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 神隠しを恐れたのではなくて、珍しいので犬を見ていた。大きくはないけど、触れない。犬のほうも初めて見る私を警戒して、右に左に行ったり。ぐるぐると喉をならし、ワンと吠えた。

「ラクというの」
 と原沢さんが言った。ラクは原沢さんに飛びついた。
「男の子?」
「そう。一緒に散歩行く?」
「はい」
 見上げた山は途方もなく緑だった。山深いほうが紅葉は早いのではなかっただろうか。緑だし、木しかない。
 ラクはぐいぐい原沢さんを引っ張る。
「これでも弱くなったほうなんだよ。ラクももうおじいさんだよね」
「何歳ですか?」
「息子が中学に上がるときに拾って来たから、ちょうど10歳かな。誕生日はわからないけど、うちに来たのは春だったわ。女の子だったら春と名付けたかったけど、男の子で悪いことをなにもしないの。楽な子だから、旦那がラクとつけたの」
 原沢さんにならむうちゃんの気持ちがわかるのかな。ママや私にはわからない。大事な相方を失ったことがない。
 ラクのうんこは放置したままだった。
「いいんですか?」
「いいのよ。田舎だからね。アスファルトの上でなければすぐに土に混ざるから」
 そういうものか。山とか自然の営みのひとつなのだろう。

 むうちゃんを連れてくればよかった。空気がきれいだから、呼吸をするだけで浄化されそう。
「あっ、リフト」
「スキー場だったの。何年か前に潰れてしまってね。どこも買い手がつかないまま、今は売り物にもなっていないようよ。うちから一番近いところだったけど、不景気でも景気がよくてもうちみたいに小さいところには関係ないのよね。旦那がいたときは客をスキー場まで送ったり、駅まで送迎もしていたけど、私は運転が苦手だから。雪道の運転が嫌だから冬になったらほとんどネットで必要なものは注文するの。米とかお茶とか」
 てっきり怖いことがあったから女性のみ限定しているのかと思ったが、手が回らないというのもあるのだろう。男の人は勝手だし、手がかかる。そう、たーくんのように。
「車を運転する夢をよく見ます」
 私は言った。坂道を下るその道が夢と酷似していた。
「私も子どものときに見たわ。免許を取ってからはないから、恐怖心の一種なのかもしれないわね」
「私が今一番怖いのは、むうちゃんが死んでしまうことです」
「むうちゃん?」
 原沢さんが聞く。
「一緒に滞在している叔母です」
「本当に叔母さんなの? こんな時期に子連れで連泊なんて怪しいって思ったけど、大きな出版社の人の紹介だから断れなくて」
 この人は仲間になったほうが得策だ。そういう勘は当たるほう。
「叔母です。私は学校をずる休みしていますが、それは両親も容認しています。先生の説得もしてくれましたが学校側は微妙です。両親は知恵を絞って、しばらく嘘をつき続けるでしょう」
「それは叔母さんのため?」
「はい」
 原沢さんは呆れ顔。
「子どもの教育ほうが大事でしょうに」
「今はむうちゃんのほうが子どもに近いんです。だからいいんです」
「その歳で自己犠牲しなくても」
 自己犠牲ではない。むうちゃんが生きていればいい。むうちゃんが死んだって困らない。でも、寂しい。すっごく寂しい。たーくんがいなくなって悲しいけれど、比ではないだろう。血がつながっているってやっぱり特別だ。
 勉強が遅れることに恐怖がないのは、今の勉強なんてちょっとがんばればすぐに追いつける。それに、これは人生で大事な行為に思える。
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