コガレル

タダノオーコ

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エピローグ

2(終)

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翌日、編集部に顔を出したら嶋さんはもう来てた。
夢の隣にいて、薄っぺらい女子トークでもしてたんだろう。

「冬馬君おはよー」

俺を見るとこっちに手の平を向けて、指をバラバラと前後させた。

「他の仕事後回しにして来たんだから。埋め合わせてもらうわよ。」

嶋さんは、ギャランティを格安にしてくれる代わりに、俺の一晩を拘束する。
といっても、俺は間違いなくノンケだから飲みに付き合うだけだ。

ただ、嶋さんは酔うとかなり質が悪い。
なだめたり、すかしたり、熟練の技が必要だ。
それでも嶋さんの腕がイイだけに、背に腹は変えられない。

「お手柔らかに。」
「人聞きの悪い。いつだって私、柔らかいじゃないの。ね、夢。」

ゴリッゴリのハードのくせに。

「私もたまには連れてって下さいよー」
「やーよ、子供は寝てなさい。」
「子供じゃないですよ、子供だって産めるんですから。」
「キー、ムカつくわね、あんたにだけは冬馬君は譲らないわよ。」
「は? 要りませんよ。どうぞ煮るなり焼くなりご自由に。」
「自由にできるなら、とっくに食べてるわよ!」

ハァ…
セッティングしよう…
床に一度置いた機材を持ち上げた時、弥生さんと真田圭が揃って現れた。

真田圭は相変わらずのオーラだ。
っていうか、弥生さん…
昨日はあんなに避けてたくせに、朝まで一緒コースとか?

いつもと違う。
着ているものや髪型が特に変わった訳じゃない。
何ていうか…纏わりついてた翳りが消えて、甘ったるい印象になった。
挨拶を交わした嶋さんにもそれが伝わったのか、雰囲気が変わったと案の定言われてるし。

一晩でこうも変わるものなのか女って。
その原因は分かりすぎるほど分かる。
真田圭の仕業だ。

真田圭は恐らく、いや、恐ろしく嫉妬深い。
弥生さんと言葉を交わす度に、痛い程の視線が突き刺さる。
クロマキーバックをセッティングしてる今だってそうだ。
スゲー仕事しにくい。

しかも撮影が始まると真田圭の独擅場だった。
レンズの向こうに自分がどう映るのか、完璧に把握してる。
俺は真田圭の望み通りに、ただシャッターを切るだけだった。
笑顔は拒否された。
一流の被写体に、三流のカメラマンだった。
同じ男として、悔しくて仕方なかった。

ただ、それ以上に久々にカメラが楽しく思えた。
これまでは与えられたものを、ただひたすら写すだけの労働作業だった。
真田圭に至っては、そうじゃなかった。

参ったな…
俺の燻りに火を付けるのが、まさかの真田圭だとか。

相変わらずチクリとした視線を感じながらセットチェンジを終えると、弥生さんによるインタビューが始まった。

信じられなかった。
この人、誰?
真田圭は最初こそおどけたもののその後は、溶けてしまいそうなメロメロな表情を見せた。

俺が頼んでもニコリともしなかった人が、今やオーラを放つカリスマは存在しなかった。
弥生さんを優しく見つめて穏やかに会話する、ただの男がそこにいた。

俺は数枚の写真を撮ると、そっと部屋を出た。
撮れ高は充分だった。


この日、真田圭と会話らしい会話をしたのはたった一度切り、撮影終わりの編集部の外だった。

弥生さんを頼む、と言われた。
束縛が激しそうだから、てっきり東京へ連れて帰るのかと思ってた。

夢に礼を言って握手もしてくれたように、真田圭は傲慢でも礼儀知らずでもないようだった。
態度はデカいけど。


「信頼以上の関係になるかも知れませんけど?」

少し突っついてやったけど、惚気で返された。
もうお腹いっぱい。
っていうか、胸焼けするわ。
二人の好きにすればいいよ。

弥生さんとどうこうなりたいなんて最初から思ってなかった。
ただ、哀しそうで潰れてしまいそうに見えた彼女を放ってはおけなかった。

今や桃色の空気をまとっている弥生さんは、確かに “真田 圭” に夢中なのかも知れない。
だけど売れに売れて忙しい中、こんな田舎くんだりまで追いかけて来た、真田圭こそが弥生さんに夢中なのは明らかだった。


嵐のような男が去ったあと、実はもう一嵐編集部には吹き荒れた。

真田圭が表紙のくまたんは、「なぜ熊本で真田圭が?」とジワジワと広く話題になった。
需要が大きくなって、フリー冊子なのに増刷、なんて驚きの経験をした。
広告主に営業をかけなくても向こうから問い合わせが入るようになって、編集部はにわかに忙しくなった。

真田圭の号は、実は表紙よりもインタビュー中の写真に話題は集中した。
コアなファンでも、見たことがないレアな表情だったようだ。

撮ったのは誰なのかと問い合わせもあった。
だけど誌面を見た全ての人に謝りたい、俺だけが知る秘密。

あのアホみたいにとろけきった顔も、何ともいえない慈しみの眼差しも…
たった一人、弥生さんだけに向けられたものだ。
俺が引き出した表情じゃない。



*****



年が代わってくまたん編集部に社員が増えた。
弥生さんのデジカメの操作も格段に上達したその頃、俺は編集部を辞めた。

父親の写真館で燻ることも止めて、熊本から飛び発つのを決めたからだ。

弥生さんは感謝の言葉と共に、旅立ちを応援してくれた。
夢は「どこにでも行けばいい。」と泣いて背中を押してくれた。


真田圭側から依頼がきて、俺が撮ってやる日がくることを、この時誰が想像できただろう。


その時、いつかの誰かがしたように俺も彼女を熊本に迎えに行くのは………また別の話。












End

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