花カマキリ

真船遥

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Scene 7-1

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 朝の情報番組は由依の熱愛報道で持ちきりだった。事務所のあるビルの地下駐車場に車を停め、タバコと飲み物を買うために俺は近くのコンビニに向かっていると、すれ違う男子高校生が、「玉城由依熱愛だってよマジ最悪」とか「俺も玉城由依とやりてえなあ」と言っており、サラリーマンの握るスポーツ新聞の一面には既視感のある由依の白黒写真が大きくプリントされていた。忘れた頃にやってくる雨期のしたたかな豪雨のせいで、ビルを打ち付ける無数の細かい雨粒が湯気を立てているように見える。ビルの窓に大きな雨粒が蔦うように落ちる。泣いているのか、汗ばんでいるのか、それとも、怒っているのか?。俺は事務所の社長から呼び出しをくらっていた。こんな風に個人的に呼びだされるのは初めてだ。彼女の監督不行き届きで叱責されるのか、それとも、今後のメディアへの対応について話し合うのだろうか。どちらにせよ面倒くさい。俺は社長室の前で、一度深呼吸をして、ノックをすると、どうぞ、と声がしたので、失礼します、といつになく慇懃な態度で、蝶番の金切り音が鳴らないように慎重に扉を開けた。
「あら如月君、お疲れ様」
 加賀美陽子、かつて一世を風靡したと言われるだけはあり、五十手前だが魅力はある。鞠のように丸く大きな瞳に、ハリのあるウェーブの栗色の髪。美しい口元からは白く綺麗な歯並びを覗かせる。厚化粧だが嫌味な感じはせず、むしろ独特な透明感のようなものを身に纏っているみたいだ。
 社長室には、加賀美陽子と同年代の二人の男性がいた。一人は、恰幅のいい禿げた成金風の男で、もう一人は、白髪混じりの髪の毛をオールバックにまとめた切長の目の眼鏡をかけた男性だ。成金風の男は、榛色のジャケットを羽織り、絶えずハンカチで額の汗を拭き、扇子を扇いでいて、もう片方の男は、ワイシャツ姿で手を組みながら、蒼炎のような静かな眼差しで俺の様子を観察していた。社長室には、若かりし頃の加賀美陽子の白黒写真が飾られていた。映画のワンシーンを切り取ったものだ。あの映画にいきなり主役として抜擢されて、加賀美陽子は、一躍90年代の大スターになった。由依の写真も飾られている。90年代と2000年代、二人の女優にこの事務所は支えられてきたと言わんばかりに、二人の写真は豪奢に装飾されている。
「どうぞ、かけて」と加賀美陽子に促され、俺は社長室のソファに座る。俺が二人の男性について訊くより先に加賀美陽子は二人を紹介した。
 成金風の男は、吉村という大手の芸能事務所の社長で、もう片方は陣内という広告代理店の重役らしい。おそらく、由依が主演を務めている映画の今後の方針にでも話し合っていたのだろう。テーブルの上には、週刊誌が広げられている。もちろん開いているページは由依の熱愛報道だ。
「担当早々、悲惨な目に遭ったわね」
「ええまあ」と俺は白々しく相槌を打つ。
「今回呼び出したのはね。熱愛報道の件じゃないのよ」
「そうなんですか?」
「あの子の熱愛報道なんて、別に初めてじゃないわよ。マスコミは、視聴率や週刊誌の売上のために必要以上に騒ぎ立てるけど。こんなの大した事じゃないわ。彼らが穏便に鎮火させてくれる。一週間もしたら落ち着くわよ。あなたを呼び出したのは、この件じゃなくて、由依が刑事の取り調べにあっている方」
「そちらですか」
「この前、私の家に由依が帰ってきてね。そのことについて聞いたのよ。狂犬みたいな刑事に目をつけられたって。あなたからも詳しく聞きたいの」
「わかりました。玉城さんが言ったこととそう変わりないと思いますけど、構いませんか?」
「もちろん。それに彼らもその刑事について聞いたら、何か手を打ってくれるかも」と加賀美陽子が言うと、二人は俺の方を向いて、軽く頭を下げて、事後処理を任せろ、と言った雰囲気で俺の話を聞き始めた。
「ふうん、由依から聞いたとおり、狂犬みたいな刑事ね」
「知ってますよ、確か草刈とか言う刑事でしょ。数年前にうちの事務所の俳優が家で首吊って死んだ時、えらいウチの事務所荒らしてくれましたよ。目的のために手段を選ばないどころか、一度くらいついたら首がもげても離さない。その上、権力や金にも屈しないから懐柔することもできない。大義がないから、行動も予測出来ない。厄介なんですよあの手の刑事は」
「そんなに厄介なら。私の方で手を打ちましょう。警察官僚に私の大学時代から友人がいるんだ。その草刈とか言う刑事の上司に圧力をかけて、その刑事に別の仕事を大量に与えましょう。そうすればおのずと玉城由依の捜査は遅れるでしょう」
「熱愛報道に続いて、十人近くの殺人教唆の容疑まで懸けられたら、流石に今回の映画は降板せざるおえないわ」
「それは困りますよ。ウチのクリエイター人の仕事が徒労に終わってしまう。ただでさえ忙しいのに、ここでヒロインが交代なんてなったら、今まで創った広告を全て作り替えなくちゃいけなくなる。何より玉城由依に賭けている出資者たちにどう言い訳をすればいいのやら。それにしても本当なんですか?、彼女のあの噂」
「ああ、俺も聞きたいですわ。その玉城由依と寝た男は、一ヶ月以内に死んで。そして、男と寝た後に出演した作品は確実に成功するって話」
 二人が加賀美陽子に問いかけるので、加賀美陽子は椅子に座り頬杖をつきながら思案している。
 どうやら芸能関係者の中でも由依の秘密は噂程度には広まっているみたいだ。それでも芸能界で彼女と寝たがる男が絶えないのは、この噂が一部の人間しか知らないからなのか、それとも、ただの残念な雄の使命なのか。真意のほどは定かではないが。由依自身も男と寝た後の出演には確かな手応えを感じているようだった。それは俺もこの目で確認した。
「嘘みたいな話だけど本当よ。男たちの死に彼女が関与しているわけではなさそうだけれど、私が知っている限り、彼女と交際した相手は皆死んでいるわ」
 二人は驚きながらも、どこか腑に落ちたような顔をしている。吉村は扇子を折りたたんで、異様に甲高い声で話を続ける。
「彼女、裏じゃカマキリ女って呼ばれているらしいじゃないですか?」
「カマキリ女?」陣内は怪訝な顔をして呟くように吉村に問いかけた。
「そうカマキリ女。カマキリって交尾すると相手のオスを喰っちまうでしょ。どうやら、栄養豊富なオスを喰ったメスのカマキリは大量の赤ん坊が入った卵を産むらしいんですわ。彼女がセックスすると、相手は死ぬ。その死んだ男の生気を吸い取るように、彼女の演技は花開き、作品を成功に導く。男の栄養を喰べて、命を吹き込むように映画を成功させるところが、カマキリみたいだなんて言って、カマキリ女って呼ばれるようになったらしいんですわ。それにあやかろうとして、積極的に男を紹介する監督もいるとかいないとか」
 加賀美陽子は机に置いてある写真に視線をやりながら、吉村の話を聞いていた。子供四人と加賀美夫妻の写真だ。
「そんな噂が立っていたのね。如月君には今後由依の監視を頼みたいの。特に脚本家とか、作家みたいな物書き連中はあまり由依に近づけないで」と俺の方を向いて、手を組みながら真剣な眼差しでお願いしてきた。
「脚本家に惚れるなんて、死んだ父の幻影を追っているみたいですね」吉村が言った。
「吉村さんはその話を知っているんですか?」と俺は訊いた。
「知ってるも何も、玉城由依の母親はうちの事務所に所属していましたから、ゴッツええ女やったなあ。売れるのも時間の問題やったやろ。玉城由依の顔をみたらすぐにピンと来ましたわ。あいつの娘だって、母親そっくり」
「僕も父親の方とは付き合いがありましたよ。惜しい人を亡くした。泣かせる話で、事件当日も奥さんのために脚本を書いていたとか」と陣内は故人を惜しんだ。
 俺は聞き覚えのある話を適当に聞き流し、脚本家の方について加賀美陽子に確かめた。
「玉城さんがこれ以上男と寝ないようにしろと、そちらは構いませんが、脚本家の方はどうするんですか。話を聞いている限りだと、彼は一ヶ月以内に死んでしまうんでしょう?」
「そうなのよね。これであの脚本家が死んだら。本腰を入れて由依の身辺を捜査し始めるかもしれないわ。何か刑事の目から由依の疑いを晴らす方法はないかしら?」
 吉村も陣内もさっぱりと言った感じだった。眉根を上げて、険しい顔をしながら小さくため息をついている。俺はそんな彼らに、にこやかな表情をして切り出した。
「要は彼女が一連の死に関与していないと証明されればいい訳ですよね?」
 俺のこの言葉を聞いて、吉村と加賀美陽子はまじまじと俺の顔を見ている。
「あなた何を考えているの?」加賀美陽子は俺に問いかけた。
 その時の俺の顔がどんな顔をしていたのかは、わからない。ただ彼らの表情から察するに、おそらく、とてつもなく悍ましい顔をしていたのだろう。
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