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 ママがいないのでホテルへ行くのにどんな支度をすればいいのか悩んだ。
「そのままでいいと思うよ。パパもこの恰好だし」
「ドレスコードないの?」
「ないと、思う」
「そう」
 その言い方で、察してしまった。父はもうそこに行ったことがあるのだ。それを悟るのはいけないことなのだと。

 ホテルのビュッフェは家族連れが多くて、やはりドレスを着ている人はいなかった。
「ローストビーフにエビチリもあるぞ」
「種類が多くて迷っちゃう」
「時間制限はないからゆっくりしたらいいよ」
「うん」
 あんかけっぽいかぼちゃやブロッコリーとエビの炒め物などを取っていると、
「もとが取れるものを食べなさい」
 と同じ歳くらいの少年が母親から諭されていた。
そういうものなのか、と私も肉を取ろうとしたけれど、そんなに得意ではないことを思い出して改めた。父は玉子焼きを食べていた。
「どうしてそんなもの?」
「焼きたてなんだぞ。それからローストビーフにごまだれ」
「おいしそう。次持ってこよう」
「米とかないのかな」
「カレーあったよ」
「昼に食べたよ」
「おそばあったな。私は茶そばにする」
「それもいいな」
 女同士とかカップルとかはたくさんいた。父と娘という構図は私たちだけだった。おいしいけれど、悲しい。結局はゆきついてしまう。何もかもがたーくんが死んだせいになる。
 たーくんは芸術家だったけれど、特に死に関して憧れを抱いているふうではなかった。むうちゃんも違う。10歳の私ですらもう4千回くらい死にたいと思ったことがあるのだから、大人ならもっと感じたはず。その幾度かは真剣に願ったはず。それが叶ったということでは片づけられない。

 殺人かあ。殺人事件の小説とかドラマはたくさん見るけれど、実際に起こると周りの人間はこんなにかき回されるのか。デザートの小さいケーキを全種類制覇した。
「むうちゃん、ちゃんとごはん食べたかな」
「ママが一緒だから大丈夫だよ」
「うん」
「ママってね、知らないかもしれないけど、栄養士の資格を持っていて、英検1級で、秘書検定も持っていて、すごい人なんだよ。自分にも他人にも厳しいから、ああいう人が周りにいるといいよね。今頃、たーくんのご親族は目を丸くしているかもしれないな」
「それって悪い意味じゃなくて?」
「パパは言いたいことをあまり言えないから、ママといると楽なんだ」
「へえ」
 食事のあとで展望台に上った。場違いだった。
「こういうところに一緒に来るのはもっと大人になってからだと思ってた」
 父が言った。
「私も」
「そろそろ帰ろうか」
「たーくんちってどっちのほう?」
「北西だからあっちかな」
 私が手を合わせると父も真似をした。ここは、世界の中心じゃない。悲劇は別のところで起こっている。たーくんが殺されたことは当然じゃない。浮気くらいでそんなことが連続していたら、人口が激減する。起こるべくして起きたとは断言しないけれど、少しくらい予兆はあったはず。たーくんはそれを感じていたはず。回避できなかったのはたーくんに問題がある。

 たーくんが死んだのに、私はいつもと同じシャンプーをして、寝た。死んだのがむうちゃんじゃなくてよかった。たーくんには申し訳ないけれど、それが本心だ。
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