2 / 14
2.執事クラウス
しおりを挟む
底冷えするような恐怖を感じ、セシリアは飛び起きた。悲鳴を上げようにも声にならないほどに喉は渇き、寝間着は汗でぐっしょりと濡れている。先ほどまでベッドで寝ていて、体が疲れることなどしていないのに、なぜか長距離を走った時のような疲労感があった。
重い体を引きずりながら、サイドテーブルに置かれた水差しへと手を伸ばす。グラスに水を注ぎ勢いよく喉に流し込んだ。
「…ふぅ」
(久々にあの夢を見た…)
ポスンっとベッドの淵に腰を下ろし、セシリアは夢のことを思い出していた。
それはかつての悍ましい記憶。そして未来に起こりうるかもしれない出来事の記憶でもあった。
(もう、あんな思いはごめんだわ。何とかしてあの事態をさけないと…)
マリア暗殺の容疑で婚約者に裏切られたあの日、自分で首を切り確かに死んだはずのセシリアは、なぜか二度目の人生を送っていた。前回と同じハードウェル侯爵家の令嬢として。
いわゆる逆行というやつを体験したセシリアは、将来自分を待ち受けているであろう出来事を思い出し、ため息をつく。
そもそも王太子の婚約者になったのが間違いなのだ。婚約者でなければあのように死ぬこともなかった。
(でも結局、婚約者になってしまったのよね…)
目が覚めた時には親同士で話が進んでいて、婚約が決まってしまっていたのだ。せっかく逆行するならもっと前の段階がよかったのだが、こればかりは自分で選べないのでどうしようもない。
(マリアが登場する前に何とか王太子に婚約破棄を申し出てもらえればいいのだけれど…)
王太子との婚約を破棄するには王太子側からの申し出が必要だ。王太子との婚約は国王から賜ったものであり、こちらから破棄するのは国王に対する無礼とみなされる。勿論、王太子から婚約破棄されてもいい影響はなく、令嬢としての価値がその程度とみなされるわけで、その後の結婚のハードルはあがるわけだが、セシリアからしたら結婚などしなくていいし、死ぬよりましだと思っていた。
(王太子にとって、家が背後にいることは大きな利益になるからなぁ。侯爵令嬢に産まれてしまったのが運の尽きよね…)
ほうっとセシリアはため息をつく。待ち受けているだろう最悪の未来にズンと重いものが心臓にまとわりついた。心なしか胃も痛む気がする。
(とりあえず、自害を回避できればなんとかなるわよね。それまでに生きる力を養っておけば他国でも生きていけるわけだし。役目を終えたら異国でカフェでも開いて悠々自適に暮らすのが目標ね…)
セシリアはそう決意をすると重たい腰を上げた。とりあえず濡れた服を着替えよう。このままでは風邪をひきそうだ。
コンコン
ふと、部屋の戸がたたかれた。着替える手を止め、セシリアは扉に向かって声をかける。
「どうぞ」
失礼しますという言葉と共に扉が開かれ、燕尾服を身にまとった男性が部屋へと入ってくる。彼の名はクラウス。幼いころからセシリアに仕えている専属の執事である。
「おはようございます。お嬢様。…失礼、お召し替え中でしたか」
「構わないわ。あとは上着を羽織るだけだから」
「手伝います」
「ありがとう」
クラウスはさっとセシリアから上着を受け取ると、手慣れたように羽織らせてくれた。さっと服の乱れていた部分を整えると、彼は散乱していた洗濯物を拾い集める。
「朝食の準備は既にできておりますが、いかがなさいますか」
「…今日はバルコニーで食べたい気分だわ」
セシリアの部屋には広いバルコニーがついており、侯爵家自慢の庭を眺めながら食事をとることができる。今日はなんとなく外の空気を吸いながらお茶を飲みたい気分だった。
「かしこまりました。すぐにご用意いたします」
そう言うとクラウスは軽く礼をし、部屋を出ていった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
しばらくして、食事のワゴンと共にクラウスが部屋に戻ってきた。
「お嬢様、こちらをどうぞ」
「…これは氷?」
クラウスが差し出したのは革袋に入れられた氷だった。いきなり差し出された氷にセシリアは首をかしげる。
「目が少々腫れております。冷やされた方がよろしいのでは?」
「…本当だわ。知らず知らずのうちに泣いていたのね」
部屋にある姿見で自分の顔を確認すると、確かにセシリアの目は腫れていた。どうやら夜泣いていたらしい。
「夢見がわるかったのですか?」
テーブルに皿を並べながらそう尋ねるクラウスに、セシリアは頷く。
「ええ。久々にちょっと嫌な夢を見たわ」
「そうでしたか…。体調に問題はございませんか?」
心配そうな眼差しを向けるクラウスに、セシリアは静かに首を横に振った。
「体調は問題ないわ。多少の疲労感があるくらいよ」
「さようでございますか。悪夢は何かと体力を奪われるものですからね。本日はご無理をなさらず、ゆっくり過ごされた方がよろしいかもしれません」
「そうね。そうするわ」
スッとクラウスが引いてくれた椅子にセシリアは静かに腰掛ける。席に着いたセシリアの膝にサッと布ナプキンをかけると、クラウスはお茶の準備を始めた。
「何かお困りごとがあればいつでもご相談ください。悪夢は不安の表れとも言われておりますし、誰かに話すことで解消されることもあるかもしれません」
「ええ、ありがとう」
クラウスは前回も最後までセシリアに仕えてくれた執事だった。彼はセシリアの悪い噂が広まり、彼女の立場があやうくなった後も、セシリアを信じついてきてくれたのだ。だからこそ、自分が死んだ後、彼がどうなったのかがセシリアは気になっていた。
もしクラウスが頷いてくれたなら、彼も一緒に異国へと連れていきたい。彼の淹れるお茶がいつでも飲めるカフェが開けたのなら、どんなに最高だろう。そう思うセシリアなのだった。
重い体を引きずりながら、サイドテーブルに置かれた水差しへと手を伸ばす。グラスに水を注ぎ勢いよく喉に流し込んだ。
「…ふぅ」
(久々にあの夢を見た…)
ポスンっとベッドの淵に腰を下ろし、セシリアは夢のことを思い出していた。
それはかつての悍ましい記憶。そして未来に起こりうるかもしれない出来事の記憶でもあった。
(もう、あんな思いはごめんだわ。何とかしてあの事態をさけないと…)
マリア暗殺の容疑で婚約者に裏切られたあの日、自分で首を切り確かに死んだはずのセシリアは、なぜか二度目の人生を送っていた。前回と同じハードウェル侯爵家の令嬢として。
いわゆる逆行というやつを体験したセシリアは、将来自分を待ち受けているであろう出来事を思い出し、ため息をつく。
そもそも王太子の婚約者になったのが間違いなのだ。婚約者でなければあのように死ぬこともなかった。
(でも結局、婚約者になってしまったのよね…)
目が覚めた時には親同士で話が進んでいて、婚約が決まってしまっていたのだ。せっかく逆行するならもっと前の段階がよかったのだが、こればかりは自分で選べないのでどうしようもない。
(マリアが登場する前に何とか王太子に婚約破棄を申し出てもらえればいいのだけれど…)
王太子との婚約を破棄するには王太子側からの申し出が必要だ。王太子との婚約は国王から賜ったものであり、こちらから破棄するのは国王に対する無礼とみなされる。勿論、王太子から婚約破棄されてもいい影響はなく、令嬢としての価値がその程度とみなされるわけで、その後の結婚のハードルはあがるわけだが、セシリアからしたら結婚などしなくていいし、死ぬよりましだと思っていた。
(王太子にとって、家が背後にいることは大きな利益になるからなぁ。侯爵令嬢に産まれてしまったのが運の尽きよね…)
ほうっとセシリアはため息をつく。待ち受けているだろう最悪の未来にズンと重いものが心臓にまとわりついた。心なしか胃も痛む気がする。
(とりあえず、自害を回避できればなんとかなるわよね。それまでに生きる力を養っておけば他国でも生きていけるわけだし。役目を終えたら異国でカフェでも開いて悠々自適に暮らすのが目標ね…)
セシリアはそう決意をすると重たい腰を上げた。とりあえず濡れた服を着替えよう。このままでは風邪をひきそうだ。
コンコン
ふと、部屋の戸がたたかれた。着替える手を止め、セシリアは扉に向かって声をかける。
「どうぞ」
失礼しますという言葉と共に扉が開かれ、燕尾服を身にまとった男性が部屋へと入ってくる。彼の名はクラウス。幼いころからセシリアに仕えている専属の執事である。
「おはようございます。お嬢様。…失礼、お召し替え中でしたか」
「構わないわ。あとは上着を羽織るだけだから」
「手伝います」
「ありがとう」
クラウスはさっとセシリアから上着を受け取ると、手慣れたように羽織らせてくれた。さっと服の乱れていた部分を整えると、彼は散乱していた洗濯物を拾い集める。
「朝食の準備は既にできておりますが、いかがなさいますか」
「…今日はバルコニーで食べたい気分だわ」
セシリアの部屋には広いバルコニーがついており、侯爵家自慢の庭を眺めながら食事をとることができる。今日はなんとなく外の空気を吸いながらお茶を飲みたい気分だった。
「かしこまりました。すぐにご用意いたします」
そう言うとクラウスは軽く礼をし、部屋を出ていった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
しばらくして、食事のワゴンと共にクラウスが部屋に戻ってきた。
「お嬢様、こちらをどうぞ」
「…これは氷?」
クラウスが差し出したのは革袋に入れられた氷だった。いきなり差し出された氷にセシリアは首をかしげる。
「目が少々腫れております。冷やされた方がよろしいのでは?」
「…本当だわ。知らず知らずのうちに泣いていたのね」
部屋にある姿見で自分の顔を確認すると、確かにセシリアの目は腫れていた。どうやら夜泣いていたらしい。
「夢見がわるかったのですか?」
テーブルに皿を並べながらそう尋ねるクラウスに、セシリアは頷く。
「ええ。久々にちょっと嫌な夢を見たわ」
「そうでしたか…。体調に問題はございませんか?」
心配そうな眼差しを向けるクラウスに、セシリアは静かに首を横に振った。
「体調は問題ないわ。多少の疲労感があるくらいよ」
「さようでございますか。悪夢は何かと体力を奪われるものですからね。本日はご無理をなさらず、ゆっくり過ごされた方がよろしいかもしれません」
「そうね。そうするわ」
スッとクラウスが引いてくれた椅子にセシリアは静かに腰掛ける。席に着いたセシリアの膝にサッと布ナプキンをかけると、クラウスはお茶の準備を始めた。
「何かお困りごとがあればいつでもご相談ください。悪夢は不安の表れとも言われておりますし、誰かに話すことで解消されることもあるかもしれません」
「ええ、ありがとう」
クラウスは前回も最後までセシリアに仕えてくれた執事だった。彼はセシリアの悪い噂が広まり、彼女の立場があやうくなった後も、セシリアを信じついてきてくれたのだ。だからこそ、自分が死んだ後、彼がどうなったのかがセシリアは気になっていた。
もしクラウスが頷いてくれたなら、彼も一緒に異国へと連れていきたい。彼の淹れるお茶がいつでも飲めるカフェが開けたのなら、どんなに最高だろう。そう思うセシリアなのだった。
0
あなたにおすすめの小説
呪いを受けて醜くなっても、婚約者は変わらず愛してくれました
しろねこ。
恋愛
婚約者が倒れた。
そんな連絡を受け、ティタンは急いで彼女の元へと向かう。
そこで見たのはあれほどまでに美しかった彼女の変わり果てた姿だ。
全身包帯で覆われ、顔も見えない。
所々見える皮膚は赤や黒といった色をしている。
「なぜこのようなことに…」
愛する人のこのような姿にティタンはただただ悲しむばかりだ。
同名キャラで複数の話を書いています。
作品により立場や地位、性格が多少変わっていますので、アナザーワールド的に読んで頂ければありがたいです。
この作品は少し古く、設定がまだ凝り固まって無い頃のものです。
皆ちょっと性格違いますが、これもこれでいいかなと載せてみます。
短めの話なのですが、重めな愛です。
お楽しみいただければと思います。
小説家になろうさん、カクヨムさんでもアップしてます!
愛しい人、あなたは王女様と幸せになってください
無憂
恋愛
クロエの婚約者は銀の髪の美貌の騎士リュシアン。彼はレティシア王女とは幼馴染で、今は護衛騎士だ。二人は愛し合い、クロエは二人を引き裂くお邪魔虫だと噂されている。王女のそばを離れないリュシアンとは、ここ数年、ろくな会話もない。愛されない日々に疲れたクロエは、婚約を破棄することを決意し、リュシアンに通告したのだが――
愛しの第一王子殿下
みつまめ つぼみ
恋愛
公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。
そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。
クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。
そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。
夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
呪われた王子さまにおそわれて
茜菫
恋愛
ある夜、王家に仕える魔法使いであるフィオリーナは第三王子フェルディナンドにおそわれた。
容姿端麗、品性高潔と称えられるフェルディナンドの信じられない行動に驚いたフィオリーナだが、彼が呪われてることに気づき、覚悟をきめて受け入れる。
呪いはフィオリーナにまで影響を及ぼし、彼女の体は甘くとろけていく。
それから毎夜、フィオリーナは呪われたフェルディナンドから求められるようになり……
全36話 12時、18時更新予定
ムーンライトノベルズにも投稿しています。
乙女ゲームの登場人物かく語りき
ぐう
恋愛
乙女ゲームは終わった。登場人物はそれぞれ罰せられ平穏が訪れた。そこにスキャンダルが詳細に書かれた小説本が発行され大騒ぎになった。当然ベストセラーになった。それから続々と小説本の登場人物が発行した出版社を訪れ言い分を言って帰るようになった。文句?訴訟なのか!と怯える社員だがそうでもなくみんな言いたいことがあるようだ。
乙女ゲームの登場人物かく語りき
さて真実はどこに!
最終話まで書き終わってますので、一日二話ずつ投稿してさっさと終わる短編です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる