寂しい街のとどころ旅館

吉沢 月見

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 階段をのぼったはずの小松さんの足音が近づいてくる。

「ちょっと、廊下のこれって田辺あずみの絵じゃないですか?」
 と今まで一番大きな声を出した。

「そうですよ」
「そうですよって。日本で一番有名な女流画家ですよ。この前も絵が10億で落札されたって。生きている人間では破格です」
「はぁ」
 そんなことを言われても知らん。

「防犯カメラは? この辺りに絶対必要ですよ」
 と階段の踊り場の上を指差す。

「彼女、毎年うちに新作を送ってきます」
 売れないときにうちに泊まっていたことがあるらしい。それから名声を得てもなぜかよくわからない絵ほどうちに送って来る。動物を題材にする画家さんだ。今年はかわいくないバケモノのような羊。てっきり駄作の処分に困ってのことだと思っていた。

「昨日から思ってましたが、あなたは無防備すぎます」
 声を荒げないでほしい。こんな小僧に怒られる筋合いはない。
「ここは日本ですよ」
「日本でも犯罪はあります」
 確かにそうだ。

「でもこんなところに来てまで私を襲う人はいません」
「心配なのはあなたではありません。この絵たちです。これだけで数億の価値はある。それなのに額にも入れず」
「小松さんは絵に詳しいんですね。そういうお仕事なのですか?」
「美大を出てます。仕事は全く別のことですが」
 そうなのね。他の客も気づいていたのだろうか。そんな素振りをする人はいなかったし、現にうちの口コミにも絵について触れる人は皆無だったと記憶している。つまるところ、価値なんて知っている人だけが有難がるもの。そういうことわざが多い理由がわかる。

「うちが潰れないのってこの絵を見るために人が来るからかもしれませんね」
 私は軽い気持ちで言った。それならば私はこの画家に感謝しなければ。
 私に向けられた小松さん瞳に怒りが満ちていてびっくりした。呆れているというよりは怒っている。

「どうしてそんなに責任感がないのです? これは後世に残すべき絵です。あっ、直射日光が当たってる。こんなふうにひどい状態で放置して、心は痛まないのですか?」
 イエスと答えたい。

 たまにいる。自分の好きな物はみんなが知っていてみんなも好きだと勘違い野郎。客じゃなければこっちが罵倒している。私も導火線は短いほうだ。
「小松さんもここへ来るために駅からタクシーを呼びましたよね。こんな辺鄙な場所ですから電車で来る人はタクシーを使います。不審な人がいれば運転手さんが事前に連絡をくれます」
 防犯ベルは一応持っている。鳴ったとて、誰も助けには来てくれないだろうが。
「車で乗り付けたら? 最近は窃盗団グループもいる。標的にされますよ」ちょっと怒っては、「すいません。疲れているようです」とこめかみを押さえる小松さんは、やや面倒臭い人のようだ。自覚があるだけいい。昨日は絵の前を素通りした。その瞬間、自分も愚かと言っていることに気づいたのだろう。
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