寂しい街のとどころ旅館

吉沢 月見

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「今まで大丈夫だったのですからこれからも大丈夫でしょう」
 私の間抜けな言葉になんて反論するのかと楽しみにしたのだが、
「部屋に戻ってまた寝ます」
 と引き下がってくれた。寝不足で苛ついているだけかもしれない。
 私はまたシーツの交換について確認を怠った。だって、怒られるのは嫌いなの。叱られることが好きな人などいないだろう。しかも私は悪くない。理不尽。

 あまり覚えていないのだが、その画家は私より20歳ほど年上の女の人で、両親がいるときはふらりと訪れたのだが、腰の骨を折ってからは来られなくなり、代わりに絵が送られてくるようになった。
 廊下と階段に父は飾った。だから私も真似して、絵と絵の間にまた絵を飾った。
 そんな有名な人だったのか。大作は蜘蛛とか蝶の色の強い絵が多く、私の片手ほどの小さな絵は馬などの優しい表情が多かった。

 なんでほぼ初対面の、しかもお客様に怒られなきゃならんのだ。私も少しばかり怒りが湧いたが、この歳にもなれば無知は承知している。何度自分に呆れたことだろうか。両親の葬儀のときも姉がいなければうっかり死亡届を出し忘れるところだった。そしてそのあとの様々な煩雑な書類の提出。姉がお願いしてくれた司法書士さんがいなければちょっと借金を作ってしまった父のせいで私は危うく旅館も家も手放さなければならなかった。父の借金は新しく買った車と給湯器のせい。父は送迎のためにワンボックスカーを買っていた。廃車になってしまったため私は中古に乗り換え、送迎はしないことに決めた。私が外出してしまえば旅館がカラになってしまう。

 怒りが収まらないのか小松さんはまた階下に降りてきて、
「スマホは常に持ち歩いてくださいね」
 と言い放った。

「実は水没させてしまって」
「なんだって? 見せてください」
 私は電源が切れたままのスマホを小松さんに見せた。

「分解してみましょう」
「嫌です」
 私は制止した。直るものも直らないかもしれない。だって、小松さんは旅行会社に勤めている。気に入らない人間のことほどつい調べてしまう。プロフェッショナルじゃない。

「中の水分を取れば直る可能性があります」
 彼の言葉を信じた理由はわからない。昔から人を疑っているから騙されたこともない。
「じゃあ、お願いします。その代わり、直らなかったら弁償してもらえます?」
 と約束を漕ぎつける。
「いいよ」
 なんだろう。小松さんからはお金に困っていない雰囲気が漂う。実家が太いのだろうか。いいところで働いているのかもしれない。役職についているのかもしれない。

 へぇ。スマホってそこがぱかって外れるのね。知らなかった。中はもっと基盤のようになっているんだと思っていた。それ、外して大丈夫なの? 
「シムカードは大丈夫そうだ」
 ティッシュで部品を拭いて、届かないところは綿棒で水分を拭う。
「こういう仕事をしたことが?」
「ないですよ。でも車に乗る人だって車に詳しくなるでしょう?」
 と同意できないことを言う。私は車にもとんと詳しくない。どうして走るのか知らなくても、スマホの中身を知らなくても、使える。

 しばらく乾かして、また戻し、電源を入れてみた。
「ついた」
 でも充電がない。充電器を差し込むこと、私は怖いなと思った。爆発しそうで。それを小松さんは難なくしてくれる。
「大丈夫そうですね」
 とお墨付きをいただく。
「ありがとうございます」

 それから小松さんはお昼まで眠った。

 お昼はパスタ。それを食べて小松さんは少し近所を散歩した。
「何もない」
 とぼやかれても困る。

「それが売りですから」
「そうなの?」
「いや、勝手にそうなってるだけですけど」
 うちの口コミの多くが、
『静かです』『何もないです』『空気がおいしい』
 と褒めてくれる。稀に、
『不便』
 とか、
『寂れてる』
 と書かれると真実だからほっとする。

「もうすぐ夕飯です」
 小池さんに私は言った。
「食べてゴロゴロしているだけだから太りそうだ」
「おひつで持ってきますのでご自分で好きな量を食べてください」
「ありがとうございます」
 と小松さんは微笑んだ。表情も感情もころころ変わる、私の知り合いにはいないタイプ。
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