花カマキリ

真船遥

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Scene 6-1

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 ウォークマンから流れてくるNirvanaのBreedのリズムに身を任せ、土曜の夕方のロードワークは終盤に差し掛かっていた。もう、六時だが日が暮れる様子はない。火曜日からずっとあの青年と由依のことが頭から離れない。由依は、彼とデートするからドライブでもして適当に時間を潰せ、とあの日俺にメールをした。俺は当て所なく、無機質な住宅街で車を走らせ、コンビニで普段買わないジャンプを買って、灰皿の近くで漫画を読んで適当に時間を潰していた。こんなに蒸し暑いのに、制服姿の高校生たちはコンビニの前で楽しげに談笑していた。ひたすらタバコを吸い続ける俺の煙の匂いに嫌気がさしたのか、怪訝な視線を俺の方に送りつけていたが、そんなこと気にせず、俺は気を紛らすために、ナルトやワンピースを読んでいた。ただ、俺は一つだけ安堵していることがあった。彼女がホテルで言ったことが真実なら、あの女は好きな男とは絶対に寝れない。男と寝れば、あの女は好きな男を間接的に殺すことになる。それだけがあの夜の俺の救いだった。
 途中、俺の前を猫が通り過ぎたせいで、走るテンポが悪くなったが、日に日にタイムは縮まってきていた。タバコと酒で汚れた体から吹き出る汗をシャワーで洗い流して、最近始めたジークンドーの型を頭の中で思い浮かべ、足を軽く振り上げようとすると、筋肉痛で広背筋が軋んだ。ジム通いも始めた。野球部時代の体を筋肉が思い出すのはまだ当分先になりそうだ。今でも健康的な体つきをしている方だとは思うが、俺の筋肉には酒の味が染みついている。俺はあの日、由依の演技を見たときから、彼女の女優業の妨げになるものを排除するために生活習慣を変えた。まず、付き合い以外の酒をやめた。タバコも徐々に減らしていくつもりだ。この前の楽屋みたく、嫉妬に狂った共演者が彼女を襲うかもしれない。ストーカーだって現れるだろう。ハリウッドのシャロン・テート殺害事件のように、頭のイカれたサイコ野郎どもが、芸能界への見せしめのために由依を殺しに来るかもしれない。そんな奴らが現れた時、彼女を守るためには護身術の一つや二つは必要だろう。
 体についた水滴をバスタオルで適当に拭き取り、リビングで冷房のスイッチを入れると、社用の携帯電話が机の上で震えていることに気がついた。携帯電話の画面には、話のつまらない高学歴の地味なメガネをかけた芋臭い女の先輩の名前が表示されている。土曜の夕暮れに電話をしてくるなんて、きっと面倒臭い用事に決まっている。どうやら、俺の予想は的中したみたいだ。若い男と中年の二人組の刑事が、事務所で由依に俳優の転落死について取り調べをしているらしい。取り調べの様子を聞くと、中年の刑事の態度が異常らしく、恐怖で電話から聞こえてくる先輩の声は戦慄いていた。
 事務所のビルの一階で、二十五歳の新人女優の齋藤カレンが俺を出迎えた。彼女は現在売り出し中で、自分に良い役が回って来ないことをよく俺に愚痴ってくるクウォーターの女だ。カレンはフランス人の血が混じっているせいで、肌が異様に白く、目鼻立ちがハッキリしている。見た目だけなら、由依に負けず劣らずだが、魅力では敵わない。俺は、彼女の体臭を隠すための香水の匂いがいつもキツいところが苦手で、今日も相変わらずキツイ香りを纏っていた。。
 事務所のある階に着くと、部屋から漏れた中年男性の荒げた声が廊下まで響いていた。俺は慌てて部屋へ向かって走り、半開きの扉を開くと、二人の刑事が由依を挟んで、取り調べをしていた。軽く荒らされていた部屋は、取り調べ現場というよりは、強盗現場のようだった。
 中年の刑事は、テーブルの端を掴み、何度もガタガタとその場で脅すようにテーブルを上下に震わせて、
「お前がこの男を殺すように指示したのか」と由依に向かって思い切り叫んだ。中年の男が叫ぶと、部屋の隅で縮こまる先輩が泣き喚く。中年の男は、先輩に向かって、うるせえ、と叫んで、もう一度、由依に向かって「この男の転落死とあんたは関係があるんじゃないのか」と訊いた。由依は下を向いたまま何も言わない。俺が彼女の元に歩み寄ろうとすると、「知らないわよ」と突き放すように由依は刑事に向かって反抗した。
「ちょっとあんた」と俺が男に声をかける。
「おまえ誰だ?」
「彼女のマネージャーです」と俺は臆せずに言うと、刑事は、この前由依がホテルで寝た男の写真を見せて、「こいつがなあ。この前、転落して死んだんだよ。おまえこの男知っているか?」と声を抑えて言った。俺が何も言わずにいると「知っているってツラだな」と刑事は異様に低い声を響かせるように言った。
「その男が死んだことと、彼女に何か関係が」
「ああ、アンタんとこの女優さん、この男と寝たんだろ。この前タレコミがあったよ」
「だから」
「お騒がせ女優の玉城由依が、今度は友人の彼氏を寝とったなんて週刊誌に書かれちゃ大変だろ。それで口封じのために殺したんじゃねえかと」
「刑事さん、言ってること理解してます?。そんな馬鹿なことないでしょう」
 この刑事の言ったことは外れているが、彼女はこの男が死ぬことを予期していた。
「別に俺がそんなことだけで、この女を疑っているわけじゃねえんだよ」
 刑事は何枚か写真を取り出し、「コイツも、コイツも、コイツも、コイツもコイツもコイツも、みーんな、この女と関係のあった奴らは仲良く不審死してるんだよ」とまた声を荒げ、一枚一枚、死んでいった男たちの写真を机に打ち付けながら並べた。
「お前らこれが偶然だと思うか?」
 刑事は舐めるように由依と俺を凝視しながら、机の反対側に回った。俺の首筋からは冷や汗が垂れてシャツを濡らす。そして、何度も机を叩きながら、「お前らは、この女と寝た男が、偶然、都合よく死んだ、なんて思うのか。馬鹿なことを言っているのはどっちだ。答えてみろ」と言って、机の脚を蹴った。
「証拠はあるのか、証拠は」
「証拠はねえよ。そのための取り調べだろ」
「こんな無茶苦茶な取り調べがあるか?」俺は若い男に向かって「おい、アンタ、黙ってねえで、この男の強引なやり方を止めろよ」と言った。若い男は俺と目を合わせようとすらしない。
「認めないなら、週刊誌にお前と寝た男が全員死んだって書いてもらうことにするよ。なあ、お騒がせ女優さん。早く自供してくれればやめといてやるよ。そんなこと書かれたらどうする。世間はこれらの不審死にお前が関わりないと思うか?。魔女裁判にかけられて辛い目に遭う前に早く認めちまえよ。俺はこんな綺麗な顔が苦痛に歪む顔なんて見たくないなあ。さあ」と由依の顎を掴んで顔を強請る。
「だから知らないって言ってるでしょ」
 俺は刑事の肩に手を置いた。俺は彼女から手を離せ、と大きな肩を強く握る。ジャケット越しから、隆々とした分厚く堅い筋肉の感覚が伝わる。大きな肩をうまく握ることはできない。刑事はこちらに一瞥もくれず、由依の顎を握って離さない。肩を掴んで引っ張ると、ようやく手を離した。刑事と目が合い、お互い威圧する。刑事は俺の顔を見て、鼻で笑うと、思い切り俺の腹を殴ってきた。全く躊躇がない。目の前の景色が一瞬かすみ、白い壁と床の境目がボヤけて曖昧になる。俺は腹を抑えて、その場で膝をつくと、刑事は俺のことを投げ飛ばした。俺は背中を勢いよく椅子にぶつけて、その場で仰向けになる。口の中で鉄の味が広がり始める、どこか口の中を切ったみたいだ。初めて触る事務所の床の感触は気持ちが悪かった。卵の殻の裏のぬるぬるした部分を触っているみたいに、気持ちが悪い。
 刑事は仰向けになっている俺の横でしゃがんでニヤニヤしながら俺がなんとか意識を保とうとしているのを観察している。視界が定まって、初めて見るのが、コイツのニヤけ顔なんて最悪だ。背後に見える、若い刑事は拳を握り、目を瞑りそっぽを向いている。この刑事を止めることは誰にもできない。
「兄ちゃん、アンタ鍛えているな。でもまだ鍛え方が足りないみたいだな」
「ちょっと彼は関係ないでしょ。彼が私の担当になったのは6月からで、それまで会った事もないのよ」
 由依は俺の方に駆け寄り、俺の安否を心配する。ティッシュで俺の口元を拭いている。血が口元から垂れているみたいだ。
「彼は関係ない。じゃあ自分はどうなんだ」
 刑事は由依の髪を握り、上に引っ張る。由依は涙目で苦悶の表情を浮かべ、唇を噛み締めている。俺は開いている扉に向かってゆっくりと指をさし、あっちを見ろよ、と言った。
 俺は念の為、カレンにこの一部始終を携帯で撮らせて置いた。皆が扉に背を向けている状況が幸いし、なんとかバレずに済んだ。
「アンタらだって、この一部始終が晒されたらヤバいんじゃないか?。彼女の髪から手を離せよ」
 撮影しているカレンが急いで、どこかに逃げ出すと、刑事は舌打ちをして由依から手を離した。刑事は、俺の腹に写真を投げて、今日はこの辺にしてやるよ、と言って、開きっぱなしの扉から、何事もなかったかのように出て行った。
 部屋は嵐が過ぎ去ったみたいに静まり返った。まだ腹の中には鈍い痛みが残っている。痛みを噛み締め、立ち上がろうとすると、大丈夫?と由依が俺を手助けして、その辺の椅子に俺を座らせる。屈辱的な気分だ。
「コイツらの死に君は何も関与していないんだよね」
 由依は何も言わずに頷く。多分、由依は彼らが死んだこととは無関係なのだろう。厄介なことは、彼女と肉体関係にあった彼らが全員死に、そして、死ぬことを事前に知っていることだ。あんな取り調べが永遠に続いたら、不利になることを話してしまうかもしれない。刑事が言う通り、彼らの死に彼女が関与している可能性を世間が知ったら、彼女はどうなるだろうか?。
 気丈に振る舞っていた由依だが、緊張の糸が切れて、涙は流さないが、顔が赤くなっている。今後を案じているのだろうか。俺は立ち上がり、由依の頭を俺の方に抱き寄せる。震えが止まるまで、何度も頭を撫でてやると、由依は迷子の子供みたいに、俺のシャツをギョッと握り締める。安心したのか、少しずつ震えがおさまってきている由依に、
「大丈夫。俺がなんとかする」と俺は囁いた。
 俺は頭を捻り、考えを搾り出し、彼女から疑いの目を逸らすために、ある計画を思いついた。
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