「お父さんには伝えたんですけど、弥生はここにいません」
「どこに?」
伯母さんは頭を横に振った。
「こちらには一度寄りました。でもすぐに出て行きました。
落ち着いたら連絡するって」
肩から力が抜けた。
じゃあ一体どこに?
「要一さんはこちらに?」
「要一は一人暮らししています。
電話をかけましたけど、やっぱり行き先は知らないそうです」
伯母さんは嘘をついてるようには見えなかった。
本当に弥生がどこにいるのか知らないんだろう。
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