コガレル

タダノオーコ

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嵐のあとで

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件の熊本タウン誌に載ったことが事務所にバレた。

呼び出し喰らって事務所に顔を出すと、ネチネチと女史の説教が始まった。
遠くの席からお気の毒様、という視線を投げて寄こす涌井を恨めしく睨んだ。

休みはないし、腹は空いたし、この後社長の説教も聞かなきゃならない。
何もかも投げ出したい気持ちも頭をもたげる。
それでも腐ることはしない。
この世界に深く身を沈めることに決めたから。

与えられた仕事に真摯に向き合って、自分の置かれる立場を確固たるものにする。
周りに俺を認めてもらって、弥生と生きるのを静かに温かく見守ってもらえることが今の理想だ。

説教の第一ステージをクリアすると、社長室に女史と共に出向いた。
やっぱりラスボスは強かった。
代表取締役社長はキリリと眼光鋭いナイスミドルだ。
これだけのモデル、タレントを抱える事務所の経営者。
俺なんか数える程しか会話した記憶がない。

社長は
「ここで真田を許してしまえば、他の所属タレントに示しがつかない。」と言った。

今、撮影中の映画は最後のイベントまで参加させるとして、その後の決まってる仕事を後輩に割り振るそうだ。

俺は干される、ってこと。
期間は知らない。


「待って下さい。」

驚いたことにそれを全力で止めたのは女史だった。
横で聞いてる本人が気恥ずかしくなるような評価を力説し始めた。

文句を言わず休みなく働いてること、真面目に芝居に取り組んでること、周りのスタッフやキャストに気を使えて評判が良い事、落ち着いた大人の男になる過程にあるということ…

やんちゃな俺に苦労しただろうに、どんな時でも俺を支えてくれる人なんだ、この人は。
母親みたいに。
本人に言ったら、そんな年齢じゃないって怒るだろうけど。

「彼が勝手に受けた仕事は、私の監督不行届です。責任は私が取ります。」

何を言い出すのか、この人は。
隣の女史を窺い見た。
女史は何でもないことのように、俺にただ肩をすくめて見せた。

二人で何度も頭を下げて、どうにか社長の許しを得ると、結局何の処分も与えられずに済んだ。

部屋を出ると女史に聞いた。

「クビになってたら、どうしたんですか?」
「なんないわよ、あの人私の旦那だもん。」

え?

「えーーー!」

「知らなかったの?」

知らなかったよ…
女史のプライベートなんて興味ないから、まったく。
言われてみれば、同じありふれた苗字だ。

この人を敵に回さなくて良かった…


***


なんとか無事に仕事は切れることなく繋がってる。
弥生は予定通り年末年始を東京で過ごした。

ただ弥生の予定通りに行かなかったのは、俺の実家に泊まれなかったことだ。

挨拶と食事だけ済ませたら、准と親父の冷ややかな視線も気にせず俺がマンションに連れ帰ったから。

…まあ至極当然、こうなるでしょ。


この時の俺はまだ知らない。

弥生が仕事を辞めて東京に戻るのは、この冬休みから丸二年後。

しかも、都内の大学に通う准と親父の健康管理のためにも、俺の実家に住むと言い出すことを。

准が結婚して嫁さんをもらうまで屋敷に住むんだそうだ。
もういい、ドアが薄くても大声で泣かせてやると決めた瞬間があることを。

結婚して、早く子供が欲しい。
弥生に似た可愛い女の子。
でも二人きりで過ごす時間があまりにも短すぎた、赤ん坊はまだ先にしよう。
そんな葛藤に悩む日々が来ることを。


ベッドで疲れ果てて眠る弥生の額に唇を押し当てた。
手を握ったら、指輪に触れた。

幸せの塊を抱きながら、俺もいつしか眠りに落ちていた。



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